かとかの記憶

リー作品の受容と連想

46 コメント
views
katka_yg
作成: 2025/10/06 (月) 09:11:32
最終更新: 2025/11/14 (金) 21:34:36
通報 ...
1
katka_yg 2025/10/06 (月) 10:47:36 修正

概況

2025年現在、日本のファンタジー文芸一般・創作文化全般について英国の小説家タニス・リー(1947-2015)の遺した影響を知ることは、特にそれほど必要ではない。今現在、本邦の流行ではないし、教養としてもそれほど多くの若い読者に読まれているわけではない。作家の名は知られていようが、日本の読者からの需要は絶対的に少なく、邦訳書は概ね絶版で近所の図書館がきっちり揃えているかも怪しいことだ。

リー作品のスタイル(文体)、リーの終生の関心(テーマ)は日本人読者の関心を絶えず惹きつけているようでは、べつになく、現在和製のファンタジー小説・漫画・アニメを閲覧するにはリーを読んでなければ話がわからんということはない。かえって本人が古典趣味なだけに、その文学趣味が合えば数十年の時代を超えても古くならない。常に新鮮な感想で味読できると思う。

どういう人に合うかというと、ダークファンタジーに興味のある人。「ダークファンタジーとは何か」を知りたければその女王格であるリーをイメージに描けば間違っていない。ダークを除いて、ファンタジーは何をするものか、または「どうありたいか」を思い描くときには指針を得られる。残虐や不健全な場面もたびたびあるが気兼ねなく心酔してよい。カリスマ。チャーミングで愛せる姉貴

小説家タニス・リーの1975年にデビュー以来、日本のFT界隈での影響、歴史的意味では、日本のこのジャンルの現在の流行に至る端緒、おもに1990年代頃にリーのリスペクトを表明している一群の人々がいて、それは80年代に邦訳で作品に触れた人たち。ライトノベル草創の時期と合い、その頃に海外FTを読んで育ち、中にはそのまま自分が物書きになってしまい、リーは自分のルーツだと公言する人もいる。古参のFT女子の憧れの的ではあったし、その感情は今も変わらないだろう。

ただし、きわめて多作なリーの邦訳は現在に至るも甚だ不完全な範囲に留まっており、一覧すればかなりの訳書が出版されているにもかかわらず、それで作品目録の約半分弱だと思う。全貌が知れない上、その内でもリーの重要作品・重要シリーズが選んで紹介されているわけでもない。重要作品もスルーされているので、タニス・リーの作風についてのイメージもまだまだあやふやなところ。

2
katka_yg 2025/10/06 (月) 11:39:22 修正 >> 1

作業的試論

わたしはタニス・リー作品自体は二十年以上前から触れていると思うが、折々に開いて読む趣味があっただけで、それ専門に海外ファンタジーを蒐めたり漁ったことはない。近頃になり、身の回りに膨大に溢れ返る小説・漫画・邦画洋画やアニメ・ゲームの数にふと途方に暮れたとき、自分の蔵書整理と、ついでに今まで気にしながら掘り下げずに通った作家を「通読」として追い直してみようと思った。

わりと最近のことで、その関心に「現在日本のファンタジー」という括りの文学史的な興味はもともとあったが、タニス・リーと富野由悠季は通読しておかねばと思ったくらいの、わたしの個人的な思い入れ・思い残しがそこにあるからによる。他の人ならまた他の名前を挙げるだろう。

邦訳から読み始める。既訳作品は手元にないものはあらためて求め、2022年頃から2024年まで、原著の執筆順に追った。後の方は邦訳を読み返しながら電子書籍で購入して日英併読している。その間、読メにレビューを書き足しつつ、リーを読みながらわたしの連想する邦人作家の作品も開いてみることで、三十年分ほどのこのテーマの印象を捉え直したが、上に書いた通りリーの既訳状況は元が穴だらけで、これで得た印象も心もとない。

未訳の原書を読み始めると「The Birthgrave」を読み終えただけでショックを覚える。これを読んでいる・いないだけで、作家リーの印象も根本的に随分変わってしまうのだけど、作品の具体的な内容に触れることはものすごくデリケートで難しい三部作で、現状、ほぼ何も言えない。

Hunting the White Witch (The Birthgrave Trilogy Book 3) - 読書メーター
Hunting the White Witch (The Birthgrave Trilogy Book 3)。三部作読了。二部結末でようやく曙光のごとく示された目的に向かい、新たな旅は怒涛というか…濁流みたいな凄まじい物語で、わたしは読み進めがたびたび滞りがちになりながら地獄のような読書体験になりました。この水準のダーク・ファンタジーは後にも先にも出会うことは稀だろうとは書いておきます。タニス・リーの大作ではこの後「平た...
読書メーター

そういうわけで、このことの意味はわたしなりに痛感したが、今まだ読んでいる続きは70年代作品にいて、下に書くのはここまで作業経過の感想と、今後の作業進捗の目当て(狙い)を洗い出してみるための、わたしにとっての作業的試論になる。今後、読み進んでいくうちにここに書き足すことも増える。

3
katka_yg 2025/10/06 (月) 11:41:42 修正

邦訳年表

4
katka_yg 2025/10/06 (月) 11:42:29 修正 >> 3
5
katka_yg 2025/10/06 (月) 11:47:57 修正 >> 4

この表はタニス・リー通読のわたしの読書進捗チャートから、ISFDBからの引用で作っている。その目的なのできちんと網羅しているかには怪しさがある。

リーの邦訳出版には過去およそ三波あり、

  1. 1982年から87年頃まで、ハヤカワFT
  2. 1990年代にパラディス
  3. 2004,2005と2007年 産業編集センターからクライディ、ヴェヌス

あと散発的に数点。諸々のアンソロジー所収の小品、雑誌掲載以後どこにも再録されていないものがある。『黄金の魔獣』はパラディス外伝と思っていい。

訳者名では浅羽莢子さんが日本のファンには有名で、要所で井辻朱美さんも押さえている。「平たい地球」シリーズとともに浅羽訳の支持の声は高いのだけど、浅羽・井辻両氏ともにかなり御自分の持ち味は訳文に反映していると思う。わたしは室住信子さんを結構推している、のようなことは先に書いておく。

