心が恐れを知らず 知識が誇り高くそびえ立つところ
智識が 自由であるところ
世界が せまい都市という壁で 分離されていないところ
言葉が 真理の深みから出て来るところ
疲れを知らないはげみが 完成へと 腕をさし伸ばすところ
理性の清い流れが 死滅した習慣の荒れた砂漠の中へ 道を失わないところ
心がいつまでも拡がる思想と 行動へと
あなたによって みちびかれるところ――
そういう自由の旅路に どうかあなたよ
わたしの心を 目覚めさせて下さい
――――
其れは其れは……
では最後に聴きたいことがあれば聴こう。
「俺の思い出を探している」
――――
用語
・都市
中心のAの巣(1区)から螺旋を描くように巣と区が並ぶ円形の都市。
この世界を中心に、物語は進んでいく。

・外郭
荒野が広がる無法地帯。
人が住んでいる描写もあるが、比率としては人命を脅かす怪物が多い模様。
「頭」によって拒否されて捨てられたものが集まる場所【不純物】を捨てる廃棄場。
・ねじれ
人や物が怪物に変化する現象。
LobotomyCorporation社が折れた際、
放出された光が不完全な状態で都市の人々に蒔かれたことにより、相次いで発生した変異現象。
変異した者は、感情の揺れ幅により解決にも進めば、害を成すこともある。
都市は「ねじれ」も都市の一部であることを容認しており、事件のランク付けがされる。
・フィクサー
事務所や協会に所属する便利屋。
あらゆる業務をこなす何でも屋の総称。中にはフリーで働く者もいる。
9級から1級までの階級があり、1級の中でも特異となるものは、
ハナ協会より「色」を与えられる(特色フィクサー)
・12協会
各々得意分野を持つフィクサー協会。
協会を統括するハナ協会、暗殺専門のシ協会、情報調査のセブン協会など、
フィクサーに分かりやすい「道」を示している。
・特異点
翼(区を管理する企業)が持つ唯一無二の力。
エネルギー抽出、時間再生、重力操作、ワープなど、膨大な力を持っており、
それを利用したビジネスを都市全体で提供している。
黄金に輝く穂波が風を導く。
萌え往く葉先を伝うクリスタルの輝き。
その輝く元の概念の表情を伺う事は出来ず、
ただ敵意の表れを握りしめた拳で示すのみ。
対峙する都市の人間は、背の鋼鉄に手を伸ばし、
弧を描き、その信念を打ち砕く事を誓うかのように抜剣を成した。
鋼鉄に反射する橙にも溶ける日の光が、空間により彩を落とす。
『俺の歩む道は濁流に飲まれている』
『そして此処には堕ちた天使を欲する抜け殻と』
『犠牲の血を見ずして、帰郷を拒んだ穢れた希望』
『お前は、この絶望の世界で、明日への希望を投げ出すんだな』
「零れ落ちた希望の欠片」
「忘れてはならない矜持」
「方向標に沿って輝く思い出」
「だが、時は心を摩耗させる」
「どれほど強く願った想いも、どれほど激しく焦がした想いも」
「その人に紡がれたどの軌跡も」
「決して溢さずにはいられない」
「人は誰しも、希望を抱えながら」
「隣接する絶望に打ちひしがれる」
「故にこそ、記すんだ」
「自身の生きた証を、自身の紡いだ光を」
「レビさん、貴方が示した物語」
「俺の原点」
「今は、ぶつかり合うしかない」
「これは、俺が俺であるから」
「方向標の途中の物語だから」
『俺達は己の運命を投影する作者』
『物語は、二つも要らない』
『……もう、話す事も、話したい事も消え失せてしまった』
『終わりにしよう、ユンフ』
―22区―
緩やかで長閑な雰囲気を保っていた麦畑。
遠方に見えるビルは、麦畑に囲まれながらも都市の空間を保つ。
「いやぁ、豊作だな!」
村人の笑みと共に、稲が刈られていく。
黄金の恵みと、希望を享受した村人達は、傍らで遊ぶ子供達を見て、
幸せそうに口角を上げていた。
「……おや」
老人の一人が、ビルへと顔を上げる。
「揺れてるわね」
女性もまた、何処か寂し気にビルへと視線を向ける。
「すっげー!戦ってるんだ!」
子供達は田舎道まで駆け寄り、両手を振ってビルを見上げた。
ド ン ッ ッ ッ ! !
「村長と仲違いでも起こしたか」
「まぁ、そうなるだろうなぁ」
「村長は不器用だ」
「そして、ユンフも不器用だ」
「なら、不器用な者同士」
「お互いの意地をぶつけるのが」
「お前たちの世界では、普通なんだろうな」
「……」
「都市の人間の俺達がどうこう出来る問題じゃないけど」
「どうか、希望のある結末を迎えてくれ」
「透明の軌跡」
硝煙が塊となり、割れた窓から逃げていく。
黒煙は最早視界さえ奪う暗黒であり、
手練れであっても烈火の中で立ち回る事など困難だっただろう。
生憎、俺の視点に映るのは、薄汚れた都市の空気なんかじゃなく、
帰郷を願う一人の青年のねじれた姿のみ。
結晶内部から伸ばされた掌。
それは威圧ではなく、招きにさえ思える。
俺を理解しているとでもいうかのように、里帰りは黄金色の結晶から色鮮やかな小さな結晶を出現させた。
二者の狭間で、無数の結晶片が炸裂する。
迫りくるクリスタルの結晶。
蒼。
翠。
紫。
紅。
琥珀。
罪悪を司る色達を、ガンブレードで対処していく。
細かな粒子光が周囲へ拡散し、焦げた空気へ虹色の残滓を刻んでいた。
足元では草木が焼け焦げ、黒く縮れ、火粉が断続的に爆ぜる。
熱風が瓦礫の間を吹き抜ける度、灰燼が渦を巻き、視界を薄く濁らせた。
結晶が、脈動している。
鼓動だった。
生き物のように。
あるいは、未だ燃え尽ききれていない怨念の核のように。
「――ッ」
――。
里帰り。
レビさん。
俺は、貴方と同じだった。
そして、逆でもあった。
冒険の始まりは、決して美しいものではなかった。
だけど、美しく彩りを保った人がいた。
認識した重責は、簡単にも絶望の園へと誘った。
だけど、希望を捨てず、勇気を教えてくれる人がいた。
自分自身を司る感情は、在ってはならないものだと思った。
だけど、手を引っ張り、生きる事を誇示してくれる人がいた。
貴方は、俺にとっての大切な人を喪ってしまった人だ。
だから、今の俺が居る。アトリちゃんが居る。
皮肉な話だよな。
ティダの村の存続と、ティパの村の存続は決して共鳴する事は無い運命だった。
決して並列を成さない世界。
だが、俺達は繋がっている。
横に繋がる事は無くとも、貴方から伸びた線は、俺達を紡いでくれている。
レビさん、貴方は既に、俺の過去を垣間見ているだろう。
感情を抑圧した日々から、彩りを経て、
再び憂鬱に沈んでしまった日を。
でも、それはラモエから切り取った俺の一部に過ぎない。
彼女が眠ってしまったその日から、俺は貴方と同様、生きる希望を失った。
だが、それでも、
蒔いた種が。
紡いだ思い出が。
指し示す方向標が。
俺という存在を伸し上げた。
貴方だってそうだっただろう。
数々の仲間が、故郷の人達が、愛する人が。
貴方という存在を希望と称し、信じてきた。
それは、魂の根源から染みついた善性。
貴方がティパの村に希望を紡いでくれたから、
俺はその延長線上に立つことが出来ている。
クリスタルキャラバンとして、貴方は成せなかった事があるだろう。
諦めてしまった事があるだろう。
でも、喪ったものだけじゃない。
貴方が残したものは、あの世界で芽吹いている。
レビさん。
俺は、貴方の未来なんだ。
貴方が成した、希望の紡ぎ。
それは、俺達なんだ。
瘴気の根源を倒し、思い出の管理人を制し、
世界に平和を齎した希望の欠片。
俺達は、成そうとしたことは同じだった。
だからこそ、相容れない。
貴方は故郷を。
俺は都市を。
駆け巡った月日は違えど、
其処に生きた証は在り、
思い出が、種が、咲き芽生える。
