Storyteller (2025年のアンソロジー)について。読書ログ。
2025年発売のトリビュート集。しばらく前から話題に上がっていたのを電子で購入。上の通読とこれは併行で今読むことにする。そんなに早く進まない。
この序文を読むだけでも胸に迫るような故人の紹介。わたしはこの文そのものはどこかで読んだことがあるが……この本のウェブページかどこかに載っていたのかな。今夜ここまで。
まで読んだところで長くなってきたので以後こちらで続ける。
唐突に日本の話が始まったので「お?」と思うが、今どきそれに一々驚くようなことでもないか。ちょっとだけ現実と違うようだけどおおむね現代日本の一夫婦と、昔話の中世日本の薬師詣でする貴婦人の説話を行き来する、すこしホラー。
日本の読者としては折口信夫の『死者の書』のようなものをシチュエーションからすぐ連想するが、そんなこともなかった。リーの既訳短編では「ジャンフィアの木」のような作品に似ているかな。日本人で「タニス・リーの影響」を公言している場合まず「平たい地球シリーズ」「冬物語」あとは時々パラディスのイメージに終始するのでかえってこういうものがよかったのかと思ったり。
説話ファンタジーと、あとレズビアンぽい要素がリスペクト、トリビュートといわれなければわからないかもしれない。
今度はスペースオペラ、というか、しがない宇宙運送業者のシップが遭遇したステーションからは応答がなく、あたかも無人のようなその事情を探る間にシップの乗組員が消えていく……。ステーションを襲った脅威の正体は何か? という、SFサスペンス。
言えば、古典的なシチュエーションなのだが。そんなに古典的でないSF要素は脳インプラントがあり、この時代の宇宙ワーカーには一般的な、脳直結のデータ・ストレージ・インターフェースで移植者には内言(心の声)としてインターフェースと対話できる。それもサイバーSFではすっかり見慣れたガジェットで、相当に古典的かもしれないが。本作の印象はここ数年のAI事情を踏まえている気がする。
その高性能モデル「インターフェース」をインストールしている主人公だけど、おかしな事情で上手く適合できず使いこなせない。機械の声にいつも煩わされ、苛々している。謎の宇宙の脅威に立ち向かう段では、これが凸凹の相棒になる。
ちょっとコミカルで、自立しきれない年頃の心情と、思春期の癇の強さと不安さと、思いがけないユーモアの発見。というと、『たった一つの冴えたやり方』みたいなものが先に連想されるが、リーのジュブナイルのヒロインっぽさでもある。素直に面白かった。第一話と同じく主人公のDeniは性別を限定しないtheyで指示され、今作ではそれにまた別の含みがあるのはすぐに想像がつくので、フェミニズムというよりは、ジュブナイル・ファンタジーだと思いたい。
作中、自分の心に心で語りかけるインターフェースを果たして信用していいのかという不安があるのは、タニス・リー作品でもテレパシー絡みのテーマでずっと続いている。前回Visシリーズでもmind talkのそれが不離だったが……案外、リーが「心の会話」をその後どれだけ掘り下げたのか把握されてなく、その方面でもトリビュートとしてコアなところを突いていると思う。
Deniの心の成長に焦点があって、謎解きで引っ張らないのもタニス的かもしれない。階段を昇って降りるフィジカルな描写に努力を尽くしている。
theyは日本語には訳せないな……。というか、読んでいる間はそれを意識しないようにしているが、ここには日本語で書いているのでやはり気になる。
まずそのジェンダーの文化が違うので、日本語であえてぎこちなくやってもいいんだが、前回は、それと関係ない箇所で一人称を「おれ」と呼ばせておくみたいな日本語独自の搦手を想像していた。「あたし」だったら必ず女子言葉になってる。
今回はそれでは行かない。「あたし達」と言っては言い過ぎな日本語だろう。英文では違和感のない「これ」とか「こいつ」という言い方は日本語では違和感が強いので、あらかじめそう言わせておくとか、か。原文を逐語訳しては作品を損なうのがわかっているので、和歌みたいな詩心が要るところだろう。ユーモア。
タニス・リー作品を読んでいる人なら、そこに「可能性」や「信じること」の飽くなき訴え、メッセージを指摘することはできる。が、リーの愛読者を自認していてもその可能性なり、信じることなりについて自ら書き始めるようになるかは別だ。わたしはわたし自身、可能性について語ることはもうできないんじゃないかと今は思っている。それはさておき。
