いま手にある電子版は Dark Castle, White Horse として二作がカップリングになっている。英語を読むけど、邦訳で既読。前回、Volkhavaarのときもそうだったが、既訳があると気になってちょくちょくそれを覗いて進まない癖があるので、それはあまり気にせずに原文の方を読む。Kindleリーダーの辞書機能を引くより邦訳をめくった方が早いことはある。
この2章末の畳み掛ける文章は、著者リーの得意技で、章末か小説のクライマックスでいつも使う必殺技と言っていた。「Still. even when-」から始まって一連のくり返しの続き、「even then」と切り返すまでに、文章が特徴的なリズムを刻み出して、韻文的な雰囲気に変わるのもこの効果だろう。日本語の翻訳では必ずしも原文の音律は読み取れないが、文の意味上からも、歌うようにくり返していく書き方はいくらかは見て取れるだろうか。
She wanted to scream. But during her adventure in the world, she had learned that screaming was not necessarily of use. What could she do that was useful?
いま手にある電子版は Dark Castle, White Horse として二作がカップリングになっている。英語を読むけど、邦訳で既読。前回、Volkhavaarのときもそうだったが、既訳があると気になってちょくちょくそれを覗いて進まない癖があるので、それはあまり気にせずに原文の方を読む。Kindleリーダーの辞書機能を引くより邦訳をめくった方が早いことはある。
この話って、「城の話」ではあるがそれと別に、「昼と夜に隔離されて育った子供」太陽を見たことがない女の子と月を見たことがない男の子のような古い話の型もやはり踏襲していると思え、わたしは最近ジョージ・マクドナルドの「昼の少年と夜の少女」(1879)を読み返していてその時にこの「闇の城」を連想していた。
ただしこちらは、おとぎ話シチュエーションがそれを思わせるくらいでそこに神秘的な意味合いはない。リルーンが可愛いの一心でけっこうだ。
Calling
この話の冒頭からリルーンが無邪気に鳩を呼び寄せているすべは「the Calling」と書いてあって、魔法の伝統的な一分類でもあるだろうけど、わたしは最近読んでいたこともあってマキリップの『妖女サイベルの呼び声』(1974)を思い出す。
「呼び声」とか「呼び出しの術」(召喚)のテーマには、やはりテレパシー的なもので言葉を超え、空間を超えて届き、呼びかける彼女の求めに何があっても駆けつけるというカリスマ的魅力であるとともに、呼び出される相手の意思を時には無視し、虐げもする、洗脳的な面もあった。
リーとマキリップみたいな同時期の作家の間に直接どんな関係があるかはわたしは今とくに知らないが、1978年頃の同ジャンルの読者だったら、「コーリングもの」として説明なしにすぐに分かっただろう。そのジャンルの当時流行は一度途切れると20年後くらいにはわりと分からなくなっていることもあり、そうした事情は後から補われてあるといいね。
「呼び出しの術」のストーリー型の起源について等はまた、詳しくはないし、漠然と尋ねれば幾らでも幅の広がることだろう。ひとつには、「片思いの恋人を自分の元に引き寄せる」という「恋の魔術」としては、このまえ「黄金のろば」にもあったがそんな魔術は人類の歴史のかぎり、遡れば有史以前からもあっただろうと想像はできる。
「死者の霊を呼び出すこと」については、わたしはいつも『アエネーイス』を最初に思い出す例だが、そこでもすでに呼び出される霊は自分の意思に反して、かなり辛そうに現世に姿を見せ、術者の問いにも苦しげに答えていたものだった。ネクロマンシーについては別途またする。
そうした、不承不承の相手を強制的に呼び出し、霊的に支配もすることに対しての反面、後ろめたさの気分は古代の作品からでも読み取れる。コーリングで呼び出すことには極度に昂奮している女の子に対して呼び出された男の子の対応が塩、のような気持ちも踏まえておきたい。
Chapter 2まで。
この2章末の畳み掛ける文章は、著者リーの得意技で、章末か小説のクライマックスでいつも使う必殺技と言っていた。「Still. even when-」から始まって一連のくり返しの続き、「even then」と切り返すまでに、文章が特徴的なリズムを刻み出して、韻文的な雰囲気に変わるのもこの効果だろう。日本語の翻訳では必ずしも原文の音律は読み取れないが、文の意味上からも、歌うようにくり返していく書き方はいくらかは見て取れるだろうか。
先日は「逆説」について書いていたときに少しこの連想があったけど、また思い出したときにピックアップしておこう。総当たりで読むのでなければ、全てから機械的に検索して探し出すのは難しいところ。
1 / 2
3まで。I must Call again. Call and Call.
