>> 65916なるほどなぁ……なるほどなぁ……!
あ、とロッカールームに声が落ちる。懐疑と驚愕で彩られたそれは、賑やかな空間に溶けて消えた。大きな手で開かれたロッカーの中には、普段なら丁寧にしまい込んであるスポナーの姿は無かった。あるのは不自然なほど大きな空間だ。 そうだ、昨日の夕方、スポナーを忘れたという友人に貸したのだった。無いのは当然である。すっかり忘れてた、と少年は丸い頭を掻いた。 瞬間、焦燥が小さな頭の中を染めていく。先までかすかに高揚していた気分は一気に地の底まで落ちた。 ロッカールームを見渡す。明日返すわ、と急いで試合に向かった友人の姿はどこにもない。今日は自分一人でバトルに赴こうとしたのだから当たり前だ。 どうしよう、と少年はロッカーの前に立ち尽くす。ロビーからステージへの移動はスポナーに乗って行う。公共交通機関での移動も可能だが、既にエントリーした今、スポナー以外での移動ではバトルに間に合うはずがない。友人に会えるのも、おそらく早くて昼前だ。こちらから会いに行こうにも、彼の家までは電車で三駅かかる。今から取りに向かうのは非現実的である。 どうしよう。少年は今一度呟く。丸い目はありもしない己のスポナーを求めて泳ぎ、口は焦りにわなわなと震えていた。 「どうしたの?」 後ろから声。細い肩がビクリと跳ねる。慌てて振り返ると、そこには見知った少女の姿があった。 「あっ、もしかしてスポナー持ってきてないの?」 「……貸したの忘れてた」 えー、と少女は目を丸くする。それはそうだ、日々バトルに励む者がスポナーの存在を忘れるなんてあり得ないことだろう。こんな朝早くからロビーに訪れるような者なのだから尚更だ。 まあるい目を瞬かせる少女から目を逸らし、少年は心の中で叫ぶ。何でよりによって今日、よりによってこの子に。小さな脳味噌は神経が焼ききれそうなほどの悲鳴をあげた。 今目の前にいる少女は、友達というには少しばかり遠い、しかし知り合いと切り捨てるには近すぎる距離感だ。時折ロビーで出会う彼女とは、もう何度も共に戦って、ぶつかりあってきた。同じブキを扱う者として研究談義に花を咲かせることもある。ただ、知ってるのはプレートに記された名前――本名かすら分からないネームだけだ。その程度の距離感。その程度の仲だ。 けれども、そんな要素だけでも恋に落ちるには十分だった。戦場を駆ける逞しい姿に惹かれた。勝利に喜ぶ可憐な姿に目を奪われた。楽しげにブキを語る姿に心を奪われた。どうしようもなく恋をしてしまっていた。 そんな恋心を寄せる女性に間抜けな姿を見せてしまったのである。まだ齢十四の幼い心が耐えきれるはずがなかった。今すぐにでも逃げ出したい気分だ。 「……エントリー取り消してくる」 「え? もったいなくない? 今混んでるから次いつになるか分からないよ?」 「スポナー無かったら移動しようがないじゃん。このままじゃ他の人に迷惑かけるし」 はぁ、と重たい溜め息を吐きながら、少年はロッカーを閉める。悩ましげな唸り声を背に、出口へと足を向ける。あっ、そうだ、と明るい声がロッカールームに響いた。次いで、袖を引かれる。緩慢な動きで視線を向けると、そこには輝く丸い瞳があった。 「私のスポナーに一緒に乗ってかない?」 「………………は?」 耳から入り込んだ言葉が脳をめぐる。数拍、意味を理解した少年の顔がぶわりと赤に染まった。 「ばっ、い、や、無理だろ!」 「大丈夫でしょ。君も私もちっちゃいんだし」 「ちっちゃいって言うな!」 えー、と少女は唇を尖らせる。うー、と少年は呻き声をあげる。澄んだ可愛らしい瞳から逃れるように、少年は振り返るような勢いで顔を逸した。 たしかに己も彼女も年の割には小柄だ。けれども、スポナーに一緒に入れるほど小さくはないはずだ。たとえイカ型のままでも、あの小型のスポナーに二人入るのは無茶である。そもそも、好きな女の子とあんな狭い空間に入るなど心が耐えきれるはずがない。無理だ、と思春期の脳味噌と心は甲高い悲鳴をあげた。 「一旦私のに乗っていって、現地で借りればいいでしょ? それまでの我慢だよ」 「そ、う、だけど……」 もごもごと口を動かす少年に、少女はにこりと笑いかける。満開の可愛らしさの中に、何か苛烈なものが輝いていた。 「私、早くバトルしたいんだよね」 言葉に、少年はびくりと肩を震わせる。