現代の妖精写真家だった少女について。もしも妖精がこの世にいるのなら、どんなことだってありうる。彼女は目に障害があってその後少し淋しい経過を辿っていくが、読後にあらためてタイトルに戻って「After」の意味を思い返してみたい。わたしは最近は視覚よりか聴覚面について、フェードアウトした後に遅れて聴くナイチンゲール音のような話をしており、それに近いものを感じる。
と書いておいて、人にわかるかどうかはわからないが、リー作品の研究会の成果報告のような趣のある短編。「ビターな」と感じるだけではこの感じは汲み尽くせていないだろう。
昨年ナイチンゲールの話は、ガンダム話から始まり複数スレッドにわたって拡散しすぎたので、そのトピックにあらためてまとめないと、頻繁に言及するたびに変なところにリンクしていて不便だが。どっちかというと日本文学の和歌の理論を説明したほうがFT話題としてもためになるが……。また、そのタイトルが思いつかない。
こういう心理現象
これも、読者によってはタイトルを見た時点でネタは想像つくという話かもしれない。わたしはもともとそんなに好きでもなく、文中のネタはほとんど分からないので検索するだけで笑えはしないのと、……たまたま先日読んでた古川日出男の本で読んだばかりのところ……「死霊の盆踊り」のようなものに少し触れるのがあって、間が悪く食傷ぎみで読み進まなかった。
ともかく、現代のショービズが未来世界の宗教になっているような話は、今は奇想として驚くほどでもない一定のストーリーの型なんだなと思い出す。昭和のロボットアニメが火星で聖典になっているとか、逆にヒトラーが現代に生き返ってコメディアンとして人気を博すとか。そのグロテスクさも「またそれか」と思うよりは、その器、入れ物に今回は何を盛るかの、ジャンル。ここでも「Criswellは偏在する」みたいな…それに近い話なんだろうなとは先に分かっているので、やや疲れる。
ただ、これがなぜタニス・リー・トリビュートなのかという特殊な関心があって、ほかにディックの本でもヴァンスの本に入っててもわたしの最近の印象ではおかしくないんじゃないか。途中でちょっとだけ「わかる」感じはした。それも何年も前、タニス・リーを読み返し始めるよりまえに、「必ず当たる占い」とか占星術について他所で話していたことがあって、今それは書かない。
あと、節ごとに登場する人物が最初何の話をしているのか、どういう意味の言葉なのか謎でこんがらがるのは、興味を牽引する感じ。
前話がそれだったので次は「書き出しからタニス・リーぽい」と感じるのは仕方ないだろう。最初の二段落でたちまち妖艶というか惨麗な、異形の美的世界に飛び込んでしまう。ダークファンタジー始まったなと思う。
けれどこの話もまた別の意味で、読者は素直に耽美に愉しめる話かはどうか。タニス・リーのトリビュート集のために寄せるメタ的な寓意はすぐに察せられ、不思議な世界ではあるけど、話の結末はあらかじめ、わりと早くから読めてしまいもする。
それはそれとして、リー作品関連からの特殊な諸点を記しておくと、第一節では
The pain, they believed, was the purpose.
でも「痛み」がこの演目の主題じゃないのよ。――という。『悲痛な目に合いながら、満身創痍で進んでいくこと』というのはダークファンタジーというジャンルの主要な属性である。
タニス・リー作品といえば、主人公は毎回のように辛苦に身を切ってずたずたになりながら冒険していく。そのときでも、書評にはゴア要素が盛んにもてはやされるもので、残酷・無惨で血みどろ、あでやかで不気味なイメージの魅力……というのは電子版を買っても巻頭に当時の短評が載っている。――でもゴアが本題じゃないのよ。
ゴアが本題じゃないならわざわざ毎回ゴアなシチュエーションで話を始めなくていいじゃないか。第二節ではモラルについても触れる。主題はモラルなんでしょ?……という文学ファンの読み方がある。わたしも最近その関心になって何度も言及しているのでわかるけど、どうやら本作は、「作家の寄稿小説という形でするタニス論」みたいな……「現在のタニスは正しく読まれていない」のような発表なのかな、という気が半分してくる。
その中でも、
in exasperated amusement, in weary contempt,
最近も挙げていたシニシズム的な表現。これはリーの70-80年代の中でくり返す特徴的な表現の面白さで、バースグレイブからヴィス頃の初期を踏まえて読んでいる読者ならやはり「おお」と思って目を引かれると思う。なるほど予想通りだ――と思って読み終えると最後の一文でどうなるのか。
笑ってはいけないけどタニスファンとしてもあらかじめ求めるものが高い短編です。純粋にファンタジーとしてはそんなに面白いものか。妖美なイメージは美しいとは思うけど……。処々の現代語の語彙はわたしには難しいものもあり、辞書よりはネット検索したほうが早かった。