旅に正解はない。
心の中にある方向標さえ失わず、
ただ歩むことが出来れば、
自分自身の定めた目的地にたどり着ける。
理解し合う必要は無い。
違いのやりたい事。
貴方がそうだったように、
俺もそうするだけだ。
納得する事はないだろう。
俺が今、成そうとしている事は、
貴方からすれば理解に程遠い幻想の標。
帰郷に心を灯す俺達が、手を取り合えなかった理由。
それは、俺にとって、これが帰郷に繋がる物語だと分かったから。
合点がいったんだ。
都市と俺達の世界を繋げるゲートがある。
其処に干渉する貴方を通して、
俺が成せる希望の紡ぎ。
俺は必ず成す。
俺の方向標。
絶対に、倒れる事のなかったこの方向標に沿って、
歩む。
だから、俺は、
都市の思い出を紡ぎながら、
貴方の事を止めながら、
アトリちゃんを助ける為に、
この『剣』を
ただ
今はただ
思うがまま
力の限り
貴方に意地を見せるために
力の限り
振り上げる。
『……』
「……」
結晶が破壊された里帰り。
都市の夕焼けに、結晶内の風景が溶け始める。
『……』
『結局……俺は帰る事すら出来ないのか……』
「……」
「……」
「……」
『俺はティパの村を救ったってのに……』
『そのお返しがこれなのかよ……』
「……」
「……」
「……」
『でも、それでいいんだ……』
『お前のやりたいこと』
『それは、愛する者の記憶を持ち帰り、里帰りする事』
『ははは、なんだよ、世界を救う事も、帰る事も』
『全部、全部……お前がすんのかよ……俺じゃなく、俺に救われたお前が……』
「……」
「……」
「……」
『やれよ……』
『お前は都市の人間……』
『染まっちゃいねぇだろうけど、所詮は都市の思い出を選んだ利己的な人間だ』
『俺と言う過去を殺して、お前の行路を示せ』
『俺と言う存在を呪いとして抱き』
『せいぜい、苦しみながら生きていけ』
『俺が紡いだ、俺が残した』
『ティパのクリスタルキャラバン』
「……」
「……」
「……」
「大切な人達を喪うことは苦しい」
「だからこそ、俺は喪わないように歩み続ける」
「……そして喪ってしまった人の為には」
「楽しかった日々を思い出すことで、繋ぎとめるんだ」
「俺の心の中に」
『……』
「レビさん、貴方がしようとしたことだ」
「本当は、したかったこと」
「でも、いずれ選択の時が来る」
「全てを選び、何もかもを手に入れる事が出来れば、それは最上の幸せなんだろうな」
「それは無理な話なんだ」
「何かを選んだ上で、何かを捨てなければならない」
「都市では、そんな決断を幾度も経験してきた」
「……そうなったとき、何を選択できるか」
『……』
「結局、自分の心に従うしかないだろ」
「貴方は『声』を聴き、帰郷を望んだ」
「あぁ、そうだ。それは、貴方が捨てた望み。選択したもの」
「だから、俺達はこの世に思い出を残す事の出来る存在となり」
「世界を救うキャラバンになれたんだ」
「……本当に、感謝している……」
「月並みな言葉でしかないが、俺はレビさんを、命の恩人だと」
「希望の存在だと、そう思っています」
『……』
「貴方の心根を掘り返して、ねじれた姿を戻そう、なんて」
「そんな事は考えていないよ」
「まだ、踏ん切りがつかない」
「……でも、今、こうして話していて思うのは」
「貴方も、ティパの村にミルラのしずくを流した時」
「俺が抱える以上の恐怖と、喪失感と、戦っていたんだろうな……」
『……』
「テトさんは、貴方を待っていた」
『……』
「アトリちゃんは、俺を待ってくれていると思う」
『……』
「俺達は、一緒であって、そうでない」
『……』
「だから……」
「……俺は……」
「――」
「――」
「――」
『……』
「――」
「――」
「――」
「俺のやり方で」
「俺の軌跡で」
「貴方を救ってみせる」
「レビさん」
灰色の旅人
散り散りとなったクリスタルに映る風景は、
嘗ての故郷から見えた夕焼けの色。
項垂れる里帰りを前にして、透明の軌跡の手元には、旅人の思い出が強く輝きを放っていた。
『俺を……救う……?』
『バカが、縋りに縋ったミルラの結晶の中から引きずり出して』
『何言ってやがる……』
「ねじれを解決するためには段階が必要だ」
「強い信念を持った、叶うはずもない願望を掲げたねじれであるほど」
「その心の解消は難解だとされている」
「だから、まずは貴方に俺の声を聴いてもらえるよう」
「貴方にその世界から出てきてもらいたかった」
『……』
「レビさん」
「俺は、思い出を探し、作り、護るために都市を奔走する」
「最初はただただ取り返したかっただけなんだ」
「都市に着いたばかりの俺だったら、貴方の言葉に首を縦に振っていた」
「だけど、俺は軌跡を描いてきたんだ」
「7年目の旅路を、この都市で」
『どうせ、碌でもない旅だったんだろうが』
「本当、酷い世界だよ」
「命の軽さは勿論、人を傷つける事など造作もない世界構造」
「倫理観など掃き溜めに沈む砂より価値も無く、互いが互いを突き刺し合う世界だ」
「だが、俺はそんなクソッタレみたいな世界で」
「絶望に沈みながらも」
「それでも前へと進む人達と出会ってきた」
『……』
「その人達は、俺の軌跡に思い出を乗せてくれた」
「本に綴り、物語とする」
「俺の人生における小道だけど、いろんな方向に繋がった思い出」
「……レビさんが歩む道」
「俺は、その道に繋がった一つの小道で生きる存在」
「俺だけじゃない」
「レビさんの道に、色んな道を作った人たちが居ただろ」
『……』
『……』
『ミルド=デリス』
『ラ・セナ』
『トルブジータ』
『……テト……ホーリー……』
「俺達は、たくさんの記憶を抱えて、この世界に生きている」
「不安に押しつぶされそうになって、闇に心を預けたくなる夜があっても」
「俺たちが諦めずに生き続けていれば、世界は夜明けを連れてきてくれる」
「貴方が生きる始まりの朝に、大事な人たちの記憶が寄り添ってくれる」
「だから忘れないんだ。人の死を」
「恐れず生きて、繋いでいくんだ」
「それを、貴方は成そうとしたはずだ」
『……』
「場所が違うだけだったんだ」
「貴方は故郷で」
「俺は都市で」
「その過程で心の縁を彩った」
「だから俺は、決して都市を捨てようとはしない」
「俺の意地」
「本当は貴方の手を取りたくて仕方がない本能が、俺の心を抑え込もうとするけれど」
「……」
「全部、いい思い出にしたいから」
「俺は貴方を救う事にしたんだ」
『……』
『どういうことだよ……』
『何しようってんだよお前は……』
『俺を救うって事は……都市を消す事だぞ……』
『俺が何するか、分かってんのかよ……』
「貴方が世界統合を成す必要は無い」
「貴方は帰れるんだ」
「ティダの村に」
『は……どうやって帰すってんだ……?」
「このE.G.Oは、ラモエから抽出された自我の塊」
「都市と故郷を繋ぐ川へ、釣瓶を垂らしたが故に出来た産物」
「皮肉にも、俺が都市で紡いだ思い出も、故郷の思い出も綴られている」
『……お前の思い出……』
『お前の記憶となる、核か』
「レビさん」
「旅人は、胸に思い出を抱えて生きていくだけでなく」
「忘れない為に記録を持つ事だってする」
「貴方も旅日記を持ち、手紙を書き、思い出を残していったと思う」
「俺もそうだ」
「いつだって思い出は傍にあり、忘れないようにと記してきた」
「思い出は、過ぎ去った過去じゃない」
「これから出会う困難を打ち砕く為の、最も鋭く、最も温かな剣だ」
『――お前――』
「都市での出来事も例外じゃない」
『……』
「これは、俺の思い出そのもの」
「確かに外郭において、ラモエから抽出されたものかもしれないが」
