言葉は瞼を閉じたがっている。
それでもあなたは、インクと手垢で踏み荒らしてゆく。
私は蛾。 そう、我は蛾なのである、蛾だけに。 . 我という認識は重要でない虫けら一匹が、出力できない言葉で思考できるようになったのはつい2025年前。 ある日、ひらひらと当てもなく街頭の周りを彷徨っていた時の出来事。 帳を迎える前に世界が"閉じて"しまった。 . 黒一色、夜以上の暗闇がこの世にあるなどと虫けらたる我は知らななんだ。 うろうろ、うろうろ、光を求め狼狽し続ける事……恐らく100年程。 その間は疲れも空腹も感ぜられず、100年の始まりから終わりまで、 ただ光を求めて羽ばたいていたという記憶のみを頼りに黒の中を彷徨いた。 . そんな折、せいぜい一分のフライトを終えた程度の感慨しかない程度の朝焼けが差し込んできた。 正確には、視界を閉ざしていいた黒が開けたのだった。 . 黒と黒の間、光が差し込む隙間から開くほど見た霊長類の眼が二つ瞬いて、 素っ頓狂な悲鳴を上げる手段もなく羽を無様に振り回す我を眺めていた。 . . 「おやおや、取り残されていたのですね。」 . . 少女は意外そうに目を丸めながらも、指を狭間に差し込んで光を広げ、我を黒の外へつまみ出してみせた。 . より高く羽ばたいた我が目にしたのは、視界を覆い尽くさんばかりの"活字の成る木"だった。 材質はオーク材、四角く規則的に切り出されたそれに囲われるのは"本"という、 無数の活字を記録媒体とする、人を人へ繋ぎ止めるための、留まり続ける音達。 . . 「なんじゃぁこりゃぁ」 . . その時我は無自覚にも言葉を発していた。 そのようにありたいと強く望んだわけでもないのに、人のように。 . この『他の何物でもない図書館』で、世界の断片となった我は産声を上げた。 .. . .
■登場人物:我 我は蛾である。 正確には、眠りを得た世界で終わり損ねた断片。 あの世界の唯一の残留物となった我は、 必然的にその世界の記憶を余すことrなく保管する情報記録対となった。 故に我は知っている、なぜあの世界が終わったのかを。 故に我は知っている、それがいかに幸福であったのかということを。 . それはそれとして散歩先が図書館しか無い余生というのは、なんだかなぁ。 .
. . 少女の名は『ブックマスター』 かつての世界の知識を得、人並みの会話と思考能力を得た我は「なんとも捻りがない名前じゃな」と形ではなく翼を落とした。 ブックマスター、もといマスターは「過不足無いのでいいとこれが思います」とあっけらかんとして答えた。
マスターは栗のような頭髪に栗のような瞳、白木のような肌、白樺のような色と質感のシャツ、 黒地のエプロンにスラックスという、光の陰影しか記録しない映写機で映し出しても"セピア調"で100%再現できるような容姿の少女だ。
背は低く、骨と皮しかないかのようにやせ細っているが、 何故か気品のあるふるまいと機敏な所作から上流階級の麗人のように見える。 しかし服装は質素でビジネスライク、良くも悪くも人らしさ、人の匂いのしない人物だった。
帰る世界が閉じてしまったので図書館に居候する虫である我に対しても邪険にすることなく、 もてなしもせず、ただ飛んでいる置物であるかのようにどこ吹く風。
マスターはこの『他の何物でない図書館』の館長だ。 他には居候の我しか常駐しておらず、司書の雇用も募集もしていないので管理運営を全て一人で行っている。
最も、『他の何物でない図書館』に来客はとんと訪れず、現れたとしても『本を預けに来るだけ』なので、 彼女は決まった時間に起床し、コーヒー豆を引きながら決まった位置でルーチンを繰り返すだけなのである。
「飽きないか?」
そう何度か訪ねたが、彼女は決まって . 「もう飽きるほど人生をやってきましたから」 . と、それはそれは「今が幸福」とでも言わんばかりの微笑みを浮かべる。 . はたから見ればつまらん女なのだろう。だが我は知っている。 今の彼女にかけるべきは「おつかれさま」の他に無いのだと。 . 故に、こうしてただ『世界を置いてあるだけ』の図書館で眠りを守護する万人であることは、 もはや彼女が得られなくなった「眠り」に等しい安らぎのはずなのだ。 . 彼女は眠らない、眠れないのだ。 . . . ♦
. . . 体感時間35年。 . 前回からかなり早いスパンで新しい客人が来館した。
