旧16終わり。完全版ではこのまま章が続く。夜間、ドラバロ城塞の背後を衝く。
旧版での騎馬隊の発進までのアマルガンとのやり取り、リンレイからの見送りのところは省略。代わりに完全版ではしばらく後の方に山岳小説めいた岩場のパートが詳しく補充される。
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旧16終わり。完全版ではこのまま章が続く。夜間、ドラバロ城塞の背後を衝く。
旧版での騎馬隊の発進までのアマルガンとのやり取り、リンレイからの見送りのところは省略。代わりに完全版ではしばらく後の方に山岳小説めいた岩場のパートが詳しく補充される。
ロマンチシズムの中のセクシャリティ
ゲリィについてとハロウについても回想あったが、今はリンレイに対して。ここでは迫水のロマンチシズム。「ロマン」というのは、世の中にある俗な言い方を省いて今言えば、「自分は何のために生きるかについて思うとき、それを、何に対して情熱を燃やし命を賭けられるか、とする態度」だと言ってみる。人間は必ずしも、それほどロマン的に生きている人ばかりではないかもしれない。だが、その生き方を選んだ人ならそう。
『リーンの翼』のこの章では、迫水の「青年のロマンチシズムのような思い」には男性として女性への情熱が不可分にある。ゲリィやハロウのことも今思えば、迫水はバイストン・ウェルに来てようやく青春に出会えたのだ。完全版では、「セクシュアルでロマンチックな」と言い足してもいる。セクシャリティという語には上で一回触れた。
迫水としてはこれから少女リンレイに全情熱を投入していきたい上で、彼女の猥雑なイメージをあらためて心の目に焼き付けながらも、
まず俺は高い男にならなければと決心するところで、完全版では、
「女の魔性」を「女性性」に言い換えてきた。迫水に「女性性」などいうボキャブラリーが元々あったのか怪しいが、上の文脈ではよりポイントを押えた言葉だと思う。迫水感覚ではそれでも女の魔性と言ってしまいそうな気はするけど、そんな女性観をすでにゲリィに笑われたことでもあり……。こうした処々は、女性の読者にとっても『リーンの翼』は読み返しに耐えるところだとわたしは思ってる。