6
katka_yg 2025/10/06 (月) 12:19:35 修正 >> 4

これにリーの作風の変遷について少し書き足すと、1971からしばらく、子供向けの作品を書いている。「The Birthgrave」がやはり衝撃的であり、作家としての認知では実質これがデビュー作品にもかかわらず「畢生の大作」(中村融)のように言われていたりする。その後ひっきりなしに多作を続けるが、70~80年代が人気では黄金期とみなされているようだ。

バースグレイブに傾けられている作家の熱情はその後の志向を決定づけたようで、80年代までの数々の作品中にはバースグレイブで一度挑んだテーマへの再話であったり、セルフオマージュのような跡が点々と読み取れる。多作な内にも、作家の中ではいつも繋がっているものがあるのだろう。

90年代からは作風がやや変わってくる。辛辣なユーモアや、ものすごく個性的でエキセントリックなキャラクターは影を潜めて、暗く沈んで浮かない雰囲気のパラディス、ヴェヌスのシリーズが続く。やや難解な作品が増えるにつれて往年の人気もそこまで付いてこない。ホラー趣味を出してきたよりは、創作について齢とともに考え直すような転機があったらしい。それは後で考える。このあともう一転してジュブナイルに返るような向きもあるようだが、邦訳事情はそこまで作家の内的経緯をフォローしていない。

7
katka_yg 2025/10/06 (月) 15:12:16 修正

プリズム

タニス・リー作品の日本での認知事情は、翻訳由来からだと1982年からになる。英語の出版物をまめに読んでいる読者がいたら初期のジュブナイル作品はだいぶ出ていてバースグレイブ三部作が完結、入れ替わりに書かれた『闇の公子』が「平たい地球」としてシリーズ化しすでに第三作の『惑乱の公子』まで書かれたところ。

わたしは日本のSF/FT作家では神林長平もたびたび周回している。先日、『プリズム』(1986)を読み返したけど、この連作中「ブラック・ウィドゥ」は闇の城に棲む黒と青の王の部下、青の将魔ヴォズリーフが人間世界に飛来して残虐をはたらく話で、人間に対して慈悲の欠片もない傲岸で横柄な妖魔貴族の美しき佇まいといい、その文体筆致といい読むたびリー(の浅羽訳)を連想する。

神林先生が当時それにインスパイアされてのことかは知らないが、80年代の近い時期にこうした趣味のものが創作受容される空気だけでも想像して面白い。「平たい地球」はいわゆる剣と魔法のヒロイック・ファンタジーの枠に収まらないが、アズュラーンを主人公(主神)とした創作神話ではある。ダンセイニやラブクラフトみはない。

『プリズム』連作は連作の各編に「色」をテーマに掲げていることもあり、タニス姉貴よりよほど色彩表現あふれる。神林作品のFT的要素、妖魔的存在の活躍は直接には『敵は海賊・海賊版』(1983)に遡る。上の、青の将魔ヴォズリーフの名はサガフロ2の「将魔」のネタ元でもある。

8
katka_yg 2025/10/06 (月) 15:21:37 修正 >> 7

あまりこのスタイルは神林作品には用いられないが、ずっと後になって『猶予の月』(1992)、『ラーゼフォン 時間調律師』(2002)などに幾ばくかの残響が感じられるとも思っていた。それは今度読み返す。

9
katka_yg 2025/10/06 (月) 16:27:12 修正

小説ドラゴンクエストⅣ

82年頃から始まるリー翻訳を読みながら育ち、自ら創作にも取りかかったFT作家は、居るとは思うが、その旨ご自分で公言していないことにはわたしは一人びとりについてはよく知らない。書かれた作品から想像するというもの。

同ジャンルの日本人の作家でタニス・リーの邦訳書に解説を寄せているのはひかわ玲子さんくらい。『銀色の愛ふたたび』(2007)にその文がある。だからといって、ひかわさん自身の作中にリーからの直接の影響などがあって寄せておられるかは、あまりないと思う。わたしは最近、「女戦士エフェラ&ジリオラ」シリーズ(1988-)をちらと瞥見したけど、これや「三剣物語」などにしても、タニス的な……というほどのところは特に。

剣と魔法のジャンルのイメージには、80年代のゲームかアニメ(OVA)文化が別にかかわっている様子は感じられる。

ひかわさんと同世代で、タニス・リーへのリスペクトをあからさまに打ち出した実績のあるのは久美沙織『小説ドラゴンクエストⅣ』を挙げる。これはよく知られているように、アズュラーンにみえる(またはエルリックか)というピサロを描き出し、まずこれが一番目立つといってもいい。

デスピサロの章にかぎらず、全編にわたって耽美に書き換えられたドラクエは、いのまたむつみカバー&挿画と相まってファミコン世代の少年に相当に刺さったことだろう。その頃のファミコンはだいぶ「男の子向けの玩具」で、しかも当時のドラクエは社会現象にもなろうかという大きなタイトルで、そこにこう来るのはすごいことだ。賛否等より、これを読んで幼い心にファンタジーが芽生えたという少女少年は居なくはないと思う。

小説ドラゴンクエストのⅠ~Ⅲについては今省く。これに先立つ久美作品『精霊ルビス伝説』までは一昨年に再読した。Ⅴ以降も続けて担当されているがやはりⅣを挙げておくべきだろう。

精霊ルビス伝説: ドラゴンクエスト (上) katkaさんの感想 - 読書メーター
精霊ルビス伝説: ドラゴンクエスト (上)。ドラクエのメインシリーズには長年触れていないのですが最近タニス・リーを掘り返していて、そのフォロー関係というか、女の子的なものを思い出して、読み返してみました。勿論いのまたむつみさんのイラストで読みたいところで、まだ初巻ですが……この『ルビ伝』のラーミアって猛禽の面ではなくどう見ても巨大な文鳥です。これは何だっけ...
読書メーター