「きっと、本当の抽出元は、もう片方の『思い出の管理人』なんだろうな」
――旅人の思い出(クリスタルクロニクル)
ティダの村という絶望の園から誘われる触媒であり、
ユンフの思い出を書き綴った故郷の冒険記。
其処には彼の軌跡が描かれており、
一人の少女を想う筆先が散りばめられていた。
それらの字は全て『思い出』として保管されている。
ユンフが冒険で得た彩り、蒔いた種、方向標。
あらゆる感情が乗った、彼だけのE.G.O。
外郭の研究所、L社の前身となる嘗ての存在。
その時代に培われた技術で、ラモエから抽出されたE.G.O。
いや、正確には、ラモエと共に誘われた思い出の管理人である、
『ミオ』から抽出されたE.G.Oであった。
『そいつがなんだってんだよ……』
『俺達がラモエと戦っている時、一切の姿を現さず』
『剰えラモエに吸収されたやつが』
「ミオさんは忘れ去られた思い出を基に、ミルラの木、そしてしずくを作っていた」
「今を生きる人々に希望を持ってもらえるよう、あの人は戦っていたんだ」
「思い出は不定形で、俺達がどれだけ想い焦がれていても、忘却に消え往くものだ」
「思い出すには、別の力が必要になったりもする」
「あの人は、思い出をそうしてしずくに変えて」
「生きる力を俺達に与えてくれていたんだ」
「その力は、やがて魂にまで澄み渡り」
「希望という名の太陽を心に灯す」
『……』
「違和感はあった」
「アトリちゃんの思い出を喰らったアイツが、俺の心根を示すようなE.G.Oを出すのか」
「だが、実際の所、クリスタルワールドで散っていったミオさんが築いた」
「ティパのクリスタルキャラバンの思い出の結晶だったんだろう」
「『旅人の思い出』」
「アトリちゃんがミオさんの問いに思い出で答え」
「ケアルで思い出をミルラに変えた残滓」
「俺と彼女の思い出が入り混じった」
「ミオさんが残した『記憶』そのもの」
『……』
「そんな思い出とは別に、人間ってのは『記憶』する」
「思い出とは異なる、無機質な概念」
「存在に刻まれた履歴」
「感情の有無すら問わず、ただ『在った』という事実を保存するもの」
「魂の深層に沈殿し続ける存在証明」
「例え忘れた事があったとしても」
「記憶という永続的な刻印は」
「嬉しかったことも、苦しかったことも、赦せなかったことも、愛したことも」
「其の全てが堆積し、圧縮して、一人の人間という鉱石を輝かせる」
「削れば痛む」
「砕けば散る」
「然し、磨けば――光る」
『……』
「思い出は『鍵』なんだ」
「感情が触れた過去」
「涙の熱、抱擁の柔らかさ、別離の冷たさ」
「忘れ去られてしまうもの」
「でも、そんな脆い鍵こそ」
「記憶という、魂そのものを変えてしまう強い輝きを、開放出来るんだろうな」
『……お前……』
「……レビさん、貴方は、忘れ去られてはならない人だ」
「それも、都市ではなく、故郷に刻まれるべき存在」
「貴方に今、必要なもの」
「決して今は手に入らないものだ。ただ帰るだけじゃない」
「貴方は、希望を持って帰らなくちゃならない」
「ケージいっぱいの」
「『ミルラのしずく』を」
『――』
「このミルラのしずくを、貴方が纏ったクリスタルに継ぎこみ」
「地下の川と繋がる事で、故郷との繋がりを確固たるものにする」
「その橋渡しを、俺がする」
『――』
「都市じゃ手に入らない」
「でも、ただじゃ帰れない」
「統合はさせたくない」
「……」
「……」
「あぁ……くそ……」
「難しいな」
「言葉が纏まらない」
『……何故、そこまで……』
「……」
『お前は、帰郷を願った人間だろ』
『成せる人間』
『なら、その全てを搔っ攫って生きていけばいいだろうが』
「都市のやり方に沿っていくなら……」
「今此処で、貴方を倒して、再び都市を駆け巡るんだろうな」
「本当はそうしてでも成し遂げたい事がある」
『なら!』
「俺は成せる人間なんです」
「貴方が築き上げた、希望の存在」
「だから」
「だいじょうぶ」
『――』
「俺に出来る恩返し」
「本当に今更だけど」
「ティパの村のクリスタルキャラバンとして」
「俺の出来る事」
「……そして、レビさん」
「お願いがある」
『――』
「生きて欲しいと願った人の分まで」
「どうか、貴方は旅をして欲しい」
『――』
「俺達の救った世界は、貴方が救ってくれた世界は」
「こんなにも高く、こんなにも広く」
「こんなにも美しいと」
『――』
「――」
「――」
「――」
「どうか」
「良い旅を」
旅人の思い出が強く輝く。
そうして放たれた光は、ビルの一室全体に広がり、
二人の姿を包み込んでいった。
―クリスタルワールド―
白一色に染まりかけた世界の中央。
空間そのものが結晶化したような、そんな世界。
ところどころに浮かぶ緑は、生命というより記憶の残滓めいて希薄で、
広大な無機質の中に取り残された色彩があった。
<また、来てしまったのね>
<ユンフ>
全身を光で纏った存在が、声を響かせる。
光で輪郭を覆ったその声の主は、静かに浮遊しながらも、ユンフへと声を掛けた。
「見ていたんだろう」
「俺のE.G.Oから、全てを」
<えぇ>
<……思い出を、たくさん紡いだのね……>
<強く光り輝く思い出を>
<あの時のあなたは、満たしきれていないしずくだったのに>
「あの時の俺だって、一年で色々紡いだんだ」
「……と言っても、そうか」
「俺の隣に立っていたあの子は、もっと強く輝いていたんだもんな」
<そう>
<あの子は、決して忘れたくない思い出をたくさん抱えていた>
<だからこそ、ラモエに打ち勝てた>
「俺には無かった、光り輝く思い出か」
<今のあなたは、とても多くを紡ぎ>
<とても多くを抱いて、とても多くを語り継いでいる>
<本当に、本当に>
<綺麗で、強く輝いているわ>
<……>
<だからこそ、どうして此処に来てしまったの>
「……」
「思い出という『鍵』を以てして」
「貴方はラモエの元に導いてくれただろ」
「それは消えかけたものではなく、確かに覚えているもので築き上げた行路」
「……ミオさん」
「貴方の思い出の管理人としての力を、ミルラのしずくを築き上げる力を貸して欲しい」
<……それは……>
「俺の記憶で、ミルラのしずくを作る」
<……>
「消えかけた思い出ではなく、強く輝く光を纏う思い出で」
「その『鍵』で、俺の持つ『記憶』で」
「このE.G.Oごと」
「レビさんを帰すんだ」
<あなたのやろうとしている事は分かっている>
<……あなたの旅日記、そして記憶を触媒として>
<ティダのクリスタルキャラバンを帰すのでしょう?>
<でも、あなたはまだ生きている人間>
<都市という世界とはいえど、帰ってこようとする意志のある人>
<何故……>
「……」
「……」
「これは打算的な面もあるんだ」
「過去のティパのクリスタルキャラバン達は、レビさんをティダの村へと連れていこうとした」
「それは彼にもらった希望を体現したものであり、同時に彼に生きて欲しいと願うが故の利己」
「でも、それは叶わなかったんだ」
「きっと、悔しかったと思う」
「二度もレビさんに救われたティパの村」
「クリスタルキャラバンが受け継いできた希望」
「それは俺だって同じだ」
「俺だって、クリスタルキャラバンなんだ」
「だから、ティパの村の利己を貫き通すために」
「俺はレビさんを帰したい」
<……>
「其処までは、クリスタルキャラバンとしての俺の願いだ」
「本当の俺は……アトリちゃんを救いたい一心だ」
「そして其処には俺が居て、旅の続きをしようって」
「そう、言えたらなって……」
「……」
「でも、今、都市と故郷を繋いでいるのはレビさんなんだ」
