此縁性縁起の特徴として、時間の変化に伴う状態の変化があげられますか?
はい、此縁性縁起の特徴の一つとして、時間の変化に伴う状態の変化を挙げることができます。これは縁起法則の核心的な要素であり、仏教思想全般においても重要なポイントです。以下に具体的な内容を説明します。
此縁性縁起では、「因」と「果」の関係が強調されますが、この因果は時間的な変化を前提としています。すなわち、次のような原則が成り立ちます:
倶舎論では、現象の生起と滅尽のプロセスが詳細に分析されています。これにより、時間の流れとともに生じる状態の変化が説明されています。
時間に伴う変化を理解することは、無常観を深め、執着を断ち切る助けとなります。具体的には以下のような意義があります:
此縁性縁起が示す時間的な変化の視点は、以下のような仏教全体の思想と深く結びついています:
此縁性縁起の核心には、時間とともに変化する現象の因果的連鎖があります。この理解は、仏教の無常観や無我観と密接に関連し、修行者が煩悩や執着を乗り越えるための知恵として機能します。
倶舎論では此縁性縁起がどのように説かれてますか?
倶舎論(阿毘達磨倶舎論)は、仏教の部派仏教時代における重要な論書であり、特に説一切有部の教義を整理・体系化しています。此縁性縁起(しえんしょうえんぎ)については、因果関係と条件性の観点から詳しく論じられています。この中で、仏教の基本的な縁起思想がどのように展開されているかを見ていきます。
「此縁性縁起」とは、「此(これ)ありて彼(かれ)あり、此生じて彼生ず」という仏教の因果律を表します。倶舎論では、これを以下のように説明しています:
倶舎論では、この縁起法則を基に、因(ヘトゥ)と縁(プラティヤヤ)の概念を詳しく分析しています。
倶舎論では因果関係を8つの因(八因)と、さまざまな縁(条件)に分類します。
倶舎論における因は、以下のように分類されます:
因だけでなく、縁(条件)がそろうことで現象が生起します。この縁起の観点から、四縁が説かれます:
これらの因縁を通じて、倶舎論では縁起の詳細なメカニズムを解明しています。
倶舎論は、縁起を単なる哲学的議論として捉えるだけでなく、修行者が無明を克服し、悟りを得るための実践的な指針としても提示しています。このような縁起法則の理解は、特に煩悩や執着を超越するために不可欠です。
倶舎論の縁起論は、説一切有部の立場から、現象を実在する法として説明していますが、最終的にはこれらの法も因縁によるものであるため、常住ではない(無常)ことを強調します。この点で、原始仏教の縁起説を引き継ぎつつ、精密な分析を加えています。
此縁性縁起の概念は、現象の相互依存性を解明する仏教の基本思想を具体的に示しており、倶舎論における深い教理の中心的なテーマの一つです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10307380555
https://talk.jp/boards/shugi/1732435112
なぜそう思うのかを今から詳しくお話して参ります。
この内容を以て龍樹が『小空経』と『大空経』で説かれている二つの「空」を、次のようにひも解かれたようにわたしには思えます。
『小空経』で説く空は世俗の真理。(此縁性縁起)---(世俗諦)
『大空経』で説く空は仏教の真理。(析空・体空・法空・非空)---(勝義諦)
※ 勝義諦(しょうぎたい)とは、仏教において、言葉を超え、世俗・世間の判断を超えた究極的な最高の真理のこと。仏教の目ざす悟り、すなわち涅槃を指す。
要約しますと、『大空経』では、
四空観(内空、外空、内外空、不動空)を修習し、
五蘊の教えと世俗と仏教について議論しよ、と説かれているようです。
非聖論が、世俗的な倫理や社会秩序に関する議論。
聖論が、仏教の修行と悟りに関する教え。
ということのようです。
すると、次のような答が返ってきました。
『大空経』(Mahāsūtra)における非聖論と聖論の区別は、仏教の教義体系を深く理解するための重要なテーマです。以下にそれぞれを分かりやすく説明します。
非聖論は、世俗的な話題や倫理、社会秩序に関連する議論を指します。これらは仏教の最終目標である悟りや解脱に直接つながるものではありませんが、世俗の安定や調和のために重要な考察を提供します。
