大体、「アニメの設定資料として読む気はない」と言っているのに、やはり退屈してきたか。富野文とは……とは、あまり言わないようにしたいけど、その抑揚(アップダウン)なくてあらすじだけを追っていると支離滅裂な話すぎる。
正気と狂気を行き来している間も敵対心は曖昧で、戦闘するつもりがあるのか、ないのか、よくわからないままに不慮の激突!してしまい、勢い余って墜落!したところであまりに場違いな少年がトコトコやってくるので、ハッと正気づいて「花かい?」と前後の脈絡も抜け落ちた昔話をしだし、それでは流石の伊佐未勇も当惑する――
ズゴッドウ!とかシャッ、シャーッ!みたいな富野擬音で間の行をもたせてくれていいんだぜ、と思う、逆に居たたまれなさかな。冗談やってんだぞ! 淡々とやるな! もともと前後が追突してグチャグチャな劇だから、もっと気が狂ってほしい。だめか。
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自主的に読んでいるくせ、富野原作で富野欠乏症に苦しむようでは余程だ。よそう。
わたしは90年代のアニメのノベライズは、ここ数年なぜか何冊も取り寄せて読み返しているけど、この頃のアニメ脚本家の人の書く「小説」には共通して特有の苦手さがあり、その理由も世代的にわかるが、その話は今すまい。