その皮肉を引っ込めてくれれば第一級の作品でいいのに、みたいなことをいうとファンの出しゃばりなのか。だって作中でも an unneeded barb のようにも言ってる。
「サークルの内輪ネタじゃないか」みたいな印象は同好のアンソロだからいいのか。日本のファンとしては羨ましいのかな。
タニス・リー本人の作品にこういう異形な未来世界があるかというと、それそのものではないけど、たとえばバイティング・ザ・サン、原書は1976年で作家の初期からある。SF作品はそんなに訳されていないらしいので、わたしはこれから追っていくようなところ。
一人称小説なので紹介してみようか。
あたしは海の妖魔の娘で、女王でもある母に生まれてすぐに捨てられた。顔も知らないそいつの呪いで、水に触れるとこの身は業火にまとわれ、そのせいで海に帰ることはできないが悲観はしていない。人間の両親(両母)に拾われて、血の繋がらない四人のステキな兄弟と育った。
あと、水には触れないが、汚れても汚れは燃え尽きてしまうので不潔ではない。 なにその阿呆みてーなナメた設定。マキリップのトリビュートでやればいいのに。
と。前の数話のヒネくれた気分から一転して、妖魔の能力でほとんど何でもできるがあたしのせいじゃない――みたいな、タニス・リーファンの読者がそのアンソロジーを手に取るならこういうのが読みたいでしょ?のいかにも妥当なところを真っ正直に衝いて来やがって、この作者媚びてんじゃないの?
それはこの本の中の特殊な前後印象なので、それを除けば、ストレートに好ましいファンタジー。ライトノベル風のフェアリーテイルが好きな読者はグッジョブして笑顔になるのは請け合い。とは言いたいけど、話の落ちどころがクサいのは結局感心しなかったり。デメテル神話のような含意もあるんだろうと思う。
文章が面白くて、ここしばらく上の数話に難渋していたのに較べて気持ちも軽くよどみなく読んでしまう。ちょっと気になるところでは、この小説の物語ではないところに点々と喚起する連想がどうも「小さなアズュラーン」みたいなものを思わせる、アズュリアズではなく。平球シリーズの通読している読者だと必然的に感じる要素がきっとある。このdemonは日本語ならやはり「妖魔」と訳すべきなんだろうな。
それと、若干この節もある。
幼い、美しい王子様と王女様と、それを見守る継母――語りだすのはタニス・リーの得意としたメルヘンの再話のようだが、そのシリーズにしても、「本当は怖いおとぎ話」みたいなものとは、必ずしも安易にいえなかった。
本作はまた文章は平易なので遅滞なく読めてしまう。上のような悪い継母の話なんだけど、妙に読者をわくわくさせるものがある。リーのトリビュート要素としていうと、昔風メルヘンではなく現代の少女ファンタジーの主人公らしい生い立ちと、その後のグロテスクな物語の変転……だけではなく、事あるごとに変な悪ノリを出す性格(ブラックユーモア)が事態を悪化させていく。
『血のごとく赤く』(Red As Blood)の一篇のように一見、思わせる。でもこの主人公の性格、処々の口調というか口癖には『The Birthgrave』を直接意識してると思う。いま現代には、この話はシンプルにフェミニストすぎるかもしれないけど、やはりこの語り口は好きだな。
読み始めてすぐに、タニス・リーというよりはP・K・ディックのような話が始まったなと思う。それも、細かい端々の現代的な描写にかかわらず、このシチュエーションから導く結末はほぼ決まっていて意想外なところはあまり考えられない気がする。普通に短編SFを読むのと違い、なんでこれがタニス・リー・トリビュートなんだろう、どこにその要素を出してくるんだろう?の特殊な興味が起こるんだった。
読んでいると主人公のDaVitraが現在不安定な精神状態で、もともとルーズな性格の彼女がなんでその重要プロジェクトの被験者に雇われているのか怪しむ気になるけど、これはタニス・リーのトリビュート作品なので、そこは大事じゃない。
読後の感想は、短編の結末ではなくてその前、クライマックスのシーンがリーの「あの作品だな」と連想させるものがあると思う。それをいうと、これはSFの皮を被ったファンタジーのようで、魂とか輪廻のようなことは一言も言っていないにもかかわらずそれに似たものを感じるのでもあった。
これを読んでいる途中に、AI生成キャラクターのマンネリズムに触れる箇所があり、これはその話ではないと思うがタニス・リーの数多い作品は同工異曲をくり返している面はどこかにあって、たとえば悲劇の場面を中毒的に反復再生することも、ロマンチックさや暴力的要素を毎回のように愉しむことも、ことによってはマンネリに陥るだろう。読んでいて「いつもの」と思うことはある。九十冊も読めば流石に読み飽きるだろうか。今それは、とりとめなく思っていたこと。