王とは統治者を指し、王論では理想的な統治者像や、国家運営のあり方について説かれます。善い王は仏教の徳目に従い、慈悲と正義によって民を治めるべきとされます。
賊論では社会的な不正や悪行が取り上げられます。これには、なぜ犯罪や不正が発生するのか、またそれを防ぐにはどうすればよいかが述べられています。社会の秩序を保つためには、善行を奨励し悪行を抑える仕組みが必要とされます。
非聖論の目的
聖論は仏教の修行や悟りのための教えに関する議論で、解脱に至る道筋を詳細に説明します。これらは仏教の核心であり、仏陀の教えの根幹を成しています。
施とは布施のことで、他者に与える行為の意義を説きます。物質的な施しだけでなく、恐れや迷いを取り除く精神的な布施も含まれます。
戒とは倫理的な規範です。仏教徒が守るべき戒律について説かれています。例えば、五戒(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒)などが含まれます。
定とは瞑想による精神集中を指します。心を落ち着け、妄念を排除することで智慧を得る準備をする方法について述べられています。
慧とは智慧のことです。仏教では、物事の真理を理解する智慧を養うことが重要であり、無明(無知)を克服するために必要とされます。
解脱は煩悩からの解放を意味します。生死を繰り返す輪廻から抜け出す方法を解説しています。
解脱の境地に到達し、それを知覚する段階を説きます。単に解脱するだけでなく、その体験を深く認識し、他者に伝える智慧も重視されます。
聖論の目的
両者は独立したものではなく、相互に関連しています。非聖論によって社会が安定すれば、修行の環境が整い、聖論が実践されやすくなるという補完的な関係があります。
「非聖論と聖論」ってなんでしょう。
ChatGPTで次のように聞いてみました。
『大空経』の非聖論(王論・賊論等)と聖論(施論・戒論・定論・慧論・解脱論・解脱知見論等)についてわかりやすく説明してください。
ここでは、四空観(内空、外空、内外空、不動空)の修習と、非聖論と聖論と五蘊の教えが示されております。
仏教の思想を深く学ぶことで、日常生活にも応用できる実践的な智慧が得られます。
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漢訳経典では、
『中阿含』191「大空経」(大正 01 p.738 上、国訳 06 p.188)
あるとき世尊は釈迦国の迦維羅衛の尼拘類園に住された。そのとき世尊は迦毘羅衛に乞食して食事の後、加羅差摩釈精舎に赴かれた。このときこの精舎には多くの床座があり、多くの比丘らが止住していた。世尊は加羅差摩釈精舎を出て加羅釈精舎に赴かれた。そこでは阿難が多数の比丘らとともに作衣をしていた。世尊は阿難に「比丘は喧しい集団を離れて独住遠離の処を求めれば心解脱を得る」と語られ、内空・外空・内外空・不移動、経行・坐定、三悪不善念(欲念・恚念・害念)と三善念(無欲念・無恚念・無害念)、非聖論(王論・賊論等)と聖論(施論・戒論・定論・慧論・解脱論・解脱知見論等)、五欲、五盛陰(色・覚・想・行・識)、不放逸の教えを説かれた。さらに世尊は阿難の要請に応えて、煩師・煩弟子・煩梵行について詳説された。阿難と比丘らは世尊の所説を歓喜奉行した。
と説かれております。
次に『大空経』を見てみましょう。
パーリ仏典では、
MN.122 MahAsuJJata-s.(空大経 vol.Ⅲp.109、南伝 11 下 p.127、『片山・中部』5 p.355)
あるとき世尊は釈迦国のカピラヴァットゥのニグローダ樹園に住された。そのとき世尊は早朝、カピラヴァットゥ城内に行乞して食事の後、昼住のために釈迦族 のカーラケーマカ精舎に赴かれた。このとき精舎には多くの臥坐具が用意されていた。夕方、世尊は独坐より起って釈迦族のガターヤ精舎に赴かれた。そのときアーナンダは多数の比丘らと共にガターヤ精舎の中で衣を縫っていた。世尊はアーナンダに「カーラケーマカ精舎には多数の比丘がいるのか」と尋ねられた。アーナンダは「衣を作っています。その通りです」と答えた。世尊は「人々の集まりや群れを喜ぶ比丘は輝かない。しかし1人で群れより遠離して住する比丘は出離の安楽や正覚の安楽を得やすい」と遠離独住の功徳を述べられ、四空観(内空、外空、内外空、不動空)の修習、生活住としての空住の意義、空住における観察(無益と有益なる談論、尋、五妙欲、五取蘊)、師弟の聖なる談論(少欲論、知足論、出離論など)、師弟の煩労、師弟の道を説かれた。アーナンダは満足して世尊の所説を歓喜した。
