バイストン・ウェルの動植物は、地上界の動物種・植物種とよく似ているように見えても必ずしも同じでない、現地のコモン人の言葉では現地固有の名前で呼んでいる、葦や熊笹や竹や、魚のニシンとかタラと言っているわけではないが、地上人のクリスには「だいたいそれに似たもの」としてテレパシーで聞きとったり想像する。
べつにそんなこと一々に断らなくてもいいとも思う。ファンタジーを創作するときに、物語の人物のまわりの自然の気象も植生も人工の文物や歴史も何もかも、必ずしも「世界」を丸ごと新規に創造しなくてはならないわけではないだろう。近世のメルヒェンでも「架空のキリスト教国」と思っていれば具体的にドイツとかフランスと言わなくても、お城が建っている周りの森の木々はわれわれも知るブナやカシやナラで結構だ。
その話は今しない……。それは態度であって、上の、氷川さんの本では「世界観主義」のような言い方もしていた。
海外ファンタジーを読んでいるとき、先日も文中でアオギリとかサンザシと言われているのは気にしないとして、ヒマラヤスギ(cedar)という訳語が出てきて、――この世界にヒマラヤはなくてもヒマラヤスギとはいうか――それも読者むけに便宜的に翻訳されたのか――英語の原文にヒマラヤとは言ってないけど、語源を言い出せば松も杉も日本語だしなと思った。よくあること。
バイストン・ウェルの風物は地上人の心がつくりだすものなので、もともと人為的なこと、それと進化や歴史学の考え方と代わるもののように「伝承」がある。ここで地層や化石を掘り返せば混乱を極めるのかもしれない……各話の世界の案内人になるドレイクや、アマルガンや、ケッタ・ケラスはとくに進歩的なコモン人だから地上人の困惑は積極的に理解してくれる。
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あと、コモン界の馬には角が生えていることは必ず言及される。この角が何かの役に立ったことはないと思う。それを見ると地上人は世界の違いを再認識させられ、身の内に慄く。
ユニコーンが出てくるファンタジーではユニコーンはよく角を武器(凶器)にして戦う。実在のユニコーンの生態はわからない、その決まりはないが、野生のシカやサイがするほどのことをユニコーンが躊躇わなくてもいいだろう。
現実の歴史では軍馬に装甲(鎧兜)を施されたこともあった。時代・地域によるが、わたしはフルアーマー化された馬の絵図をみると「勇ましい」よりも、微かにかわいそうな気持ちがする。
このまえ『The Birthgrave』の作中、主人公の女性が馴らした悍馬は面甲に角も装備し、戦闘では彼女のロングナイフとともに馬も共闘して噛みつく、蹄で蹴る、踏み潰すに加えてこの角で突いて斬り裂くと大暴れしたが、その馬は狂暴さのあまりすぐに戦死してしまった。
(馬の角まで熱心に理由付けすると、それを使って馬も戦わなければならない劇中の道具になるし、かわいそうにもそのせいで早く死んでしまう、という空想のお話づくりのことだ)