「見返りがほしいんだ」と訴える時の迫水がそれだともいえる(旧13)。また、昨夜のうちに一度気がかりながらそのまま過ぎたが、前章「城掛り」の冒頭あたり、迫水の「開き直り」についても新旧の内容に差異があり、ここは旧版のほうに強く見えることだと思う。
〝靖国神社で会おう〟という特攻青年の、バイストン・ウェルという異郷で死に場所を求められるかの覚悟について、
これは、一見、当り前の考え方でありながら、重要である。人は、己のためになら死ぬことはできる。人は、身内を守るためには死ぬことはできる。人は、信じることのためには死ぬことができる。が、他者のために死ぬことはできない。
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これは富野話題と別箇に、独自のテーマに考えるべきだな。例の「僧兵と覆面」のような宗教と戦争の関心にかぎらず、また中世仏教よりも根深くあるということだろう。ここでは、精神土壌といったか。
中世仏教については、そのためのストーリーを当時に語るための努力だといってもいい。それは時代の特色だ。