要約しますと、『小空経』で説かれている空は、
形容詞としての「モノの有る無し」の〝状態〟を言い表す空が説かれております。
我欲を無くし、有漏(煩悩)を無くすことで心解脱に至るのだと。
そして、
欲漏心解脱し、有漏心解脱・無明漏心解脱すれば欲漏を空じ、有漏を空じ、無明漏を空じるが、六処命があるから不空である。このように真実空を行じなさい」と説かれた。
とありますように、我欲や煩悩が無くなった状態として空が説かれております。
ここで説かれている「空」は、
私は以前も今も空住に多く住している。例えばこの鹿子母講堂は象・牛・馬について空、金・銀について空、女・男の集まりについて空である。しかし比丘サンガについては不空である。あなたたちもそこにないものについては空であると見、そこに残っているものはこれはあると知りなさい。
といった感じで〝状態〟を言い表す空です。
漢訳仏典の『中阿含経』では、
あるとき世尊は舎衛国の東園鹿子母堂に住された。そのとき阿難が時に宴坐より起って、世尊のもとを訪れ、「あるとき世尊は釈迦族中の釈都邑という城に遊行されました。そのとき『我は多く空を行ずる』と語られましたが憶えていらっしゃいますか」と言った。世尊は「よく憶えている。私はその時より今に至るまで多く空を行じている。たとえばこの鹿子母堂には象・馬・牛・羊・財物・奴婢はなく空であるが、比丘衆は空ならざるが如しである。もしこの中に無なれば空と見るが、余りあれば真実有と見る。これを真実空を行じて顛倒せずという。欲漏心解脱し、有漏心解脱・無明漏心解脱すれば欲漏を空じ、有漏を空じ、無明漏を空じるが、六処命があるから不空である。このように真実空を行じなさい」と説かれた。阿難および比丘らは歓喜奉行した。
『小空経』では、
パーリ仏典の『中部』では、
あるとき世尊は舎衛城の東園鹿子母講堂に住された。そのときアーナンダが夕刻に独坐より起って世尊のもとを訪れ、「あのとき世尊はナガラカという釈迦族の町に住され、『今、空住に多く住している』と語られました。憶えていらっしゃいますか」と言った。世尊は「よく憶えている。私は以前も今も空住に多く住している。例えばこの鹿子母講堂は象・牛・馬について空、金・銀について空、女・男の集まりについて空である。しかし比丘サンガについては不空である。あなたたちもそこにないものについては空であると見、そこに残っているものはこれはあると知りなさい。そして有為は無常であり、滅するものであると知れば欲漏・有漏・無明漏より解脱し、解脱したとの知見が生じ、欲漏・有漏・無明漏は空であると知る。しかしこの命の縁としてある六処は不空である。このようにして究竟無上にして清浄なる空を成就して住しなさい」と説かれた。アーナンダは満足して世尊の所説を歓喜した。
仏教の重要概念である「空」について、パーリ仏典の『小空経』と『大空経』で内容の異なる空がそれぞれに説かれております。
こういうトピックを知恵袋に立ててみた https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14307475344
まあ輪廻転生を完全否定する方は輪廻回数の少ない稚拙な人だ、くらいに思って大きな眼差しで見てあげましょう(´ω`) 自分が大人になれば優しくなれますね(´ω`)
俺も行きた~~~
棒ちゃん今日キャンプって良いなー
その手があったか!
八つの特徴、参考になった。
失敗した様や(・∀・) 再挑戦(´ω`)
戻ってくるなよー
なにやってまんねん
日付のとこクリックして、修正しー
テストや(・∀・)
@[外部コンテンツ] (https://youtu.be/5e9nwXegcxs?si=--9RovOTK8Zl87mE)
>> 33 動画は、外部コンテンツの埋め込みってボタン使うといいよー
だらかこういうのは→(. ❛ ᴗ ❛.)
