わが恋は火中の車 かた輪ぐるまよ
ただに怨を載せて燃えける
完全版では「
〝そういう恋もあった……そういう肉の関係もあった……なによりも、自分は、それを理解するだけでなく体験できた……これは、
尊 い……〟(旧)
〝そういう恋もあったろう……そういう肉の関係もあったろうが……なによりも、自分は、怨みごとはなかった……それは嬉しいことだ……!〟(新)
旧版の「体験できた」についてはこれまでの「ロマンチシズム」等を引いて、迫水は地上で体験できなかった青春をバイストン・ウェルにきて始めて得られたことと、また小説執筆当時(80年代)の、1950年代や60年代生まれの戦後世代にとって自分らは「体験」から切り離されている、何もない、という一般的な風潮も思わせるだろう。
それはいいとして、2010年の解では「それを悪しきものにしなかった、よかった」という総論にして穏やかなものだ。当たり障りのないくらい。そのどちらを採るかには、今後まだ論じたいことがあってもいいだろう。
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歌の真意なら、やるせない怨みを込めてでも激情に生きたい、生きるべきこと、じゃないのか? それはまだくり返していい。