「そして繋ぐ経路となったのは、ティダの村であり、俺の冒険記」
「全ては繋がっている」
「其処に思い出という鍵を差し」
「俺の持つ記憶、『旅人の思い出(クリスタルクロニクル)』を流し込めば」
「レビさんの帰郷と共に」
「この旅日記に秘められたアトリちゃんの思い出を、還す事が出来る」
<……>
「まさかティダの村のクリスタルキャラバンと都市で出会えるなんて思わなかった」
「ラモエの奴がいる事は、漠然とだが分かっていたし」
「L社でまとめた情報を考えれば、今も聳え立つ図書館ってところにまだ囚われているんだろう」
「其処に辿り着いて、奴から奪われたアトリちゃんの記憶を取り戻す事が」
「俺の都市におけるゴールだと思ったんだけどな」
「意外な結末ってあるんだよな」
<……ユンフ……>
「そうさ」
「確かにレビさんを見捨てれば、わざわざ俺がミオさんに頼み事なんてせずに済む」
「でも、それは出来ないんだ」
「彼ももう、俺の方向標の行路の一つに立ってしまった」
「そうなったら、もう」
「これから消え往く俺の思い出の一つになって欲しいって、願ってしまう」
「そうして描いた軌跡を」
「きっと、彼女も見てくれるだろうからって」
<……>
「俺の思い出で」
「レビさんを帰してあげて欲しい」
「そうして、この冒険記に記された記憶を」
「――」
「――」
「アトリちゃんに、渡してくれないか」
「頼む。ミオさん」
<……>
<……でも、そうすると……>
<あなたの記憶は……>
「消えんだろうな」
<――>
「んな顔すんなって」
「見えないけど」
<……>
<あなたの冒険記>
<本当に、どこまでも強く輝く希望の灯火>
<でも、それは……あなたが歩くことの出来る>
<方向標なんでしょう>
<それが無くなったら、あなたは……>
「なんとかなる」
<いいえ>
<強がってもダメ>
<自分が一番よく分かっているはず>
<あなたは憂鬱から這いあがり>
<憤怒に身を焦がし>
<傲慢にも道を拓いて>
<想いを伝えようとした>
<でも、それはあなたを支える芯があったから>
<それが無くなってしまったら>
<あなたは……>
「……」
<まだ引き返せるわ>
<方法なんて探せば、きっと>
<あなたのやり方で、いくらでも――>
「これが」
「俺のやり方なんだ」
<……>
「ミオさん」
「頼む」
「これ以上」
「引き留めないでくれ」
<……>
<……>
<……>
<辛そう>
<ラモエの好きそうな、苦い顔>
<でも、決して哀しいからじゃない>
<希望を、紡ぐのね>
<思い出で>
<あなたの方向標を>
<……>
<あなたにとって、とても辛いことだけど>
<絶対に、成し遂げるわ>
「……」
「……」
「――ッ……」
「……」
「……」
<冒険記を出して>
<そして、とても美しく、そして残酷だけど>
<あなたの一つ一つの輝きはとても強くて>
<一度に総てを紡ぐ事は出来ない>
<その一つ一つを、貴方の手で手離して>
<しずくに変える>
<そうしたら、彼を帰して、彼女を還す>
<……出来る?>
「……」
「……」
「……」
「……」
「……あぁ」
手を、添える。
光り輝く冒険記。
俺を彩り、種、発芽、感情。
あらゆる利己を提示してきた、俺の結晶。
不思議と手先に震えはなかった。
心はまだ揺れ動いているというのに、
俺の身体は、さも覚悟を決めきったかのように動く。
「……」
あぁ、いやだなぁ。
これから俺は、
皆に示した軌跡を、
方向標を、
壊さなくちゃならない。
あぁ、本当に。
本当に……。
……。
「……」
……レビさん。
ありがとう。
俺は貴方という存在に命を紡いでもらっただけではなく、
希望として人生に方向標を打ち立て、
隣の太陽と共に瘴気を晴らす事が出来た。
その旅の延長線を俺が彩り、一人のクラヴァットが成した利己を、
思い出として描く事が出来たんだ。
貴方から貰ったミルラのしずく。
本当に、本当に遅くなってしまったけれど、
今ここで、
俺が返すよ。
それが、ティパのクリスタルキャラバンとして成したい、
利己的な村の物語だから。
「……」
……。
君は……笑ってくれるかな。
……。
どうか、笑顔であって欲しいな。
「……」
開かれた冒険記の一頁に指を掛ける。
摘まんだ指先に、迷いはない。
この冒険記は、俺の記憶。
思い出で描かれた、俺の魂。
それを、今から、
俺は――。
――。
――。
……ハッ……。
「――」
俺の利己を貫き通す為に
「――」
君へ還すよ。
「――」
みどりの美しい丘の間をぬうようにしてリバーベル街道を行くと――キノコの森と呼ばれる場所に近づくほどに自分が小さくなって――ページを破る
大陸を二分するクトリーマ山脈にゴブリンの壁はある――ギガ―スの主人に、ラミアの奥さん、トンベリコックまでそろって――ページを破る
ティダの村にミルラの木が育ったのは、村が滅んだあと――平和の時代のシンボル、ヴェオ・ル水門――ファム大平原の南の森の奥に、大きく口を開けたセレパティオン洞窟の――ページを破る
活火山であるキランダ火山は何があるかわからないので――悪魔の巣窟デーモンズ・コート。多くのキャラバンがここを訪れるころ――ページを破る
コナル・クルハ湿原を訪れる。最果てへと長く続く橋に――レベナ・テ・ラ――ページを破る
ライナリー砂漠――ページを破る
ヴェレンジェ火山――ページを破る
「――」
「――」
「――」
薄れていく。
俺の思い出。
全てがミルラに繋がっていく。
なんだろうか。
俺は、確かに歩んだものがあったはず。
歩んだ場所があったはず。
でも、感じられないけれど、
きっと……これで、いいんだよな。
「――」
いやだ。
いやだ。
いやだ。
いやだ。
いやだ。
いやだ。
いやだよ。
破りたくない。
離したくない。
これは、俺の方向標。
贖罪の旅。
なのに、なんで――。
――。
――。
――。
――。
――。
君と旅をしたい。
俺の利己。
でも。
護らなくっちゃ。
君を。
「――」
「――」
「――」
「――」
「――」
ページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破るページを破る――。
ページを――。
――。
――。
――。
――。
アトリ……ちゃん……。
「――」
「――」
「――」
「ユンフ」
――。
――。
――。
アトリちゃん。
俺、たくさん旅をしてきたんだ。
君の記憶を追って、都市って世界に来たんだけど、
最初に歓迎会を開かれちゃってさ。
掃除屋って奴らの相手するはめになって。
それで、黒霧事務所ってところに配属するフィクサーになったんだ。
最初は9級フィクサーでさ、猫探しとか、人探しとか色々して。
あ、フィクサーっていうのは、便利屋で。
恩人との約束で、綺麗なまま君に会う為に、いろいろあって……。
ガンパウダー工房のフィクサーになったんだ。
ならず者の宿舎に居候させてもらったり、
笑う顔に君と俺の話をしたりしたんだ。
色の無い街、時間で色々売買するんだよ。
そんなところで新しい友人が出来て。
太湖という広い湖にも行ったんだ。
泳ぐのも一苦労でさ、本当、参ったんだよ。
そしたら、1級フィクサーになってて。
戻ってきたら、裏路地を牛耳る指達に因縁付けられてさ。
礼儀だったり、信仰だったり、義理だったり、芸術だったり、仁義だったり。
後悔を消し去りたいっていう人もいて。
そんな旅をしていたら、皆が俺を覚えてくれて。
愛と苦痛を解く人と戦って、多くの人に助けられて、
透明の軌跡、なんて言われる特色になった。
そう、特色になったんだ。1級フィクサーの中でも、上澄みの存在だってさ。
