katka_yg
katka
2025/12/07 (日) 14:23:23
「69 ベッカーラの炎」(旧)
「43 ベッカーラの炎」(新)後半
コム・ソムが空から撒くビラについて、旧版では、『勿論、印刷の機械などはない。』として、
文字の書ける兵に簡単な警告文を書かせて、それを撒くのである。
完全版では、
携帯できるような印刷機などはないのだから、麻の繊維で漉いたうすい紙に煤を油にねりこんだ被膜を付着させたカーボン紙をつかって、ビラを複写するのである。
筆圧を強くすれば数枚同時に謄写できるのだが、それでも数百枚という数になれば、文字の書ける兵士たちに総動員命令がだされたりした。
文字の書ける兵士がカーボン紙を使う。それも、「携帯できる印刷機」がないので、印刷機自体はこの世界にすでにあるのかもしれない。印刷機については後の巻の展開でさらに触れられていたような気もする……どうだったか。
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わが恋は火中の車 かた輪ぐるまよ
ただに怨を載せて燃えける
完全版では「火中 」「怨 」にルビが書き足されている。「うらみ」ではないのか。歌に対する迫水の感慨は新旧で異なる。
旧版の「体験できた」についてはこれまでの「ロマンチシズム」等を引いて、迫水は地上で体験できなかった青春をバイストン・ウェルにきて始めて得られたことと、また小説執筆当時(80年代)の、1950年代や60年代生まれの戦後世代にとって自分らは「体験」から切り離されている、何もない、という一般的な風潮も思わせるだろう。
それはいいとして、2010年の解では「それを悪しきものにしなかった、よかった」という総論にして穏やかなものだ。当たり障りのないくらい。そのどちらを採るかには、今後まだ論じたいことがあってもいいだろう。
歌の真意なら、やるせない怨みを込めてでも激情に生きたい、生きるべきこと、じゃないのか? それはまだくり返していい。