10
katka_yg 2025/10/06 (月) 16:38:58 修正 >> 9

90年代のゲーム小説から

タニス・リーを少し離れて、日本FTの興隆には同時代のゲーム文化の影響は少なくない。ようするにコンピュータRPGから「剣と魔法」の世界に馴染む世代になってきてそのジャンルが浸透、広まった、との考え。

その90年代頃の流れで思うときに、ゲーム発の作品でありながら文芸として独自の作品であることが成立し始めた先駆として、

  • 久美沙織『小説ドラゴンクエストIV』(1991-2) 上記
  • 古川日出男『砂の王』(1994)
  • 鈴木銀一郎『ドラゴンライダー』(1991)

を思い出す。三つという数に意味はない。コンピュータゲームのノベライズという意味でなければ、ロードス島戦記などももともとゲーム発祥の小説だが、いまここの話題ではそんなに関係ない。『ドラゴンライダー』にはまたリー作品のようなイメージは皆無だがテーマには多少、近いものもある。

11
katka_yg 2025/10/06 (月) 16:57:55 修正 >> 9

砂の王

『砂の王』は古川日出男さんのプロフィールには載っていないデビュー作品で、ゲームボーイの『ウィザードリィ外伝Ⅱ』を原作にしている。ウィザードリィはコンピュータRPGの古典タイトルだが、漫画や小説化、「ウィザードリィ友の会」のようなファンブック展開ではドラクエ等に遅れた。その一端のノベライズ。

 しかしながら、この物語を読み進めるにあたって、ベースとなったゲームをプレイしている――あるいは知っている必要は全くない。

序文を寄せているベニー松山氏によると当時、すでに夥しい数のゲーム小説が出版されているが、単なるゲームのリプレイ、体験日誌にとどまらず文章で物語を語る小説としての最低限の条件に達しているものは少ない。

 しかしそこに今、確実に足場となるであろう大きな玉が投げ込まれようとしている。
『砂の王』は間違いなくこの混沌としたジャンルに基盤を築いてくれるだろう。そしてストーリーテラーとしての力に溢れ、研ぎ澄まされた文体の牙を持つこの新鋭らしからぬ新鋭作家・古川日出男が、必ずや自ら踏み固めた足場の上に金字塔を打ち立てると僕は信じてやまない。

と書いてある。ここでいわれる流麗かつ重厚な文体によって綴る幻想物語には、わたしはリーの平たい地球を連想するものがあって、それは『砂の王』が千夜一夜物語のような東方世界を舞台にしているから、だけではないだろう。結局、『砂の王』は続巻が出ることなく終わったが、後に新規に書き下ろしとなった『アラビアの夜の種族』になると、タニス・リーかのような気配はもうない。

砂の王: ウィザ-ドリィ外伝II 1巻 katkaさんの感想 - 読書メーター
砂の王: ウィザ-ドリィ外伝II 1巻。本書の特異さについては衆知と思われますが、コレクター価値と関係なく強く読者の印象に残る小説ではありました。当時『リルガミン冒険奇譚』とか段ボールに向けてブン投げたはずです。もはや世界が違う。後の『アラビア~』ほど千夜一夜的ではありませんが、このたびタニス・リー作品を通読している最中にふと本作が懐かしく思い出され、...
読書メーター

14
katka_yg 2025/10/06 (月) 18:39:57 修正 >> 11

小説家としてあらためてデビューした古川日出男氏の初期の作品には、「マジック・リアリズム」のワードが著書案内にしばしば添えられていて作中にも言及される。ファンタシイ(FT)よりは純文学の作家でマジック・リアリズムを追及する者であるとの売り出しだったようだ。

1960か70年代頃にマジック・リアリズムの作家はフェミニズムの作家とも親和性があった。マジック・リアリズムは日本では定期的に流行語になり、1990年頃に一回復活している。アンジェラ・カーターが亡くなった頃でもある。

ただ、古川作品の作中で実際には、ストーリーテリングの妙技よりは「異能者設定による能力者バトル」のことを言っていると思え、わたしは00年代の初頭で今のところ読み返しが滞っている。

12
katka_yg 2025/10/06 (月) 17:23:44 修正 >> 9

90年代のゲーム小説では『ドラゴンライダー』を名作として挙げたいが、今それが本題ではないので早く飛ばす。「モンスターメーカー」シリーズのために「世界観を提示するための小説」として書き始められたという。

「世界観」という語については後で触れる。本作にはトールキンやマキャフリイのオマージュは置いておいて、独自には、歴史学あるいは歴史観をファンタジー作中に導入していること、その史観にしてもオークという種族の多産と貧困という経済問題に目をつけ、「なぜ戦争がくり返すか」に切り込んでいく。ただし、それはこの世界を説明するための外枠であって、核としての物語は、

  • 女の子の自立の話であること
  • テレパシーと愛の話なこと
  • 神々の時代の終末期であること

を語る。見事だと思う。

13
katka_yg 2025/10/06 (月) 17:32:05 修正 >> 12

マジック・マスター

どっちかというと鈴木銀一郎著の後続シリーズ「マジック・マスター」の小説二部『赤い髪の魔女』『闇の騎士団』について今記す。「モンスターメーカー」の時代設定は「神話の時代の終わり」に置かれ、こちらはそれより数百年ほど下ってみえる。

「マジック・マスター」の世界は英雄の時代、この頃にはもう人間の世界に神々の直接関与や、魔法も炎や稲妻が飛び交うものではなくなっている。だが、この時代に姿を消した神々の存在は、人智を超えた運命としてやはり人間を支配している。その下で人々は戦う。

ケルトの英雄物語やシェイクスピアに着想しているからライトノベルだがハイな雰囲気に近い。運命の皮肉を語る話はダークファンタジーだが文体はライトでユーモラスという面白さ。それで、こうした経済史や都市の勃興などは今のトピックであるタニス・リーに書けない類の小説だろうと思う。『マジック・マスター』二部とパラディスの比較はちょうど同年代に対照的なファンタジーの方向にも見え、少々こじつけめいているが日本国内作品にこんな例もあった。