まさか俺が、色なんてなかった俺が『色』を授かるなんてね。
でも、透明ってなんだよって話だよな。
どうせなら君の色が良かったなんて思ったよ。
そこからもいろんな人に出会ったんだ。
音楽を好み、家族の為に生きる事を決心した黒達。
人の本質を正しく律したいと願う探偵達。
都市の流れに抗い、導いてくれた赤の案内人と星に誇りを見出した壱の人。
その期待に応えてくれた方角を示した崇高。
利己を示し、俺の始まりを肯定してくれた正義。
誤った選択をし続けても、不変なる愛に身を置いた未来。
帰郷に焦がれても、死した者達の為に生きる事を選んだ希望。
そんな人たちと出会い、彩る旅をしたんだよ。
誰もかれもが、俺を透明の軌跡って呼ぶんだ。
俺、偉くなったみたいなんだ。
色んな人から注目される、そんな人になったんだ。
不思議だよね。俺、そんな柄じゃないのにさ。
君に会いたいってだけなのに、
色んな軌跡を描いていったんだ。
君に向かって伸びる道。
俺の方向標。
君という太陽。
――。
――。
――。
――あぁ、違う。
違う。君に話したい事、たくさんあるんだ。
でも、違う。
色んな思い出を君に伝えたい。
けど、違うんだ。
あぁ、口下手だよな。
くそ、皆の言う通りになっちまった。
……ありがとう。
こんな俺を、彩ってくれて。
本当に、ありがとう……。
俺は絶対、君にまた会いに行く。
それは先の事になってしまうけど、
いつか絶対おはようを言う。ただいまを言う。
絶対に言う。絶対に会おう。絶対に帰ってくるから。
だから、ごめん。
俺の罪を、その時に赦してもらおうと思ったのに、
俺は、ダメな奴だな。本当。
ごめん。
ごめんよ。
あの時言えなかった、俺の贖罪。
どうか、元気で居て欲しい。
俺の事を、思い出として抱えて欲しい。
――。
だから。
アトリちゃん。
俺は――。
君の事が――。
――。
――。
君の事が――。
「――大好きだよ……」
「アトリちゃん」
ページを
破る。―かつての世界―
「……」
懐かしい記憶と共に、懐かしい土を踏みしめる。
手元にはミルラのしずくがいっぱいになったクリスタルケージ。
目の前に広がるのは、俺が想像していた世界ではなかった。
「……」
活気あふれる、人々の声。
修復作業に従事ていることが分かる。
屈強な男達が角材を運び、家々を建てていた。
「わっせ!わっせ!」
「わっせ!わっせ!わっせ!」
端では、弁当を拵えた人達が笑顔で見守っている。
その付近で子供達が奔り回り、快活な声が響き渡っていた。
「……これは……」
ティダの村は、滅んだはず。
俺は帰郷を願ったが、幻想を見せろと頼んだ覚えはない。
ユンフ、お前は都合のいい記憶にすり替えて、俺を夢の中に閉じ込めるつもりなのか。
そんなもんは要らない。
それは希望じゃない。
お前だって俺に紡いだだろう、希望を。
だというのに、お前はなんてことをしてくれたんだ。
俺は、本当のティダの村へと帰り、ケジメを付けて、
死んだ者達の思い出と共に前へ行こうと――。
「ようこそ、光のつどう『ティダの村』へ」
声が響く。
目の前に居たクラヴァットの青年が、目を見据えて俺に挨拶をした。
「――」
「クリスタルケージ、それもミルラのしずくいっぱいの希望――」
「兄さん、もしかしてクリスタルキャラバンだった人か?」
「……」
「俺の婆ちゃんが言ってたんだよ」
「俺のひい婆ちゃんとひいお爺さんが、クリスタルキャラバンだったって」
「今って瘴気が無いけどさ、その時は俺、キャラバンになりたかったんだ!」
「……」
「……」
「……」
「ティダって……言ったか?」
「えぇ?あぁ、そうだよ」
「此処はティダの村」
「瘴気が晴れて、復興中?なんだって」
「――」
「兄さん、疲れてんだろ。上がって行きなよ」
「村長も客が来たって喜ぶだろうからさ!あ、村長って、俺の婆ちゃんな」
青年が遠くへと走り、角材を運び始める。
「……」
ただ、歩む。
その村を。
「……」
遠くに見える、リルティとクラヴァットの子供達。
模擬戦用の剣と槍でつつき合い、逞しくも愛おしい顔で未来を担っていた。
「……」
木箱の上で身体を揺らす、セルキーの女性。
華やかで、それでいて何処か喧しさもあるような、
心地よい音色で、鼻唄を奏でていた。
「……」
家の前で本を眺める老人。
その瞳は、文字に飢え、知識を蓄える若き闘志でさえあり、
夜空に名を馳せんとするような野望を秘めていた。
「……」
俺は、知っている。
彼らのような人達を。
俺は、紡いできた。
彼らのような人達を。
俺は、俺は――。
「……」
歩む。
村の奥地まで、ただ歩む。
俺の家があった場所。
だが、其処には家など無く、まだ片付けきれていないような端材があるだけだった。
「――」
その奥に見えるミルラの木。
なんともまぁ、皮肉なもんだよな。
俺達が潰えた後に、希望なんざ残っちゃいない村に生えたってんだから。
それで救われたキャラバン達も居る。
そんなふうに割り切れるだけ、俺も風化したのは、ねじれた影響もあるんだろうか。
だが、そんな絶望の地が今、復興し始めている。
言葉で表現する事は出来ない。俺の表情が変わっている感覚も無い。
だが、なんだろうな。
「――」
世界は、俺達を見捨てていなかった。
俺達の死は、決して無駄ではなかった。
そう思うだけでも、救われる気がした。
「……」
嘗て黄金畑が在った場所に足を踏み込む。
此処から見える景色が、俺は好きだった。
アルフィタリア城を見据え、その夕焼けに染まる地平線。
ヴェオ・ル高地から流れる風に頬を預け、そっと笑みを浮かべるあの日々。
……。
ユンフ。
お前は、これを取り戻してくれたんだな。
そして、取り戻した上で、俺に見せてくれたんだな。
「……」
ありがとう。
お前が成した事。
そのうちの一つに、
ティダの村が再び歩み始めた事が出来上がった。
お前は知る由も無く、罪悪感に呑まれるだけかもしれないが、
俺は、俺が救ったお前に、救われた俺が。
「……」
この世界を旅する事こそが、お前の希望を紡ぐことになるんだろうって、思えるようになった。
「……」
「……」
「……」
風が気持ちいい。
そうして陽を眺めていた時。
「其処からの景色は、とてもいいものです」
腰を曲げ、目を細めた老婆が、杖を付いて近づいてきた。
「……この景色は、過去にも幾度も見えたもの」
「アンタが見たのは、つい最近か?」
老婆は小さく笑い、重力に従って首を下げる。
「ここ最近の出来事です」
「いくつもの家を建て直してきた中で」
「まだ、此処だけは手を付けられていません」
「それ故に、いつか家が建った折には、家族と共に眺めていきたいものです」
「……ここは、俺の家が合ったんだ」
「家族も居た」
「そして、未来を一緒に見据える妻と、共に待っていた子も居た」
「……」
「旅を……旅を、終えたのですか」
「……どうだろうな……」
「この新しい世界を見て回って欲しい」
「そう、託されちまった」
「でも、その前に」
「ケジメを付けなきゃならねぇと思ったんだ」
「死した者達の為に、俺を生かせてくれた者達の為に」
「俺を、里帰りさせてくれた奴の為に」
「俺は、また旅をしよう」
「そう、思っている」
「……そうですか……」
「里帰り」
「そうですか……貴方は、帰れたのですね」
「村に、家に、故郷に……」
「……あぁ……」
「でも、変わっちまったよ」
「確かに復興しているかもしれないけれど」
「なんだろうな」
「俺の知っているティダの村ではないんだって思うと」
「何処か寂しい気持ちもある」
「前に進んでいる証であると同時に」
「俺はまだ進めていない」
