イエロージャケットの言葉使い
Vガンダム1巻22「クロノクル」より。御大の御文章の読み方、というより、国語の時間になってきたような気もするが……今わたしは他人や、少年少女相手に案内のようなことは考えない。
ベスパのイエロージャケットの戦術について――核兵器などというアイテムはベスパは使わない。毒ガスや生物兵器も非道である。あくまで、モビルスーツで、それも機銃掃射で人間を狙う。ハンティング行為は人道的である、との論法についてクロノクルにはいまだ一抹の懐疑がある。
言及はひとまず歴史観に移り、西洋近代以来の人間は科学技術の進歩とともに、狡猾な論理を使いこなして、人間は「人間であること」自体について疑義や追及を負わず、求める義務、自然本来の死さえ拒否して、わが身の便利さ・安全さを築こうとしてきた。自分の周りに硬い殻をめぐらす人間の態度のことをガンダムシリーズではおおむね「エゴ」という。宇宙にまで追いやられた人類の歴史の、人類自身に求める原因・元凶で、ここまでは現状理解に終始する語りになる。つづき、
『粛清して、地球に恩がえしをする』
イエロージャケットの戦術表題は、これである。
単純明快に言葉を利用しているのである。
上の数回の話では、これら主にガンダムシリーズでは科学技術機械の進化と同じように、人のつくる組織集団の体制、社会システムも「道具」として扱っているといった。ここでまた踏み込んで、「言葉」もまた道具として利用し運用されるものとみなしていく。道具としての言葉の使いかた。言葉を曖昧不明瞭でなく、明快に使いこなすことは、良いことである。言葉の良い使いかたによって表される戦術は、良い、ということ。
これがベスパのイエロージャケットの行動規範になる、実行される、というこの章のストーリーになっているが、富野小説でも同じような文章を以前にも読んでいるとは思う。ただ、たとえば『ガイア・ギア』のときには、ストーリーの場面を途中で切って突然に富野エッセイが割り込んだように感じただろう。精読しているには印象が違う、もっとシリアスだ。
そういうベスパの言葉運用、または言葉に操られているとすれば「それは詭弁だ」と叫びたくもなるが、ここにその声は今ない。『閃光のハサウェイ』の序文のときは、それは不条理だと断定できるのだが――と言葉を求めようとし、求めかねていた。言葉は、おおむね宇宙に拡散するのだから……、とそんな、徐々変転を読む。
Vガンダムは、小説はTVよりなおハードな内容含みなんで、刺激的だけどな…。ここはせっかく作者通読をしているので、作品をまたいだ連続をこのついでに拾っておきたいはある。1巻読了、やっぱり早いだろ。