牧村とまゆりちゃんが登場したところでストーリーの興味が一挙に薄れてしまった。前の章で人物を仄めかしてあった時点で「探偵登場」の展開は予想できたけど……。わたしはミステリには向かん。
この感覚は、むしろ『バベルの薫り』のときに譲次が一挙に解決にかかるところとか、『月光のイドラ』で爆発炎上するとかの印象をまたなぞっているみたい。ミステリの定型にわたしの性格が向いてない、の反復だろう。BLは適性か文芸か、の件とも、コンピュータ降魔の時代変遷とも、それは関係なかった。
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牧村(槇菱湖)のプロフィールが紹介された時点で、まだ事件が始まってもいないのにあらかじめ察して敵意を覚えるという読者だから。
コンピュータ降魔については、西谷史のデジタル・デビル・ストーリーはその理論について書かれるのは旧シリーズの一二巻くらいで、それは伝統的な魔術の儀式をコンピュータで再演するとデータとして悪魔が降臨するというアイデアで、当時の解説にもあるようにそこには「飛躍」がある。ディスプレイから悪魔が現実に実体化するについては尚更、そこに「なぜ」はない。
そのあとは伝奇バイオレンスの本領発揮になる。野阿梓は流石にその「なぜ」にこだわる。作家の個性のちがいは無論だけど、80年代と90年代の環境のちがいは大きいだろうとも思うので、今較べてみるには面白かった。そのテーマにしても、他にもっと読まなければならない作品は、まだあるだろう。わたしは取っかかり。
第一の「飛躍」はそもそも、古来、魔術の呪文や儀式によって悪魔が召喚されるのは、なぜか、について。そもそも、悪魔とは何か。それらは措いて、とにかく手続きを実践すれば間はブラックボックスでも悪魔は出てくるという。作者というか、少なくとも中島朱美はそうだ。中島に思想はない。
野阿作品にもどって、本作はこれからオカルトの解説にもなるようだから、最後まで読もう。
わたしはBLや猥褻に向いていないとは思わない。ポルノに性はない。耽美は技術だ。野阿梓作品は現在最新作まで揃えたので、まだ読む。ミステリには向いてないと思う。
牧村が第二の被害者として次に襲われるようなダーク展開だったらわたしは驚くが、でもそれは意味わかんない話だな。BL専門レーベルで女性が襲われて何になるんだ。
『バベル』の孤悲は、小説始まった時点でそういうためのキャラクターだというのは、わかっていたけど、『バベル』ではBLがルールだとはあまり思っていなかったし。
「BLで女性が活躍するのはいやだな」のような気持ちがはたらいていたみたいで、それは、ほんの先週まで『緑色研究』だったしな。野阿作品の感想をさかのぼれば、わたしはキノ・グラースが好かないとも前に言っていたのもあり、その臭いを早くに察したんだろう。