この間、久美沙織の小説ドラゴンクエストやソーントーン・サイクルに寄り道していたけどそのモデルにあるのはリー作品でいえばこの頃のジュブナイルか「平たい地球」だろうとはわかるもののこうではない。ジュブナイルかアダルトかの違いもあるか……。91年頃に時間をずらせばリーはパラディスの頃になり、その頃には創作の質が変化し始めているんじゃないかとも。
『(第二妃は)自刃して果てた。ひとたび激情に駆られればシャンサーの女はかくも性急に
英文を読みながら半ば意識せずに日本語の訳文を想像しているようなときがあるが、英語の小説を読むときはできるだけ日本語は頭から排して読むべきである。でも少し手を動かしてみれば、自分で読んでもぎこちなく、不満だ。身の入らないことだ。この章も陰謀の内容は古めかしく牧歌的なとはいえ、括りの文章は惨酷ではっと息を飲む。
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詩人なんだよな。巧妙で思いも寄らない奇計、逃げ道のないほど張り巡らされた策略、のような気はしない。怒ればかっと頭に血が昇って前後の見境もわすれてしまうし、酒に毒が入っていたらまんまと罠にかかるとか。それではなくて、感情の動きにフォーカスがある。
海賊を制圧するいきさつは違うが、エピソードはカエサルを連想しなくもない。Kesarhのキャラクターはそれと全然違うと思うが……? 印象は憶えておこう。