カオスドラマX 検索除外

Gray Traveller

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心が恐れを知らず 知識が誇り高くそびえ立つところ
智識が 自由であるところ
世界が せまい都市という壁で 分離されていないところ
言葉が 真理の深みから出て来るところ
疲れを知らないはげみが 完成へと 腕をさし伸ばすところ
理性の清い流れが 死滅した習慣の荒れた砂漠の中へ 道を失わないところ
心がいつまでも拡がる思想と 行動へと
あなたによって みちびかれるところ――
そういう自由の旅路に どうかあなたよ
わたしの心を 目覚めさせて下さい

――――

其れは其れは……
では最後に聴きたいことがあれば聴こう。

「俺の思い出を探している」

――――

用語

都市
 中心のAの巣(1区)から螺旋を描くように巣と区が並ぶ円形の都市。
 この世界を中心に、物語は進んでいく。
 画像1

外郭
 荒野が広がる無法地帯。
 人が住んでいる描写もあるが、比率としては人命を脅かす怪物が多い模様。
 「頭」によって拒否されて捨てられたものが集まる場所【不純物】を捨てる廃棄場。

ねじれ
 人や物が怪物に変化する現象。
 LobotomyCorporation社が折れた際、
 放出された光が不完全な状態で都市の人々に蒔かれたことにより、相次いで発生した変異現象。
 変異した者は、感情の揺れ幅により解決にも進めば、害を成すこともある。
 都市は「ねじれ」も都市の一部であることを容認しており、事件のランク付けがされる。

フィクサー
 事務所や協会に所属する便利屋。
 あらゆる業務をこなす何でも屋の総称。中にはフリーで働く者もいる。
 9級から1級までの階級があり、1級の中でも特異となるものは、
 ハナ協会より「」を与えられる(特色フィクサー)

12協会
 各々得意分野を持つフィクサー協会。
 協会を統括するハナ協会、暗殺専門のシ協会、情報調査のセブン協会など、
 フィクサーに分かりやすい「道」を示している。

特異点
 翼(区を管理する企業)が持つ唯一無二の力。
 エネルギー抽出、時間再生、重力操作、ワープなど、膨大な力を持っており、
 それを利用したビジネスを都市全体で提供している。

わったん
作成: 2024/05/19 (日) 19:42:02
最終更新: 2024/06/25 (火) 23:09:10
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428
わったん 2025/12/14 (日) 17:33:45

シナリオ外

彼の歩む設計チームの廊下。
暗く、自我の溢れる道楽さえ放出されたその廊下。
セフィラ達との対話を経て、その道が拓かれる。

「……」

メインルームの全貌は白く、中央に設置された一人用の机。
そして肖像画が並び立っていた。
其処に佇む一人の男。
彼と同じく、黒い短髪にして、黄色い瞳を持つ。
白衣を靡かせ、振り向いたその男の物寂し気な表情を、ユンフは直視した。

「ようこそ、彼女を讃えるロボトミーへ」
「……」
「俺という因子に向き合い」
「「私たち」と言葉を交え、ここまでの悟りを語った者よ」
「傷跡を物語と紐づけ、心の何一つさえ見捨てず歩みを進める者よ」
「その旅路に色彩を、その本に感情を」
「思い出を力とする『人間』」
「やっと会えたな。ユンフ」

「……」
「アインさん」

ユンフの口から出た名を聞くと、男は目を伏せながら小さく口角を上げる。
その名を呼ばれた事に、驚愕でもなく、安心でもなく。
ただ何処か懐かしむように、幾度か首を振った。

「お前が此処に居る事」
「俺が設定した悟りに繋がるシナリオ外の物語」
「決して語られる事もなく、記録に残る事もない静謐な空間」
「光の種シナリオにエラーが発生すれば、全ては特定の時空に巻き戻されるはず」
「だが何故だろうな」
「俺を含め、「私たち」はお前という存在を認め」
「今此処で、こうして言葉を交えている」

一つの机にアインは手を置く。
ふと引き出しを開ける。そして閉める。
無為な行動を一つ、二つと取る。

「俺が今、対峙しているのは……俺には出来なかった事」
「言葉を投げかける事の出来る男だ」
「「私たち」が成そうとする未来に存在する、光を携えた男」

「俺はただの旅人ですよ」

「お前の持つ冒険記の在処から生じた心は」
「カルメンが望んだ世界そのもの」
「この世界は心を失っており」
「彼女を除く全ての人間は、知っていただけで向き合おうとしなかった」
「それが、「私たち」とカルメンの違い」
「そして、お前と云う旅人こそが成せる、彼女の意思の希望」

生じる言葉の節々に、自傷的な語気が交わる。
アインは開け切った引き出しからナイフを取り出し、机の上に無造作に置いた。

429
わったん 2025/12/14 (日) 17:34:05 >> 428

「彼女は喪った魂を、彼らを救いたかった」
「人類を救うという崇高なる正義感を持っていたが」
「非人道的な行為を容認するような俺がその意思を継いだ」
「なんとも皮肉な話だ」
「翼の一つに成り上がり、翼と同じことをしている」

置かれたナイフを手先に納める。
そうして机に線をなぞるようにナイフを突きつけ始めた。

「心の外壁は、心の内側を守る」
「だが、決して光を与える事はなく、傷つく事さえ知らずに終える」
「お前も、似たような経験をしただろう」
「そして、俺の言葉を聞きながら、お前は俺の心の外壁を崩す為の言葉を形成しているはずだ」

「そんな打算的な考えで言葉を綴るような事はしませんよ」
「今まで逢った貴方たちもそうでしたが」
「俺に言葉を投げかけて欲しくて、ヒントを与えているように見える」

ユンフの言葉を聞き、アインは手元を止め、息を吐くように笑う。

「……」
「ユンフ、俺は数千、数万の職員たちの死を繰り返し」
「仲間の人生を奪い、苦しみを繰り返させていた」
「自分の目標を達成するという理由で全てを傍観したんだ」
「この罪は許されることはない」
「それでも……」

「貴方はやるしかない」

アインの言葉に続くように、そして彼が覚悟を決めて吐こうとしていた言葉を、
ユンフは代わりに口にした。

「……あぁ……」
「この数多の悪を通して、一度でもいい。円環の鎖を断つ」
「俺はいくらでも、なんでも背負っていく」

噛み締めるようにアインは言葉を投げる。
机から離れ、彼の前へと歩みを進める。

「俺の……管理人の役目は、ロボトミーのエネルギーを放出させ、光の種を植え付けること」
「人々に、種を植え付けるんだ」
「人間には誰しも、自分だけの光がある」
「俺達は植えるだけで、その後、どう発芽させていくかは、本人達次第だ」
「それが、真の意味で人類の病が治る瞬間」
「……ユンフ、お前はどうだったんだっけ」

