ミイヤの祭りについて、冬至の祭りと豊穣儀礼という話題なら近代の宗教研究の分野から膨大な言及が得られるだろう。しない。
ドームポリスの住民に大地の恵みに思いを寄せる心性があるとは思えない。ドーム住まいのピープルと化した現代人と、イベントとしてまるで古来土俗かのような謳い文句の祭のちぐはぐさは作中のこの「イズム」には折込みだろう。ゲインのシニカルな目線が向いていそうなところ。
鑿と金床
「ミイヤの祭り」の歌詞の中で面白いのは
鑿と金床
持ってさえいりゃ
もっと遠くへ エクソダス
突然、なんで鑿と金床? のように不思議ではある。中世文化史のような何かイメージがあるのか……。文意では、「もっと遠く」だから手ぶらで出発するより鍛冶道具があるか、鍛冶師がいればもっと本格的な路上生活ができるわ、という意味だな。
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そういうのはたとえばラスタファリアンとかいうんじゃないかな。
ミイヤ運動にはそれに付随して麻薬のようなイメージはない。ヤーパンのエクソダスは規律には厳しい。エクソダスが失敗し、路上で立往生となると悲惨な結果になることは知られていて、計画の決行にはリアリストの請負人がつく。
「路上の人」といえばわたしはいささか別の連想もする。それは中世文化史、というほう。
鑿と金床でする作業ってなんだ……? 蹄鉄打ち、とまず思い浮かんだがシルエットマシンのイメージじゃない。それも古い時代の、その世界なら馬でもなく毛長牛のためのそれかもしれない。