彼女はこう見えてバトルが大好きだ。休みの日はご飯食べるの忘れちゃうんだよね、と笑いながら連戦するほどバトルが大好きだ。早くバトルに向かいたいに決まっている。抜けた一人の枠を探して待つ時間すら惜しんでいるのだ。 ね、と少女はダメ押しのように呼びかける。しばしの沈黙。よろしくおねがいします、とかすかに震えた声が返された。 「じゃ、いこっか! もうすぐ時間だよ!」 「……はい」 掴んだ袖を引き、少女はロビーへと駆けていく。引かれるがままに、少年もパタパタと足を動かした。 しばしして着いた移動スペースには、もう何人もの者がいた。これが今回のバトルメンバーなのだろう。普段ならブキに目をやる少年の瞳は、地に吸い寄せられていた。これから起こる事を考えると、手を引く彼女の背を見ることすら不可能だった。 「私のスポナーこれね。さっ、入って入って」 イカの姿になり、少女はスポナーの上に乗る。小さな身体は磨かれた銀の箱に吸い込まれていった。ごくり、と少年は唾を飲み込む。本当に入るのか。いや入らなければ迷惑がかかる。けど。往生際悪く迷う心を、早くー、と箱の中から可憐な声が手招いた。 深呼吸をし、イカの姿に戻る。ぴちぴちと跳ね、そっとスポナーの上に乗った。 ふと視界に文字が飛び込んでくる。『貸スポナーはこちらへ』と書かれたそれの隣には、壁一面を埋めるようなロッカーがあった。開いた一つから、銀が覗く。スポナーだ。 そうだ、貸スポナーがあるではないか。普段スポナーを手放すことなどないからすっかり忘れていた。最初からこれを使えばよかったのだ。何で忘れてたんだよ、と心の中で頭を抱えた。 一旦私のに乗っていって、現地で借りればいいでしょ? ふっと言葉がよみがえる。現地で借りればいい。つまり、彼女は貸スポナーの存在を知っていた。なのに、そのことを教えず一緒に乗ろうと誘ったのだ。しかも、自ら急かすほどに。 え、え、と少年は声にならない声を漏らす。何で。一体どういう。疑問が頭の中を埋めていく。脳味噌が都合のいい結論を出すより先に、小さな身体はスポナーへと吸い込まれていった。
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>> 65916なるほどなぁ……なるほどなぁ……!
あ、とロッカールームに声が落ちる。懐疑と驚愕で彩られたそれは、賑やかな空間に溶けて消えた。大きな手で開かれたロッカーの中には、普段なら丁寧にしまい込んであるスポナーの姿は無かった。あるのは不自然なほど大きな空間だ。
そうだ、昨日の夕方、スポナーを忘れたという友人に貸したのだった。無いのは当然である。すっかり忘れてた、と少年は丸い頭を掻いた。
瞬間、焦燥が小さな頭の中を染めていく。先までかすかに高揚していた気分は一気に地の底まで落ちた。
ロッカールームを見渡す。明日返すわ、と急いで試合に向かった友人の姿はどこにもない。今日は自分一人でバトルに赴こうとしたのだから当たり前だ。
どうしよう、と少年はロッカーの前に立ち尽くす。ロビーからステージへの移動はスポナーに乗って行う。公共交通機関での移動も可能だが、既にエントリーした今、スポナー以外での移動ではバトルに間に合うはずがない。友人に会えるのも、おそらく早くて昼前だ。こちらから会いに行こうにも、彼の家までは電車で三駅かかる。今から取りに向かうのは非現実的である。
どうしよう。少年は今一度呟く。丸い目はありもしない己のスポナーを求めて泳ぎ、口は焦りにわなわなと震えていた。
「どうしたの?」
後ろから声。細い肩がビクリと跳ねる。慌てて振り返ると、そこには見知った少女の姿があった。
「あっ、もしかしてスポナー持ってきてないの?」
「……貸したの忘れてた」
えー、と少女は目を丸くする。それはそうだ、日々バトルに励む者がスポナーの存在を忘れるなんてあり得ないことだろう。こんな朝早くからロビーに訪れるような者なのだから尚更だ。
まあるい目を瞬かせる少女から目を逸らし、少年は心の中で叫ぶ。何でよりによって今日、よりによってこの子に。小さな脳味噌は神経が焼ききれそうなほどの悲鳴をあげた。
今目の前にいる少女は、友達というには少しばかり遠い、しかし知り合いと切り捨てるには近すぎる距離感だ。時折ロビーで出会う彼女とは、もう何度も共に戦って、ぶつかりあってきた。同じブキを扱う者として研究談義に花を咲かせることもある。ただ、知ってるのはプレートに記された名前――本名かすら分からないネームだけだ。その程度の距離感。その程度の仲だ。
