かとかの記憶

いつかまた会えるということ / 1

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katka_yg 2025/07/25 (金) 11:56:02 修正

『いつかまた会えるってガンダムが言っている』の言い方の思案。ジョークの改変ネタ集よりは富野作品への索引として使う。可愛くて気に入ったら順に書き足す。

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    katka_yg 2025/07/25 (金) 12:01:38 修正 >> 1

    人の心がわかる場では、「彼の気持ちがわかる」「気持ちがわかることも彼に伝わる」の鏡合わせの共感がとめどない連鎖になって、歓喜ともうどうなってもいい感情の堰を越える。そのときには性的な充足感、セックスと区別がないともいう。

    その体験がやがて退いていく跡には、泣いて引き止めることはできないのだろうけど、やがてまた新たなくり返しを求めていく、とする。戯れのバリエーションの中には、歪で恐ろしい変形をすることもあるとしても、「ガンダムは何も言ったりしない」のような元の態度にはもう戻らない。ガンダムが言うのはもはや言うまでもないこと。

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    katka_yg 2025/07/25 (金) 12:12:40 修正 >> 2

    「戯れ」の意味は、言葉を二重の意味で話す。これをサイコミュで彼に伝える。

    私(僕)を見て、でも見ないで
    信じないで、でも信じて

    古歌の伝統的に、会う(逢い)には性的な含意が当然としてあるが、現代のアニメを見るのにそんなことを考える人はいません。作為としてはいやらしい・後ろめたい気持ちよりは、マチュをモデルに最強のニュータイプ戦士を考える、ニュータイプへの憐憫態度を斥けることがある。素直な気持ちになっていけないとは言っていない。

    言葉を道具として使うことについては、イエロージャケットの言葉使いシャクティ語会話等々。