話は少し戻り、『∀の癒やし』中で富野評になる菅野よう子像には、「天才肌、才能」「女性の生理(感性)」もあるが、「アニメが特別なものでなくなっている世代」ともいう。そこは谷村新司についてと併せての章で、富野監督の立場からそう見ているのはわかる。わたしらからすると、どういう意味なのかは注意したい箇所ではある。上のような話。
それも、今にならないとわたしは思わなかったろうから、そのつど書き込んでいくだけだ。ネットに菅野よう子評というのは多いと思うから、わたしはそれに深入りせず。
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