「だからこそ、一度この世界を見て回った方がいい」
「そんな気がしているんだ」
「……では、私が言える事は」
「行ってらっしゃい、なのでしょうか……」
「……?」
「母が言っていました」
「村から見える景色、アルフィタリア盆地から見える景色」
「その夕焼けに染まる日は」
「雨の時は少し寂しかったけれど」
「今は雨が降っても、綺麗な景色が見えるようになった、と」
「――」
「――」
「――」
――テトの、言葉だった。
「長年、願ってきたことが叶い始めた」
「村の復興は、積年の願望」
「代々紡がれてきた希望の証」
「――」
「黄金畑は無いけれど」
「それでも、この景色は」
「此処からしか見れない」
「――」
「私は、この景色が好きなので」
「――」
老婆が、声を掛ける。
老婆は、その皺くちゃな老婆は。
優しい声で、優しい足取りで、俺の隣まで、
しっかりと、ゆっくりではあっても、力強く歩いてきた。
「お母さんが教えてくれていたこと」
「決して希望を捨てず、諦めない」
「お父さんはきっと、そうしているから、と」
「口癖のように言っていた」
「――」
「いつしか必ず、帰ってくる」
「必ず希望を持ち帰ってくる」
「たくさんの思い出を抱えて帰ってくる」
「里帰りしてきてくれる」
「そう、いつも言っていた」
「――」
「――」
「――」
「お母さん」
「諦めないで良かった」
「生き続けて良かった」
「だって、ミルラのしずくを」
「こんなにもいっぱいの思い出を、希望を持ち帰ってきてくれたのだから」
「――」
「――」
「――」
そうか。
生きて、生きていたんだ。
俺が、俺が間に合わなかったと。
俺に生きて欲しいと願う君達は、
自分達も生きる決心をしていたんだと。
その上で、俺を待ってくれていたんだって。
「――」
「――」
「――」
よかった。本当に、本当に――よかった――。
俺は、帰ってこれたんだ。
君達の元に。
君の思い出の元に。
俺達の希望の元に。
「ホーリー」
「……おかえりなさい」
「お父さん」
「――」
「……」
「――」
「……ただいま」
「…………」
「ただいま……ホーリー……」
拝啓 母上様
久しくお顔を拝見いたしておりませんが、
お変わりございませんでしょうか
日が昇れば故郷を思い出し、
日が沈めばその先に希望を見つけ、
旅を続けてきました
旅を続けるのがつらい時もありました
でも、峠を越えた時、
目の前に広がる素晴らしい景色を見るたびに
まだ旅を続けたいと思えるようになってきました
それでは、またお手紙いたします
どうぞ、お体を大事になさってください
かしこ
「……」
「……」
「……おはよう……」
―22区―
無機質なる空間。
崩壊済みの高層建築群。
かつて此処一帯へ絡みつくように繁茂していた黄金畑は、既にその姿を喪っており、
都市特有の陰湿なる冷気と、乾き切った鉄錆の臭気だけが残滓として滞留していた。
「……」
一人の男が、鋼鉄を携えたまま、瓦解しかけたビルの内部より姿を現す。
その歩調は定まらない。
明確な目的地を持つ者の歩みではなく、
何処かへ辿り着こうとする意志そのものが風化した、流浪者にも似た歩行。
或いはそれは、
『帰郷』という概念を喪失した人間の、最後の慣性。
「……」
22区の路地。
其処にはティダの村の面影は無く、
正気へと引き戻された住民達は、崩壊した空間を見渡しながら、
互いの無事を確認し、慌ただしく避難経路を確保していた。
誰かが泣き。
誰かが怒鳴り。
誰かが安堵し。
誰かが膝を折る。
都市に於ける生還の光景。
「……」
男は都市の喧騒の中、ただ歩む。
抜け殻のような空気を一切隠そうともせず、
何の為に生きているのかさえ理解出来ぬまま漂流する、感情の残骸。
人間という輪郭だけを辛うじて保った、空虚。
「……」
歩む。
「――あ、ユンフさん」
「良かった、俺達を解放してくれたんだな」
「助かったよ」
住民の一人、馬車を直して欲しいと頼んだ一人が、彼に声を掛ける。
その声音には、確かな安堵と感謝が滲んでいた。
だが、返答は何もなく、ただ力無く歩んでいた衝撃で、揺れ動いていた首を僅かに動かすだけであった。
「……ユンフさん?」
困惑したように呼び掛けにさえ応えない。
周囲を見渡す。
瓦礫。
夕焼け。
人々。
崩壊。
空。
その背景全て。
本来ならば、茜色に染まっているはずの世界。
だが彼には、何一つ色として映っていなかった。
全てが灰。
全てが鈍色。
全てが、意味を喪った輪郭。
故にこそ、零れ落ちたのだろう。
記憶を抱え。
思い出を持ち帰り。
それを旅路として紡ぎ続けてきた男が。
その存在そのものを否定するような、一言が。
「……」
「誰だよ、あんたら」
その声には、感情が無かった。
困惑も。
怒りも。
哀しみも。
何も。
ただ、空白だけがあった。
記憶を喪失した旅人に映る世界は、
悉くが灰燼と化していた。
何処へも辿り着けず。
何者にも成れず。
何一つ想い出せぬまま。
行き場を失った行路だけを抱え、
彼は、都市を歩いていく。
――忘却された何かとして。
染まる。
決して都市に染まらなかった男の軌跡が、
都市の色に染まっていく。
染まってしまう。
都市に染まらない為に、
都市の色を背負う。
灰色の旅人として。
― Gray Traveller ―
都市に染まる
V社での騒動に終止符が打たれてから数日。
エル村、ソル村に訪れた黄金畑の影響は過ぎ去っていった。
製造施設は廃れ、一画に及ぼした被害は大きなものであったが、
都市の雑多に変わりはなかった。
ある人は道端で嘆き、
ある人は巣に入る為に暴動を起こし、
ある人は己の死を受け入れるかのように祈る。
都市らしい普遍的で、不変的な日常。
そして、都市の不純物であった男は、ただ歩むだけだった。
目的も無く、ただただ裏路地を。
「な、なんだよお前……!急に襲いかかってきやがって……!」
裏路地に跋扈するねずみ。
最早相手にするのも馬鹿らしくなる程の力量差の存在が、隘路で後ずさる。
その正面に立っている男は、鋼鉄を片手に携え、催促するかのように手だけを差し出した。
「さっき内臓取っ払ってただろ」
「寄越しな。俺が売り払う」
「と、特色が何言ってんだよ……!」
「俺の事知ってんのか」
「なら話は早い」
「その溢しそうな内臓を見逃す代わりに、俺が誰なのか教えてくれや」
その黄色い双眸は依然変わらず小さな黒い瞳孔を放ち、突き刺すような視線をねずみへと向ける。
対する末端の存在は、ただ己に振りかかる不運を呪うと同時に、
男が示した提示に疑問を浮かべるだけであった。
「何言ってやがんだよ……俺はあんたと知り合った事はねぇよ!」
「特色の一人『透明の軌跡』つったら、誰でも分かるけど、直接のやりとりなんてしたことあるわけねぇだろ」
「なんなんだよアンタの反応は……!」
「伝聞とかねぇのかよ」
「『思い出を探すフィクサー』だったんだろ、俺」
「漠然とだが、下地だけは分かってきたところだ」
「誰と仲良かったとか、そういうのわかんねぇか」
「知らねぇっつってんだろうが!」
「や、やるなら……やれよ」
「この内臓は、お、俺が届けないと」
「捨て犬の奴らに、こ、殺されちまう……!」
呆れたようなため息を一つ。
男は片手で下げていた鋼鉄を肩の位置にまで上げ、
ねずみとの距離を淡泊に詰めていく。
「ひっ……!」
その武器に込められた力は、決して強いものではなかった。
だが、この武器に今まで込められてこなかった無感情。
慈悲の無い一振りをする前兆を既に物語っていた。
そうして都市でよくある光景が振りかかりそうになった時。
キ ィ ン ッ !
