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「見たわ」
「何を見たって?」
「奥までいったのよ。そこで見たの。第二の壁があったわ!〈モッハ2〉よ」
『かもめのジョナサン』みたいになるのは小説の最初から想像がつくが、不思議なのはなぜ1994年になってそれなのかだ。
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「見たわ」
「何を見たって?」
「奥までいったのよ。そこで見たの。第二の壁があったわ!〈モッハ2〉よ」
『かもめのジョナサン』みたいになるのは小説の最初から想像がつくが、不思議なのはなぜ1994年になってそれなのかだ。
この『タナトノート』をざっと読んで『かもめのジョナサン』だな、と思う読者はそんなに珍しくないと思う。そのうち、『かもめのジョナサン』にもそれほど好感を持っていない人も、中にはいると思う。
『かもめのジョナサン』(1970)は昔のベストセラーで、2026年の今頃に思い出されることは、ほとんどない。わたしは今、こことは別の経緯で去年からル・グインの読み返しをしていて、ル・グインが1979年頃のエッセイでそれに嫌悪感を書いているのを思い出したりもするんだった。ちょうど一昨日まで『所有せざる人々』(1974)を読み終えて続きにこちらを開いているところだから、その気分で辛辣な目が行くらしい。
ル・グインはル・グインで、作家本人が強力なキャラクターすぎて言葉の支配力、読者洗脳装置みたいになりがちなんだよ。
アンディーメンテの人……ジスカルドさん等が当時96年頃(本訳書の出版年)に、これにリスペクトする気分はわたしはわかる。受け方としてはパウロ・コエーリョ『アルケミスト』(1988, 邦訳1994)などが同時的なものだろう。AMと離れるが、このつぎアルケミスト求めてみようか。90年代感覚、面白いかも。
AMの『キレムサ』は巡礼小説、とわたしは以前にも言ってた。『タナトノート』はそんなに教養的ではない、通俗娯楽小説。
『キレムサ』のキャラクターは大半がその『タナトノート』からの命名なんだけど。「巡礼」というのは……キレムサの主人公のリュサンデールの旅の間に出会う人々はみんな、リュサンデールの心の学び、それも道徳的な修練のためになるような、教養的な人物ばかりが出てくる。ストーリーを締めくくるのはエリニュス。
リュサンデールのために何の足しにもならないのはロマンシアくらい。ロマンシアはろくでなし。
だからメインテーマとしては、リュサンデールの物語という体裁を取って「キューブ世界」のコンセプトを説明するためのノベルで、裏テーマは、ロマンシア生きてたんか……という話をした。