話はここから本題へと入って参りますが、
一旦ここで中断し休憩タイムと致します。
どうかこの視点(仏道者の視点)にたって
これをご覧の学者さんの誰かが
そこのところの研究論文を書き上げられ
学界に発表される時が来ることを
わたしは楽しみにしております。
もう一度、声を大にして言わせて頂きます。
そういった視点で学術研究がなされていないが為に
の項目を見て頂ければお分かりかと思いますが、十分考えられます。
がしかし
ChatGPTは、
「直接的な同一性はないと考えられます。」
と答えております。
すると次のような答えが返って来ました。
『阿含経典』や南伝の「相応部経典」における「五つの要素(五蘊)の四つの変化の相」が、仏教の四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)と関連があるかというご質問は非常に興味深い視点です。以下の点を考慮すると、ある程度関連性を見出すことができますが、直接的な同一性はないと考えられます。
「五つの要素の四つの変化の相」と「四諦」には共通する思想的な基盤がありますが、それぞれの役割と意図は異なります。ただし、両者を補完的に解釈することは十分考えられます。五蘊とその変化を理解することで四諦の教えがより深く実感され、逆に四諦の実践を通じて五蘊を無常・無我として観じる理解が進む、といった相互関係が考えられます。
さらに詳しく理解するには、例えば「相応部経典」や「四諦」を取り扱う仏典の詳細な解説を参考にすることをお勧めします。
そこで、ChatGPTに次のような質問を投げかけてみました。
質問文: 『阿含経典』南伝相当部経典 蘊相当で説かれている「五つの要素の四つの変化の相」ってもしかして苦諦・集諦・滅諦・道諦の四諦の事ではありませんか?そういう事は考えられますんかね?
ここで示されている「四つの変化の相」ですが、
これってもしかして
四諦のことでは?
と、仏道者視点で物事を捉えるわたしなんかは思ったりします。
以下の回答文が返って来ました。
『阿含経典』の南伝版であるパーリ仏典「相応部経典」(Saṃyutta Nikāya)の蘊相応(Khandha Saṃyutta)では、「五つの要素(五蘊)」の性質とそれに伴う「四つの変化の相」が説明されています。五蘊と四つの変化の関係を以下に整理します。
これら五蘊には、以下の四つの変化の相(anicca-lakkhaṇa)があるとされます:
生起(uppāda)
持続(ṭhiti)
変化(vipariṇāma)
滅(bhaṅga)
これらは仏教における無常(anicca)の教えを具体的に説明するものであり、五蘊は常に変化し続けるため、それに執着することは苦しみを生む原因とされています。
上記の教えは仏教の修行の基礎として重要であり、五蘊とそれに付随する無常性を理解することで執着を手放し、解脱への道を進む助けとなるとされています。
では、ChatGPTに答えてもらいましょう。
質問文: 『阿含経典』南伝相当部経典 蘊相当で説かれている「五つの要素の四つの変化の相」を具体的に教えていただけますか?
ここでは、その「四つの変化の相」は紹介されていません。
今日のポイントはそこではなく、
この五つの要素の「四つの変化の相」にあります。
その「・・・」がどういう時かを掘り下げていくと話の方向性が本日の趣旨から離れていきますので今日はいたしません。
・・・でない時に限って、輪廻は起こらないと
お釈迦さまは言われております。
お分かりですかzenさん。
通常は輪廻が起こるんです。
という話はまた別の機会にするとして、
ここで言える事は、
そうでない時は、輪廻が起こるということです。
「・・・その時もはや輪廻などということはありえない」
・・・の時ってどんな時でしょう。
比丘たちよ、もろもろの沙門・婆羅門にして、よくこのように想を証知し、・・・その時もはや輪廻などということはありえないのである。
とありますよね。
ここで「想」の項目に着目してください。
五つの要素がそれぞれ詳しく紹介されております。
五つの要素とは色・受・想・行・識の五蘊のことです。
「五つの要素の四つの変化の相」とありますよね。
こちらをご覧ください。
『阿含経典』南伝 相応部経典 蘊相応22-58 http://james.3zoku.com/kojintekina.com/agama/agama70520.html
どこに説かれているかと言いますと
『阿含経典』の中にそれは示されております。
要するに人のこころには「四つの相」があるという事が説かれている訳です。
天台の智顗もこれを用いて、
有門 空門 亦有亦空門 非有非空門
という四門の料簡を説いております。
インド論理学に四句分別というのがありまして、仏教でも心のあり方をこの四句分別を用いて言い表したりもします。
