『ガーゼィの翼』3巻読了。
わたしは既読だから全体の筋は知っていて上のような話(戦争と殺人)だが、前にも書いたように敵にとどめを刺す儀式はバイストン・ウェル物語では恒例のような「通過儀礼」ではある。
それでなくても、慈悲の一撃(クー・ド・グラース)とかは日本の武士の「介錯」ともまたちょっと違う文脈をもってて、海外ファンタジー作家も取り上げることはしばしばある。クロスボーンのときの貴族精神の話とは親和しやすいとは思うんだ。それで対人殺傷の話をするんだけど、今読み返すとどんな感想かなと思ってた。
日本武尊のことは、地氣(気脈)のはなしだから白山のシンボルであろうは、わたしは今わからなくはない。それと、その話の端で白鳥伝説の「神話のエネルギー」なる言葉がまた、ポッと唐突に言われたけど、後先ない出任せでなければそれもちょっと興味のある言葉だ。面白いぞガーゼィ……。
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不滅の英雄
英雄である日本武尊が死したときにその御霊は白鳥と化して飛び去った、という伝説である。多くの人がそれを見たと伝えられている。その目撃者が誰であったかはついぞ分からない。まことに実在した人かも知るまい。日本の建国神話の一端。
その物語にはなにものかにはたらきかけていずれかを志向するエネルギーがある。なにをさせるのかというと、白鳥の飛ぶ映像イメージは、音として聞こえれば『大和男の盛りを見せよ――』とも聞くだろう。見せよというから命令だ。
上でも一回掠めたけど、ガンダムリスナーだったら三枝成彰「ヤマトタケル」は聴かれてほしい。CDではオラトリオ。オラトリオ版とオペラ版のYoutubeに動画があるけど、ラストの歌詞はそれぞれに省略か変更になっているみたいだ。バージョン違いがある。
この不滅論が好きだとこの春も書いた、この詞はCDで聴ける。現代語の平易な台本と、このロジック(レトリック)はたぶんなかにし礼。時代を貫いて変わらない無名の、無数の庶民の感情は哀しみである。その哀しみこそ民族の生命である。英雄の物語は哀しみに彩られている。だから英雄は不滅である。