彼の目の前で歩みを止め、小さな笑みを崩さず、僅かに首を傾げるアイン。
淀みなく見つめるその瞳に、彼は変色無き眼で返した。

430
わったん 2025/12/14 (日) 17:34:35 >> 428

「俺は元々、種を植える事はしなかった」
「代わりに出会った人達の種を育てようとしていた」
「でも、途中で心変わりしたんですよ」
「俺も、種を植えていこうって」

「……種(思い出)……」
「俺の理想とする物とは違うが」
「人の感情を揺さぶる、大きな力だ」

「俺の深淵に手を差し伸べ」
「俺の種に光を届けてくれた」
「温度を与えてくれた」
「そんな人が居てくれた」
「……貴方も俺と同じだろ」
「その感情の揺れ幅は異なるかもしれないが」
「俺達は利己的な人間なんですよ」

「……」

「本来、暗闇の中を彷徨うだけだった」
「道を拓こうにも、何も見えない」
「だから決めつけた信念で無理やり生き永らえ、ただ死を待つだけ」
「でも、その暗闇に灯りが照らされた時」
「俺達は外壁の隙間から零れ出た一筋の光で、利己を確立させた」
「その後は、その人の為に邁進するんだ」
「それが、俺達のやりたい事、成したい事」
「方向標」

「お前はその方向標に突き進む間に、種を蒔いてきたんだな」

「俺の冒険記に綴る物語だ」

「……ユンフ、お前は何故、種を蒔くんだ」
「安寧の煌めきに説いた『思い出』を、都市の人々に蒔くのは、何故なんだ」

「俺の苦痛を以てして、種に水を注ぐ事」
「俺は……」
「……」
「……」
「花畑を見せたいんです」

433
わったん 2025/12/14 (日) 18:10:50 >> 430

画像1

431
わったん 2025/12/14 (日) 17:35:17 >> 428

目尻を僅かに下げる。
ユンフの優し気な口調と共に、アインは彼の言葉に綻んだ。

「色んな花を飾った俺の冒険書」
「色彩、温度、香り」
「俺に与え、俺に見せてくれた、あの湖畔の輝きを案内してくれた人に」
「今度は俺が見せてあげて」
「多くの花を添えた花冠を」
「……」
「先のことです」

「……与えられた時の夢を見る事はあるか?」

アインから発せられた口調は、他人に向けたものではなく、
何処か、自身に問いかけるようなものであった。

「俺はある」
「カルメンと草原に横たわっている記憶」
「また太陽を横に眠る事なんて出来やしないのに」
「その太陽の囁きを、俺は何時如何なる時も夢見ている」

「……わかりますよ……」

「だが、お前はまだ可能性があるんだろう」
「この一秒の時を駆け抜けて、お前は故郷に帰る」
「シナリオ外のこの物語さえ、お前の冒険記に綴って」
「俺達の事を紡ぐ」
「扉を開けるんだろ」
「彼女が眠っている部屋へ」

血塗られた風景を思い出すアインの表情に、ユンフは目を伏せた。
その過去が、誰にも触れられたくない程、絶望に引き裂かれる瞬間であったが故に。

「だが、この物語を終えるには、お前は結末を書かなくちゃならないな」
「お前を此処へ誘った幻想体の話だ」

「……記憶を奪う怪物」
「……ラモエという奴を、抽出しませんでしたか」

且つての思い出を巡る戦いにて、彼女の記憶を以てして倒した魔物の名前。
ユンフはその単語を口にし、アインへと目をやる。

「お前が持つE.G.Oの基となった幻想体か」
「……残念だが、如何なる「私たち」の中でも、お前が望む記憶を持つ幻想体は居なかった」
「ロボトミーを設立する前……外郭の研究所で制御した幻想体の中に居たのは」
「お前も知る幻想体の一部のみ」

やはりというような諦観にも似た瞳で、ユンフは視線を落とした。

「だが……」
「それは俺達の居るこのループでの話」
「ユンフ、お前は可能性を跨いで此処に来た異世界来訪者」
「それはつまり、何らかの縁に導かれてやってきたということだろう」
「お前が都市と繋がれる原初」
「その線を繋ぎし概念」

「……」

懐に手を当てる。
授かった時から常備していた指輪。
彼は小さく頷き

「オーウェン」

その名を囁く。

432
わったん 2025/12/14 (日) 17:35:26 >> 428

「あの職員もまた、シナリオ外の存在」
「最終的には適応してしまったが、その記憶に纏わる信念は都市で生きてきた中でも燦燦と輝いている」
「……俺は、あの男をよく認識している」
「1万年にも及ぶ時の牢獄の中で自我を保ち」
「悟りを知る為に、犠牲を受け入れ前へ突き進む為に」
「壊れてもおかしくはない程、過酷な道を歩んできた」
「お前の方向標に向かって歩む姿勢に負けない程、アイツは立派な男だ」

アインは机の引き出しから、徐に小さなボタンを取り出した。

「会ってこい」
「今この時だけ、俺が管理人の代わりを務めてやる」

ボタンを人差し指で押下する。
施設に響き渡る警告音。
付随して聞こえ始める悲鳴。

「複雑だろうけど、これが都市」
「俺もまたその一環の人間。だからこそ変えようとする」
「そんな俺の姿さえ、お前は物語に綴るんだろ」

「……」

「行ってこい」

「アインさん」
「貴方が用意した舞台」
「その結末……」
「どうか、最後まで行く末を見届けられることを祈っています」

設計チームから飛び出すように退出するユンフ。
その背を見届け、アインは小さな椅子に腰かけ、肖像画たちへと振り返った。
後は待つだけ。そういうかのように、眼を閉じ、その身体を動かす事はなかった。

434
わったん 2025/12/21 (日) 21:20:58

警報の鳴り響くL社。
収容室の並ぶ廊下を駆け抜ける。
赤色灯が、廊下の黒を無遠慮に切り刻いていた。
その狭間には幻想体と相対する、逃げ惑う、蹲る、多くの職員が入り乱れていた。

脱走。
幻想体複数。
鎮圧失敗。

アナウンスや近場の職員が呟く内容からして、L社の状況は芳しくなかった。
廊下の奥、悲鳴と金属音が重複する。
幻想体が一体、職員を壁際に追い詰めていた。
パニック状態の職員は指示を聞かず、ただ引き金を引き続けている。

「申し訳ない、通ります」

速度を落とすことなく、鋼鉄を抜く。
通り過ぎ様、最小限の動作で幻想体の動線を断ち、
衝撃音が廊下に反響する頃には、すでに背を向けていた。
今は職員の安否を確認するときではない。
彼は歩を進め続けた。


