この星で生き続けるために
「東方からここまでこのグラウンドを観察して、つくづく厭になった。果てしない砂漠につづく砂漠……砂漠でなければ、火の山だ。その噴煙さえも、天空に舞い上がって、雲になることもなく地をはうのだ……バイブルで語られたような海というようなものもない。このようなところで、未来永劫に人が生きていくためには、機械の力を借りてグリーン・テリトリィを存続させるしかないのだ。王子よ……機械は偉大だ。われらドウガロの機械力をもってすれば、グリーン・テリトリィを拡大させることもできるかもしれんのだ」
ドウガロのシンシア。ここの、『このようなところで、未来永劫に人が生きていくためには』の節に少し気になる。1995年。もっと後、Gレコより後の最近の富野インタビュー等にもこれに近い発言は度々あったりするが、そういうときどういう意味か。ネットでファン語りにするときには『21世紀以後の富野は宇宙進出を否定している』という富野論のために引用されることがよくある。
- 現代の技術レベルから宇宙開発、火星進出などを口に上せるには時期尚早、現状から夢までの間を考えずに一足飛びに未来を描く幻想は空虚だ
- 将来にどんな革新があるとして、宇宙の夢が現実に近くなるにはまだ五〇〇年はかかろう。その五〇〇年、人類は地球上に命脈を繋がないといけない
そういう文脈は適当に裁断して、人は大地に立つのがよい、健やか大事、御大の落ち着いた結論よね、という"富野フォロワーの発言"はしきりに目につく。でも、仮に富野発言を権威の根拠に何かを言いたいとしても、わたしはテキスト批判は自分単独で続けていることゆえ、それは信用しない。
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それより以前に、公刊されているテキストにも読者が見てわかる誤脱字が目立つので、まずテキストを補訂しよう、それが第一だというのが、ファンとしてはわたしの現在の感想。人類が富野ファンでなければならないかは疑問だけど、それであって悪いはずはないと思っている。
ブレンパワードまで今読みたいけど……小説ブレンは小説として文章(文体)の楽しみが乏しいので資料程度でしかない。面出明美氏のせいとは言いたくないが読者としてはそう。
それとべつに、「皆で手をつないでオルファンに呼びかける」のような話自体が嫌いなのは今も変わっていない。オルファンは人類と共存するために迎えられたのではなく、しばらくこの場に留まって、やはり宇宙にはやがて旅立つと思うよ。