8まで。Part Oneの区切り.
特製の飲み物以外、食べ物のようなものは口にしたことがないリルーンは、また今はバースグレイブの連想を多少するな。連想するというだけでその話は別なことは覚えているし、この後の話も覚えていないけれど。
Part Twoまで。
Part Twoの間の村人の怖がりようもまた上の印象がするのだけど、そればかりを言ってても仕方ないけどね。
むしろこの電子版が、Dark Castle / White Horseの二作がカップリングになっているのがまた、分からなくもない。読み返したい、短いにもかかわらず180ページほどが読みきらないのは隣の『リーンの翼』も今、同じだな……。
門番とのやり取り、"Are you telling me I can't enter the town?"のあとに、
との台詞は誰が発したのかよく分からない。邦訳をめくったが、この文は省いてあって訳されていない。続いて背の低い方が揚げ足を取って答え、背の高い方が無関心げに肩をすくめて、続き、"Well," went on Shorty, "what if I am?"の台詞も邦訳になし。
Volkhavaarのときも見たのは邦訳書に時々文章が脱落していても、訳者の手落ちとはかぎらない。底本に用いたテキストによって脱文とか脱語があるのかもしれなかった。もしくは補訂か。上のところは、台詞の意味は分からなくはないものの前後の続きから会話が続いていないように見える。その台詞を省いた方が合っていそうなところだ。
魔女について"One's sufficient."ともう一度くり返すが、この台詞がどういうわけか前の文に紛れ込んだのかな。何かの言葉遊びの意図にしては、今書いたように発話者が不明に見えておかしい。
それに続く、「で? だったらどうだ?」と高飛車に続けるところはとくに省略される理由もなく、たんなる脱文かな。
13まで。
このシニカルな領主はファンタジーの人物として珍しいわけではないが、リーの作品中では続きで思い出すものがある。くり返し意識的にこういう書き方を作っているから同年頃の執筆中に連想はしてるはず。
dark and paleと書かれている間は気づかないし、宮廷貴族に囲まれて空笑いしているときにも気づかないけど、ここに来て正体を表すような面白さだな。ラルドナーに似ているかというと、似てないが、clever and stupid, clever foolishとも。
もともと愛情はもってるつもりはないところにこの空虚な人物から「おまえはあの娘を愛している」と言われて、そんなわけあるか、そうではないと言いたいところをここはぐっと押さえる、という多重屈折ぶり。最初から愛はなかったのはたしかだが、この「屈折」を設けられることに意味があるかのよう。
リルーンがコーリングの術でひとの心に支配的影響を投げると同じく、ラルドナーの心にザスティスが影響を投げていたのはそれなりに同じだろう。今は、前回『The Storm Lord』からの続きで読んでいるから思い出した。
ここは、『あわれんでいる』(かわいそう)ではなく、共感魔術(呪術)的な意味で、彼の行動とその場のシチュエーション(天候)があたかも連動(共鳴)しているかのように、のこと。
本書のこだまともこ訳は、ちらちらと原文と較べ読んでいると原文に忠実でない書き変えが多く、意図を汲んで日本語に書き変えているかも少し怪しいところも点々と見受ける。だいぶラフな翻訳か。リーのジュブナイル作品にも民俗や神話伝承のような趣味が多分に盛り込まれているが、とくにオカルト的な文脈ではこの邦訳は物足りない。ただ、1983年にこの軽い読み物程度の訳に求めることでもなかったと思う。
魔法を発動するときに、
Lilune set her doubts aside.
のように書くことは作家にとってその都度、重要だったと思うが、翻訳者は必ずしも原作者の作品歴を通して研究しているわけではないし。ここでは、わたしは逐一チェックしてもいい。毎回するとくどいけれど。
泣いたってなんにもならない
叫び出したい気持ち、でも叫んでみたってだめだ。この言い方も、定型句のようではあるけどタニス・リー作品にくり返し出てくる。
The Castle of Dark読了。最後からニ番目の文が良い。
この電子版には続きにPrince on a White Horse収録だけど、それに行かず、つぎはAnackire。