赤い髪の魔女: マジック・マスタ- katkaさんの感想 - 読書メーター
赤い髪の魔女: マジック・マスタ-。鈴木銀一郎さんの小説作品では『ドラゴンライダー』とこの『マジック・マスター』二部作がとくに生き生きと充実していると思います。シリーズの書き分けは、モンスターメーカーシリーズが神話時代から間もない牧歌的な世界と古代帝国を描いたのに対し、マジック・マスターではケルトの英雄伝説のような時代の隔たりを思わせる。神々の介入...
読書メーター

40

katkaさんの感想・レビュー
katkaさんの久美沙織『小説 ドラゴンクエストIV 1 魔起黎明 (小説ドラゴンクエストシリーズ)』についてのレビュー...
Booklog

41
katka_yg 2025/10/25 (土) 12:00:54 修正 >> 40

katkaさんの感想・レビュー
katkaさんの久美沙織『小説 ドラゴンクエストIV 4 天空夢幻 (小説ドラゴンクエストシリーズ)』についてのレビュー...
Booklog

ゲーム上のたんなる障害物、撃破すべき標的としてモンスターを殺戮しまくることについては、上の『ドラゴンライダー』でも『記号でしかないモンスターに対する疑問』『ゲームにおける記号化のせめてもの罪ほろぼし』として書かれている。

ベニー松山氏の言うような当時同ジャンルについての評を読むと、ゲームについてゲームのパラメータをそのまま記せば、メタ的で、著者のプレイ日記にすぎないものにする。一方で、これを創作であろうとすれば、ゲームのお約束はお約束としても、あっけらかんとお約束のままでは小説として本格的にはなれない。

そこから、そこに戦士であることの意味を発見するなり、魔物の群れを「軍隊」と解釈して軍団編成を考案したりする。こうした考えるアプローチは同時代に刺激で、読者にもクリエイターにも共有されるものだっただろうと思う。

42
katka_yg 2025/10/25 (土) 12:16:38 修正 >> 40

本トピックのタニス・リーに戻れば、リーはもっと馬鹿っぽい話を書く。小説ドラクエⅣが文体として踏襲しているのはやはり『闇の公子』のような千夜一夜的文体で、都市の町並みの色々や、樹木の名前や、碧玉(エメラルド)とか縞瑪瑙(オニキス)とか紅玉髄(カーネリアン)の列挙が始まるとその連想はされ、それは必ずしもリーの文体というわけではない。浅羽訳の連想はする。ファンタジーを書くときのひとつのお手本になる。

久美沙織さんの小説じたいはそれほど数多く読んでいるわけでもないけど、ここの、次から次へと場の情景を並べ立てていくのは寄席、講談調の語り口かな。「口誦的」ではある。

43
katka_yg 2025/11/12 (水) 09:58:49 修正 >> 40

katkaさんの感想・レビュー
katkaさんの久美沙織『小説 ドラゴンクエストVI 3 幻の大地 (小説ドラゴンクエストシリーズ)』についてのレビュー...
Booklog

久美沙織ドラクエ、Ⅵまで読了。ここまでくるとタニス的な興味はないが、「モラルの語り」に至るとあるともいえる。悪意とか。その話は「過剰の道」に戻ろう。

小説Ⅳの「解説」に対象年齢が高い、若年の読者にはついてきてほしいみたいな願い・気概が書いてあったけど、Ⅴ・Ⅵではやはり対象年齢を下げた一方で、随所にいかがわしさが際立ったような、所詮大人読者でしかない感想だったかな。ジュブナイルとして読みたい。久美沙織作品にはもうちょっと興味ができた。

  • 経緯 1 / 2 / 3 / 4 / 5
44
katka_yg 2025/11/14 (金) 21:36:47 修正 >> 40

一連の続きから「ソーントーン・サイクル」三部作を読んでいるが、トピックの趣旨にはまことに好都合なのでレビュー書いておこう。久美作品には、このさき続けるなら久美作品独自の話題でする。

katkaさんの感想・レビュー
katkaさんの久美沙織『石の剣』についてのレビュー:今タニス・リー作品の通読中から横へ逸れて、久美沙織さんの「...
Booklog

46
katka_yg 2025/12/25 (木) 19:22:19 修正 >> 40

katkaさんの感想・レビュー
katkaさんの久美沙織『あけめやみ とじめやみ (ハヤカワ文庫JA)』についてのレビュー:久美沙織さんの初期短編集。...
Booklog

似ているといえば「ドリーム・キャスター」は「ゴルゴン」(1985)によく似ている。もっとも、これは久美さんにもともとそのオマージュ意図はないだろう。FTでなくSFだし。原書なら読んでいるかもしれないが、邦訳だったら96年。

「ドリーム・キャスター」は14歳少年が小説家を志すはなしだが、きっかけにする体験は同じでも、「ゴルゴン」はそれですでにプロとして成功した大人の小説家が挫折する。まるでリーが久美沙織を読んで反撃したみたいだ。

英国ではゴルゴンは85年なのでリーはそれを読んでいるはずはないけど。少年小説で、大人の読者には思索するはずの屈折が一枚足りない、とはいえる。ただ、「ゴルゴン」もそれ自体、プロローグ小説である。

15
katka_yg 2025/10/06 (月) 18:57:06 修正

demonを妖魔とすること

パラディスに触れるまえに「平たい地球」について一旦おさらいする。

天空の神々は創造を終えたあと世界を退去し、今は誰にも崇拝されない「暇な神」になっている。今、この世界の諸々の物事を創ったり、人々の運命を振り回すのは活発に活動中の闇のプリンス達で、アズュラーンを始めプリンス達は、無慈悲で容赦ない横暴のため人間世界で大変に恐れられ、また罵られている。

または、やはりそんなに実在が知られていない。無慈悲で冷酷だからこそ、あんなことも、こんなことも人の口に昇ればアズュラーンの仕業とされ、アズュラーンの血も涙もなさはアズュラーンのカリスマとして語られてもいる。「アズュラーンに慈悲はあるか、血も涙もあるか?」はアズュラーンの地位を揺るがす問いでもある。意外に人間に優しいじゃん?……と言われると、権威がない。