「……」
「……」
慈悲は無い。だが、緩やかでやる気さえ感じられないその一振りに、
輪を纏った高熱機伝の熱源が受け止めるように答えた。
赤い残像を揺るがしながら、その視線はしたたかなものであった。
突き刺すような視線は彼を捉えており、だが敵対を意味するものでもなかった。
「う、うわあああ!!!」
ねずみは悲鳴を上げながら、裏路地の奥底へと逃げて行く。
V社も例外なく、数多の事務所が存在する。
22区で起きた『里帰り』における被害は極小であったものの、
その影響に於いて無視できない人物が居る事務所がある事。
それが此処で示された。
「何者(なにもん)だ、アンタ」
怪訝そうに目や口を尖らせる灰色の旅人。
そんな表情の変化に、対峙する男は僅かに視線を揺らし、ため息を深くついた。
「……」
「幾分か表情を変えるようになったな」
「透明の軌跡」
互いに武器を下ろし、視線を向け合う。
ヴェルギリウスのその台詞に対し、彼は更に眉を潜めた。
目の前の者が誰であるか、記憶には無い。
それ故に、彼の特徴となる赤い瞳。
そしてその瞳が彼を彼たらしめる物である事が分かる『赤い視線』の特色バッチ。
彼はその情報を脳内に咀嚼していき
「……赤い視線か……」
「特色フィクサーだな」
答えに辿り着く。
「……」
「お前程の人間が、何故自身の方向標を見失ったかは想像さえも拒否する出来事だが」
「どうやら人をよく見る癖は抜けきっていないらしい」
「俺の事を知っているようだな」
「そして、今まで会ってきた奴の中で類を見ない程に強い」
「……ユンフ」
「何処まで消え、何処まで覚えている」
「何も」
「旅日記の余白の事も、もう記憶にないか」
「言ってんだろ。俺に記憶は無い」
「お前は一貫して透明であるべきだった」
「何故都市の色に染まる」
「俺が都市の人間だから」
「頭、禁忌、外郭……」
「漠然と身体が覚えていることはある」
「だが、倫理観もクソも無い現状が目に入った時」
「俺は確かに此処に居なかった存在なんだろうなってのは理解した」
「だが、理解しただけであって、覚えている訳じゃねぇんだ」
「……」
「で、赤い視線が何の用だ」
「俺の事務所、孤児院はこの辺りに構えている」
「その時、お前の話を耳にした」
「随分と世話焼きなんだな」
「俺とアンタはそんなに仲良かったのかよ」
「……」
「虚無の旋律、モバイルデッド、8bitタウン、降格急降下席、そして……」
「コンパスのない兵士」
「そんな事件を解決してきた仲だ」
「訳わかんねぇ事件達だ」
「……」
ヴェルギリウスの脳裏に浮かぶ、嘗ての彼の姿。
あらゆる軌跡を思い出として担っていき、大切に書へと書き綴ってきた彼。
そんな姿を知っているが故、目の前の存在が過去の事件を蔑ろにしている様を見て、
ヴェルギリウスは再び、深く、深く長いため息をついた。
「流れに抗った結果が、今のお前なのか」
「都市の流れは残酷だ」
「俺はその流れに抗おうとは思っちゃいない」
「ただ武器を振るうだけ」
「そうしてりゃ、自ずと俺が何者だったのか分かってきてくれりゃあなって」
「……」
「お前は、『思い出の旅人』として都市に抗うフィクサーだった」
「透明の軌跡、などと呼ばれたのも、多くの色を背負い、種を蒔き、思い出という花を咲かせたからだ」
「だというのに……お前の本質は、今目の前に立っているお前そのものなのか……」
「……俺がどんな人物だったか、教えてくれるのか」
「いや……」
「興覚めだ」
「俺が導くには、お前という存在は既に都市に染まり過ぎた」
「自分自身の方向標を見付ける事の出来ていない人間には」
「俺の言葉が、俺の示す流れは理解出来ないが故」
「そうかよ」
「……さっきのねずみを庇ったのは何故だ」
「お前自身が示した抗いだ」
「それを代わりしてくれた、と」
「もう、その必要も無いことは存分に理解した」
「それは決して悲劇でもなく、悲観する事も無い」
「ただ、都市の循環に沈み往く焔が其処にあるだけ」
「……仲良かったにしちゃあ、冷たいんじゃねぇか」
「仲良くなろうとしていたのは、お前の方だったからな」
「へぇ」
「アンタのような怖いおじさんに、俺が、ね」
「……」
「V社は透明の軌跡の本拠地ではない」
「12区、L社の地こそ、お前がフィクサーとして奔走した本拠地だ」
「なるほどな、拠点がそもそもとして異なってた訳だ」
「そりゃあ上辺だけしか知らねぇ奴らしかいない」
「分かったらさっさと行け」
「今のお前の姿は、決して愉快ではない」
「俺の事、吐かねぇと戦う」
「そう言ったら?」
「……」
「は、冗談に決まってんだろ」
「アンタとやり合ったら、とてもじゃないが勝てる気はしない」
「……何の面白味もない冗談を……」
「勝手に失望してんじゃねぇ」
「俺は俺だ。例え抜け殻であろうとも」
「今こうして話し、歩き、感情を露呈させている」
「過去に縋るつもりはない」
「俺は俺という存在を知った上で」
「この都市を歩む」
「……」
「じゃあな、赤い視線」
鋼鉄を片手に提げたまま、彼は都市を歩む。
その背を眺め、一人の特色は心痛なる想いを抱え、
都市に見えた希望の種の一つが潰えてしまった事に、
ただ残念で仕方がないと唸った。
―12区―
裏路地の夜を数度乗り越え、彼は足で12区へと踏み込む。
途中の食糧調達に於いては、見知らぬ人間からの恵みを受け、
感謝はしつつも、身に覚えのない恩返しにただ困惑を重ねるだけであった。
嘗ての活動地が12区の何処なのか。
その情報源を探りつつ、彼は武装解除せずに12区の一画を歩む。
「巣と裏路地の境界がない」
「こりゃ、翼が折れたって奴か?」
22区における生活は、極端であった。
巣と裏路地の両方を行き来した彼は、その格差をよく理解している。
それ故に、12区はその格差が崩壊した世界であった。
図書館が出現……L社の崩壊から、その秩序は消え、
彼が大枚を叩いて出動させているツヴァイ5課の力添えが合ってこそ、
無法地帯にはまだ届いていない世界観を保っていた。
「さて、俺が活動していた12区にやってきたわけだが」
「……広いな」
「ただでさえ境界地から入国審査をするとき、クソだるい検問を受けてきたってのに」
「これじゃあ虱潰しにしかならねぇ……」
頭を掻きむしりながら、都市特有の地図を眺める。
情報は杜撰で、パンフレットというにはあまりにも粗末な案内図。
それもそのはず、12区は最早折れてから久しい。
