カオスドラマX

Gray Traveller / 532

532
わったん 2026/03/08 (日) 20:15:45 >> 529

「今宵の月夜は深淵に潜む心さえ溶かす摩天」
「輝き星天に、我らが礎を灯す魔法が在れば、某の生き様さえも刻めたやもしれん」

音楽からやや離れた、農家の家のベンチで語るトルブジータ。

「老人よ。あれに見ゆるは夏の星。その輝きは熱く、夜空をより光らせる一点の星」
「某は、かの星を連ねる者に成れり」

彼が声を掛け続けている隣の農家は、もう余命も幾ばくかの老人であった。
言葉も、感情の表出さえも困難な、孤独の淵にある人。
トルブジータは、好んで老人に語る事が多い人物だった。

「創世については星を読み解けば自ずと理解し得る物語」
「されど、幾ばくにも消え往く道中は、決して語られる事は非ず」
「故に某は残す。如何様にも変化を得ようと、某達が刻みし足跡を、あの天へと」

難解な言辞に対して、老人からの返答はない。
例え彼の発言がわかりやすいものだったとしても、その言の葉に対する返答はなかった。
トルブジータは優しかった。
老人との時を自らが過ごす事で、後継ぎである家族たちが水かけ祭りで踊りを披露出来る事を理解していたから。
老人は口を開く事はなかったが、彼の言葉を聞くと共に、自身の子孫達が存続を約束された踊りを披露している様を眺めていた。

「御老人。某は大地に脚を、空に心を映す」
「それらは全て古今の感情に過行く一時の物語」
「されど、某はその物語の道中で仲間に巡る」
「願わくば、生を実感する間に、大きな書を読み解きたい」

「……」

それまで石像のように動かなかった老人の、痩せ細った腕が僅かに動いた。
揺れ動く腕の小さな前進は、トルブジータの胸元へと行き、皺塗れの手のひらを添える。

「……然り」
「心に秘めし記憶は、少なからず示されたもの」
「いずれ書ききれるだろうか。某の思い出を」
「……どんなものを書けばいい?」

「……」

「……愚問であったか」
「中身のない嬰の集いもまた、某の夜空に示すもの」
「いつしか、百合に染まりし色欲を語るも良しか」

不思議な価値観だった。
夜空の端に自分の名前を連ねる事を夢としていて、その野望を感じさせない程に知的で冷静な振舞。
俺達の迷う足取に、確かな導きを灯す啓示。
自分達の物語が、思い出が、決して無駄なものではなく、
夜空を通じて誰かの人生を密やかに彩っているのだと、彼といると信じられた。
不思議な価値観だった……。
だからこそ、理解していけたんだ。俺の仲間が夜空の欠片に彩る知識の頁を、俺は好きである事を。

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