再話のメルヘン、若干のSF。この一連の「トリビュート作品」の続きの中では「ここがタニス・リー的」と意識しなくて読める独立した短編じゃないだろうか……。基調を暴力と苦悩が覆っているダーク・ファンタジーではある。タニス・リーの作品集の一篇に加わっていてもわかる。
タニス・リー本人の作にこの原話(白鳥伝説)にもとづくものがあったかは今思い出さない。野生の女子なので始終怒りっぽい、自分の感情に混乱する、人間は敵だと思っている、
humour is no longer part of her nature
と書いているところがユーモラスで微笑を誘う、のような感じ。
このトリビュート短編集の中でここまでで一番「抽象的な」と感じた。文章は曖昧ではないが脈絡は掴みづらいと思う。読み始めは淀みなくすらすら読んでいるが、途中から象徴と符号の行列の中に入っていくような。何かを意味しているが何を意味しているか、きっとよくわからない。ホラー小説ではない。
これがなぜタニス・リー・トリビュートかというと、リーの文章がこうだったとはわたしはあまり思わないけれど、その気持ちは読み取る気がする。これが何のためではなくて、原初の儀式、その発生としていること。
何のために生きるのかという、意味の探究ではあったはず。あと、文中に『この断絶を超えて届くためにはよほど大きな声を上げなければならない』のような表現を読んだときに with no companion という、最近わたしの読んだリー作品の中からのイメージを連想していた。
一晩寝て覚めると、あれはシンプルな話でとくに腑に落ちないところはないような感想になっていたけど、それはそれでステレオタイプ、のような気にもなっていた。ユタの田舎のような地方的な要素はわたしはわからなかった。
このトリビュート集はのこり二話だが、ここまで来て残り二話のタイトルをみるとそれらが示唆しているテーマまでは想像つく。「仮面」と「影」か。このたび初読でもあって数日に一話ペースでのんびりしすぎた感、ではあるけど、十六人が十六話続けてそれぞれに書き分けられているのもすごいな。Youtubeにこの企画にまつわるインタビュー等を集めたチャンネルがあるから、読後にその興味があれば聴いておこうか。
ゴア。あとは何も書くまでもないだろう。わたしの浅読みだった。
読み始めた瞬間、もう好きっていうか「このキャラでシリーズ化してほしい」のような気がする。アンソロジーの最後に取っておいたな。妖魔は前出だったけどあれはちょっと違ったし。
今夜は読み始めたところまで。わたしは、こういう読み物は文章の時制は過去形で書かれている方が当たり前だと思うみたい。リー本人の作品に現在形で書かれているものがあったか思い出せないが、この何作か続けてそれで落ち着かなかった。
IIまで。この設定でシリーズはないか。長編一巻にはなりそうな雰囲気…ではないのか。誰しも好きそうじゃないか。
文中にFour-BEEの明示的オマージュがある(sapphire wine)。でもこの"elf"の振る舞いはそれというわけでもなく、戦の挑戦状のあたりの習慣はThe Birthgraveの支配者達のようでもあり、不死貴族の無常観はアズュラーンに近いのかな……。あと、途中の地名に出てくるRiver AshlaとかAshlazelという名はAnackireを連想していた。ストーリーにはきっと関わりない。
平球シリーズの後にアズュラーンというキャラクターは退場したけど、その格はよりメジャーな「ルシファー」として再登場するまえに「アズラエル」(アズラーイール)と結びついたことも、一瞬だけあるらしい。
タニスファンとしてはアズュラーン‐アズラーイール‐アシャラ‐アナキアのような無節操な習合を空想している人はいそうで楽しい。
読了。キーワードの"the Last Breath of Winter"にはまた、リーの読者は色々と喚起するものがあるだろう。"shadow"については、やはりわたしの先に想像したような意味(shadowfire)ではなくて……でも、解しようではそうも言えるのかな。とても良いファンタジーだったしトリビュート集の締めくくりにも相応しいと思う。
タニス・リーといえばやっぱりこうでないとね? というものはあったね。あと、「あとがき」を読んでしまおう、
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Storyteller: A Tanith Lee Tribute Anthology
2025年発売のトリビュート集。しばらく前から話題に上がっていたのを電子で購入。上の通読とこれは併行で今読むことにする。そんなに早く進まない。
