The Castle of Dark (Tanith Lee, 1978 闇の城)について。
いま手にある電子版は Dark Castle, White Horse として二作がカップリングになっている。英語を読むけど、邦訳で既読。前回、Volkhavaarのときもそうだったが、既訳があると気になってちょくちょくそれを覗いて進まない癖があるので、それはあまり気にせずに原文の方を読む。Kindleリーダーの辞書機能を引くより邦訳をめくった方が早いことはある。
この話って、「城の話」ではあるがそれと別に、「昼と夜に隔離されて育った子供」太陽を見たことがない女の子と月を見たことがない男の子のような古い話の型もやはり踏襲していると思え、わたしは最近ジョージ・マクドナルドの「昼の少年と夜の少女」(1879)を読み返していてその時にこの「闇の城」を連想していた。
ただしこちらは、おとぎ話シチュエーションがそれを思わせるくらいでそこに神秘的な意味合いはない。リルーンが可愛いの一心でけっこうだ。
この話の冒頭からリルーンが無邪気に鳩を呼び寄せているすべは「the Calling」と書いてあって、魔法の伝統的な一分類でもあるだろうけど、わたしは最近読んでいたこともあってマキリップの『妖女サイベルの呼び声』(1974)を思い出す。
「呼び声」とか「呼び出しの術」(召喚)のテーマには、やはりテレパシー的なもので言葉を超え、空間を超えて届き、呼びかける彼女の求めに何があっても駆けつけるというカリスマ的魅力であるとともに、呼び出される相手の意思を時には無視し、虐げもする、洗脳的な面もあった。
リーとマキリップみたいな同時期の作家の間に直接どんな関係があるかはわたしは今とくに知らないが、1978年頃の同ジャンルの読者だったら、「コーリングもの」として説明なしにすぐに分かっただろう。そのジャンルの当時流行は一度途切れると20年後くらいにはわりと分からなくなっていることもあり、そうした事情は後から補われてあるといいね。
「呼び出しの術」のストーリー型の起源について等はまた、詳しくはないし、漠然と尋ねれば幾らでも幅の広がることだろう。ひとつには、「片思いの恋人を自分の元に引き寄せる」という「恋の魔術」としては、このまえ「黄金のろば」にもあったがそんな魔術は人類の歴史のかぎり、遡れば有史以前からもあっただろうと想像はできる。
「死者の霊を呼び出すこと」については、わたしはいつも『アエネーイス』を最初に思い出す例だが、そこでもすでに呼び出される霊は自分の意思に反して、かなり辛そうに現世に姿を見せ、術者の問いにも苦しげに答えていたものだった。ネクロマンシーについては別途またする。
そうした、不承不承の相手を強制的に呼び出し、霊的に支配もすることに対しての反面、後ろめたさの気分は古代の作品からでも読み取れる。コーリングで呼び出すことには極度に昂奮している女の子に対して呼び出された男の子の対応が塩、のような気持ちも踏まえておきたい。
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いま手にある電子版は Dark Castle, White Horse として二作がカップリングになっている。英語を読むけど、邦訳で既読。前回、Volkhavaarのときもそうだったが、既訳があると気になってちょくちょくそれを覗いて進まない癖があるので、それはあまり気にせずに原文の方を読む。Kindleリーダーの辞書機能を引くより邦訳をめくった方が早いことはある。
この話って、「城の話」ではあるがそれと別に、「昼と夜に隔離されて育った子供」太陽を見たことがない女の子と月を見たことがない男の子のような古い話の型もやはり踏襲していると思え、わたしは最近ジョージ・マクドナルドの「昼の少年と夜の少女」(1879)を読み返していてその時にこの「闇の城」を連想していた。
ただしこちらは、おとぎ話シチュエーションがそれを思わせるくらいでそこに神秘的な意味合いはない。リルーンが可愛いの一心でけっこうだ。
Calling
この話の冒頭からリルーンが無邪気に鳩を呼び寄せているすべは「the Calling」と書いてあって、魔法の伝統的な一分類でもあるだろうけど、わたしは最近読んでいたこともあってマキリップの『妖女サイベルの呼び声』(1974)を思い出す。
「呼び声」とか「呼び出しの術」(召喚)のテーマには、やはりテレパシー的なもので言葉を超え、空間を超えて届き、呼びかける彼女の求めに何があっても駆けつけるというカリスマ的魅力であるとともに、呼び出される相手の意思を時には無視し、虐げもする、洗脳的な面もあった。
リーとマキリップみたいな同時期の作家の間に直接どんな関係があるかはわたしは今とくに知らないが、1978年頃の同ジャンルの読者だったら、「コーリングもの」として説明なしにすぐに分かっただろう。そのジャンルの当時流行は一度途切れると20年後くらいにはわりと分からなくなっていることもあり、そうした事情は後から補われてあるといいね。
「呼び出しの術」のストーリー型の起源について等はまた、詳しくはないし、漠然と尋ねれば幾らでも幅の広がることだろう。ひとつには、「片思いの恋人を自分の元に引き寄せる」という「恋の魔術」としては、このまえ「黄金のろば」にもあったがそんな魔術は人類の歴史のかぎり、遡れば有史以前からもあっただろうと想像はできる。
「死者の霊を呼び出すこと」については、わたしはいつも『アエネーイス』を最初に思い出す例だが、そこでもすでに呼び出される霊は自分の意思に反して、かなり辛そうに現世に姿を見せ、術者の問いにも苦しげに答えていたものだった。ネクロマンシーについては別途またする。
そうした、不承不承の相手を強制的に呼び出し、霊的に支配もすることに対しての反面、後ろめたさの気分は古代の作品からでも読み取れる。コーリングで呼び出すことには極度に昂奮している女の子に対して呼び出された男の子の対応が塩、のような気持ちも踏まえておきたい。