ロ帝は「ウクライナなんて国はないし言葉も文化も何ひとつない。当方はそれを容認してない」なんて事のたまったオエライサンもいたしね(同時に文化根絶政策)。コサックに関してはそれに反発した派のコサックは負けてポーランドやルーマニアに落ち延び、ロ帝についた側は先兵としてもの凄く忠実にやって生き残った。けど、扱いは悪いし共産主義が勝ってからは大部分はトルコに逃げた。大元が逃亡農奴→戦力化が確立からはロシアやポーランドからの見返りを条件に戦闘参加しに行ってたので、『格下&忠実であればこそ使い出のある駒』としか見られてなかった訳だね
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