エリアーデ面白いけど状況ちょっと挿んでおくと、これは1949年の『概論』を読んでる。各論ではない。この世にはなんでもまず各論を語りたい人達はまずいる。
エリアーデの著作集でも古いほうで、わたしはもと通読はしているけど今は再読、このあと20年後くらいの『世界宗教史』なども積んでる。手元で整理できるデータをまとめていて、小説までいければいい。
エリアーデ本人の評価も大方知っているが、1970年代からさらに20年後くらいの世評というのがって、さらにそれから2010年くらいにわたしの中で「再評価」したい気持ちになっていて、今頃また再読している。ル・グインの話題に上がってきたので一度フレイザーまで戻りたいけど、ワーグナーを再周しているならまずニーチェ頃まで遡らないと不足な気分ないま。
引例が恣意的だ我田引水だというのは宗教についてにかぎらず「比較」なんとかと冠するときには大概つきまとう。一方で、コンピュータゲームやネットカルチャーの場で日々生成される膨大な妄想のキャラクターやストーリーをかき分けて考えるときに昔のフレイザーの方法などに目を開かされたことがあって、わたしは態度を改めている。
通報 ...
投稿するにはメンバーである必要があります。