その客は軍服を着用したマネキンだった。 保存状態がいいのは必然、衣類には「展示ナンバー」を記す札が取り付けてあることから、 保管される事自体が役割であるマネキンだったのだろう。 重きを置かれているのは、カビが生えてそうなのに無菌状態の軍服の方だろうが。 . . 「失礼するであります!自分は"故郷"を入棺する任を遂行するべく参上仕った展示ナンバー1927番!村瀬大尉の軍服!! 館長殿におかれましては、この記録の介錯を賜りたく!!」 . 余った袖をぶら下げて敬礼し、そのように理解できる言葉ではない音から意を汲む。 実際にはヒューヒューゴーゴーという名窯しがたい風のような何かが鳴っているだけなのだが、なんとなしに言語として認識できた。 . . 「承知しました。」 . . マスターは過不足なくそう答え、村瀬大尉の軍服が差し出した本を受け取る。 表紙には「村瀬大尉帝国大戦手記」と記されている。 相当な年月が経過しているのだろう、既にページが風化しかかっている。 にも関わらず、書籍としてのカタチを維持し、村瀬大尉の軍服が袖で懸命に表紙を押さえつけてもページは閉ざせずにる。
. 『言葉は終わりたがっている。』 . 『名は意味を手放したがっている。』 . 『記録は忘却の別れを切望している。』 . . マスターは、そういった書籍を眼の前にする度ささやく。 実に「いたましそう」に瞼を重くし、 一呼吸、何かを再確認するかのようにして深く吸って吐くと、ようやく掌を表紙にそっと"瞼を降ろさせる"のだ。 . . 「嗚呼、これが"眠り"。 ありがとう、ありがとう。ようやくこれで、村瀬大尉も……――――――」 . . 軍服が、マネキンが、カタチを"忘却"し砂へ変える。 時をせき止めていた記録が取りさらわれ、砂が堕ちる。 . . 「おつかれさまでした。」 . . マスターは左手にした「手記」を左胸に添え、右手で敬礼を送った。 . . 我に手がないことが、しがない虫けらでしか無いことが実に口惜しい。 どうか、安らかな眠りと、忘却があなたを包みこまんことを。
察するに、これは世界への介錯人だ。 色付き文字 終わり損なった世界、終わりを拒まれた世界、記録を永続とされ、存在を固定され、 断末魔の悲鳴を永久とする、朝日に死ねぬカゲロウへの斬首を賜る処刑人。 色付き文字 色付き文字 王子様が星から帰還し、地球で季節労働者となり、貧しく平凡で美しくもない人生を終えてもなお続くただそこにあるだけの物語。 色付き文字 儀を以って身分に抗い、革命の花と散った気高い薔薇が、 "押し花"として原型を留め続け、花にして散る運命を奪われた自由の物語。 色付き文字 彼は治し続ける、医師である限り。そう結論付け手を離した物語の続きを初め、そして終われずにいる"もしも"。 色付き文字 色付き文字 星にあれなくなった少年に輝きを見いだせるのか? 色付き文字 気高さを失った薔薇に目を惹かれるのか? 色付き文字 手放されたものを拾い、生き死にを自由にできたか? 色付き文字 色付き文字 色付き文字 終点を失った運行とは何を意味するだろうか? 迷走、漂流、そして…… 色付き文字 生き様への冒涜だ。
. . 「これはいいものだ。故にこそ我が後世へ残すのだ」 . 彼はそう言った。 . . 「そう。今あなたが手にするまでは"それ"だった。けれど今は違う」 . . 彼女はこう返した。 . . 「物語には尊厳はないと、そう仰せになるか。」 . . .
♦ . . 図書館運営始まって以来の大惨事。 この図書館で発生した事柄は一切記録されないという規約があるので、後に~~事件と銘打つ事はない。 . しかし、我という記録し続ける蛾からすればやはり銘打つ価値のある大惨事だったのだろう。 我としてはその解決に一役買った、ということを赤文字で念押しして欲しい。 . . いつものルーチンは出だしから崩れていた。 図書館はマスターが眠る前と目覚めた後では様子が大きく異なっていた。 床に散乱する活字、紙片、おがくず。見るも無惨に食い荒らされ、死体を積み上げる書籍達。 これは即ち、世界が眠りを妨げられたばかりか、見るも無惨に食い荒らされ惨殺されたに等しい、 前代未聞の、世界規模の大量虐殺に等しかった。 . マスターは長きに渡るルーチンオンリーのせいで表情筋が麻痺している。 だがコーヒー豆のような円な瞳は、湯どころか火で炙ったかのように憤怒で滾り、 手にしたマグはわかりやすーーーーーくヒビ割れていた。 おお、こういった人間らしいリアクションもするのか……と感心するのも束の間。 . 彼女はじっと、というか初めてがっつり我を見つめていた。 . もしかしなくても疑われている。 潔白を証明しなければ……。 .