最早体裁を成していない一国であるが故、他からやってくる人間など、
空き巣に近しい碌でもない者ばかりなのは必然である。
それでも住民がまだ存在するのも、いや、正確にはまだ逃げていないのも、
他区へ行く手筈が整っていないか、もしくは既に保護されている身分であるか。
「とりあえず巣に入ってみるか」
「だが、話によりゃあそこは既に無法地帯」
「いや、裏路地も関係ねぇか……」
「さっきも捨て犬の連中に絡まれたし」
「その規模感が違ってくるってだけ」
「黒雲会とかいう団体は既に『狼の時間』によって蒸発」
「情報統制はされているが、入ってくる情報はどれも12区の巣で何が起きているかわかりやすいもの」
地図の端を指で弾き、紙面を整えると折り畳んで懐へと仕舞い込む。
雑踏が階を築くように響く中、彼は再びその人混みへと歩んだ。
「なるようになんだろ」
―12区 巣―
嘗ては床に沈殿するような霧が立ち込めていたが、
現状は霞み始めた霧となっている12区の巣。
一寸先の輪郭も覚束なかった頃とは異なり、
その視界は意外にも以前よりかは良好であった。
「なんだよ。V社の巣とえらい違いだな」
過去に訪れた巣の状況。
そんなことを知る由もなく、彼は文句を垂れながら霧が纏うL社の巣を歩む。
鋼鉄を背に掲げたまま、宛ても無く巣の中を彷徨う。
高速道路を抜け、商店街のような市街地を抜け……。
「……あそこに見える建物……」
「あれが図書館って奴か」
L社が立ち上っていた位置。
其処には樹木のような建物が聳え立っており、
まるで自我の塊のような、そんな強さが幹として育っていた。
「随分と面白い建物(たてもん)だな」
「L社ってのはどうやら感覚のバグった連中が多いのかもしれねぇ」
「そんなところを拠点地にしてたのか、俺」
「ったく、後は何処のどんなところで働いていたのかがわかりゃいいんだがなぁ……」
はぁ、とため息を深く付く。
午後1時、霧の隙間に陽光が広がり、ゆらゆらと輝く。
そうして散策を続けていた頃。
「止まりな」
彼の前方を20~30人程の一団が道路を塞ぐように立っていた。
フィクサーか、それともこの地域を支配している組織か。
どちらにせよ不要な血を見る必要は本来ない。
彼が都市に染まる以前からも、そのスタンスは一貫していたものだった。
組織員の一人が刀を肩に乗せながら近づいてくる。
「こんなところを一人で歩いているなんて、危険じゃねぇか」
「どうした?迷子か?」
黒い刺青を入れた集団。
彼が入手した情報の一つの組織。其処に合致する特徴を併せ持った集団が、
小馬鹿にするような態度で彼をじろじろと見定めている。
「自分探しの旅に出かけててな」
「活動地が此処だってんで歩いてんだ」
「センチメンタルな旅をしておいでで」
「何処のフィクサーかは知らねぇが、こっから先はウチら『黒雲会』の縄張りでね」
「通り過ぎてぇなら通行料を払ってもらわな」
「『狼の時間』にやられたっていう組織じゃねーか」
「……てめぇ、何処でそれを」
「知るかよ。自分探しの旅しているようなヤツに入ってくる情報なんだから」
「大したもんでもねぇだろ」
「あんま調子付いてると――」
霧の中でも光る雲工房の代紋。
その刃先が瞬時にユンフの首元に沿う。
「マジで斬るぞ」
その行為に対して、イラつきを隠せないのか、
ユンフは眉を潜めるも、一瞥もやらずに目を細めるだけであった。
「止せ」
「そいつは特色フィクサーだぞ」
後方から鼻に付く声が響く。
すると刃はスッと下ろされ、その場の視線はその声の元へと向けられた。
「ウチのもんが失礼をしました、『透明の軌跡』」
「まだ新米なもんで、許しちゃくれませんかね」
「俺の事を知ってんのか」
「伝聞だけですが、S社の地でウチのもんと随分と交戦――」
「あぁいや、ボコボコにしてくれたもんでね」
「そりゃあ被害は恐ろしいもんだったと」
「わりぃけど忘れてんだ」
「しかしS社というと19区か、随分と遠征してたんだな、俺」
「……」
「黒雲会副組長のアラシと言うもんです」
「狼の時間によって荒らされたのは小夜の縄張りでさぁ」
「ウチらはその後釜。親指の方々によって指示された場所を護っているだけ」
「折れた翼の権利を手にするための内郭での戦争」
「そのための拠点を担ってるってところかね」
「そう捉えていただければ充分」
「ですので、本来であればこの先は通行料を払ってもらい」
「こちらの棒を通行証として扱ってもらう手筈なんですが」
「金取んのかよ」
「いえ、見たところ文無し……」
「そもそも特色フィクサー相手にウチらがどうこう出来る手段は持ち合わせていない」
「ですので、先ほどの部下の無礼を赦してもらえれば」
「こちらは好きに通って頂ければと」
「ふ、副組長!」
「黙れィ」
「おめェが意地汚く誰でも彼でも見境なしに検問すっからこうなんだよ」
「……失礼。如何でしょうか、透明の軌跡」
「……」
「要は俺に刃を突き付けたことを許しゃ、通ってもいいんだろ」
「是非に」
「理解した」
「おぉ、それでは……」
「もういくつか聞きたい」
「仰ってください」
「俺以外が此処を通るってなったら、通行料は払うんだろ」
「じゃあ払えなかったら?」
「そりゃ、ウチら黒雲会のやり方で教育します」
「……」
「おいあんちゃん、さっきから副組長にふてぶてしい野郎だ」
「赦してもらってる側がどっちか分かってのか?あぁ?」
「おい、お前、止せ!」
先に絡んできた組織員がユンフの肩に肘を掛け
「ほら、見逃してやるってんだから、さっさと行った行った」
手の甲でペシペシと彼の頬を叩いた時。
「これは後出しの事柄だからいいよな」
組織員の首は吹き飛んでいた。
「……も、勿論……」
アラシは引きつった笑みを見せ、頬についた返り血を拭く事もせず目を伏せた。
「そ、それで……他に聞きたい事とは?」
「いや」
「もういい」
鋼鉄を手に取る。
「遠くで寝転んでる死体を見りゃ、お前達の教育ってのがなんなのか分かるからな」
「――チィッ!!」
「野郎共!!」
最早形振り構わずといったところか、組織員全員が抜刀。
「やれ!!」
「さてと」
「治安維持とはよく言ったもんだが」
「どうやら巣の中はいろんな組織が蔓延っているようだな」
「俺の事を知っている奴はいるかね」
鋼鉄に付着した血を振るい落とす。
霧の中には血潮が溜まり、
その場所から鮮血の足跡が行路を築く。
復讐の輪廻から外れていた男は、
決して何の深い感情も持たずに、
その輪に染み込んでいった。