空が落ちる理由
『コロニー落としはリアルか?』というのも繰り返し訊ねて面白い。この話はわたしは時々思い出す。『人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させ半世紀たって、宇宙生活者が世代を重ね、ついに地球と宇宙で戦争が起こるまでになった。その究極の大作戦でこうなった結果がこのよう』は、リアルだ。
その恐怖体験を、数年後に『空が落ちてくるのよ!』と語られるのを聴くと一気に古代ケルト人みたいなファンタジーに逆戻りしたかのように感じる。もちろん、戦争トラウマというストーリーもリアリズムの内ではある。
空が落ちてくるのはなぜか? 「愛で」というのはロック。それはショック。
「杞憂」というのは中国の故事。しかし、シャアの隕石落としなんて杞憂だよと語る高官にとっては宇宙世紀のその瞬間にまで空が落ちてくることは幻想になる。そのときは、シャアは政治家に違いないから。(政治駆け引きの虚構に違いない)
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都市を消滅する方法
わたしは自分がリアリストだとは自分で思えず、所詮、どうやって物ごとを幻想化するかに関心を砕いている。
最近の似た話では、都市を消滅させる方法……「江戸を消し去る方法」というのは気づいて特に面白かったな。
この引用で『伽羅物語』に難を付けている気持ちは、都市滅亡の予言を語り、果たして滅亡するか滅亡を防げるか!と関心を煽っておいて結局「予言はデマだった」という方に話をすり替えるから。歌劇の製作事情はわからなくはない。それでも、世界の涯にあった都市のできごと――今は思い出す者はおらず、そこに行った者もいない――と語り終えることで架空都市は幻想化する、ともいう。おとぎ話化だな。
富野由悠季作品では「人類抹殺の方法」がやはり大きなテーマ。それはここまでも見た。
今の興味は、リアリズムで世界を描き出しておいて、それを物語の中に忽然と消し去ること。『世界は核戦争で吹き飛んだ』と言っても、その大崩壊のシーンを映像に描いたとしても、依然としてその世界の歴史から消えるわけではない。
マジックという用語は富野発言中にもあるのをわたしは知らなくて先日、意外な気はしたが、わたしが知らなかっただけだ。
『――遠い昔の物語。』として、遠い昔の時間流に流し去ってしまう。『ディアナ様、また明日』なら、そんな明日に続くいつかの夜にこの世界を置き忘れる。