―中央本部―

「ありがとうございます、ユンフさん……」
「でも、まだ他の部署が!」

疲弊しきった表情の奥に、死にたくないという願望を象った瞳。
アーリンは傷だらけの身体を支えるように立ち上がりながら、
中央本部で既に還った卵達に一瞥をやった。

「中層及び下層の鎮圧は粗方片付いています」
「上層に集中した幻想体及びパニック状態の職員については、L社の職員の方々でも対応可能のはず」

「……っ」
「それでも、上層の状況に乗じて、下層の幻想体が再脱走する可能性も……!」

「アーリンさん」
「貴方達のチーフにお会いしたいんです」

「その前に全幻想体の鎮圧を……!」
「そうしないとアイツが!!」

先までの疲弊が嘘のように、切迫した皺が彼女の顔を表現する。
相対するユンフは、鋼鉄の背に戻し、その言動を冷静に凝視していた。

「最高危険ランクの幻想体を一人で鎮圧」
「業務に於いても脱走をさせない」
「中央本部のチーフ」
「そんな人が、この状況で何もしでかさないわけがない」

アインが施したL社の混乱。
彼はその行動の本質に、オーウェンと邂逅出来る可能性を秘めている事を理解していた。
それはつまり、この地獄の状況を制圧してはならない事。
地獄でしか会えない事。
そうすることでしか、彼らは繋がる事がない事。
そして、その地獄を決して野放しにするような男ではない事。

「アーリンさん。貴方達の大嫌いな人に会いたいんです」
「何処に居るか……見当がついているんじゃないですか」

その現実を打ち崩す事の出来ないもどかしさを秘めながら、彼は再び問う。

「……」
「アイツを……あのバカの事、絶対に護ってください……」

「勿論」

435
わったん 2025/12/21 (日) 21:21:28 >> 434

廊下の中央、収容室の前。
此処に来るまでの間に、幾度も幻想体、そして混乱に陥った職員を相手取り、
彼は先まで忙しなく動かしていた脚を止めていた。
懐の指輪から鼓動を感じる。
この逸る気持ちを一刻も早く収めるべきだと感じると同時に、
何処か、懐かしい、原初の感覚が、彼に安堵を与えていた。
扉を開ける。

―逆光時計 収容室―

古いぜんまい仕掛けの機械。
本体の中央部には4つの真空管があり、本体右部にはねじ巻きが付いている。
3つの真空管には光が宿り、その4つ目の空白に何かを埋めんとする意志があった。
だが、その幻想体に対する所感よりも、彼にとってはまず

「よう」

一寸先の暗闇さえ、己の手で熾した光で包み込むような、
決まりきった未来にさえ抗い、己を確立させていくような、
自分という存在を築き上げたような、
決して一言で表す事の出来ない存在の放つ一言に、
ただただ、辿り着いたかのような感覚を覚えた。

「……オーウェンさん……」

436
わったん 2025/12/21 (日) 21:22:42 修正 >> 435

画像1

437
わったん 2025/12/21 (日) 21:23:17 >> 434

青く長い髪。
決して崩すことのない自信気な笑みと、その傲慢さを象徴とする歯。
中央チーフである証の腕章に、覚悟の決まった出で立ち。
オーウェンの姿が、其処に在った。

「俺の事を嗅ぎまわっている特色ってのはお前のことだろ」
「ったく、随分と男前じゃねーの」
「俺にそっちの気はねぇんだけどな」
「だが、俺は男女関係なく引き寄せちまう男……」
「ったく、俺という存在そのものがALEPH並に危険――」
「いや、魅力的って話か?ったく」

「ガンパウダー工房フィクサー、ユンフです」
「ここのどの幻想体を相手にするよりも、貴方を探す方が手間だったよ」

「だぁーっははは!」
「おまけにユーモアもあんのかよ!お前最っ高だな!!」

片目を塞ぐように手をあて、収容室全体に響き渡る轟音を口から発する。
小さく呼吸を整える音を交えながら、オーウェンは細めた瞳でユンフを見る。

「一方的に俺を知ってんのはなんでだ?」
「俺は確かに最高にカッコいいし、べらぼうに優しいし、信じられん程に美しい」
「都市に名が売れてても不思議じゃねぇな。頭も俺の事をきっと都市の星座にしようと躍起になってたはずだ」
「それどころか外郭にオーウェンタウンを作ったって可笑しくねぇ」

「L社の物語における不純物である俺が此処に誘われた要因であり」
「そして、貴方の祖父の、聞いても居ない願望を、俺が目に焼き付けに来たからだ」

懐から遺品を取り出す。
その二つの指輪。刻まれた名と、その銀に輝く生前を物語る傷。
オーウェンはそれを目にした途端、吊り上がったような口角を僅かに緩めた。

「……リバーには会ってねぇんだな……」

「案内してくれますか?」

「無理だよ。わかってんだろ」
「俺も訳わかんねぇんだよな~……俺が幾度も経験してきた道程」
「このL社という中での檻」

「時の――時空の牢獄」

彼の発言に、オーウェンは「わかってんじゃん」と感心しつつ息を吐く程度に笑った。

438
わったん 2025/12/21 (日) 21:23:40 >> 434

「ハムスターみてぇに永遠にぐるぐる回ってんだよ俺」
「だが時に、俺というハムスターは腹が減ったから餌を食いに行くんだ」
「気に入った餌がある。それは走り終えた後にとっておきたい大切な餌」
「だから大事にしまっておこう」
「大切な餌を守った時、俺の目の前は再び回る滑車の中で走り回る視点に移る」
「また腹は減る」
「大事な餌だ。またしまう」
「また滑車に戻される」
「一生進めない」
「気が狂って、大事な餌を食う事にしたんだ」
「そしたらどうだ?俺は自分の脚で、再び滑車に戻る」
「戻れちまったんだよ。俺がつまんねぇ意思を捨てた途端にな」

「……」

「大事な餌はもう戻ってこない。そう思ってたらどうだ?」
「普段通りの顔して戻ってきやがる。俺がどれほどの苦悩を以てしてその選択をしたとしても」
「その日は繰り返され、取りつかれたように俺はただ滑車を廻す」
「今もそうさ。俺の大事な仲間が居るこのループ」
「きっとこれが最後だって思ったら、透明の試練とかいう訳わかんねぇ、今まで経験したことのない……」
「明らかにイレギュラーな世界が舞い込んできやがった」

「……この滑車は、『シナリオ外』のもの……」

「そうだ。俺の奔る今は、ぜってーにあのクソAIがまた丁寧に戻すんだろうな」
「……久々に会えたループだった」
「いやぁ~、あいつら――」
「……」
「でも、代わりに、俺を支えてくれる別の仲間が今は居ねぇ」
「どっちも取りたいのに、どっちも頬張りたいのに」
「俺はどうしようも出来ねぇ」

「オーウェンさん、俺には――」

439
わったん 2025/12/21 (日) 21:24:00 >> 434

「お前はL社の不純物として認識してて、ここの時空が可笑しい事が分かってる」
「それも爺さんの指輪を持った外部の人間」
「……そうか。お前未来の時空から来たろ」

彼の語りを遮るように、オーウェンは言葉を紡ぐ。

「……」
「断定は出来ない」

ユンフはただただ曖昧な返答を口にした。
L社の顛末を知る彼は、その結末に繋がる彼らそのものに未来の話をすべきではない。
答えを直接伝える事は決して無く、その旅路に僅かな希望を以てして、彼は真剣な表情でその意思を伝えた。

「正直碌な結末になんねぇことだけは分かってんだけど」
「まぁそうだよな。それが最もスマートで平等な返答だ」
「……聞きたい事があるんだろうけどさ」
「その前に一ついいか?」