アズュラーンのようなものは普通にgod(s)というし、godの厄介な意味を狭めたければdeityでもいい。demonは悪魔というより魔神や、精霊や、自然の諸勢力を司る闇の霊とも言えそうなものを、「妖魔」という。日本のファンタジー界で妖魔の語がどんな使われ方をしたかも、どう辿ればいいのかわからないが興味あること。鬼でも妖精でもない。

16
katka_yg 2025/10/06 (月) 20:00:32 修正 >> 15

カリスマの終焉

タニス・リー作品の魔法は必ずしも呪文や物事の起源や真の名を呼ぶことは必要なく、しぐさや術式は必要なく、作動原理はどうであれ「それは起こった」と書かれたときにはそれは起こっている。プラグマティックな実践魔術ともいえるが、起源はむしろ古い。むしろ真正の魔術とも思う。マジカルな語りなら、その語りの意図こそ問われるべきでなかったかの疑問はついて回る。

アズュラーンの直接の前身だったヴァズカーは飽き果てるほど血みどろの生きざまをしながら、自分の創造者である母親を殺すことを目的に旅をしていった。魔法に長け、一方で、魔法で何でもできるとわかれば次には一歩先に倦怠に陥る。超能力のテレパシーを使って他者を従わせることは自分が圧制者に成り代わることで、それがどんな憎い相手でも相手の心を破壊してしまった苦悩を負うことになる。思いひとつで世界を変えられるなら、そんな不法に暴力的な魔法をあえて使おうとも思わないアパシーのような境地と紙一重に導く。意思の力を確信したあとに、無関心、無気力から抜けられない目的喪失の長い時間が続く。失ったスリルの再生こそ本当にどうしたらいいかわからないことだ。

Shadowfire (The Birthgrave Trilogy Book 2) katkaさんの感想 - 読書メーター
Shadowfire (The Birthgrave Trilogy Book 2)。1978年。前作から十数年後を舞台に、男性主人公(少年~青年)に交替して物語は再開する。前作同様に一人称の語り(I=俺)で、作品は同様に"自分探し"テーマではあるだろう……と思いきや、前作を超える暴力に次ぐ暴力、戦闘略奪凌辱ゴアまたゴア、容赦ない愛憎の応酬にはメンタルの弱い読者は覚悟が必要です。ただし、続編として...
読書メーター

無慈悲に身に迫る脅威や恐怖、生死ぎりぎりの戦いに駆る敵対者、追い求めても報いない恋人、等など、数ある呼び名のアズュラーンが世界にいると世界はスリリングになる。

そのアズュラーンの血と涙のありかが言い当てられると「平たい地球」の創作神話は終わってしまうのだろうという危惧はずっと語られていた。補足篇で地球が平たかったことがあらためて確認されたのだったが、その後シリーズが替わり、パラディスの最初のエピソードの中では天使の見せる大地は、残念なことに球体をしていた。

愛すべき恐るべきアズュラーンは去っていったが、タニス・リーの作品中でいえば、似たような人物はその後もたびたび姿を見せ、そのときは名前もルシファーと名乗っている。

日本人にルシファーを語る動機は、本当のところを言うと、ないし、この世に神はいなくても悪は実在するとの確信は、ときに恐ろしいほど強い信仰の源にもなることは、そう書いてあるのを読んでも往々にして理解に遠い。信じがたいものをも信じることができるのは、ファンタジーを読み終えた読者の特権になる。

17
katka_yg 2025/10/06 (月) 20:13:08 修正 >> 16

こうしたファンタジー←→オカルトの相互意識は、作品の「表現の絢爛華麗な華やかさ」や「妖麗なキャラクター、物語の奇想」などをもてはやされるほどには、翻訳を通じて移植されない。日本に受容や影響を語るなら本来そうしたコア部分かもしれない。

18
katka_yg 2025/10/06 (月) 22:35:15 修正

「90年代のアニメのノベライズ」というのは、ここ数年幾つも求めてみているが、そもそもファンタジーもののオリジナルアニメというのはすぐにはそれと思いつかないほど少ない。

グイン・サーガのような時代ではなく、海外FTにインスピレーションを得て日本FTを書き始めた作家というのは結局のところそんなに居ないのでは。それこそ、『ロードス島戦記』(1993完結)のように当時一世を風靡する和製タイトルが現れればファンタジーはそういうもんだという認知はされている。日本人作品を読んで日本人作家が書く自己消化に入っているだろう。上のような例を挙げられるのは90年代前半で十分だろうと。

19
katka_yg 2025/10/06 (月) 22:35:59 修正 >> 18

『ハリー・ポッター』シリーズを読んだ結果、魔法学校を書き始めた日本のラノベがあるのかは知らない。なくはないだろう。「魔法は学校で習うもの」という不自然でないほどの認識はもともと行き渡ってたかもしれない。わたしは『ゲド戦記』を読んでいてさえ「魔法は学校で教えたくない」のような一定の距離感はある。ダンセイニのラモン・アロンソ(『魔法使いの弟子』)か、バルバヤートとシャイナみたいな内弟子を思い描くほう。

小野不由美の十二国記は、タニス的ではないと思う。わたしは読み返してなくて久しいが……近くにある。まず思い出す印象はバイストン・ウェルみたいなものの方に似ている。キャラクターは憶えていないが、まず世界地図と社会構造が設けられてありその上でシミュレーションする、世界観先行ならその族ではない。今の話の流れなら、どっちかというとル・グウィンのコスモロジーの兄弟に思える。

最近『火狩りの王』を読みさしていたけど、こういうものは日本人が日本人を咀嚼してくり返しが進んでいるものだろうと思う。あえて海外FTの影響を云々はいらない。

20
katka_yg 2025/10/06 (月) 22:57:25 修正 >> 19

リーの世界創作(コスモロジー)

