これはクリスが、コンピュータゲームや映画や、アニメや漫画に触れて1990年代の少年少女はあたりまえにそういうシチュエーションに馴染んでいるから、だろう。80年代のジョクにも、当時の映画やSF小説くらいの情報源はあり、戦国自衛隊くらいはもともと知ってただろうけど、ジョクやショットがオーラマシンと世界の関係に気づくのは彼らの長い考察を経ての結果。
迫水当時、迫水がコモン界で機関砲を目にして「こんなことは許されん」と悲憤慷慨するのは、間近に血みどろの惨劇を味わった結果だった。
こういう話題ではル・グインが恰好の例なので文化制限法の話題を昨夜立てていた。『ガーゼィ』のこの巻では、ザギゾアがゲルゴーグ・アジの態度をみて、アシガバの武者の考え方も変化している、ガーゼィの騎士の影響で変わった、とか、ガーゼィの軍に対応するために騎兵隊に新しい戦い方をさせている。クリスにその自覚はないだろうがハイン人のモラルだったらすでに許されない。
富野由悠季がル・グインの熱心なフォロワーなんかだったとはわたしは思わないし、富野由悠季は自作のバイストン・ウェルの続きで書いているから多分こうだ。
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前の巻では抗生物質についても、バイストン・ウェルで抗生物質を求めることに躊躇している。耐性菌の問題とか今いっとる場合か、のような場合でもあるが、便利だからってこっちのものを何でも持ちこむのはやっぱりやばいよ……という、環境保護思想というより、文化的な合意というのかな、世代としてそれがすでにクリスにはある。
かんがえてみれば、先日の『勇魚』のレビューにそれを書いたばかりだったし、今週の読書は案外たしになっていたのか。