ベルナール・ヴェルベール『タナトノート』
原書は1994年の小説。邦訳はNHK出版より、榊原晃三訳(1996年)がある。
小説『タナトノート』からは、初期のAMゲームのキャラクター名などがたくさん引用されている。もっとも、ヴェルベールの作品のテーマや態度がAM作品中に反映している、踏まえているという意味ではとくにない。名前が使われている。AMはAMなのだけど、1998~2000年代前半頃の「当時の気分」を今想像するには大いに楽しんで参考になる。
ともかく30年前の小説で、邦訳で675ページの大著でもあり、引用元の本を読むにあたって逆にAMキャラのイメージを当てながら読んでみるという読み方はべつに悪くない。駄目だと言われてもするだけだ。ここはメモ。
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『タナトノート』からの引用語一覧
小説の人物名をゲームに引用されていても性格や素性につながりはない。人名でない一般名詞もあるが、章のタイトル等の印象から多分元ネタに拾ったと思われるのをリストしておく。随時追記していってあとで辞典記事にリンクする。
登場人物
〝すばらしい女性、アマンディーヌ〟(50の章題)
一般名詞
再開。読み始めて30ページほどで一旦置き、18日間ほど休んだ。このところ併読が積みすぎていて、優先順位の低い本はどんどん忘れていきがち。半年くらい積んでも、進捗書き込んでいればまだ管理できるし。
読み始めに即座に感じるのは、ピーター・S・ビーグルの『心地よく秘密めいたところ』(1960)のようなシチュエーションは連想する。墓場で歓談しているから。わたしは日本人作家なら神林長平『死して咲く花、実のある夢』(1992)が好きだな。わたしは神林作品を周回読書しているからで、それも今とくに関係ない。
トト
16
作中でエジプト神話の引用をしているけど、エジプト神話は一般知識なうえ、『あの世』のキャラクターのトトはこれ由来という気はあまりしない。この訳文では「トート」だし。
『あの世』のトトは、どっちかというとアヌビスの役をしているのかな。最初にまずプレイヤーの名前を訊くあたりは、「死者の過去帳を付ける」ような神話のロールかもしれないな。
第一章(期)、600ページ中の200ページまで読んだ。陳腐で安っぽい小説だと思う。SFかFTというジャンルでは、本作はきっと問題になってない。これはつらいな…
今はAMのネタ元をたどって読んでおこうという話なので、その原作小説についてや、わたしの気分的評価はいいの。なんだろうがAcheronの記事を書くモチベーションになればいいよ。
130
『かもめのジョナサン』みたいになるのは小説の最初から想像がつくが、不思議なのはなぜ1994年になってそれなのかだ。
この『タナトノート』をざっと読んで『かもめのジョナサン』だな、と思う読者はそんなに珍しくないと思う。そのうち、『かもめのジョナサン』にもそれほど好感を持っていない人も、中にはいると思う。
『かもめのジョナサン』(1970)は昔のベストセラーで、2026年の今頃に思い出されることは、ほとんどない。わたしは今、こことは別の経緯で去年からル・グインの読み返しをしていて、ル・グインが1979年頃のエッセイでそれに嫌悪感を書いているのを思い出したりもするんだった。ちょうど一昨日まで『所有せざる人々』(1974)を読み終えて続きにこちらを開いているところだから、その気分で辛辣な目が行くらしい。
ル・グインはル・グインで、作家本人が強力なキャラクターすぎて言葉の支配力、読者洗脳装置みたいになりがちなんだよ。
アンディーメンテの人……ジスカルドさん等が当時96年頃(本訳書の出版年)に、これにリスペクトする気分はわたしはわかる。受け方としてはパウロ・コエーリョ『アルケミスト』(1988, 邦訳1994)などが同時的なものだろう。AMと離れるが、このつぎアルケミスト求めてみようか。90年代感覚、面白いかも。
AMの『キレムサ』は巡礼小説、とわたしは以前にも言ってた。『タナトノート』はそんなに教養的ではない、通俗娯楽小説。
『キレムサ』のキャラクターは大半がその『タナトノート』からの命名なんだけど。「巡礼」というのは……キレムサの主人公のリュサンデールの旅の間に出会う人々はみんな、リュサンデールの心の学び、それも道徳的な修練のためになるような、教養的な人物ばかりが出てくる。ストーリーを締めくくるのはエリニュス。
リュサンデールのために何の足しにもならないのはロマンシアくらい。ロマンシアはろくでなし。
だからメインテーマとしては、リュサンデールの物語という体裁を取って「キューブ世界」のコンセプトを説明するためのノベルで、裏テーマは、ロマンシア生きてたんか……という話をした。
