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ただの世間話 / 6531

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ただの猫 2026/07/23 (木) 08:15:53

仏教は釈迦が作った宗教ではない

ある識者が、史実を解説

報道・・2500年の歴史をもつ仏教の原点に迫る…古代の人々はブッダをどう受け止め、何を畏れ、何に憧れたのか?
7/23(木) 7:00配信

信徒数5億人を誇る世界宗教、その初期仏典にはある「仕掛け」があった──。

仏教はキリスト教、イスラム教とは何が違うのか? ブッダの教えの核心は? 仏教は、どこから来て、いかに大乗へと展開したのか?

【画像】2500年の歴史をもつ仏教の原点に迫る…古代の人々はブッダをどう受け止め、何を畏れ、何に憧れたのか?

『原始仏教 ブッダから大乗成立へ』(講談社現代新書)で仏教学者の清水俊史は、初期仏典を読み解き、2500年の仏教史の源流を描き出す。

※本記事は清水俊史『原始仏教 ブッダから大乗成立へ』より抜粋・編集したものです。

本書を貫くのは、仏教とは何かという問いである。

仏教は、インドに生まれて以来、2500年にわたる歴史とアジア全域の諸文化に、きわめて深い足跡を刻みつつ、今日に至っている。そのなかで、本書が「原始仏教」の名のもとに考察するのは、開祖ゴータマ・ブッダの生涯と教えであり、あわせて、今日ある仏教の多様な姿の淵源をそこにたどることである。

しかし、その基本資料である仏典は、ブッダ在世中に書き残された記録ではなく、仏滅後に弟子たちによって編纂されたものである。そこには神話的な装飾を帯びた記述もあれば、明らかに後代の成立と見られる要素も含まれている。

近代に入ると、批判的学問としての仏教学のなかで、仏典の記述と史的ブッダとのあいだには、少なからぬ隔たりがあるという認識が広まった。そして多くの研究者は、仏典には「歴史」と「神話」が二項対立的に併存しており、神話的要素は後代に付加されたものだから、それを取り除けば史実を抽出できると考えた。

だが、このような脱神話化によって描き出されたブッダ像は、しばしば現代人の願望を映したものにすぎなかった。そもそも、この方法論を徹底すれば、仏典の原初形態は神話的要素を含まない歴史書であった、という無理な前提に行き着く。

むしろ、神話的要素を取り除き歴史を描き出すという名目のもとで、研究者自身の主観が仏典に投影されたのである。「平和主義者」「ジェンダー平等の先駆者」といった現代的なブッダ像は、その典型であろう。このような「歴史のブッダ」は、実は歴史上一度も存在しなかった、新たな「神話のブッダ」にほかならない(拙著『ブッダという男』ちくま新書)。

仏典において、「歴史」と「神話」は不可分である。そもそも古代インドには、両者を二項対立として捉える発想がなかった。仏弟子たちは、篤い信仰心をもって仏典を編纂したのであり、そこには最初から神話的記述が含まれていたとみるほうが自然である。

ブッダは、それまでのインドを否定し、新たな宇宙を示した先駆者であった。その出現によって、その後の歴史が大きく変貌した。だからこそ、仏弟子たちは死後その記憶を言葉としてとどめ、仏典を編纂したのである。

そこに記された生涯や行状は神話的装飾を帯びているが、同時にまた、古代の人々がブッダをどう受け止め、何を畏れ、何に憧れたのかを伝える手がかりでもある。ゆえに、それらは単に史実ではないとして退けるべきものではなく、歴史的文脈のなかで読み解くべき資料である。

本書は、この立場から原始仏教を描く。すなわち、歴史と神話のあいだにある深い溝を越え、2500年以上も尊崇され続け、現実に人々を動かしてきた「信仰のブッダ」の姿を浮き彫りにしていく。

これを受けて本書の第一部では、仏教が成立した歴史的背景を概観するとともに、初期仏典をどのような資料として読み、そこから何を明らかにできるのかという、本書の前提となる資料論と方法論を解説する。

第二部では、初期仏典を広く読み解き、そこからブッダの生涯を再構成する。あわせて、その教えが単独の思想としてではなく、彼自身の歩みのなかで形をとった思想的革新であることを解明したい。とりわけ、四聖諦(ししょうたい)や無我、縁起といった教理については第4章に、また、サンガ(教団)や修行道については第7章にまとめた。

第三部では、仏滅後のインドにおいて、仏教がどのように受け継がれ、伝承と解釈の分岐を通じて多様化していったのかをたどる。そうした長い形成過程を見届けることで、ブッダの教えがいかに展開し、大乗をも含む後代の仏教史へとつながっていったのかを、「原始仏教」という射程のなかに収めて描き出したい。

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