「勿論」

「爺さんは元気だったか?」

「貴方達の帰りを待っているよ」

「優しいなお前」
「同時に自分に対して残酷すぎんだろ」

「俺の思うカッコいいってこれなんだよ」

「ひゅ~~!いいねぇ、俺が言ってたら周りの連中は黙ってなかったろうな!」
「……そうだな、お前はきっと、爺さんのことを導いてくれたろう」
「礼はしねぇとな。俺というナイスガイはいつだって他人の恩義に尽くすのさ」
「長話だよな?」

「口下手なので、短く話せる自信はないかな」

「OK、じゃあ特色っつーその実力」
「そしてお前の瞳から発せられる異常なまでの信念に免じて」
「俺のお供を赦してやる」

オーウェンは幻想体のぜんまいに手を掛ける。
その意味を知る由はなかったが、ユンフはその行為を受け入れるように身体の力を抜いた。

「あーあ」
「……また、これかよ……」
「アーリン、ハリー、フランク」
「……愛してるぜぇ……」

屈託なく切なげな笑み。
そんな遣る瀬無い表情を作りながら、オーウェンは逆行時計に光を灯した。
4つ目のランプに数字が浮かび上がる。
その時計は、収容室だけではなく施設全体を包み込むようにして輝き

440
わったん 2025/12/21 (日) 21:24:20 >> 434



441
わったん 2025/12/21 (日) 21:24:47 修正 >> 434

「……」
「久々だな。これ」
「ユンフ、意識あるか?」

鋼鉄を手に掛け、ガチャッという音で合図する。

「さてさて、それじゃあこれから俺達はとんでもなくカッコいい存在になるぜ」
「なんつったって、さっきのアラートは無かったことになったからなぁ」
「その無くなった分が何処に来るか」

悲鳴の聞こえないL社。
代わりに鳴り響くは、数多の幻想体の悍ましい音。
薄暗く、電力を含めたインフラ全てが停止したL社の世界。
それは、クリフォト抑止力が喪われたL社。

「前の俺はどうだったかな~」
「結果はもう朧気だが、あれを周りに見せたら惚れ直しただろうぜ」
「ったく、俺っつーE.G.Oの扱いに長けた職員だからこそ出来た芸当だったっつーのに」
「お前が混ざったら俺の専売特許がなくなっちまうぜ~ったく」

互いに収容室を出る。
その薄闇の奥底から見える眼光は、一方的な殺意を持った怪物が多く潜む事を示唆していた。
そんな絶望的な状況下、二人は背を互いに預けるように、互いに反対へと歩む。

「大事な話ってのは、全部終わった後にしっぽり語るってのがかっけぇのさ」

「……話の続きは、此処の全員を寝かせた後でいいんだよな」

鋼鉄を抜ききる。

「出来るか?」

十字架の表面、棘の冠を被った頭蓋骨のメイスを抜き取る。
互いに駆け出すその瞬間

「貴方探す方が手間取ったって言っただろ」

「口下手ァ~~~!」

なんてことのないやり取りを残し、二人は幻想体の群れへと駆け込んだ。

442
わったん 2025/12/28 (日) 21:26:35

生気のない無機物の廊下に、人のものではない鮮血が壁に伝う。
先まで存在していた流動は既に潰え、その足元に転がる球体は動く事もなく。
死の概念は無いにせよ、その有様は決して生きていると形容できるものではなかった。
鋼鉄の側面に沿って流れる赤を振り払い、一人の男は戦闘意識を最早興味無さげに解く。
その対となるように、薄ら笑みを常に崩さなかった男もまた、E.G.Oを投げ捨てて小さく呻く。

「ハッハッハァァァ~~」
「お前本当に人間かよ」
「一介の工房製武器片手でこの幻想体の山を鎮圧するとか」
「つーか強化施術もしてねーし、教育強化マニュアルやら限界解除の影響もないんだろ」

自身の怪我、返り血。
戦闘痕跡を隠す事なく、オーウェンは不敵な笑みを崩さぬままユンフへと近づいた。
互いの瞳の色しか、まともに認識できない程に暗い中、二人はその視線を交わし続ける。

「互いに話すにはちょいと暗すぎだなここ」
「まぁ、俺という存在がいるなら、闇の中も光同然なんだがな……フッ……」

「……」

「補助電力がまだ生きている中央本部に行こうや」

散らばった肉塊を避けながら、オーウェンは暗がりを先導する。
彼はその後ろを、力なく追従していった。

443
わったん 2025/12/28 (日) 21:27:06 >> 442

―中央本部 メインルーム―

神々しさの消滅した中央本部メインルーム。
在ったのは管理されることのなくなったエンケファリンの塊と、黒ずんだ血の跡のみ。
廃墟にも近しいその場で、二人の男は地べたに腰かける。
「ウェルチアース」と書かれたソーダ缶を片手に、互いに盃を上げた。

「いつぶりだろうなぁこれ飲むの」
「独特の香りと甘味、元気が溢れるこの感じが溜まんねぇのよ」

赤い缶を口から離し、わざとらしく「っかぁ~!」と喉を鳴らす。
その仕草を凝視し続け、やがて自分も手元に握った青いアルミ缶を口元に追いやった。

「……」
「炭酸水だな。仄かにソーダの味がする」

「俺はあいつに本能作業しかさせてもらえなかったのよ」
「チェリー味のジュースばっかり飲まされたのさ」
「お前が今飲んでんのは洞察作業の――」
「もう完飲したのか?男らしい飲みっぷりじゃねーか!」
「喉乾いても知らねーぞ。まぁどうしても欲しいってんなら俺の飲んでるコレやるよ」

僅かな雑談を挟む。
暗がりに眼の慣れた頃合い、静寂なL社の中で、互いの呼吸と服の擦れる音が神経に感覚を及ぼす。
そうして互いの神経が無残にも落ち着いてきた頃。

「――記憶に関する幻想体
「お前が求めて、俺に会いに来た理由はそいつだろ」

憂いを帯びた柔和な笑みを、同情に近しい感情を以てして、オーウェンは口を開いた。

「俺は勘のいい男だから分かんだよ」
「しかも顔と性格もいい」
「時空閉鎖の概念の外からお前は俺に会いにきて」
「爺さんの後悔を背負って、更には其れさえ持って帰ろうとしていやがる」

「人の頼みを勝手に引き受けた。それを遂行する事は当たり前のこと」

「どうだかな。お前が主とする目的は、幻想体に関する情報を得る事のはずだ」
「その目的に達するために、爺さんとの縁を繋いだだけ。あとはどうとでもなる」
「だっつーのにお前は俺にわ~ざわざ指輪を見せた」
「本来要らねぇ過程なんだよそれは。結果に基づくにはあまりにも非効率的だ」
「あぁ、都市の人間ならな」
「だがお前はそうじゃねぇ。L社の外、都市や外郭どころか、その更に外の人間」
「俺達という存在と、そもそも無関係極まりない不純物」
「だからなんだろうな。無駄な過程を背負って、それを最後まで持って行って」
「……」
「あ~……」
「……」