Foreword (John Khane)
この序文を読むだけでも胸に迫るような故人の紹介。わたしはこの文そのものはどこかで読んだことがあるが……この本のウェブページかどこかに載っていたのかな。今夜ここまで。
通読トピックから分岐。
まで読んだところで長くなってきたので以後こちらで続ける。
Blight (Michael Yuya Montroy)
唐突に日本の話が始まったので「お?」と思うが、今どきそれに一々驚くようなことでもないか。ちょっとだけ現実と違うようだけどおおむね現代日本の一夫婦と、昔話の中世日本の薬師詣でする貴婦人の説話を行き来する、すこしホラー。
日本の読者としては折口信夫の『死者の書』のようなものをシチュエーションからすぐ連想するが、そんなこともなかった。リーの既訳短編では「ジャンフィアの木」のような作品に似ているかな。日本人で「タニス・リーの影響」を公言している場合まず「平たい地球シリーズ」「冬物語」あとは時々パラディスのイメージに終始するのでかえってこういうものがよかったのかと思ったり。
説話ファンタジーと、あとレズビアンぽい要素がリスペクト、トリビュートといわれなければわからないかもしれない。
Data Ghost (Martha Wells)
今度はスペースオペラ、というか、しがない宇宙運送業者のシップが遭遇したステーションからは応答がなく、あたかも無人のようなその事情を探る間にシップの乗組員が消えていく……。ステーションを襲った脅威の正体は何か? という、SFサスペンス。
言えば、古典的なシチュエーションなのだが。そんなに古典的でないSF要素は脳インプラントがあり、この時代の宇宙ワーカーには一般的な、脳直結のデータ・ストレージ・インターフェースで移植者には内言(心の声)としてインターフェースと対話できる。それもサイバーSFではすっかり見慣れたガジェットで、相当に古典的かもしれないが。本作の印象はここ数年のAI事情を踏まえている気がする。
その高性能モデル「インターフェース」をインストールしている主人公だけど、おかしな事情で上手く適合できず使いこなせない。機械の声にいつも煩わされ、苛々している。謎の宇宙の脅威に立ち向かう段では、これが凸凹の相棒になる。
ちょっとコミカルで、自立しきれない年頃の心情と、思春期の癇の強さと不安さと、思いがけないユーモアの発見。というと、『たった一つの冴えたやり方』みたいなものが先に連想されるが、リーのジュブナイルのヒロインっぽさでもある。素直に面白かった。第一話と同じく主人公のDeniは性別を限定しないtheyで指示され、今作ではそれにまた別の含みがあるのはすぐに想像がつくので、フェミニズムというよりは、ジュブナイル・ファンタジーだと思いたい。
作中、自分の心に心で語りかけるインターフェースを果たして信用していいのかという不安があるのは、タニス・リー作品でもテレパシー絡みのテーマでずっと続いている。前回Visシリーズでもmind talkのそれが不離だったが……案外、リーが「心の会話」をその後どれだけ掘り下げたのか把握されてなく、その方面でもトリビュートとしてコアなところを突いていると思う。
Deniの心の成長に焦点があって、謎解きで引っ張らないのもタニス的かもしれない。階段を昇って降りるフィジカルな描写に努力を尽くしている。
theyは日本語には訳せないな……。というか、読んでいる間はそれを意識しないようにしているが、ここには日本語で書いているのでやはり気になる。
まずそのジェンダーの文化が違うので、日本語であえてぎこちなくやってもいいんだが、前回は、それと関係ない箇所で一人称を「おれ」と呼ばせておくみたいな日本語独自の搦手を想像していた。「あたし」だったら必ず女子言葉になってる。
今回はそれでは行かない。「あたし達」と言っては言い過ぎな日本語だろう。英文では違和感のない「これ」とか「こいつ」という言い方は日本語では違和感が強いので、あらかじめそう言わせておくとか、か。原文を逐語訳しては作品を損なうのがわかっているので、和歌みたいな詩心が要るところだろう。ユーモア。
After the Light Fails (Starlene Justice)
タニス・リー作品を読んでいる人なら、そこに「可能性」や「信じること」の飽くなき訴え、メッセージを指摘することはできる。が、リーの愛読者を自認していてもその可能性なり、信じることなりについて自ら書き始めるようになるかは別だ。わたしはわたし自身、可能性について語ることはもうできないんじゃないかと今は思っている。それはさておき。
