かとかの記憶

宇宙説話 / 29

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katka_yg 2025/08/02 (土) 11:59:44 修正 >> 27

富野本の舐めレコの中にエーコ『薔薇の名前』(1980)が引いてあって、まず「全く理解できない」「Gレコとは一切関係ない」と先に断って話をするいかがわしい富野調で始まる。無関係の本の中でお勧めはするが、矛盾はしていないつもり、という。

今それとも直接ではないが、わたしはたまたま昨年、堀田善衛『路上の人』(1985)を再読していて上のストーリーとどうしても連想はした。両方の中にある、アリストテレスの逸失した喜劇論(詩論)や、「笑いは禁忌である」という中世の考え方を引いておいて、富野文では「とんでもない考え方」という言い方をする。

路上の人 katkaさんの感想 - 読書メーター
路上の人。読んでいるのは堀田善衛全集8(筑摩書房,1993)からですが、整理の都合で適当に分けます。作家色々による「わがドン・キホーテ」……「スペインもの」との連想続きで、直近のわたしはドンキホーテそのものではなくダンセイニ「ドン・ロドリゲス」(影の谷年代記)でしたが、まず思いついたのがこちら……堀田善衛集は明月記私抄や方...
読書メーター

「笑いを禁じる」というと、現代日本一般の読者は即座に反応して、大ブーイングをするのは間違いない。とんでもないことだ!という、そんな当たり前の同意・共感なんかは今ここでしないが、そんな「とんでもなさ」については、この同じGレコ本の後章「ユーモア感覚の醸成」の中に、

ユーモアを〝笑い〟と捉えた瞬間に、失格である。

ユーモアはユーモアである。ここでとんでもないことを言っています。どういうことなの? とは、本文を読んでもやはり分からないと思うが、これはわたしに読んでみる価値がある。らしい。

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