444
わったん 2025/12/28 (日) 21:27:47 >> 442

オーウェンの言葉が途切れる。
ユンフが成そうとしている現状は、奇しくもオーウェンが取りこぼさず成そうとした夢であったから。
大事な餌を守る過程に意味を成さないこの世界で、それさえ許される事無く牢獄に囚われた人間の憂鬱たる表情が、
彼の瞳に入りこむ。

「……都市に生き往く人々の中でも、そうして過程を拾い上げる人はいる」
「俺は、そんな人達と向き合って、此処まで物語の種を蒔いていくことが出来たから」
「貴方も本来、そうなんだと思う。オーウェンさん」
「そして、そうしようとL社の中で護ってきたんだろ」

コトリッと缶を床に置く。
楽な姿勢で腰かけていたものの、その瞳からはオーウェンの本質を理解しようとする渦巻があった。

「フッ、よ~~~くわかってんじゃねぇ~の」
「オーウェン検定1級の道は近いぜぇ?」
「……で、なんでそー思うわけよ」

「ティファレトさんが言っていた」
「貴方の幻想体を管理するその姿勢は、誰にも傷ついて欲しくないものだと」
「そして、貴方の祖父も言っていた」
「貴方は、誰も傷つける事のない人だと」
「L社という地獄の中でさえ」
「貴方は誰よりも優しく、誰よりも強く」
「誰よりも諦めずに居たと思う」

ユンフは懐から取り出した指輪を眺める。
最早遠い日だったかのような、懐かしささえ覚えるその金属に、湾曲した自身の顔が映る。
それはまたオーウェンも同じで、暗がりの中でさえ見えるその小さな鏡に向かって、小さく笑みを浮かべた。

「お前が思うその人物像ってのはな」
「地獄の中で迷い、憂い、絶望し、諦めた奴にしか味わえない希望みてぇなもんだろうな」

「貴方は正しく生きようとしている」
「……だが、ある人格は貴方をまた別角度で評した」
「地獄を受け入れ、適応して「しまった」と」

自傷するかのような呼吸。
姿勢を更に崩し、オーウェンは天井を仰ぎ見た。

「夢見てたんだよ」
「都市に生きていた頃と違って、俺ァここで正義を貫けることを」

その声色は普段通り明るかった。
だが、同時に少し影を落としていた。

445
わったん 2025/12/28 (日) 21:28:27 >> 442

「俺ァL社に入った頃の記憶が曖昧だ」
「だが、ループを自覚出来るようになった時のことは鮮明に覚えている」
「ある幻想体の収容違反を止めた時だった」
「助けたんだよ。あらゆる職員やオフィサーを」
「誰一人として欠ける事を許さず、死の行進を止めた」
「いやぁ~、あんときは気持ちがよかったなぁ~」
「いつか来るボーナスのことでも考えながら、俺ァ眠りについた」
「当たり前のように明日が来るはずだってな」
「だが、希望の明日はやってこず、訪れたのは希望の昨日だった」
「同じ会話をする俺の仲間」
「同じアナウンス」
「同じ管理方法」
「夢の中だと思ってな」
「いつも通り過ごした。いつも通り救えたんだよ」
「また眠りにつく」
「覚えのある昨日」
「……絶望に塗れた昨日を過ごす事になったさ……」
「……お陰で、絶望を引きづった明日を迎えられた……」

「光の種シナリオの弊害」

「名称は知らねぇけど、そうなんだろうな」
「だから俺は抗ったよ。俺を構成するこの肉体が、記録されているものだってことさえ認識した」
「台本の一部でしかない俺。主役じゃねぇだろうよ」
「だが、モブだからといって正義を主張しちゃいけねぇ道理はねぇ」
「身を引き裂きながら、全てを護りたかった」
「だが全ては無に還る」
「俺の成す事は、なんの意味も成さねぇ」
「だが、それでも俺は諦めることはしなかったよ」
「最善の正義は貫けずとも、俺の思う最高の生存率を常に更新した」

「……まさか……」

「一回事に、俺は職員を見殺しにしながら、多くを救う事にした」
「エラーが何度も耳を殺す」
「その度に、死者を増やし、最低限を見定める」
「正しさだけじゃ誰も生きていけねぇ世界」
「だからといってその正しさの振れ幅を小さくする訳にはいかねぇ」
「俺は、死に往く仲間たちの絡みつく残像を思い出しながら」
「明日を迎え続けた」

ユンフに視線を戻す。
その瞳に映るのは自身ではなく、過去に起きた出来事を追憶するような虚ろな記憶。
オーウェンが最善を取るために見捨てた、職員との記憶。

446
わったん 2025/12/28 (日) 21:29:33 >> 442

「俺は、都市の人間になっちまったんだ」
「大切な仲間を見捨てて、L社の明日を得る事を選んだ」
「多分、壊れたって表現すんのが正しいかもな」
「だからこそ縋りたかったんだよ」
「俺の知る仲間達が生きる日々に」

「……」

「だけど俺は出来なかった」
「お前が評した俺のようにはなれなかった」
「全てを取りこぼさずに居たかったが」
「まぁ、それはカッコよすぎるからな」
「多少傷のある男の方が親しみ持てんだろ」

バツが悪そうに歯を見せて笑う。
そうして空気を換えようとした発言を基に、オーウェンは再び口を開いた。

「……お前の思い出、俺も見たぜ」
「額に収めて飾りたいほど綺麗な風景や、瓶に閉じ込めて部屋に保存したいほど鮮麗な人々」
「多くを護り、救い、成してきただろ」
「だが、たった一つの憂いがお前を此処に誘うまでに」
「その欠片は全ての正しさを投げうってでも集めたい一欠片」
「……クカカ……なんだろうな、なんか似てんな、俺ら」

「そうだな……」

「全てを魅了する程の美しさって奴を、俺もお前も兼ね備えてるからな」
「悪いな、身の上話すんのなんて初めてだったから、つい熱くなっちまった」

「元々聞きたかったことの一つだ」
「話してくれてありがとう」

「いいってことよ」

447
わったん 2025/12/28 (日) 21:31:06 >> 442

「ふっ、こうして礼を言われるのも何年振りだろうな」
「ったく、アイツら――」
 
「『わかりやすい照れ隠し』しやがって」

「――」
「クッ……クハハッッ!!」
「だぁーっははは!!!」

思わず自身の脚を叩きながら豪快に笑う。

「さてはハリーだな!?ったく、何処まで俺の事が好きなんだよ」
「おまけにその様子だと、アーリンも俺について話してたんだろうな!」
「どうりでくしゃみが止まんねぇわけだよ」
「雪の女王の決闘作業中並みにバカ寒かったのはそれが理由かよ!」

「……皆、貴方との思い出を持っている」
「確かに、もう手に取れる程、残っていない欠片かもしれない」
「それでも、貴方はそんな小さな欠片さえ集めようと、大事にしようと戦ってきたんだろ」
「この旅の終着点」
「そこに辿り着く迄は、言葉では言い表せないような苦痛が訪れる」
「だけど、その道中を乗り越えるには」
「そんな小さな欠片が、貴方の力になってくれるはずだ」
「喪い、砕け、奪われる」
「だが、その礎を記憶できるのは貴方だけ」