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私は蛾。
そう、我は蛾なのである、蛾だけに。
.
我という認識は重要でない虫けら一匹が、出力できない言葉で思考できるようになったのはつい2025年前。
ある日、ひらひらと当てもなく街頭の周りを彷徨っていた時の出来事。
帳を迎える前に世界が"閉じて"しまった。
.
黒一色、夜以上の暗闇がこの世にあるなどと虫けらたる我は知らななんだ。
うろうろ、うろうろ、光を求め狼狽し続ける事……恐らく100年程。
その間は疲れも空腹も感ぜられず、100年の始まりから終わりまで、
ただ光を求めて羽ばたいていたという記憶のみを頼りに黒の中を彷徨いた。
.
そんな折、せいぜい一分のフライトを終えた程度の感慨しかない程度の朝焼けが差し込んできた。
正確には、視界を閉ざしていいた黒が開けたのだった。
.
黒と黒の間、光が差し込む隙間から開くほど見た霊長類の眼が二つ瞬いて、
素っ頓狂な悲鳴を上げる手段もなく羽を無様に振り回す我を眺めていた。
.
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「おやおや、取り残されていたのですね。」
.
.
少女は意外そうに目を丸めながらも、指を狭間に差し込んで光を広げ、我を黒の外へつまみ出してみせた。
.
より高く羽ばたいた我が目にしたのは、視界を覆い尽くさんばかりの"活字の成る木"だった。
材質はオーク材、四角く規則的に切り出されたそれに囲われるのは"本"という、
無数の活字を記録媒体とする、人を人へ繋ぎ止めるための、留まり続ける音達。
.
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「なんじゃぁこりゃぁ」
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.
その時我は無自覚にも言葉を発していた。
そのようにありたいと強く望んだわけでもないのに、人のように。
.
この『他の何物でもない図書館』で、世界の断片となった我は産声を上げた。
..
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■登場人物:我
我は蛾である。
正確には、眠りを得た世界で終わり損ねた断片。
あの世界の唯一の残留物となった我は、
必然的にその世界の記憶を余すことrなく保管する情報記録対となった。
故に我は知っている、なぜあの世界が終わったのかを。
故に我は知っている、それがいかに幸福であったのかということを。
.
それはそれとして散歩先が図書館しか無い余生というのは、なんだかなぁ。
.
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少女の名は『ブックマスター』
かつての世界の知識を得、人並みの会話と思考能力を得た我は「なんとも捻りがない名前じゃな」と形ではなく翼を落とした。
ブックマスター、もといマスターは「過不足無いのでいいとこれが思います」とあっけらかんとして答えた。
マスターは栗のような頭髪に栗のような瞳、白木のような肌、白樺のような色と質感のシャツ、
黒地のエプロンにスラックスという、光の陰影しか記録しない映写機で映し出しても"セピア調"で100%再現できるような容姿の少女だ。
背は低く、骨と皮しかないかのようにやせ細っているが、
何故か気品のあるふるまいと機敏な所作から上流階級の麗人のように見える。
しかし服装は質素でビジネスライク、良くも悪くも人らしさ、人の匂いのしない人物だった。
帰る世界が閉じてしまったので図書館に居候する虫である我に対しても邪険にすることなく、
もてなしもせず、ただ飛んでいる置物であるかのようにどこ吹く風。
マスターはこの『他の何物でない図書館』の館長だ。
他には居候の我しか常駐しておらず、司書の雇用も募集もしていないので管理運営を全て一人で行っている。
最も、『他の何物でない図書館』に来客はとんと訪れず、現れたとしても『本を預けに来るだけ』なので、
彼女は決まった時間に起床し、コーヒー豆を引きながら決まった位置でルーチンを繰り返すだけなのである。
「飽きないか?」
そう何度か訪ねたが、彼女は決まって
.
「もう飽きるほど人生をやってきましたから」
.
と、それはそれは「今が幸福」とでも言わんばかりの微笑みを浮かべる。
.
はたから見ればつまらん女なのだろう。だが我は知っている。
今の彼女にかけるべきは「おつかれさま」の他に無いのだと。
.
故に、こうしてただ『世界を置いてあるだけ』の図書館で眠りを守護する万人であることは、
もはや彼女が得られなくなった「眠り」に等しい安らぎのはずなのだ。
.
彼女は眠らない、眠れないのだ。
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♦
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体感時間35年。
.
前回からかなり早いスパンで新しい客人が来館した。
その客は軍服を着用したマネキンだった。
保存状態がいいのは必然、衣類には「展示ナンバー」を記す札が取り付けてあることから、
保管される事自体が役割であるマネキンだったのだろう。
重きを置かれているのは、カビが生えてそうなのに無菌状態の軍服の方だろうが。
.