視覚映像文化、日本アニメ史における世界観主義のことについては氷川竜介氏の近著のどれかを読めば説いてある。ここでは小説、日本ではなく海外FTを含めていうとき、ル・グウィンが自分のファンタジー観・文学観について語った『夜の言葉』からコスモロジーという言葉をそれに当てている。

1940年代生まれくらいの同世代ではたとえば、マキリップなどは先輩ル・グウィンのようなお手本にはよく従っていると思う。タニス・リーについては、リーは「文庫本の巻頭に地図がついてないFT作家」という特徴がある。

『昔々、あるところに……』というほどの漠然とした時空間だけを設定しておいて、あとは話の赴くまま、キャラクターの行くところに折々に町や、城や、森や平原がアドリブで生えてくるような書かれ方で、物語のフォーカスが当たっていないその他全域には、誰も見ていなくても世界が広がっているような気はしない。

地上があり、天の星界があり、地下にはドルーヒム・ヴァナーシュタがある以外、地上の国々の歴史や地理関係はない。物語が語られ、アズュラーンが行くところに世界ができていく。

リーの作品でも先日読んでいたThe Storm Lord (Vis 1)などは正直、地図が欲しい。めちゃくちゃ地名が多い。

24
katka_yg 2025/10/07 (火) 00:11:38 修正

ゴルゴン

『ゴルゴン』(1985)は連作短編集で、表題作は世界幻想文学大賞短篇部門賞を得ている。わたしは何かの受賞作だからといって特別それに関心を惹かれるものではないのは、全作品を順に通読したいと志すとあまり関係ないからだが、それでないときも選考委員が誰でどういう授賞理由なのか知らないと、その賞にどんな価値があるのか結局ずっと考えている。

この短編「ゴルゴン」はギリシアの小島に訪れた主人公が神秘的な仮面の女性に会い、その素顔をどうしても見たくなる話だが、主人公の彼が味わった真の恐怖は、仮面の下の顔が恐ろしいことは彼女が自分で言っており、その顔の恐ろしいこと自体ではない。彼、職業作家なのだが、現実に彼女の身の上を知りそんな現実を目の当たりにしてしまったことで自分のしてきた仕事、今後する仕事のことも野心も無価値に思えてしまい、仕事ができなくなったことが作家にとっての恐怖だった。

ざっくり結末を書いてしまえばそういう小説だ。ネタバレにそれほど被害のある作品でもない。目の付け所が独特で、ファンタジー小説家が怪奇体験に出会う形式はジャンルにたびたびある。クトゥルフのシリーズには幾つもある。そういう場合、幻想家はその怪奇に魅せられ、異界の虜となり行方不明になるか、発狂していくのが常なのに、ここでは生命には見た目、別状なく帰ってきて、そのかわり作家生命を絶たれていた。

ひどく皮肉だが、幻想大賞かというと、どういう基準なのかわたしにはよくわからない。芸術家の話ではあっても話は幻想的でもないと思う。さらに、作者を考えると何かタニス・リーっぽくない。上でも書いた、これは「スリルの喪失」の話なんだが、リーの80年代のたくさんの作品は、そこから逆転して「スリルを取り返す」という結末に向かうところにパワフルさがあった、はず。

25
katka_yg 2025/10/07 (火) 00:11:55 修正 >> 24

ひとつには、これは連作短編集の一篇で、これひとつで宙ぶらりんな結末に見えても集を通して全体で完結性が見えるかもしれない。

また、後の作品の話になるが『水底の仮面』(ヴェヌス1, 1998)のストーリー前半はこの「ゴルゴン」の筋をそっくり踏襲しているようで、ロマンチストの青年、「石の顔」の娘、その現実を知って一度は打ちひしがれること……のあと、後半はそのロスを奪還する愛の物語になって、それならタニス姉貴だ、という小説が一冊書き足される。

さらに、そもそもこの「ゴルゴン」のシチュエーションは、リーの「The Birthgrave」の要素のひとつで、その世界の未婚女性は(イスラム女性のするような)面布で顔を覆う風習があり、主人公の語り手もそれを着けて全編を覆面して過ごすことの、再話だった。それは女子からの語りだがこのたびは上のように男性目線から全然違うストーリーとして語られる。でも真実は同じかもしれない……。英国の選考委員は作家の代表作は当然承知して選考すると思えるから、この理由はその代表作が未訳の日本人読者にはそもそも解説抜きでわからないのと違うか。ちなみにバースグレイブはネビュラ賞授賞作。

ゴルゴン: 幻獣夜話 katkaさんの感想 - 読書メーター
ゴルゴン: 幻獣夜話。表題作の『ゴルゴン』が幻想短編の受賞作というのが腑に落ちない思いが以前あり……このたび読後に反省。「それ」を目撃することは幻想文学の作家には致命的な一撃かもしれない。それは恐るべき提起かもしれません。が、そこで終わるなら終わりじゃんという気持ちです。ただ、短編集を俯瞰すれば、ゴルゴンの目に石化するような一点から、...
読書メーター

26
katka_yg 2025/10/07 (火) 00:12:09 修正 >> 25

上のところまでは前回、既に書いた。リーにかぎったことではないが、海外作家の理解は未知が未知に連鎖して基本的なことが全然わかっていなくて受容されているのかもしれない。

今、あらためてもうひとつ足すと、『ファンタジー作家にとっての恐怖は、ある日、このさき作品を書いていくモチベーションを失ってしまうことだ』という吐露をふっと漏らしていることはまた気になる。この意欲旺盛で多作なリーが……。このときはまだ85年だが、88年のパラディスに準備しているものは多分この頃からある。

27
katka_yg 2025/10/07 (火) 00:39:38 修正

もはや平たくない地球で

「黄の殺意」によるとこの大地はもう平たいことをやめて球になってしまっているらしいが、それだけの手がかりでこの世界に「世界観」があるとはわからなかった。

全四集のパラディスまでにリーはフランス史を熱心に研究したとのこと。その結果、フランスという地理と歴史の舞台に物語とキャラクターを配置しようと考えた、のではなく、物語を語ることでフランスを新たに捏造しようと考えていたらしい。