現代の妖精写真家だった少女について。もしも妖精がこの世にいるのなら、どんなことだってありうる。彼女は目に障害があってその後少し淋しい経過を辿っていくが、読後にあらためてタイトルに戻って「After」の意味を思い返してみたい。わたしは最近は視覚よりか聴覚面について、フェードアウトした後に遅れて聴くナイチンゲール音のような話をしており、それに近いものを感じる。
と書いておいて、人にわかるかどうかはわからないが、リー作品の研究会の成果報告のような趣のある短編。「ビターな」と感じるだけではこの感じは汲み尽くせていないだろう。
昨年ナイチンゲールの話は、ガンダム話から始まり複数スレッドにわたって拡散しすぎたので、そのトピックにあらためてまとめないと、頻繁に言及するたびに変なところにリンクしていて不便だが。どっちかというと日本文学の和歌の理論を説明したほうがFT話題としてもためになるが……。また、そのタイトルが思いつかない。
こういう心理現象
Criswell Predicts! (Andy Duncan)
これも、読者によってはタイトルを見た時点でネタは想像つくという話かもしれない。わたしはもともとそんなに好きでもなく、文中のネタはほとんど分からないので検索するだけで笑えはしないのと、……たまたま先日読んでた古川日出男の本で読んだばかりのところ……「死霊の盆踊り」のようなものに少し触れるのがあって、間が悪く食傷ぎみで読み進まなかった。
ともかく、現代のショービズが未来世界の宗教になっているような話は、今は奇想として驚くほどでもない一定のストーリーの型なんだなと思い出す。昭和のロボットアニメが火星で聖典になっているとか、逆にヒトラーが現代に生き返ってコメディアンとして人気を博すとか。そのグロテスクさも「またそれか」と思うよりは、その器、入れ物に今回は何を盛るかの、ジャンル。ここでも「Criswellは偏在する」みたいな…それに近い話なんだろうなとは先に分かっているので、やや疲れる。
ただ、これがなぜタニス・リー・トリビュートなのかという特殊な関心があって、ほかにディックの本でもヴァンスの本に入っててもわたしの最近の印象ではおかしくないんじゃないか。途中でちょっとだけ「わかる」感じはした。それも何年も前、タニス・リーを読み返し始めるよりまえに、「必ず当たる占い」とか占星術について他所で話していたことがあって、今それは書かない。
あと、節ごとに登場する人物が最初何の話をしているのか、どういう意味の言葉なのか謎でこんがらがるのは、興味を牽引する感じ。
Vortumna (Mike Allen)
前話がそれだったので次は「書き出しからタニス・リーぽい」と感じるのは仕方ないだろう。最初の二段落でたちまち妖艶というか惨麗な、異形の美的世界に飛び込んでしまう。ダークファンタジー始まったなと思う。
けれどこの話もまた別の意味で、読者は素直に耽美に愉しめる話かはどうか。タニス・リーのトリビュート集のために寄せるメタ的な寓意はすぐに察せられ、不思議な世界ではあるけど、話の結末はあらかじめ、わりと早くから読めてしまいもする。
それはそれとして、リー作品関連からの特殊な諸点を記しておくと、第一節では
でも「痛み」がこの演目の主題じゃないのよ。――という。『悲痛な目に合いながら、満身創痍で進んでいくこと』というのはダークファンタジーというジャンルの主要な属性である。
タニス・リー作品といえば、主人公は毎回のように辛苦に身を切ってずたずたになりながら冒険していく。そのときでも、書評にはゴア要素が盛んにもてはやされるもので、残酷・無惨で血みどろ、あでやかで不気味なイメージの魅力……というのは電子版を買っても巻頭に当時の短評が載っている。――でもゴアが本題じゃないのよ。
ゴアが本題じゃないならわざわざ毎回ゴアなシチュエーションで話を始めなくていいじゃないか。第二節ではモラルについても触れる。主題はモラルなんでしょ?……という文学ファンの読み方がある。わたしも最近その関心になって何度も言及しているのでわかるけど、どうやら本作は、「作家の寄稿小説という形でするタニス論」みたいな……「現在のタニスは正しく読まれていない」のような発表なのかな、という気が半分してくる。
その中でも、
最近も挙げていたシニシズム的な表現。これはリーの70-80年代の中でくり返す特徴的な表現の面白さで、バースグレイブからヴィス頃の初期を踏まえて読んでいる読者ならやはり「おお」と思って目を引かれると思う。なるほど予想通りだ――と思って読み終えると最後の一文でどうなるのか。
笑ってはいけないけどタニスファンとしてもあらかじめ求めるものが高い短編です。純粋にファンタジーとしてはそんなに面白いものか。妖美なイメージは美しいとは思うけど……。処々の現代語の語彙はわたしには難しいものもあり、辞書よりはネット検索したほうが早かった。