「……」

「そして、そんな貴方との記憶を語りつげるのも、俺だけです」
「オーウェンさん、貴方はこの地獄の中で最善を成そうと多くを考え抜いたと思う」
「そしてその上で、多くの犠牲を受け入れ、多くの感情と戦ってきたんだろう」
「背負う事が出来るのは貴方だけの戦いだ」
「背負う事が出来るものが限られている事も、過酷で苛烈で、本当に辛いことだと思う」
「だからこそ、やり遂げて欲しい」
「その過程で、確かに貴方を慕い、敬い、嫌ってくれている人たちの為にも」
「どうか最後まで、戦い抜いて欲しい」

「……」
「ったく、L社の物語ってのは俺達はお互いがイレギュラーなんだぜ?」
「だってのに、お前はその物語さえ美しく彩ろうって言うのかよ」

「俺には強く突き立てられた方向標がある」
「その過程が如何なる舞台であり、俺がどんな役であっても」
「俺という人間はその道を歩むただ一人の人間であるが故」
「だからその道の中で、貴方という人と会った小道でさえ」
「綺麗にしておきたいんだ。『楽しい道だったよ』って事も、伝えたい」
「そしたら、貴方の人生を少しでも彩れたんじゃないかって」
「俺の中で、貴方という存在をより良いものに出来るから」

448
わったん 2025/12/28 (日) 21:32:17 >> 442

「――」
「おいおいおいおい、お前マジでイケてんじゃねーの」
「くぅ~~~!オーウェン語録にお前が言った言葉丸パクリしていいかァ!?」
「こんなサイッコーに自己中心的でありながら」
「他者に投げかける言葉が優しい奴いるかよ!」
「あぁ、でも分かったぜ。お前、俺と居るから今輝いてんだな?」
「分かるゼェ~、俺という存在……っぱガイアが俺に輝けと囁いているわけだ……」

高笑いを交えながら、オーウェンは空になった缶を投げ捨てる。
軽い金属の音が響き、それを皮切りに彼は再び表情を小さく落とした。

「俺が記憶抹消技術の影響を受けなくなったのは、ある幻想体と接触してからだ」
「識別名称は『旅人の思い出(クリスタルクロニクル)』」
「あいつは自身を『ラモエ』と言っていた」

「……」

「その日、付きっ切りでそいつの管理をしてた」
「多くの情報を引き出している最中、俺の悲しい記憶が欲しいと叫んできやがった」
「幻想体ってのは何するかわかんねぇからな。俺は断って収容室を出ようとしたんだが」
「俺の脳内にあらゆるノイズが奔った」
「黒い甲冑のちいせぇ種族と、ヘンテコな服装をした詐欺師みてぇな奴」
「魔物に襲われて怯える人々や、瘴気に魘され嘆く人々……」
「……そして最後に、温かい『思い出』が流れ込んできた……」
「……そうか、誰かの家族とのあの思い出」
「お前が探し求める物の一端なのか……」

「……」

「その瞬間、『旅人の思い出』は収容違反を起こしてL社を攻撃し始めた」
「俺は交渉したんだ。俺の記憶をやるから戻れと」
「だが、アイツが求めたのは今までの記憶ではなく、この先の永劫の記憶
「俺がL社で味わう地獄を、ひたすら食らいつくす物語」

「――」

「その日から『旅人の思い出』は出現しなくなった」
「そう、出現しなくなったという記憶があった」
「あとは話した通りだ」
「アイツは、L社の中で眠りながら、永遠に俺の記憶の一部を食っている」

「――」
「――」
「――オーウェンさん、俺は――」

449
わったん 2025/12/28 (日) 21:33:07 >> 442

オーウェンの現状。
それは、ラモエがこの世界に抽出されたが故に起きた地獄。
そのラモエを追いやったのは他でもないクリスタルキャラバンである彼。
ユンフは、その物語の元凶が自身にあることを悟ると、視線を落とした。
そんな彼を、オーウェンは酷く優しい目つきでただ見守り、次の言葉を待っていた。

「……」

言葉を紡ぐにはあまりにも責務が重すぎた。
彼はオーウェンのL社でのループ。その物語の過程を抱える利己的な指針を見せた。
だがその発端は自身にありながら、
地獄を味合わせている相手に投げかけた言葉がどれ程残酷であったかを心の中で渦巻かせていた。

「……俺の言葉が欲しいか?」

「……」

「お前なら大丈夫だろ?」

「……」

「いくらでも待ってやるぜ」

「……」

「待つのは得意なんだよこちとら」

「……」

視線を向ける。
オーウェンは小さく笑い、話してみろと手で合図をした。

450
わったん 2025/12/28 (日) 21:35:10 修正 >> 442

「1万年にも及ぶ光の種シナリオの追行」
「その地獄に向き合わせてしまった……ラモエをやりきれなかったばかりに……」
「……」
「……申し訳ない……」
「……」

「……」

「その苦痛の物語は、美化するにはあまりにも黒く、壮大で、呪縛的だ」
「俺が信じ歩む道。その道を拓いたが故に、貴方という道を封じ込めてしまった」
「追憶する事のない、永遠の苦痛を、与えてしまった」

「……」

「だが、それでも……俺は……この道を……歩む……」

「そうだ」
「この残酷な物語でさえ、背負って行かなくちゃならねぇ」
「お前の瞳から見えたあの信念」
「お前は歩まなくちゃならねぇ」
「お前は、旅人だからだ」
「その軌跡は綺麗なまま、語り継ぐんだろ」

「あぁ……」

「……」
「しゃ~ね~な~……」
「手伝ってやるかー」
「お前は元の世界に帰って、アトリに多くを告げるんだろ」
「そしてこの道もまた、本に綴って読むんだろ」
「だったらシャキっとしろ」
「お前に心配されるほど、俺は柔なメンタルしてねぇの」
「つーか、1万年の苦痛だけじゃなくて、1万年の俺という存在を俺が放出させているんだぜ?」
「考えようによってはお得だろお得!ったく、求められるのも悪いもんじゃねぇな……」

「……」
「……オーウェンさん……」

「辛気くせぇこと言うんじゃねーぞ!」

「……ありがとう……」

「……ったく」
「元々俺はお前を責めるつもりはねぇよ」
「悪いのはそのラモエって奴だろ」
「ほ~んと、俺で良かったなァ!」
「俺という心も器も広い男じゃなかったら、こんなん耐えられねぇぜ!」
「……だからそんな悲しい顔すんじゃねぇよ」
「笑って会いてぇんだろ」
「俺もこの時の牢獄から抜け出す時、笑うって決めてんだよ」

「……」

451
わったん 2025/12/28 (日) 21:36:31 >> 442

「ユンフ、お前には感謝してるよ」
「正直複雑ではあんだけどな……」
「俺に多くの仲間と出会わせてくれた」
「いいか、これは俺の物語なんだ」
「俺が書く本には、大量の仲間の名前が綴られることになるぜ!」
「大作になること間違いなし!」
「ランク1時代の俺様物語から始まり、ランクEXの最強職員武勇伝!」
「極めつけは都市での物語でエピソード0!」
「んでもって……」
「お前の名前だって書くさ」