けれども、そんな要素だけでも恋に落ちるには十分だった。戦場を駆ける逞しい姿に惹かれた。勝利に喜ぶ可憐な姿に目を奪われた。楽しげにブキを語る姿に心を奪われた。どうしようもなく恋をしてしまっていた。
そんな恋心を寄せる女性に間抜けな姿を見せてしまったのである。まだ齢十四の幼い心が耐えきれるはずがなかった。今すぐにでも逃げ出したい気分だ。
「……エントリー取り消してくる」
「え? もったいなくない? 今混んでるから次いつになるか分からないよ?」
「スポナー無かったら移動しようがないじゃん。このままじゃ他の人に迷惑かけるし」
はぁ、と重たい溜め息を吐きながら、少年はロッカーを閉める。悩ましげな唸り声を背に、出口へと足を向ける。あっ、そうだ、と明るい声がロッカールームに響いた。次いで、袖を引かれる。緩慢な動きで視線を向けると、そこには輝く丸い瞳があった。
「私のスポナーに一緒に乗ってかない?」
「………………は?」
耳から入り込んだ言葉が脳をめぐる。数拍、意味を理解した少年の顔がぶわりと赤に染まった。
「ばっ、い、や、無理だろ!」
「大丈夫でしょ。君も私もちっちゃいんだし」
「ちっちゃいって言うな!」
えー、と少女は唇を尖らせる。うー、と少年は呻き声をあげる。澄んだ可愛らしい瞳から逃れるように、少年は振り返るような勢いで顔を逸した。
たしかに己も彼女も年の割には小柄だ。けれども、スポナーに一緒に入れるほど小さくはないはずだ。たとえイカ型のままでも、あの小型のスポナーに二人入るのは無茶である。そもそも、好きな女の子とあんな狭い空間に入るなど心が耐えきれるはずがない。無理だ、と思春期の脳味噌と心は甲高い悲鳴をあげた。
「一旦私のに乗っていって、現地で借りればいいでしょ? それまでの我慢だよ」
「そ、う、だけど……」
もごもごと口を動かす少年に、少女はにこりと笑いかける。満開の可愛らしさの中に、何か苛烈なものが輝いていた。
「私、早くバトルしたいんだよね」
言葉に、少年はびくりと肩を震わせる。彼女はこう見えてバトルが大好きだ。休みの日はご飯食べるの忘れちゃうんだよね、と笑いながら連戦するほどバトルが大好きだ。早くバトルに向かいたいに決まっている。抜けた一人の枠を探して待つ時間すら惜しんでいるのだ。
ね、と少女はダメ押しのように呼びかける。しばしの沈黙。よろしくおねがいします、とかすかに震えた声が返された。
「じゃ、いこっか! もうすぐ時間だよ!」
「……はい」
掴んだ袖を引き、少女はロビーへと駆けていく。引かれるがままに、少年もパタパタと足を動かした。
しばしして着いた移動スペースには、もう何人もの者がいた。これが今回のバトルメンバーなのだろう。普段ならブキに目をやる少年の瞳は、地に吸い寄せられていた。これから起こる事を考えると、手を引く彼女の背を見ることすら不可能だった。
「私のスポナーこれね。さっ、入って入って」
イカの姿になり、少女はスポナーの上に乗る。小さな身体は磨かれた銀の箱に吸い込まれていった。ごくり、と少年は唾を飲み込む。本当に入るのか。いや入らなければ迷惑がかかる。けど。往生際悪く迷う心を、早くー、と箱の中から可憐な声が手招いた。
深呼吸をし、イカの姿に戻る。ぴちぴちと跳ね、そっとスポナーの上に乗った。
ふと視界に文字が飛び込んでくる。『貸スポナーはこちらへ』と書かれたそれの隣には、壁一面を埋めるようなロッカーがあった。開いた一つから、銀が覗く。スポナーだ。
そうだ、貸スポナーがあるではないか。普段スポナーを手放すことなどないからすっかり忘れていた。最初からこれを使えばよかったのだ。何で忘れてたんだよ、と心の中で頭を抱えた。
一旦私のに乗っていって、現地で借りればいいでしょ?
ふっと言葉がよみがえる。現地で借りればいい。つまり、彼女は貸スポナーの存在を知っていた。なのに、そのことを教えず一緒に乗ろうと誘ったのだ。しかも、自ら急かすほどに。
え、え、と少年は声にならない声を漏らす。何で。一体どういう。疑問が頭の中を埋めていく。脳味噌が都合のいい結論を出すより先に、小さな身体はスポナーへと吸い込まれていった。