136
文中に「パリのサクレ゠クール寺院」に言及があるけどマーザンのそれのネタ元とは言い切れないかな。
137
アマンディーヌに悩殺されているミカエルは拒否されながら何度も愚かしく振り回される。アマンディーヌは、不安で眠れないからベッドで一緒に寝かせてくれと頼みにきてミカエルには何もするなという、男性にとっては理不尽なことをする。
エレGYがジスカルドさんを誘惑するときはそこまで悪辣な少女ではないが、どっちかというとジスカルドさんが彼女を小娘扱いしたのでエレGYが不満だった。どっちがよいか。
何年前かにそれを読み返していたとき、『不可侵の乙女と一晩同衾する』シチュは魔術師には古来ありうることで、トリスタンのような話の型だ。それからヒントにすると『間に剣を置いて寝る』というアイデアも考えていた。自宅に日本刀がなければ剥き身の包丁でもいい。
どうせ危ない遊びをしているんだから実際に凶器を置いて味わってみるのは、スリリングな思い出になると思う。「友達だから」というんだったら、その話でお互い一生笑えそうだと思った。
ロングドレス
149
結婚式でステファニアはミニのドレス、ローズは引きずるほどのロングドレスを着ている。このロングドレスは『スターダンス』のロングドレスかもしれない。
156
「銀河の中心」という話題はこのあたりで出てくるが、「パートオブフォーチュン」はどこから来たのかな。特定の出典がなくても、占星術には違いないが。
216
またしても天使の名前のリストがある。わたしはこの類のミスティックな精霊名簿一覧が昔から嫌いだ。一人ひとりに各々の権能が書いてあるが、物語としてそれらしい神話的エピソードはほとんどの場合ない。名簿のための名簿、というもの。七十二人の天使とか、七十二人の悪魔とか。
実践する魔術師としては、マイナーな悪魔の諸侯の中から選んで専門分野の者を召喚しなくても、それらの王であるサタンはサタン自身のフットワークが軽く、呼ばなくても現われるほどフレンドリーでもあり、数多い諸侯や諸将の立場をなくしていることだろう。
AMでは「33人のスペシャリスト」という名簿はほんとに嫌っていたのにゲームを遊ぶためとはいえ後にはわたしがそのリストをWikiにまとめ直すことになった。それも移転を経て三回くらいも! 元々こうしたものを嫌っているわたしが結局それに手慣れているとはどうしてか。ここの、この中にはマーザンのマリリンの四人弟子のネコ人の元ネタも含まれている。
黒い光
217
サマエルが発する「黒い光」はAMゲームの技の名になっていることがあるけど、保留。本作以外でもファンタジー作品の中の表現としてたびたび見たことある。
聖ペテロ
217
聖ペテロが登場する。が、AMの聖ペテロはテキスト中では『シー・メル』に遡り、もとはヒルトンの血なし少年の伝説の井村君江訳文から発しているらしい。『タナトノート』由来ではないと思う。
余談だが井村君江せんせいのその独特な訳(血なし少年)はいっときの使用で、2000年頃にはもう別の訳(暖かい血の流れていない少年、すなわち死んだ少年のこと)か、コールドラッド・オブ・ヒルトンとカタカナを採用しているので当時の引用元がどの本かもおおよそ特定できる。とくにそのする意味はないけど。研究者がすでに廃止した訳語が後にも余所に引用されて生き残っている例のように思えてすこし面白かった。AM作品にジルが登場しなくなったので今はどうでもよくなった。
ゲームのエンドロールに引用参考文献と書いといてくれりゃいいんだ。べつに出典が書いてあったってキャラが減るものでないし。フリゲでそこまで格好つけることはなかったのか。格好いいと思う。
マリリン
マリリン・モンローは213、225に二回出てくる。マーザンのマリリン和尚がそれだとは……多分そうだろうと思うけども。
本をぱらぱらめくってランダムに目についた名前をキャラに採用したんだとは思う。後からそれを言い当てるのは無意味だが面白く、ただしあまりに一般的な語すぎて本文中にあってもそれと言い切れないこともある。
275
ハードロックってLUPIAみたいなものかな。
タキオン
296
『オデュッセイア』
303
『オデュッセイア』は最初のほうの章(12)から強調しているし、訳者あとがきにもくり返しているように作者ヴェルベールはこの作品をひとつの「叙事詩たるもの」としている、したいらしいが、AMキャラのオデュセイアがこの文中から取っているかは測りかねる。「ッ」がない。
当時頃のジスカルドさんは多分ホメロスは読んでいないと思う。読んでたら人名としては「オデュセウス」になりそうなもので、何かの文書からランダムに採っただろうとは思うけどそれがこれかどうかは、わたしは言えない。
読了。わたしの感想はひとことで「陳腐」とは上で書いた。