「――」

「お前だけじゃねぇぞー利己的な人間は」
「そして狂うんじゃねぇ、お前は見据えろ」
「方向標が突き立ってんだろ?迷い、憂うんじゃねぇ」
「その本質は何処までも、力強く」
「秩序さえ切り捨てる覚悟で突き進め」

「……ありがとう、オーウェンさん」

心の枷を取り除こうと、オーウェンはひたすらに笑った。
そうして笑みを浮かべた彼に、ユンフは指輪を取り出し、彼に差し出す。

「……持っていけるかも分かんねぇぞ?」

「貴方達が持つべきだ」
「貴方が取りこぼした欠片の一つ」
「大切な思い出だと思うから」

「ったく」

2つの指輪を受け取り、目の前で輪を見つめる。
常に不敵だった彼の表情は、子供のように柔らかく、そして純粋であった。

「爺さん、ただいま」

暗がりの空間の中、突如ユンフを包むように光が訪れる。
N社の時と同じ、転送を意味するものであった。

「ユンフ」
「頑張れよ」
「俺も頑張るからよ」

「――はい」

光が包み込まれる。
ユンフを形成していた粒子は潰え、その場に残ったのはオーウェンただ独り。

「……ったく……」
「やりきれねぇよな~……」

静謐な空間に、数多の呻き声が響いた。

452
わったん 2025/12/28 (日) 21:36:47 >> 451

O-09-115の収容室。
転送された時と同じ空間に、彼は足を付けていた。

「……」
「ラモエ」

L社で紡いだ物語。
その収穫は、旅人の思い出と表された幻想体である『ラモエ』が存在していたこと。

「ケジメは付ける」
「――待ってな」

そして、彼はただ――
何処にも属さない地図の前で、立ち尽くしていた。

453
わったん 2026/01/04 (日) 19:40:08 修正

幻聴の記憶

―12区 巣―

床に沈殿するような霧が、12区全体を覆い尽くしていた。
それは単なる気象現象ではない。都市が吐き出した疲労と、積み重ねられた諦念が、形を持って滞留しているかのようだった。
幾度訪れようとも、この区画特有の重圧が軽減されることはない。
かつて人と物資が行き交い、活気を帯びていたであろう繁栄の名残は、今や輪郭を失い、霧の向こうに沈んでいる。

ザッザッ……

呼吸をすれば、肺の奥にまで湿気が絡みつく。
空気は冷え、重く、衣服の表面には撥水されきらない水分が膜のように張りついていた。
白ではなく、灰でもない。
煤と湿気と、都市の呼気が混ざり合ったような、濁った霧が路地から路地へと滲み出し、
建物の輪郭を曖昧にし、人の距離感を狂わせている。

「ユンフさん、地理観測の方角は間違いありません」
「しかし、数歩先の人間さえ見えない程に立ち込めたこの霧の中、このような軽装で進むのは危険です」

その声は、霧を押し分けるように背後から届いた。
普段通りの歩幅で道路を踏みしめる彼の後ろ。
南部セブン協会の制服を纏ったセイブが、片手に握った剣を光らせながら端末を覗いていた。

「インフラも正常に働いていない空間です」
「俺からすりゃ、こうして生物の拠り所のない場所の方が、『人間』には襲われずに済みます」

「ですが……」

「今回の依頼は12区巣に所在を構えていた住民からの要望です」
「L社本社から比較的近隣に居住区を構えていた事務所」
「その内部に置いていった『思い出の品』の回収、でしたよね」
「出来るだけ早い方がいい」

その歩幅は変わることは無い。
足取りは一定で、立ち止まらず。
視界を奪われた都市において、歩調を乱すことは恐怖を招く。
なれば彼は、その恐怖を感じさせないよう、セイブへと声を掛けつつも自身の足取りに間違いが無いことを示そうとしていた。

「お願いしますよ、ユンフさん……」
「貴方に触発されてから、私たちは生への渇望が強くなってきたんです」

「ご安心を」
「俺の都市での仕事は護衛ですから」

「ははは、なんだか、特色フィクサーが私のためだけに動いてくださっているという事実が」
「どうにも優越感に浸らせる叙事詩として上等すぎて、怖いですね」

454
わったん 2026/01/04 (日) 19:40:46 >> 453

歩みを重ねるうちに、目的地の気配が濃くなる。
霧の向こう、L社跡地からわずかに外れた街区。
そこには、視認できないにもかかわらず、確かな“存在感”だけが漂っていた。
図書館。
感覚としては、そこに在ると分かる。
だが、到達という概念だけが欠落している。
近づいても、辿り着けない。
都市に生じた歪みの象徴だった。

「……ここに来るまでに、幾度も絡まれましたね……」

折れた翼の巣。
其処は無法地帯を意味しており、指は勿論、その傘下組織やフィクサー協会、他の翼までもが領土を巡り暗躍する。
一介のフィクサーが歩きまわるには、死と隣接した苦痛の空間であった。

「ですが、大多数は刃を隠してくれた」
「少し安心しましたよ」

だが、彼にとっては最早それは試練ですらなかった。
以前であればその存在を確認される度、不届きものによる刃物が彼目掛け飛んできていたが、
今回はただ何故特色が此処にいるのかという疑念の声があがるだけで、戦争の火種は最早煙さえ熾す事はなかった。

「透明の軌跡という肩書きは、其れほどまでに影響を及ぼしているんです」
「貴方のことを語る学校さえありますから」

「ただ方向標に向かって歩んでいるだけなんですけどね」

依頼書の文面を改めて確認する。
セイブが取り出した電子端末に映し出されたマップ。
その目的地と所在地がほぼ同等で有る事を認識する。
目の前の罅割れたコンクリートの塊の内部に、依頼主の目的の品があることを確認した。

「人は誰しも、『これだ』と思う物に向かって歩みはするんです」
「ですが、貴方のように決して折れず、尚且つ向き合いながら歩を進められる人は中々いません」
「それが人格者であるなら、尚更」

首の皮一枚、といった繋がり方の玄関扉は、辛うじて蝶番に繋がっているだけだった。
歩むたびに天井から砂埃や瓦礫の屑が啜り落ち、衣服に纏わりつく。
暗闇にさえ匹敵する程の光の無さに加え、霧による視界の悪さの中、
彼らは思い出の品である『写真』を探していた。

「そうして貴方はいつも決まって無表情で、それでもこう言いたげです」
「『思い出のために生きているだけだ』と」
「……そして、こんな暗闇の中でさえ……」

瓦礫に埋まった箪笥の脇。
視界も定まらない中、ユンフはその隙間に手を伸ばし、額縁を手にする。

「貴方は尚、力強く進み続けている」

「手放しに誉めてくれますね」

「事実じゃないですか」

「曇り空さえ晴らすような太陽と共に時を過ごしてきたんです」
「見えない道は俺には無いから」

写真の明度の邪魔をする埃や汚れを手でそっと払う。
映し出された人々の笑顔が僅かに見えるその額縁の中の存在を見ると、
良かった、と小さく呟き、セイブへと差し出した。

