完全版では、『コモン界には、一神教的な神という概念はなく、百仏、千の仏という概念である森羅万象それぞれの事象に神性が宿ると考えられているのだから、』と、たぶん妥当ではあるけど、新旧を較べれば言い方はずっと弱くなっている。
『神性が宿る』と『神である』は違う。『神の降臨である。』はとんでもなく強い。
コモンは多神教だから、空飛ぶ聖戦士はその神格の一柱に見えた、という言い方だ。またそれについては、迫水には「八百万の神」も自分の口で説明できなかったよ、というところ。旧版が惜しい。だがリーンの翼を世界の神とまで言い切ってしまうと完全版の後篇に続かなくなってしまうかもしれない。
余談
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リーンの翼を神と言い切ってしまうと完全版後篇に続かないというのは、バイストン・ウェルの人々にとっては神のごとき世界の意思の体現者として顕現するには違いないけれども、もう一方では、人に使われる「道具」としての在り方をやめることはないから。
道具または「機械」とまでは言いうるかどうか。これは後でジャコバ・アオンの言い分などを読んで考え合わせてみたい。