その皮肉を引っ込めてくれれば第一級の作品でいいのに、みたいなことをいうとファンの出しゃばりなのか。だって作中でも an unneeded barb のようにも言ってる。
「サークルの内輪ネタじゃないか」みたいな印象は同好のアンソロだからいいのか。日本のファンとしては羨ましいのかな。
タニス・リー本人の作品にこういう異形な未来世界があるかというと、それそのものではないけど、たとえばバイティング・ザ・サン、原書は1976年で作家の初期からある。SF作品はそんなに訳されていないらしいので、わたしはこれから追っていくようなところ。
Moons Over Sea (C.S.E. Cooney)
一人称小説なので紹介してみようか。
あたしは海の妖魔の娘で、女王でもある母に生まれてすぐに捨てられた。顔も知らないそいつの呪いで、水に触れるとこの身は業火にまとわれ、そのせいで海に帰ることはできないが悲観はしていない。人間の両親(両母)に拾われて、血の繋がらない四人のステキな兄弟と育った。
あと、水には触れないが、汚れても汚れは燃え尽きてしまうので不潔ではない。
なにその阿呆みてーなナメた設定。マキリップのトリビュートでやればいいのに。
と。前の数話のヒネくれた気分から一転して、妖魔の能力でほとんど何でもできるがあたしのせいじゃない――みたいな、タニス・リーファンの読者がそのアンソロジーを手に取るならこういうのが読みたいでしょ?のいかにも妥当なところを真っ正直に衝いて来やがって、この作者媚びてんじゃないの?
それはこの本の中の特殊な前後印象なので、それを除けば、ストレートに好ましいファンタジー。ライトノベル風のフェアリーテイルが好きな読者はグッジョブして笑顔になるのは請け合い。とは言いたいけど、話の落ちどころがクサいのは結局感心しなかったり。デメテル神話のような含意もあるんだろうと思う。
文章が面白くて、ここしばらく上の数話に難渋していたのに較べて気持ちも軽くよどみなく読んでしまう。ちょっと気になるところでは、この小説の物語ではないところに点々と喚起する連想がどうも「小さなアズュラーン」みたいなものを思わせる、アズュリアズではなく。平球シリーズの通読している読者だと必然的に感じる要素がきっとある。このdemonは日本語ならやはり「妖魔」と訳すべきなんだろうな。
それと、若干この節もある。
The Ogress Queen (Theodora Goss)
幼い、美しい王子様と王女様と、それを見守る継母――語りだすのはタニス・リーの得意としたメルヘンの再話のようだが、そのシリーズにしても、「本当は怖いおとぎ話」みたいなものとは、必ずしも安易にいえなかった。
本作はまた文章は平易なので遅滞なく読めてしまう。上のような悪い継母の話なんだけど、妙に読者をわくわくさせるものがある。リーのトリビュート要素としていうと、昔風メルヘンではなく現代の少女ファンタジーの主人公らしい生い立ちと、その後のグロテスクな物語の変転……だけではなく、事あるごとに変な悪ノリを出す性格(ブラックユーモア)が事態を悪化させていく。
『血のごとく赤く』(Red As Blood)の一篇のように一見、思わせる。でもこの主人公の性格、処々の口調というか口癖には『The Birthgrave』を直接意識してると思う。いま現代には、この話はシンプルにフェミニストすぎるかもしれないけど、やはりこの語り口は好きだな。
Like It's Golden (Nisi Shawl)
読み始めてすぐに、タニス・リーというよりはP・K・ディックのような話が始まったなと思う。それも、細かい端々の現代的な描写にかかわらず、このシチュエーションから導く結末はほぼ決まっていて意想外なところはあまり考えられない気がする。普通に短編SFを読むのと違い、なんでこれがタニス・リー・トリビュートなんだろう、どこにその要素を出してくるんだろう?の特殊な興味が起こるんだった。
読んでいると主人公のDaVitraが現在不安定な精神状態で、もともとルーズな性格の彼女がなんでその重要プロジェクトの被験者に雇われているのか怪しむ気になるけど、これはタニス・リーのトリビュート作品なので、そこは大事じゃない。
読後の感想は、短編の結末ではなくてその前、クライマックスのシーンがリーの「あの作品だな」と連想させるものがあると思う。それをいうと、これはSFの皮を被ったファンタジーのようで、魂とか輪廻のようなことは一言も言っていないにもかかわらずそれに似たものを感じるのでもあった。