誤解をまねくって、、、
落とし穴を仕掛けて来た^^
改めまして〜(・∀・) zenさんみたいに意志のお固い方にどう語ってもわかり合えないやろね(´ω`) 仏教の懐の深さは何でもアリやと思うけど 六道輪廻を語るのは億劫やから動画の方が分かりやすい(・∀・) https://youtu.be/vCuyn4s4jRw?si=WGI8ZjRNfWI2hUwI
ただ真理を追究するだけだ
俺はそういうのには
興味が無い
我のぶつかり合い
我の現れそのもの
此縁性縁起の特徴として、時間の変化に伴う状態の変化があげられますか?
はい、此縁性縁起の特徴の一つとして、時間の変化に伴う状態の変化を挙げることができます。これは縁起法則の核心的な要素であり、仏教思想全般においても重要なポイントです。以下に具体的な内容を説明します。
1. 時間と因果の関係
此縁性縁起では、「因」と「果」の関係が強調されますが、この因果は時間的な変化を前提としています。すなわち、次のような原則が成り立ちます:
2. 倶舎論における縁起の時間的側面
倶舎論では、現象の生起と滅尽のプロセスが詳細に分析されています。これにより、時間の流れとともに生じる状態の変化が説明されています。
(1)刹那性(瞬間的な変化)
(2)因果連続性
(3)等無間縁の役割
3. 時間的変化の実践的意義
時間に伴う変化を理解することは、無常観を深め、執着を断ち切る助けとなります。具体的には以下のような意義があります:
4. 仏教全体における視点との関連
此縁性縁起が示す時間的な変化の視点は、以下のような仏教全体の思想と深く結びついています:
結論
此縁性縁起の核心には、時間とともに変化する現象の因果的連鎖があります。この理解は、仏教の無常観や無我観と密接に関連し、修行者が煩悩や執着を乗り越えるための知恵として機能します。
倶舎論では此縁性縁起がどのように説かれてますか?
倶舎論(阿毘達磨倶舎論)は、仏教の部派仏教時代における重要な論書であり、特に説一切有部の教義を整理・体系化しています。此縁性縁起(しえんしょうえんぎ)については、因果関係と条件性の観点から詳しく論じられています。この中で、仏教の基本的な縁起思想がどのように展開されているかを見ていきます。
1. 此縁性縁起の基本概念
「此縁性縁起」とは、「此(これ)ありて彼(かれ)あり、此生じて彼生ず」という仏教の因果律を表します。倶舎論では、これを以下のように説明しています:
倶舎論では、この縁起法則を基に、因(ヘトゥ)と縁(プラティヤヤ)の概念を詳しく分析しています。
2. 因と縁の分析
倶舎論では因果関係を8つの因(八因)と、さまざまな縁(条件)に分類します。
(1)八因
倶舎論における因は、以下のように分類されます:
(2)四縁
因だけでなく、縁(条件)がそろうことで現象が生起します。この縁起の観点から、四縁が説かれます:
これらの因縁を通じて、倶舎論では縁起の詳細なメカニズムを解明しています。
3. 縁起法の実践的意義
倶舎論は、縁起を単なる哲学的議論として捉えるだけでなく、修行者が無明を克服し、悟りを得るための実践的な指針としても提示しています。このような縁起法則の理解は、特に煩悩や執着を超越するために不可欠です。
4. 倶舎論の特徴的視点
倶舎論の縁起論は、説一切有部の立場から、現象を実在する法として説明していますが、最終的にはこれらの法も因縁によるものであるため、常住ではない(無常)ことを強調します。この点で、原始仏教の縁起説を引き継ぎつつ、精密な分析を加えています。
此縁性縁起の概念は、現象の相互依存性を解明する仏教の基本思想を具体的に示しており、倶舎論における深い教理の中心的なテーマの一つです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10307380555
https://talk.jp/boards/shugi/1732435112
なぜそう思うのかを今から詳しくお話して参ります。
この内容を以て龍樹が『小空経』と『大空経』で説かれている二つの「空」を、次のようにひも解かれたようにわたしには思えます。
『小空経』で説く空は世俗の真理。(此縁性縁起)---(世俗諦)