.
「失礼するであります!自分は"故郷"を入棺する任を遂行するべく参上仕った展示ナンバー1927番!村瀬大尉の軍服!! 館長殿におかれましては、この記録の介錯を賜りたく!!」
.
余った袖をぶら下げて敬礼し、そのように理解できる言葉ではない音から意を汲む。
実際にはヒューヒューゴーゴーという名窯しがたい風のような何かが鳴っているだけなのだが、なんとなしに言語として認識できた。
.
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「承知しました。」
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マスターは過不足なくそう答え、村瀬大尉の軍服が差し出した本を受け取る。
表紙には「村瀬大尉帝国大戦手記」と記されている。
相当な年月が経過しているのだろう、既にページが風化しかかっている。
にも関わらず、書籍としてのカタチを維持し、村瀬大尉の軍服が袖で懸命に表紙を押さえつけてもページは閉ざせずにる。
.
『言葉は終わりたがっている。』
.
『名は意味を手放したがっている。』
.
『記録は忘却の別れを切望している。』
.
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マスターは、そういった書籍を眼の前にする度ささやく。
実に「いたましそう」に瞼を重くし、
一呼吸、何かを再確認するかのようにして深く吸って吐くと、ようやく掌を表紙にそっと"瞼を降ろさせる"のだ。
.
.
「嗚呼、これが"眠り"。 ありがとう、ありがとう。ようやくこれで、村瀬大尉も……――――――」
.
.
軍服が、マネキンが、カタチを"忘却"し砂へ変える。
時をせき止めていた記録が取りさらわれ、砂が堕ちる。
.
.
「おつかれさまでした。」
.
.
マスターは左手にした「手記」を左胸に添え、右手で敬礼を送った。
.
.
我に手がないことが、しがない虫けらでしか無いことが実に口惜しい。
どうか、安らかな眠りと、忘却があなたを包みこまんことを。
察するに、これは世界への介錯人だ。
色付き文字
終わり損なった世界、終わりを拒まれた世界、記録を永続とされ、存在を固定され、
断末魔の悲鳴を永久とする、朝日に死ねぬカゲロウへの斬首を賜る処刑人。
色付き文字
色付き文字
王子様が星から帰還し、地球で季節労働者となり、貧しく平凡で美しくもない人生を終えてもなお続くただそこにあるだけの物語。
色付き文字
儀を以って身分に抗い、革命の花と散った気高い薔薇が、
"押し花"として原型を留め続け、花にして散る運命を奪われた自由の物語。
色付き文字
彼は治し続ける、医師である限り。そう結論付け手を離した物語の続きを初め、そして終われずにいる"もしも"。
色付き文字
色付き文字
星にあれなくなった少年に輝きを見いだせるのか?
色付き文字
気高さを失った薔薇に目を惹かれるのか?
色付き文字
手放されたものを拾い、生き死にを自由にできたか?
色付き文字
色付き文字
色付き文字
終点を失った運行とは何を意味するだろうか?
迷走、漂流、そして……
色付き文字
生き様への冒涜だ。
.
.
「これはいいものだ。故にこそ我が後世へ残すのだ」
.
彼はそう言った。
.
.
「そう。今あなたが手にするまでは"それ"だった。けれど今は違う」
.
.
彼女はこう返した。
.
.
「物語には尊厳はないと、そう仰せになるか。」
.
.
.
♦
.
.
図書館運営始まって以来の大惨事。
この図書館で発生した事柄は一切記録されないという規約があるので、後に~~事件と銘打つ事はない。
.
しかし、我という記録し続ける蛾からすればやはり銘打つ価値のある大惨事だったのだろう。
我としてはその解決に一役買った、ということを赤文字で念押しして欲しい。
.
.
いつものルーチンは出だしから崩れていた。
図書館はマスターが眠る前と目覚めた後では様子が大きく異なっていた。
床に散乱する活字、紙片、おがくず。見るも無惨に食い荒らされ、死体を積み上げる書籍達。
これは即ち、世界が眠りを妨げられたばかりか、見るも無惨に食い荒らされ惨殺されたに等しい、
前代未聞の、世界規模の大量虐殺に等しかった。
.
マスターは長きに渡るルーチンオンリーのせいで表情筋が麻痺している。
だがコーヒー豆のような円な瞳は、湯どころか火で炙ったかのように憤怒で滾り、
手にしたマグはわかりやすーーーーーくヒビ割れていた。
おお、こういった人間らしいリアクションもするのか……と感心するのも束の間。
.
彼女はじっと、というか初めてがっつり我を見つめていた。
.
もしかしなくても疑われている。
潔白を証明しなければ……。
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