これを読んでいる途中に、AI生成キャラクターのマンネリズムに触れる箇所があり、これはその話ではないと思うがタニス・リーの数多い作品は同工異曲をくり返している面はどこかにあって、たとえば悲劇の場面を中毒的に反復再生することも、ロマンチックさや暴力的要素を毎回のように愉しむことも、ことによってはマンネリに陥るだろう。読んでいて「いつもの」と思うことはある。九十冊も読めば流石に読み飽きるだろうか。今それは、とりとめなく思っていたこと。
Zugunruhe (KT Wagner)
再話のメルヘン、若干のSF。この一連の「トリビュート作品」の続きの中では「ここがタニス・リー的」と意識しなくて読める独立した短編じゃないだろうか……。基調を暴力と苦悩が覆っているダーク・ファンタジーではある。タニス・リーの作品集の一篇に加わっていてもわかる。
タニス・リー本人の作にこの原話(白鳥伝説)にもとづくものがあったかは今思い出さない。野生の女子なので始終怒りっぽい、自分の感情に混乱する、人間は敵だと思っている、
と書いているところがユーモラスで微笑を誘う、のような感じ。
Death Valley '71 (Amelia Mangan)
このトリビュート短編集の中でここまでで一番「抽象的な」と感じた。文章は曖昧ではないが脈絡は掴みづらいと思う。読み始めは淀みなくすらすら読んでいるが、途中から象徴と符号の行列の中に入っていくような。何かを意味しているが何を意味しているか、きっとよくわからない。ホラー小説ではない。
これがなぜタニス・リー・トリビュートかというと、リーの文章がこうだったとはわたしはあまり思わないけれど、その気持ちは読み取る気がする。これが何のためではなくて、原初の儀式、その発生としていること。
何のために生きるのかという、意味の探究ではあったはず。あと、文中に『この断絶を超えて届くためにはよほど大きな声を上げなければならない』のような表現を読んだときに with no companion という、最近わたしの読んだリー作品の中からのイメージを連想していた。
一晩寝て覚めると、あれはシンプルな話でとくに腑に落ちないところはないような感想になっていたけど、それはそれでステレオタイプ、のような気にもなっていた。ユタの田舎のような地方的な要素はわたしはわからなかった。
このトリビュート集はのこり二話だが、ここまで来て残り二話のタイトルをみるとそれらが示唆しているテーマまでは想像つく。「仮面」と「影」か。このたび初読でもあって数日に一話ペースでのんびりしすぎた感、ではあるけど、十六人が十六話続けてそれぞれに書き分けられているのもすごいな。Youtubeにこの企画にまつわるインタビュー等を集めたチャンネルがあるから、読後にその興味があれば聴いておこうか。
Another Face (Getty Hesse)
ゴア。あとは何も書くまでもないだろう。わたしの浅読みだった。
In Your Shadow (Maya Deane)
読み始めた瞬間、もう好きっていうか「このキャラでシリーズ化してほしい」のような気がする。アンソロジーの最後に取っておいたな。妖魔は前出だったけどあれはちょっと違ったし。
今夜は読み始めたところまで。わたしは、こういう読み物は文章の時制は過去形で書かれている方が当たり前だと思うみたい。リー本人の作品に現在形で書かれているものがあったか思い出せないが、この何作か続けてそれで落ち着かなかった。
IIまで。この設定でシリーズはないか。長編一巻にはなりそうな雰囲気…ではないのか。誰しも好きそうじゃないか。
文中にFour-BEEの明示的オマージュがある(sapphire wine)。でもこの"elf"の振る舞いはそれというわけでもなく、戦の挑戦状のあたりの習慣はThe Birthgraveの支配者達のようでもあり、不死貴族の無常観はアズュラーンに近いのかな……。あと、途中の地名に出てくるRiver AshlaとかAshlazelという名はAnackireを連想していた。ストーリーにはきっと関わりない。
平球シリーズの後にアズュラーンというキャラクターは退場したけど、その格はよりメジャーな「ルシファー」として再登場するまえに「アズラエル」(アズラーイール)と結びついたことも、一瞬だけあるらしい。
タニスファンとしてはアズュラーン‐アズラーイール‐アシャラ‐アナキアのような無節操な習合を空想している人はいそうで楽しい。
読了。キーワードの"the Last Breath of Winter"にはまた、リーの読者は色々と喚起するものがあるだろう。"shadow"については、やはりわたしの先に想像したような意味(shadowfire)ではなくて……でも、解しようではそうも言えるのかな。とても良いファンタジーだったしトリビュート集の締めくくりにも相応しいと思う。
タニス・リーといえばやっぱりこうでないとね? というものはあったね。あと、「あとがき」を読んでしまおう、