宇宙の原始教義
ステーション(小型のスペースコロニー)、フロント1に近づいたところでネフポのヨーゼフ大尉がアベニールの名前を思い出す。それは新興宗教の教祖だという。
「そこに、アベニールがいるというのは?」
「教祖でしょう? そうか、思い出しました。コンラッド大佐の最後の著書に出ていた名前ですね……なんというか……そう、シンボルとして、アベニールのようなものを設定しておいた方が求心力があるというテーマの話を、読んだ覚えがあります」
「大佐は、宗教まで考えていたのか?」
「精神安定剤としての宗教は必要でしょう。原始宗教に近いものは、宇宙では有効だと言っていました」
宗教的な象徴としての女王は前作『Vガンダム』ではマリアがいた。それはカガチの傀儡だった。こんど、ヘイヤーガン大佐が自著で想定する宗教の有効さは少し考えてみたい。ヨーゼフ大尉は精神安定剤だと言っているが、ヘイヤーガンの人物は上で書いていて、「大衆コントロールのために宗教は麻薬」のような安易な大衆支配のイメージはここでは語れない。
フロント1に聖堂があるコスモ・クルスの巫女アベニールは、ヘイヤーガンのプロト・フロンティア帝国のとくに女王というわけではないが現地で尊重されている宗教的な象徴(シンボル)である。
このあと3巻を見ると、スペースコロニーでも彼女個人が警官等からけっこう敬意を払われている。政治的な発言権・権限があるわけではない。ここでは巫女の求心力でなく、宇宙の宗教について考える。
ヘイヤーガンの著書にいう「原始宗教」(に近いもの)とはどういうものを言うのか……
とりあえず、「原始的でない宗教」といってみると、都市国家の王権を保証するとか、戦争に参加する意味を宗教が語るようになると、自然と人間という素朴な場面での宗教の役割とは一線を画す。宗教史はわたしの専門ではないが、わたしは今エリアーデを再読しているところでもあったから、ここでは原始的な世界観における実存、を取り上げたい。原始宗教は必ずしもアニミズムのことでもない。その時代当時の人々の実存問題についての語りかた(コード)。
身の回りの自然の物象、地球では太陽や月や星の運行や、風や雲や川や、大小の動物(クマやウサギやキツネ)のそれぞれについて、それぞれの起源を担当する生命力、神々や精霊のようなものを認めて、人の生活とのかかわりを物語るなら、その素朴な神話語りや儀礼を司る呪師や巫女が行っただろう。ここの一連ではシャクティ語を思い出してもいい。
宇宙時代には宇宙現象について、やはりまた自然の天体や、人工天体や、銀河について、宇宙空間での人間生活や生理などの事毎についてを語る態度を言うだろうから、ちょっと想像したくなる。が、ここまで言って『アベニール』作中の実際は作中のコスモ・クルスの説教をきけばいい。「宗教」が迷信や麻薬や方便という印象は、もうないはず。
宇宙における物事の捉え方はああも説明できる、こうも言える。経済を至上に語ってもいいし、国益を語ってもいい。ヘイヤーガン大佐が考えるなら宇宙生活者の規範はどのように語られるべきかを考えただろう。ファンタジーではあるだろうが、スペース・コードを語るにも宇宙でファンタジーは無用ではない。
「大衆をまやかすすべ」のような宗教のイメージがコンラッド大佐のテーマでないのは、コンラッド大佐にとって愚民は教化するか殲滅対象ではあっても、余剰人口にすぎない愚民を愚民のまま飼い馴らし統治しようとは考えていないからだ。