現場の兵士はT-72を好んで使ってた→T-80は高級高性能なため、配備先が精鋭師団に限定されてる。なので一般の現場にはT-72しか来ないため装備を選べることなんてない。諸々の信頼性問題でT-80を嫌がってたのは事実→だから信頼性を担保した上で必要な出力、航続距離を持ったT-80UDを実用化したし、それより前なら出力以外でT-64BはT-80Bとほぼ同等の装備、装甲で、エンジンも76年からは運用保証時間500時間に達し信頼性は十分。上のレスでも言ったけど5TDFはT-72のV-46エンジンより信頼性に優れる。現場という場面でその場に必要数居たことが肯定されるなら、そもそもT-72はT-64より高い(前述)しFCSがポンコツ(前述)で装備体系に混乱を引き起こし、無駄なリソースを消費したため、そもそもT-72が生まれてなければT-72Bの座ははるかに優れたFCS、セラミック装甲(初期のT-72Bは多重空間装甲でKE弾耐性に問題あり)、より整備性の良い車体、おまけに低コストというシンプル上位互換がより多くの数で担うことができていた。そもそもエンジンの信頼性問題も現場が適応してからはそこまで問題になってないし。ガスタービンエンジンは政治のゴタゴタなので擁護できない。実際各国にも大人気で売れた→売れた、というか売らなかった(売るのに消極的だった)方が正しい。ここは東側である。西側の市場とやり方が違う。当時のラインナップに上げることができる車両はT-72とT-64で、シャーシの各部構造を極力シンプルにして現場の負担を減らそうとしたT-64はT-72より整備コストが安い。そして子分に兵器輸出しても自前でオーバーホールまでできる国が一体いくつあるでしょうか?そうなるとソ連がそれを請け負うので、T-64だと維持費が安くソ連に入るお金減っちゃうから輸出に消極的だったというレポートもある。T-72が大量生産/大量輸出されたのは利益追求のためだし、T-72Bに関しては「とにかく安いほうがいいよね」という上層部によって現場ガン無視で10年前の車両より貧弱なFCSが積まれるほどだったので、現場をないがしろにしている人に担がれてる軽い神輿なだけ。ただ擁護するなら、いわゆる武人の蛮用に耐えうる戦車だったのはT-64よりT-72だったのは事実。まあT-55の感覚でより速度が上がって機械的に無理のかかるものを振り回して壊したのを信頼性というのを現場の意見として全面的にのむのは流石に不公平である。まとめると、一部の師団以外に現場にはT-72しか与えられず、T-64は主力戦車にふさわしい性能だったが実用化前は軍上層部がゴネてT-62が生まれ、T-80はガスタービンエンジンを積まなければならないという政治屋に振り回され、T-72はメーカー、産業界の思惑で大量に作られ、T-72Bで軍上層部がまた口出ししてこの世の終わりみたいな性能の戦車を作ることになった。そしてハリコフが順当に信頼性が上がったT-80UDを作ってもT-72/T-80の改修でリソースを食われ、生産は進まずそうこうしてるうちにソ連崩壊。色々な負債を引きずり今に至る。対してT-64は設計段階で現場の負担を軽くしようとされ、実際部品点数や整備性、整備コストも優れていた。足回りは重量を増やす余裕があったが車体の拡張性は無かったのでFCSや水平対向エンジンを引き継いでT-80UDにいたるが、スタービンエンジンの代替で燃費もよくなり当時のドクトリンにも長い航続距離は合致していた。おまけにT-72Bよりずっと高性能。果たして現場を考えているのはどこの設計局でしょうか?そして攻防だけで見たとき、T-64BがあればT-80Bまで要らないし、T-80UDがあればT-64も含めてT-80Uまで要らないと言える性能だった。グダグダの結果を現場では成功と呼ぶのは良くない。彼らにはそれしか与えられなかったのだから。