「守るだけでは勝てないから」
旧43新28 フェラリオの刺客
見えない敵から一方的に攻撃を受けているとき、『防御で、勝つことはないというのが戦いの原則である』とする。だから攻めに転じる。正体のわからないものへの恐怖を払う方法は、攻撃に転じ、一刻も早くこの事態を終わらせる以外にない
これは新旧版ともに同じく、ここまで戦ってきた迫水には皮膚感覚にまで染み付いている。1985年の時点で戦いの原則として書かれていて、2010年でもあらためて書いている。そのあとでたとえばGレコのベルリが作中の戦闘の折に「守るだけでは勝てないから」と叫んだとして、たしか当時のネットの言説で「Vガンダムでは終わりのないディフェンスでいいと言っていた富野はポジティブになった」のようなものも見たことがあるけど、読者としては素直に間の経過が抜けてることはわかる。読者・視聴者は自分の見たものから判断することはいつでも許されるのであながち間違いではないが、資料はある。
富野作品中に時おり語られる「戦いの原則」「戦場の哲理」については一度リストアップしてまとめようかと思いながら、実入りが薄そうでしていない。富野の独創とは全く限らないこととか、内容が怪しいことはたびたびあるが、作中に出たものとその出所。「守るだけでは~」についてはその一つだと数えるのが今はよい。
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ざっと考えても、術理と哲理という作中の扱いのちがいがある。
たとえばここでは、『地摺りの足さばきは、かかとで地面の障害物をさぐるようにする後退術である』とあるのは、だいぶ前の章でも同様の足さばきの説明で見たと思うが、あくまでこれは術のうち。
意味としては「攻撃は最大の防御」というのがもっと人口に膾炙した言い方だ。日本軍の攻撃精神、でもいい(戦陣訓、1巻4章に既出)。
迫水は生死の境をくぐり抜けて肌に染み付いているというが、ベルリの当初のそれは、恐怖にひしがれそうになりながら教科で教わった原則にしがみついた、しかないだろう。ベルリが哲人だとは言ってない。
出所を求めるには戦陣訓とするのがよい。