『大空経』で説く空は仏教の真理。(析空・体空・法空・非空)---(勝義諦)
※ 勝義諦(しょうぎたい)とは、仏教において、言葉を超え、世俗・世間の判断を超えた究極的な最高の真理のこと。仏教の目ざす悟り、すなわち涅槃を指す。
要約しますと、『大空経』では、
四空観(内空、外空、内外空、不動空)を修習し、
五蘊の教えと世俗と仏教について議論しよ、と説かれているようです。
非聖論が、世俗的な倫理や社会秩序に関する議論。
聖論が、仏教の修行と悟りに関する教え。
ということのようです。
すると、次のような答が返ってきました。
『大空経』(Mahāsūtra)における非聖論と聖論の区別は、仏教の教義体系を深く理解するための重要なテーマです。以下にそれぞれを分かりやすく説明します。
非聖論(王論・賊論など)
非聖論は、世俗的な話題や倫理、社会秩序に関連する議論を指します。これらは仏教の最終目標である悟りや解脱に直接つながるものではありませんが、世俗の安定や調和のために重要な考察を提供します。
1. 王論
王とは統治者を指し、王論では理想的な統治者像や、国家運営のあり方について説かれます。善い王は仏教の徳目に従い、慈悲と正義によって民を治めるべきとされます。
2. 賊論
賊論では社会的な不正や悪行が取り上げられます。これには、なぜ犯罪や不正が発生するのか、またそれを防ぐにはどうすればよいかが述べられています。社会の秩序を保つためには、善行を奨励し悪行を抑える仕組みが必要とされます。
非聖論の目的
聖論(施論・戒論・定論・慧論・解脱論・解脱知見論など)
聖論は仏教の修行や悟りのための教えに関する議論で、解脱に至る道筋を詳細に説明します。これらは仏教の核心であり、仏陀の教えの根幹を成しています。
1. 施論(せろん)
施とは布施のことで、他者に与える行為の意義を説きます。物質的な施しだけでなく、恐れや迷いを取り除く精神的な布施も含まれます。
2. 戒論(かいろん)
戒とは倫理的な規範です。仏教徒が守るべき戒律について説かれています。例えば、五戒(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒)などが含まれます。
3. 定論(じょうろん)
定とは瞑想による精神集中を指します。心を落ち着け、妄念を排除することで智慧を得る準備をする方法について述べられています。
4. 慧論(えろん)
慧とは智慧のことです。仏教では、物事の真理を理解する智慧を養うことが重要であり、無明(無知)を克服するために必要とされます。
5. 解脱論(げだつろん)
解脱は煩悩からの解放を意味します。生死を繰り返す輪廻から抜け出す方法を解説しています。
6. 解脱知見論(げだつちけんろん)
解脱の境地に到達し、それを知覚する段階を説きます。単に解脱するだけでなく、その体験を深く認識し、他者に伝える智慧も重視されます。
聖論の目的
まとめ
両者は独立したものではなく、相互に関連しています。非聖論によって社会が安定すれば、修行の環境が整い、聖論が実践されやすくなるという補完的な関係があります。
「非聖論と聖論」ってなんでしょう。
ChatGPTで次のように聞いてみました。
『大空経』の非聖論(王論・賊論等)と聖論(施論・戒論・定論・慧論・解脱論・解脱知見論等)についてわかりやすく説明してください。
ここでは、四空観(内空、外空、内外空、不動空)の修習と、非聖論と聖論と五蘊の教えが示されております。
『大空経』(Mahāsūtra)における非聖論と聖論の区別は、仏教の教義体系を深く理解するための重要なテーマです。以下にそれぞれを分かりやすく説明します。
非聖論(王論・賊論など)
非聖論は、世俗的な話題や倫理、社会秩序に関連する議論を指します。これらは仏教の最終目標である悟りや解脱に直接つながるものではありませんが、世俗の安定や調和のために重要な考察を提供します。
1. 王論
王とは統治者を指し、王論では理想的な統治者像や、国家運営のあり方について説かれます。善い王は仏教の徳目に従い、慈悲と正義によって民を治めるべきとされます。
2. 賊論
賊論では社会的な不正や悪行が取り上げられます。これには、なぜ犯罪や不正が発生するのか、またそれを防ぐにはどうすればよいかが述べられています。社会の秩序を保つためには、善行を奨励し悪行を抑える仕組みが必要とされます。
