かとかの記憶

富野由悠季 周回 / 263

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katka_yg 2025/07/13 (日) 22:24:04 修正

スーパーサイコ研究
心理・対心理戦とサイコミュ
posfie

恋愛とサイコミュ戦争でなくて、「恋と狩り」をいっしょにするのも古くから型としてある。わたしは最近ずっと追っていたのがタニス・リー作品で、ヴァンパイアリズム、フェミニズムな話ともやはり関係するかな。

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    katka_yg 2025/07/16 (水) 07:45:44 修正 >> 263

    今回の通読でわたしの読み方が大きく変わったのは「蓋然的な言い方」と「サイコミュで嘘をつくか」のこと。知らないかというと、読み初め頃に印象として挙げているくらいだから知っていたはず。
    そもそも、わたしのそれは富野作品についての関心ではない。幻想文学のほう。

    「富野作品には出てこない」と言っていたのが、どこかの時期から懐疑的に挿入されるようになり、のちに重要テーマに収まる、と考えるようになったらしい。求めれば古くから跡は見つかると思うが、「新旧のファンで態度が違う」ことも知っていて、やはり作家としての変遷はあってそう見えているだろう。

    かなり最近で、ほんの5月頃まで「ニュータイプは嘘がつけない」の線でおおむね考えている。Vの間にもカテジナ等あえて話題にしてないが、「ゴレンゴンは嘘つかない」「でもジャコバは信用ならない」あたりで言い方を変えているようだ。この間にル・グインを確認しているので、やはり引かれたかな。

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    富野監督自身が、すっかり変わった、以前はどんなに間違った一本槍だった、と言っているのは『∀の癒やし』中で、そこはブレン∀で変わったというよりは、変わる理由はそれ以前にも求めている。

    作品中にどう変わったのかについては、「白富野は明るくなった」というのは漠然とあまり当たっていない。∀は正攻法で行く等の方針がそう見られているので、グロテスクなところ等はべつにやめていないし、皆殺しは多用すると飽きることは昔から言っているのではないか。

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    ル・グインは、偉大な作家だし文学史的にも大事だが、ル・グイン自身が洗脳電波のようで「信じるな」と念を押し続けるのがやはり難しい。「ダンセイニを信じるな」はジョーキンズを信じない程度にたやすい。ダンセイニの方が偉い。

    富野監督は、「富野を信じてはいけません」というと仕事にならないので言えないのだが(と言う)、こんなものを見てはいけない、あまりにひどいので愕然とした(というと皆が驚いて見にくるのだが)、との言いを繰り返すことで信者を増やしている。

    そりゃあ、そうかもしれないが、そういう言い方はないでしょう……というときが「そういう言い方」のサンプルになるわけで、わたしはそれを続けて追う。
    富野発言を信じないことを疑うのがなかなか難しい。「もしかして本気なのではないか?」と疑うとリアルロボットアニメがシリアスにさえ見えてくる。現在ご高齢とはいえ、生きた驚異だ。