マリア・アーモニアの文化
「フォンセ・カガチという人の名字の由来は知りませんけど、マリア・アーモニス、ギロチン、ザンスカールという名前だけでも、動機は発見できます。東洋と西欧をミックスしながらも、独自の新文化を構築したいという衝動をかんじます」
このまえ先立って触れた、マリアの名前についての話。この小説Vの最初のほうでは、マリア・ピァ・アーモニアストとか、アーモニスとか、一定しないけど、オフィシャルには「マリア・ピァ・アーモニア」。わたしはわたしなりに古代とか、宗教史、思想史のジャンルに興味がなくもなくて、アーモニアとかハルモニア、組み合せてマリア・アーモニア、のような造語の響き印象が、わかるといえばわかる。
それはわたしは専門でもなく、また知りたければ調べればいいことだが、ここの話に限っては、ウッソが思うほどフォンセ・カガチにそんなロマンとかミスティックな信念があって打ち立てているわけでもなくて、カガチにとってはこんなもの「安手の新興宗教にいかにもありがちな、作った名前」という侮蔑的な気持ちが入っている、だと思う。その話がこの後にあったようにも思うけど……あとで探す。
その点で言えば、マイッツァーとシャルンホルストの趣味で決めてるバビロニア・ファッションというのはまだまし、それ自体は本人が好きだからやってる真摯さは認められる。もっとも、軍服やモビルスーツのデザインはともかく、政庁の外観をジッグラト状に改築するなんて流石に誇大妄想的で駄目じゃないかと思うけど……ズム・シティとどっちがいいかは、どうか。わたしはズム・シティの方がましだと思う。
「カガチ」の名前については、わたしはわからない。日本語の大蛇とかそういうイメージではないのかな。ヤマカガシみたいな。
通報 ...
投稿するにはメンバーである必要があります。
コスモ・バビロニアのどのへんがバビロニア様式なのかは、わたしはよくは知らない。教科書的な知識でしかしらないけど、マイッツァーの古代趣味にしてもシュメールとバビロニアの区別をしているほど、それほどそこにこだわっているわけではないだろう。
あくまで1990年代時点での、古代メソポタミア的なイメージで行きましょうという設定だ。
鉄仮面の特徴的な顎の突起(あごひげ)は、サルゴンのような時代の大臣達、貴人像の造形の様式、トレンドで見たことがある。それがたしかではないけど。
こういうのだな。宗教的な熱心さ等は、いま無関係に、見た目。
『シュメール』(人類の美術) パロ、から。アスマル出土、アブ神殿のファヴィサから発見された彫像群(礼拝者たち)。前サルゴン時代。当時の宗教信念にもとづいているわけでは必ずしもなくて、美術としてこういうスタイルが好きなのかな、と。
それでマリアにもどると、そうした趣味嗜好のファッションであったり、もしかすると冗談や悪意に発しているネーミングかもしれないが、それが宗教になってそれで既に生活しているマリア信者にとっては、世界観で、お互いに会って「マリア・アーモニア」と言い交わせば「スコード」「ユニバース」くらいには挨拶として通じよう。アッサラーム(平安あれ)くらいの意味は含まれてはいるから、問題はなくて、良いこと。
それがまた走って、
「やっちまったぜ! マイ・マリア!」
「ハイル・マリア・イン・アメリア(くたばれ)」
のような用法や文化が独自に派生していくかもしれないが、それはもう知らないことだ。