非聖論の目的
聖論(施論・戒論・定論・慧論・解脱論・解脱知見論など)
聖論は仏教の修行や悟りのための教えに関する議論で、解脱に至る道筋を詳細に説明します。これらは仏教の核心であり、仏陀の教えの根幹を成しています。
1. 施論(せろん)
施とは布施のことで、他者に与える行為の意義を説きます。物質的な施しだけでなく、恐れや迷いを取り除く精神的な布施も含まれます。
2. 戒論(かいろん)
戒とは倫理的な規範です。仏教徒が守るべき戒律について説かれています。例えば、五戒(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒)などが含まれます。
3. 定論(じょうろん)
定とは瞑想による精神集中を指します。心を落ち着け、妄念を排除することで智慧を得る準備をする方法について述べられています。
4. 慧論(えろん)
慧とは智慧のことです。仏教では、物事の真理を理解する智慧を養うことが重要であり、無明(無知)を克服するために必要とされます。
5. 解脱論(げだつろん)
解脱は煩悩からの解放を意味します。生死を繰り返す輪廻から抜け出す方法を解説しています。
6. 解脱知見論(げだつちけんろん)
解脱の境地に到達し、それを知覚する段階を説きます。単に解脱するだけでなく、その体験を深く認識し、他者に伝える智慧も重視されます。
聖論の目的
まとめ
両者は独立したものではなく、相互に関連しています。非聖論によって社会が安定すれば、修行の環境が整い、聖論が実践されやすくなるという補完的な関係があります。
仏教の思想を深く学ぶことで、日常生活にも応用できる実践的な智慧が得られます。
チャットGPT 無料、登録なし
漢訳経典では、
『中阿含』191「大空経」(大正 01 p.738 上、国訳 06 p.188)
あるとき世尊は釈迦国の迦維羅衛の尼拘類園に住された。そのとき世尊は迦毘羅衛に乞食して食事の後、加羅差摩釈精舎に赴かれた。このときこの精舎には多くの床座があり、多くの比丘らが止住していた。世尊は加羅差摩釈精舎を出て加羅釈精舎に赴かれた。そこでは阿難が多数の比丘らとともに作衣をしていた。世尊は阿難に「比丘は喧しい集団を離れて独住遠離の処を求めれば心解脱を得る」と語られ、内空・外空・内外空・不移動、経行・坐定、三悪不善念(欲念・恚念・害念)と三善念(無欲念・無恚念・無害念)、非聖論(王論・賊論等)と聖論(施論・戒論・定論・慧論・解脱論・解脱知見論等)、五欲、五盛陰(色・覚・想・行・識)、不放逸の教えを説かれた。さらに世尊は阿難の要請に応えて、煩師・煩弟子・煩梵行について詳説された。阿難と比丘らは世尊の所説を歓喜奉行した。
と説かれております。
次に『大空経』を見てみましょう。
パーリ仏典では、
MN.122 MahAsuJJata-s.(空大経 vol.Ⅲp.109、南伝 11 下 p.127、『片山・中部』5 p.355)
あるとき世尊は釈迦国のカピラヴァットゥのニグローダ樹園に住された。そのとき世尊は早朝、カピラヴァットゥ城内に行乞して食事の後、昼住のために釈迦族 のカーラケーマカ精舎に赴かれた。このとき精舎には多くの臥坐具が用意されていた。夕方、世尊は独坐より起って釈迦族のガターヤ精舎に赴かれた。そのときアーナンダは多数の比丘らと共にガターヤ精舎の中で衣を縫っていた。世尊はアーナンダに「カーラケーマカ精舎には多数の比丘がいるのか」と尋ねられた。アーナンダは「衣を作っています。その通りです」と答えた。世尊は「人々の集まりや群れを喜ぶ比丘は輝かない。しかし1人で群れより遠離して住する比丘は出離の安楽や正覚の安楽を得やすい」と遠離独住の功徳を述べられ、四空観(内空、外空、内外空、不動空)の修習、生活住としての空住の意義、空住における観察(無益と有益なる談論、尋、五妙欲、五取蘊)、師弟の聖なる談論(少欲論、知足論、出離論など)、師弟の煩労、師弟の道を説かれた。アーナンダは満足して世尊の所説を歓喜した。
要約しますと、『小空経』で説かれている空は、
形容詞としての「モノの有る無し」の〝状態〟を言い表す空が説かれております。
