セイラ・ライラ
この∀の癒しにも、『パズルボブル』のボブルを「ボルブ」とか、デスクを「デクス」とか、富野文に特有の誤記がある。小説作品中にも時々みた。なぜかはわからないが、癖のようらしい。
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この∀の癒しにも、『パズルボブル』のボブルを「ボルブ」とか、デスクを「デクス」とか、富野文に特有の誤記がある。小説作品中にも時々みた。なぜかはわからないが、癖のようらしい。
富野文のこの、カナが時々入れ替わることはずっと前から気づいてはいたけど、わたしは自分自身のキーボード癖を思い出してもたんに「ワープロの打鍵がおぼつかない」みたいな素朴なことではないと思う。口で、普段喋っている音声処理のパターンが、書き文字にもキー入力にも現れるものだ。
わたしの癖……とここで引き合いにすると、キーボードはローマ字入力で長年していても「さ」(sa)を「ざ」(za)、「は」(ha)を「ぱ」(pa)のようにキー配置からは考えにくいミスをし、二十年も前から気づいていても癖が抜けない。意識的にわかって自分の手を観察していてもスッと手が間違うのを見ることもあり、無意識に音韻的な偏り、圧がかかるのは訓練ではなくて個人の脳の仕組みに由来する。人によっては、プロの作家や文筆家の中でも文章は音声よりビジュオ・スペーシャルな処理をしてると見て取れる人もいる。
富野文は、御本人の風貌からも意外ではないと思うけど、ヴィジュアルの仕事をされてるのに本人はかなりオーディオな人だ。バルブがバブル、ベリルがベルリになるくらいは「いつもの」と感じるが、小説の最中に登場人物の名前がそれで変更になるなど、前回では「カブジュ」が2巻の途中から「ガブジュ」に入れ替わっていくような、キャラ名をうろ覚えの結果そうなったとは思いにくい。一、二度と手が誤るのを気づいても直さずに原稿しながら「こっちの方が口に乗せて面白いから」変えてしまっているみたい。
それとまた少し違うはなしで、この『∀の癒し』で印象的に覚えているのはサンライズだバンダイだという話の中で、
この文句、ガンダムからララァまではわかるけど、なんでそこで「ライラ」?と、読者は思うと思う。ジェリドの尻を叩く姉御パイロットのライラ……が、そこであまり念頭にあるとは思わないけれど、ララァだライラだ、という、口馴染みするライラのキャラ名についてはガンダム以外の他の作品にも出てくる。
文章の意味でいえば、ここのライラの場所にはまりそうな典型的なガンダム女性の名というと、しばらく考えて……キシリアって意外に富野監督の中では肉感が薄いんじゃないか、商業的にも……ハマーン? ハマーンの名前がライラ(『王の心』ではカロッダの女王)と響きとして代替可能のような想像は、ちょっと面白いじゃないか。
わたしは富野作品にかぎらず、エッセイ作品というのはこうした文章や文字の飛び跳ねをよく読んでいるようでもある。〈思想〉なんてものは、〈思想は伝達可能〉と世間一般では思われている程度には、コピーは可能。
ああ、いや、ここは「セイラ」か。文脈からはセイラだろうな。まあいい、もう書いたし。
……ライラをセイラとすれば音韻よりはっきり視覚的だ。誤植ではないのか?
ララァの響きとセイラの名前が、衝突したんだ。ちょっと感動的な発見。わたしは今まで気づかなかった。