かとかの記憶

富野由悠季 周回 / 70

281 コメント
views
70

Vガンダム3まで。『ガイア・ギア』のときに少しだけ掠めたが、モビルスーツの空戦描写はこの小説Vガンは面白いと思ってるのだけど、それは一瞬ですぎ、3巻の内容はすし詰めでアーティ・ジブラルタルからあれよあれよの間にカイラスギリー艦隊とぶち当たり、それ自体前代未聞の椿事を高速で飛ばして子供達のサイド2まで行ってしまう。しかも、その高速進行で肝心のドラマを飛ばしている気はしないのが結構すごいところ。

まあ読者によってはそう思うかもしれない。間に挟む富野ドキュメントが「余談」「脇道」と思って、ストーリーの筋道と関連づけられないで読み飛ばすというのは……むしろ大半かもしれないけど……、ここはべつにそんなファン同士の安易さや馴れ合いは関係ない。著者に体当たることで、わたしは長年フレンドもフォロワーもゼロでする通読は作業だ。

通報 ...
  • 71
    katka_yg 2025/03/30 (日) 12:52:04 修正 >> 70

    上でもふれた「言葉」や「道具」のような個々の話題は、こないだのシオの文学観のような一連の続きでもあり、それは小説媒体だから挑んでもいるので、アニメのキャラが出ないとか、キャラの代わりに富野の思想を代弁しすぎ、みたいな読者の通念からは踏み込んでこない。わたしは話し相手がいない。

    もっとも、ガンダムはロボットアニメで、レーベルは角川スニーカー文庫で、読む層は上から下まで無差別な想定のガンダムの場で、富野が『子供相手に子供騙しはしない』と言ってたとしても、最初からジュブナイルの枠を超えて十代の読者に分からない話を説明抜きにするのは大人げなさだ。

    ジュブナイルというのは子供騙しの意味ではなくて、ジュブナイル自認でも必ずしも恋や冒険や成長を描かなくてもいい。恋や冒険や成長は、そのテーマなら十四歳とか十七歳という年齢でも未経験で十分に受け止める、というレーティングにすぎない。というのは、先日もで書いた。個人の嗜好では、四十歳や六十歳がジュブナイルを読んでいても全然構わない。

    一方で、この作品の主題の感情はせめて二十歳くらい…という読者の制限もときには求めないと、無造作に踏み入ってきた層には、それを価値あるものとして受け取ってくれないだろう。青少年の保護よりも作品保護の意味で。

    実年四十でも十五歳水準で停まってる人もいるし、五十歳感覚で居ながら社会的見地からレーティングを意識してジュブナイルを語っている人もいる。その二者は一見おなじに見えることがある。1970年代から80年代、90年代というのは事実として野放図の感はあっただろう……のような思いは浮かぶ。わたしはガノタというよりは、ファンタジー文芸一般のうち富野愛読者あたりに退いてる。上の線引きがあって不毛なやりあいに混ざる気がない。