我欲を無くし、有漏(煩悩)を無くすことで心解脱に至るのだと。
そして、
欲漏心解脱し、有漏心解脱・無明漏心解脱すれば欲漏を空じ、有漏を空じ、無明漏を空じるが、六処命があるから不空である。このように真実空を行じなさい」と説かれた。
とありますように、我欲や煩悩が無くなった状態として空が説かれております。
ここで説かれている「空」は、
私は以前も今も空住に多く住している。例えばこの鹿子母講堂は象・牛・馬について空、金・銀について空、女・男の集まりについて空である。しかし比丘サンガについては不空である。あなたたちもそこにないものについては空であると見、そこに残っているものはこれはあると知りなさい。
といった感じで〝状態〟を言い表す空です。
漢訳仏典の『中阿含経』では、
あるとき世尊は舎衛国の東園鹿子母堂に住された。そのとき阿難が時に宴坐より起って、世尊のもとを訪れ、「あるとき世尊は釈迦族中の釈都邑という城に遊行されました。そのとき『我は多く空を行ずる』と語られましたが憶えていらっしゃいますか」と言った。世尊は「よく憶えている。私はその時より今に至るまで多く空を行じている。たとえばこの鹿子母堂には象・馬・牛・羊・財物・奴婢はなく空であるが、比丘衆は空ならざるが如しである。もしこの中に無なれば空と見るが、余りあれば真実有と見る。これを真実空を行じて顛倒せずという。欲漏心解脱し、有漏心解脱・無明漏心解脱すれば欲漏を空じ、有漏を空じ、無明漏を空じるが、六処命があるから不空である。このように真実空を行じなさい」と説かれた。阿難および比丘らは歓喜奉行した。
と説かれております。
『小空経』では、
パーリ仏典の『中部』では、
あるとき世尊は舎衛城の東園鹿子母講堂に住された。そのときアーナンダが夕刻に独坐より起って世尊のもとを訪れ、「あのとき世尊はナガラカという釈迦族の町に住され、『今、空住に多く住している』と語られました。憶えていらっしゃいますか」と言った。世尊は「よく憶えている。私は以前も今も空住に多く住している。例えばこの鹿子母講堂は象・牛・馬について空、金・銀について空、女・男の集まりについて空である。しかし比丘サンガについては不空である。あなたたちもそこにないものについては空であると見、そこに残っているものはこれはあると知りなさい。そして有為は無常であり、滅するものであると知れば欲漏・有漏・無明漏より解脱し、解脱したとの知見が生じ、欲漏・有漏・無明漏は空であると知る。しかしこの命の縁としてある六処は不空である。このようにして究竟無上にして清浄なる空を成就して住しなさい」と説かれた。アーナンダは満足して世尊の所説を歓喜した。
仏教の重要概念である「空」について、パーリ仏典の『小空経』と『大空経』で内容の異なる空がそれぞれに説かれております。
こういうトピックを知恵袋に立ててみた
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14307475344
まあ輪廻転生を完全否定する方は輪廻回数の少ない稚拙な人だ、くらいに思って大きな眼差しで見てあげましょう(´ω`)
自分が大人になれば優しくなれますね(´ω`)
俺も行きた~~~
棒ちゃん今日キャンプって良いなー
その手があったか!
八つの特徴、参考になった。
何となく分かった(・∀・)
失敗した様や(・∀・)
再挑戦(´ω`)
戻ってくるなよー
なにやってまんねん
日付のとこクリックして、修正しー
テストや(・∀・)
@[外部コンテンツ]
(https://youtu.be/5e9nwXegcxs?si=--9RovOTK8Zl87mE)
>> 33
動画は、外部コンテンツの埋め込みってボタン使うといいよー
だらかこういうのは→(. ❛ ᴗ ❛.)
誤解をまねくって、、、
落とし穴を仕掛けて来た^^
改めまして〜(・∀・)
zenさんみたいに意志のお固い方にどう語ってもわかり合えないやろね(´ω`)
仏教の懐の深さは何でもアリやと思うけど
六道輪廻を語るのは億劫やから動画の方が分かりやすい(・∀・)
https://youtu.be/vCuyn4s4jRw?si=WGI8ZjRNfWI2hUwI
ただ真理を追究するだけだ
俺はそういうのには
興味が無い
我のぶつかり合い
我の現れそのもの