死せる者の書 katkaさんの感想 - 読書メーター
死せる者の書。「ハイサ」というのが架空のハイチなのはわかります。綴りはフランス語っぽい感じ…。物語の発端がパラディス市なだけでほぼ海外の話な気がしますが、もともとハイチもパリの海外延長部分だったかもしれません。植民地や地方の田舎者には突発的異常事に思われる事々も、パラディスの都では日常茶飯事なのです――そんなわけないだろ――と...
読書メーター

28
katka_yg 2025/10/07 (火) 00:44:21 修正 >> 27

このトピックの関心では、タニス・リーの影響を受けた作品か作家が誰かよりも、上のような発想の創作経緯に至ったものは直接に系統関係の有無を問わずタニス氏の族とも言える、と言い替えうる。これから読む日本人作家にそういうのがあれば、それだ、と思えばいい。

29
katka_yg 2025/10/07 (火) 00:49:33 修正 >> 28

上に挙げた「マジック・マスター」との対比をもう一度見てみる。ファンタジーとは何か、の方向性からして全然違うが、異化することも受容と言ってこのトピックに取り込むことができた。わたしが。

30
katka_yg 2025/10/07 (火) 09:24:00 修正

ロマサガ

タニス・リーの話題でネットを検索してヒットする半分くらいは、ロマサガの中の幾つかの元ネタだ、とのこと。最近ではエルデンリングとか。リーについてする話題少ないのだ。

わたしはまたSaGaシリーズのそこそこ程度にプレイヤーではあったけど、その話はループだと思う。おおむねオアイーヴの名前で、キャラクターの性格などはあまり関係ない。その頃当時の、ハヤカワFTかSFのキャラやタイトルや用語をゲーム中にお遊びとしてちょくちょく引用していて、それはFFシリーズ等もそう違わないだろう。

小林智美氏のイラストのイメージがリー作品の翻訳での文庫カバーの印象と合うこともある。少女漫画の有名な作家が何人も担当していて並べて壮麗ではあり、ファンにはこの印象が強い。もっともリー作品も英語のペーパーバックなど求めると、その画はわりとマッチョに描かれていたりするし、80年代にそういう繊細華美なイメージを推しているのは日本先行みたい。二十年くらい経ってから英語版もカバーが耽美めいてきた。

サガシリーズで明確にリーの影響/オマージュを公言しているのはサガフロのアセルス篇。『闇の公子』の、地下にある妖魔世界の城について、それと傲岸不遜な妖魔貴族達の振る舞いのことか。こうしたファンタジックなビジュアルはおおむね無国籍ながら、それでもやはりヨーロッパ風の建築や衣裳を元に描かれるものだが、「平たい地球」のイメージ元について言えば千夜一夜物語で、作者のイメージはペルシア風だったかもしれない。妖魔のことだから自由だ。

出版事情では後からいえば、それよりもサガフロのリージョン世界の設定自体、『バイティング・ザ・サン』(1976, 邦訳2004)のような未来都市空間(ディストピア)に似ていたかもしれない。そこでは、自分の肉体を作り変えて何にでもなれ、テレパシー装置の娯楽では美男美女になれて剣を振るってモンスターを退治するゲームに飽き飽きしながら想像力がそこから出ない少女が自暴自棄に走っていたから、それも読み合わせているともう一層耽美を加えて浸れる。

バイティング・ザ・サン katkaさんの感想 - 読書メーター
バイティング・ザ・サン。少女趣味による失楽園! ただし、自主的に何度転落してもなかなか追放されません。FTの読者層にとってリーのイメージとは80~90年代に訳された作品群によっていて、その華麗や耽美を挙げて『闘うヒーローと美貌の乙女を兼ねた主人公、エロティシズム、色彩センス…』と見慣れている諸姉なら本作を幾分陰険な思いで読み返すことがで...
読書メーター

31

リーの小説を読みながらその日その日聴く音楽がなくて退屈してたので、何か捜すとショスタコーヴィチ、などと書いてあるのでばかやろう!ショスタコなんて言っても現代の他に何にでも言えてつまらないと思った。でもそれは積む。

その傍ら、そういえばサガフロとかのイメージ先はあるんだから、逆にタニス・リーを伊藤賢治(または浜渦正志)の音楽連想で聴きながら読み返してもいいんじゃね?との逆想になり、その日はそうしていて面白かった。イトケンミュージックは2010年代頃にはスクエニ公式でバンドアレンジも、オーケストラアレンジも増えていてわりと豊富にある。ただ、それを聴きながら歩くと耳について、帰ってきて小説など読む気はしなかった。

32
katka_yg 2025/10/07 (火) 10:02:34 修正

リーの修辞技巧

 名状しがたく深い痛みに妖魔の王は貫かれた。みどりごは完璧にしてたぐいまれな美の持ち主であったのだ。膚は雪花石膏、細い髪は琥珀色、四肢と目鼻立ちは彫刻家の手になったように丹念に素晴らしく形造られていた。アズュラーンが見守るうちにみどりごが目をあけると、その目は濃青、藍の色であった。公子はもはやためらわなかった。進み出て抱き上げ、黒い外套(マント)の襞にくるんだ。

 宮殿そのものは、外は黒鉄(くろがね)、中は黒大理石で、地の不変の光に照らされていた。地上の星の光さながら無色の涼しい輝きであったが、何倍もまばゆく、黒青玉(サファイア)や深い緑玉(エメラルド)や暗い紅玉(ルビイ)の巨大な窓を通してアズュラーンの広間に流れ込んできた。外には幾つもの露台のしつらえられた園があり、壮大な杉の木が植えられ、その幹は銀、葉は黒玉、花は無色の水晶であった。そこかしこに青銅の鳥の泳ぐ鏡のごとき池があり、美しい翼ある魚が木々に宿って唄っていた。自然の掟は地の下ではまるで異なっていたのだ。アズュラーンの国の中央には噴水が躍っていた。水ではなく火で、光もぬくもりも放たぬ緋色の火でできていた。