いわゆる、「無為」という事です。
では、「非空」はと言いますと、
縁起が起きないという事です。
具体的に言いますと、
人間の概念から完全に離れているということになります。
それが「非有」の意味するところです。
どういう内容かと言いますと、
まず、
実有から完全に離れている事(非有)。
それが「非有非空」です。
空を空じたところに真如が顕われると言いますが、
この中道としての空を非空とするのが「空を空じたところ」となります。
お釈迦さまが初期仏教で示された「中道」がこれにあたります。
有=常見 無=断見 非有非無=中道(空=縁起)
「非有非無」の空は、有でもなく無でもない空です。
ここでの空は縁起です。有為の法としての縁起です。
空には「非有非無」の空というのもあります。
正確には三身即一の「非有非空」の空です。
それに対し『大空経』で説かれてる空は、四元論の空です。
四元論という言い方はおかしいのですが、ここでは皆さんやれ一元論や二元論だと科学の次元と仏教の真理諦の違いも分からずにごちゃで次元論を語っておられるようなので、分かりやすくあえて間違った言い方なのですが「四元論」と言わせて頂いております。
そこで説かれている空は、「有る無し」の二元論で語られる空でした。
昨日は『小空経』で説かれている空が、
時間軸の中で起こる此縁性縁起として説かれているというお話をしました。
話はここから本題へと入って参りますが、
一旦ここで中断し休憩タイムと致します。
どうかこの視点(仏道者の視点)にたって
これをご覧の学者さんの誰かが
そこのところの研究論文を書き上げられ
学界に発表される時が来ることを
わたしは楽しみにしております。
もう一度、声を大にして言わせて頂きます。
そういった視点で学術研究がなされていないが為に
の項目を見て頂ければお分かりかと思いますが、十分考えられます。
がしかし
そういった視点で学術研究がなされていないが為に
ChatGPTは、
「直接的な同一性はないと考えられます。」
と答えております。
すると次のような答えが返って来ました。
『阿含経典』や南伝の「相応部経典」における「五つの要素(五蘊)の四つの変化の相」が、仏教の四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)と関連があるかというご質問は非常に興味深い視点です。以下の点を考慮すると、ある程度関連性を見出すことができますが、直接的な同一性はないと考えられます。
1. 五蘊と四諦の基盤
2. 四つの変化の相と四諦の共通性
3. 両者の違い
結論
「五つの要素の四つの変化の相」と「四諦」には共通する思想的な基盤がありますが、それぞれの役割と意図は異なります。ただし、両者を補完的に解釈することは十分考えられます。五蘊とその変化を理解することで四諦の教えがより深く実感され、逆に四諦の実践を通じて五蘊を無常・無我として観じる理解が進む、といった相互関係が考えられます。
さらに詳しく理解するには、例えば「相応部経典」や「四諦」を取り扱う仏典の詳細な解説を参考にすることをお勧めします。
そこで、ChatGPTに次のような質問を投げかけてみました。
質問文:
『阿含経典』南伝相当部経典 蘊相当で説かれている「五つの要素の四つの変化の相」ってもしかして苦諦・集諦・滅諦・道諦の四諦の事ではありませんか?そういう事は考えられますんかね?
ここで示されている「四つの変化の相」ですが、
これってもしかして
四諦のことでは?
と、仏道者視点で物事を捉えるわたしなんかは思ったりします。
以下の回答文が返って来ました。
『阿含経典』の南伝版であるパーリ仏典「相応部経典」(Saṃyutta Nikāya)の蘊相応(Khandha Saṃyutta)では、「五つの要素(五蘊)」の性質とそれに伴う「四つの変化の相」が説明されています。五蘊と四つの変化の関係を以下に整理します。
五つの要素(五蘊)
四つの変化の相
これら五蘊には、以下の四つの変化の相(anicca-lakkhaṇa)があるとされます:
生起(uppāda)
持続(ṭhiti)
変化(vipariṇāma)
滅(bhaṅga)
これらは仏教における無常(anicca)の教えを具体的に説明するものであり、五蘊は常に変化し続けるため、それに執着することは苦しみを生む原因とされています。
関連仏典
上記の教えは仏教の修行の基礎として重要であり、五蘊とそれに付随する無常性を理解することで執着を手放し、解脱への道を進む助けとなるとされています。
では、ChatGPTに答えてもらいましょう。
質問文:
『阿含経典』南伝相当部経典 蘊相当で説かれている「五つの要素の四つの変化の相」を具体的に教えていただけますか?
