かとかの記憶

富野由悠季 周回 / 76

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katka_yg 2025/03/31 (月) 22:44:24 修正

行動規範

「……!!」
 ウッソは、自分にむかってなげうつようにひびいてくる鈴の音が、ひたいから後頭部につきぬけるようにかんじて、左右の脳全体のシノプスをたちあがらせて、前頭葉を刺激して、ほんらい、幻覚をセーブする視床のフィルターまではずして、実像認識に転化させた。
 無意識閾に喚起された衝動まで、現実に対応させる行動規範としてはたらくのだ。

三日月のブーフゥ、ザンネックとのサイキックバトルになっていくが、初会合のこれのここ、わたし面白い。大方はファンタジー的表現だと思って読まれるだろうけど、頭脳ファンタジーはともかく「行動規範」という言葉を使うのがことに面白い。「鈴の音」を聴いた瞬間にこうなって、続いて敵のビームが来る前に、ノータイムで回避行動に移る。ウッソの深い意識から発した衝動がそうさせる、という。

行動規範は、ここは明らかに意識してこの語を使ってる。こんど通読中に「規範」という言葉は点々とあったが、「行動規範」ととくにいうと、小説ではオーラバトラー戦記のあいだに二度、軍人のそれと民間人のそれのような文脈であり、このあとアベニール中に一箇所ある。おおむねただの「規範」。こういう言い方もある。

ハルルの頭の中には、ロゴ・ダウの事件の詳細な報告が入っていた。それらの未知のブロックがどういう性質のものかという彼女なりの想像も働かせていた。妹のカララとは似つかわしくない、明晰な頭脳の持ち主であった。が、それが彼女のすべての規範となってあらわれるために、……

日常、あらゆる場面場面で瞬時の行動を求めるとき、人間はそのたび毎回、その場で得るデータを根拠に考えて「判断」をしているわけではないし、そもそもその場で何が適切か曖昧な状況というのが常だ。道で大声を上げている者がいたら反射的に振り向くか、振り向かずにそのまま歩き抜くのような行動は、人によっては同じではない。わたしは行動という興味はもともとあるのと、ここ十年くらいは、幻想文学と夢の話がつづいて、こういう言葉には敏感になっていた。

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  • 77

    規範形成と夢の話は、今ここで別の話だが、ファンタジー(幻想文学)の話をするには有益なので機会があったら今度しよう。ダンセイニなんか夢の話をしないで語れない。

    「主義」と「行動規範」の言葉の使い分けみたいなことは前にいった。そこは、単にまぎらわしいからの理由。

    主義について、マリア主義は何主義なんだとか、貴族は主義じゃねえだろとか、そういうことはこのたび、とくに言わんかった。