『闇の公子』冒頭から。こうした比喩のおびただしい列挙は「平たい地球」シリーズには散りばめてあるが、シリーズ以外のタニス・リーの他作品では、そんなにしてない。これは、シリーズのモデルにしている千夜一夜物語の文体のほう。このたびはその模倣をしてみせている、という本人コメントも訳者あとがきに載っている。

千夜一夜物語に(過剰に発達した形で)見られるようなこの文章の形式は、古典を読んでいると何かしら、時代を隔ててくり返し目にするもので、その伝統がある。そのことについては、矢島文夫『ヴィーナスの神話』(1970)に載っている「女性讃美の文学的伝統」の章にまとまった解説があり、古い本だが今も手引きになる。

33

タニス・リーの読者全般には、上の印象と、浅羽莢子訳の調子の印象が非常に強い。浅羽さんはそれに苦心したと言っているので浅羽さんが普通にする文体ではなく、シリーズ作品のイメージではあるけど、リーの文章の本質でもない。

34
katka_yg 2025/10/07 (火) 10:20:40 修正 >> 32

修辞に凝った文章と豊かな色彩と陰惨退廃なはなし

緊密な物語空間の華麗さ。都市の宝石のような夜景や下町の屋台のならぶ小路などの描写はじつになまなましく、空気の匂いや光の色まで描きだし、わたしたちをその場所へいざなってくれます。
(『銀色の恋人』から 井辻朱美)

井辻先生は時々、映像的な感覚や「目に浮かぶような表現」に偏った評価を挿むのでその価値観は折々に適切かどうか考える必要がある。

その作風を簡単にいうならば、耽美華麗にして陰惨沈鬱といったところか。とにかく倒置と比喩を多用した絢爛豪華な文体を駆使して、退廃的で不道徳で官能的な物語を紡ぎだす作風は、平明簡素で道徳的なファンタシーに飽き足らない読者の圧倒的支持を集め、いまでは同じ英国のストーム・コンスタンティンやリズ・ウィリアムズといった追随者を生みだしている
(『悪魔の薔薇』から 中村融)

修辞を凝らした華麗な文体と、豊かな色彩感覚、残酷で妖艶なストーリーが彼女の持ち味
(『薔薇の血潮』から 市田泉)

絢爛な文体、修辞のところにいう「倒置」は、wasが先に来るという意味だが、これはイントネーションに加わる。ストーリーの要所で、言葉をくり返し、表現を重ねながら、くり返しくり返しリフレインして歌うような特徴は、どうしても詩人であり、視覚よりは聴覚音声的に重みがある作家だと今わたしが読むときには思っている。

35
katka_yg 2025/10/07 (火) 10:37:13 修正 >> 34

「訳者あとがき・解説」の書き方・読み方には、その当時の文芸観・価値観が反映していることがある。それは、必ずしも訳者の人が偏っているわけではない。

英文の韻律、リズム、語呂合わせによる言外の意味の含みや促し……という音韻や文化を、別の言語文化、日本語に訳すにはどうしても限界があるので、せめてここに描かれているモノ(映像)の数々を味わってほしいと書いてある。訳すときにはそれも苦心の上でニュアンスを盛ろうとしたのだが。翻訳者として謙虚にあとがきしたところ。

読者はそれを読んで、原著はおおむね視覚的作家だと受け取り、また視覚的表現は現在世界基準なんだ、として受容したような経緯が振り返ると80-90年代頃にちらほらと見られるように思う。FT読者の映像信仰(映画化への憧れ)、享受層が同じ漫画・アニメの同時期の傾向など、平成年代の一般論に当てはめられると、何か困ったような気持ちに今はさせられることもある。

37
katka_yg 2025/10/07 (火) 11:17:37 修正 >> 34

色彩表現

「The Birthgrave」より。主人公の「私」は花畑で襲われる。逆恨みを募らせていた部族の娘は激昂するあまりナイフで切りつけてしまう。

The blade slit my shoulder, and blood spilled fast as wine into the stream, turning the lavender flowers purple, the red flowers scarlet.

ぱっと散った血飛沫が薄紫の花を紫に染め、赤は真紅に。こういうときは色彩表現というだろう。色を書いているんじゃなく、色の表現を借りて描いている。この技巧は全体に撒いてあるわけではなく、重要場面のここぞというときに取ってあって使われる。

逆説的転回

「The Castle of Dark」より。先日言及していたところの、畳みかけからの返し。リアは吟遊詩人として竪琴を手に入れ、放浪の旅の用意ができた。魔法に駆られたような数か月がすぎ、辺りの景色はもう冬が迫っており、財布は軽いというこのとき。

When the nights grew colder and the rains of autumn began to blow with the red leaves along the hills, Lir briefly faltered inside himself. For he knew he was crazy, abroad with not two coins to rattle together and tomorrow’s bed and meal uncertain. Still, even when the frost sheathed the grasses, and he glimpsed two grey lions slinking through them after prey; even when the pools froze and the villages were remote from each other and the snow came, even then Lir wandered with his harp across the land. He did not turn back to his former life. Did not think to. Never would.

こちらはリフレイン技巧で聴覚的。「陰惨、沈鬱、残酷」というダウナーなくり返しは章全体や、作品の全体に暗く覆っている。ここでは段落の前半にリピートする。その後を取って、切り返していく。これも全体に毎回するわけではなく、要所で一回だけ使う(得意の節回し)。

39

「陰惨、妖艶」に多く読み慣れると、読者ものほほんとした感想になる。

炎の聖少女 katkaさんの感想 - 読書メーター
炎の聖少女。天然聖女なのになぜか料理は消し炭……話に無関係な萌え属性を盛るのもリーのお好み。そのタニス・リーといえば恒例の魔女狩り&火炙り――またか!?――ではなく、それだ!という気持ちで、年数を空けて再読ですがわくわくして読めました。表紙から焼く気満々だ……よりか『可愛いな。よし、焼こう』まで直通になっているタニス脳を自覚...
読書メーター