『阿含経典』の南伝版であるパーリ仏典「相応部経典」(Saṃyutta Nikāya)の蘊相応(Khandha Saṃyutta)では、「五つの要素(五蘊)」の性質とそれに伴う「四つの変化の相」が説明されています。五蘊と四つの変化の関係を以下に整理します。
五つの要素(五蘊)
四つの変化の相
これら五蘊には、以下の四つの変化の相(anicca-lakkhaṇa)があるとされます:
生起(uppāda)
持続(ṭhiti)
変化(vipariṇāma)
滅(bhaṅga)
これらは仏教における無常(anicca)の教えを具体的に説明するものであり、五蘊は常に変化し続けるため、それに執着することは苦しみを生む原因とされています。
関連仏典
上記の教えは仏教の修行の基礎として重要であり、五蘊とそれに付随する無常性を理解することで執着を手放し、解脱への道を進む助けとなるとされています。
ここでは、その「四つの変化の相」は紹介されていません。
今日のポイントはそこではなく、
この五つの要素の「四つの変化の相」にあります。
その「・・・」がどういう時かを掘り下げていくと話の方向性が本日の趣旨から離れていきますので今日はいたしません。
・・・でない時に限って、輪廻は起こらないと
お釈迦さまは言われております。
お分かりですかzenさん。
通常は輪廻が起こるんです。
という話はまた別の機会にするとして、
ここで言える事は、
そうでない時は、輪廻が起こるということです。
「・・・その時もはや輪廻などということはありえない」
・・・の時ってどんな時でしょう。
比丘たちよ、もろもろの沙門・婆羅門にして、よくこのように想を証知し、・・・その時もはや輪廻などということはありえないのである。
とありますよね。
ここで「想」の項目に着目してください。
五つの要素がそれぞれ詳しく紹介されております。
五つの要素とは色・受・想・行・識の五蘊のことです。
「五つの要素の四つの変化の相」とありますよね。
こちらをご覧ください。
『阿含経典』南伝 相応部経典 蘊相応22-58
http://james.3zoku.com/kojintekina.com/agama/agama70520.html
どこに説かれているかと言いますと
『阿含経典』の中にそれは示されております。
要するに人のこころには「四つの相」があるという事が説かれている訳です。
天台の智顗もこれを用いて、
有門
空門
亦有亦空門
非有非空門
という四門の料簡を説いております。
インド論理学に四句分別というのがありまして、仏教でも心のあり方をこの四句分別を用いて言い表したりもします。
いわゆる、「無為」という事です。
では、「非空」はと言いますと、
縁起が起きないという事です。
具体的に言いますと、
人間の概念から完全に離れているということになります。
それが「非有」の意味するところです。
どういう内容かと言いますと、
まず、
実有から完全に離れている事(非有)。
それが「非有非空」です。
空を空じたところに真如が顕われると言いますが、
この中道としての空を非空とするのが「空を空じたところ」となります。
お釈迦さまが初期仏教で示された「中道」がこれにあたります。
有=常見
無=断見
非有非無=中道(空=縁起)
「非有非無」の空は、有でもなく無でもない空です。
ここでの空は縁起です。有為の法としての縁起です。
空には「非有非無」の空というのもあります。
正確には三身即一の「非有非空」の空です。
それに対し『大空経』で説かれてる空は、四元論の空です。
四元論という言い方はおかしいのですが、ここでは皆さんやれ一元論や二元論だと科学の次元と仏教の真理諦の違いも分からずにごちゃで次元論を語っておられるようなので、分かりやすくあえて間違った言い方なのですが「四元論」と言わせて頂いております。
そこで説かれている空は、「有る無し」の二元論で語られる空でした。
昨日は『小空経』で説かれている空が、
時間軸の中で起こる此縁性縁起として説かれているというお話をしました。