455
わったん 2026/01/04 (日) 19:42:26 >> 453

「ありがとうございます」
「これで戻れば依頼は完了ですね」

捜索用次元鞄に写真を保存する。
暗がりの中、霧の光だけがわかる外へと視線を向けつつ、その後の足取を確認し始めた。

「……ユンフさんの故郷では、写真という物はありましたか」

「いいえ」

「全て、書き留めていたんですか」

「えぇ」

外へ出る。
霧は相変わらず、都市を覆っている。

「……記録媒体は書物のみ」
「此方に来てから随分経ったと思います」
「確かに貴方は記録に残し、種が咲かせた花の色や温度を感じて生きているのでしょう」

周囲に敵性存在が居ない、安全に手を振って帰路につけるか目線で確認する。
その必要もない事を悟ると、二人は再び歩み始めた。

「ですが、都市の物語さえも貴方は包み込み、それを伝える為に記す」
「全てを記憶に留めるなんて、とてもじゃありませんが無理です」
「書き換えられてしまうものだってある。そうして紡ぎ続けた冒険の一幕でさえ、記憶は朧気になってしまう」
「繋ぎとめるには、現物が存在してこそです。色鮮やかにその時を思い返すには、紛れもなく脳に直感的に示す記録が必要です」
「それを味わう事がなければ、人は忘れる。その人と話した会話の内容、一緒に行った場所、顔も、声も」
「……忘れてしまわないのですか、思い出を」

歩を緩めることなく、顔を合わせる事もなく、12区の巣の危険地帯を悠々と進む。
セイブの問いかけには、彼の色があった。
その問いかけは決して問い詰めるものではなく、ユンフの思い出に対する向き合い方に対し、
何処か救いを求めているような色があった。

「セイブさんは、物心ついたときの記憶ってありますか」

「……記憶に残っているのは、母を困らせるような、赤子らしい行動をしている自分ですね」
「……ユンフさんはあるんですか?」

「俺はないんです。物心ついた時の記憶が」
「両親は早くに他界してしまっていたが故に、その声も顔も、俺の記憶に存在しない」
「確かに居た事は、村の人々からの思い出を通じて感じているんですが」
「俺という枠を形成する要因にはなってもらえなかったんです」

「貴方が村長の保護下の基で、村で暮らしていた理由ですね」

「そう。結局、俺の旅路に於いて、『肉親』という存在は彩りを持たなかったんです」
「だからでしょうね。物心ついたときから、僕という存在として、俺は憂鬱に沈みこんでいた」
「ただ、思った事があるんですよ」
「両親は、俺を愛してくれていたんだろうなって」

「……それは、何故……?」

456
わったん 2026/01/04 (日) 19:43:28 >> 453

「ティパの村にはいろんな技術を持った家がありました」
「鍛冶屋、錬金術、猟師や農家」
「俺が生まれた家は、牛飼いだったんです」
「でも、後継人なんざ居ない。残された俺は赤子も同然」
「マレードさんや、村の皆が協力して、畜産業を補ってくれました」

「……」

「だけど、村の人々にも老いは来る」
「俺が一人で立てる頃、牛飼いに従事するには人も足りず、他の業種で手一杯な時だった」
「クリスタルキャラバンになる人は、皆若い人ばかりだったから」
「だから、俺は片手で数えられるぐらいの年齢にして」
「牛飼いの経験を積む事になったんです」
「皆が牛の世話をしているところを眺めていた」
「だから、見様見真似で出来るところもあったのかもしれない」
「ただ、皆出来るはずがないって心配してくれてたんです」

「限界集落においては、役割分担に幼子も担当を割り振られる可能性は十分にあります」
「……ですが、孤児も同然の貴方に……」

「皆、そう思ったんだろう」
「……初めて牛の目の前に立ったんだ」
「何かを学んだわけでもない。責任という漠然とした押し付けられざるおえなかった重圧を感じながら」
「俺は立ちすくんでいた」
「でもさ」
「その時、俺は何故かわからないけど」


【大きな大きな命の責任を担うんだ】
【愛情を以て、村の皆の為にも、頑張るんだぞ】

【大丈夫。皆貴方の事を分かってくれている】
【その小さな手で、命を繋いでいって】


画像1

「声も顔も知らない人の言葉が聞こえてきた」
「本当に言ってたのかも分からない」
「幻聴だったのかもしれない」
「その時の俺は塞ぎ込んでいて、何をするにしても無気力だったけど」
「ただ、その言葉を聞いた時」
「自然と牛の世話が出来たんだ」
「きっと俺の両親は、こうしてきたんだろうって、そう思った」

彼の表情が、僅かに緩む。
昔の風景に想いを馳せる。

「記憶に存在しないけど、声も顔も何もわからないけど」
「それでも『覚えていてくれている』んだと思うんです」
「俺という個は決して俺一人で成り立つことはなかった」
「それを作りだしてくれた人達が居た」
「記憶になくとも、魂に刻んでくれたものがあったから」
「それは、愛してくれていた証だったから」

457
わったん 2026/01/04 (日) 19:44:16 修正 >> 453

懐かしむような口調。
傍ら、セイブは普段から表情を変えない彼のその僅かな変化を見て、瞳を縮小させていた。

「そうして牛飼いを営む俺の様子を、裁縫屋の人達が実は見守っていてくれたって事も」
「俺の両親が、彼らとの思い出を大切にしていたからこそ、気づけたことだったんだ」
「……それに気づけたのは、俺を引っ張りだしてくれた人が居たから」
「俺は忘れないんですよ。記憶が無くなろうと、例え冒険記が無くなろうと」
「俺は、思い出を紡ぐ旅人だから」

「……」
「ご両親から愛されていた事に、気づけたんですね」

「所詮は受け取り手の解釈次第ってところはあるんでしょうけどね」

「……でも、覚えているじゃないですか。貴方も」
「その『幻聴』を」

「……そうですね……」

互いに小さく息を吐く。
笑みを交えたその吐息は、霧の中でも強く輝いていた。


「……これは興味本位で聞くのですが」
「アトリさんとの思い出も、忘れずにいるんですよね」
「聞かせてください。ラックも聞きたがっていますよ」

「いいですよ」

「あの、聞きたい内容は色々あるんですけど」
「……ラックも聞きたがっているっていうのはあるんですけど」
「色恋的なところなんですが」

「……俺が彩る感情においては、自分の中で留めておきたいところです」

「それなら、彼女に向けたその感情の一端だけでも――」

「……」ダッ!

霧を晴らす事さえ厭わない程の超加速。

「あ……」
「ちょ、ユンフさん!待ってください!!」
「いつも優しげに話してくれるのに、何故逃げるんですか!」

L社の巣で展開された思い出の話。
二人は写真を持って、その霧の中を駆け抜けた。

458
わったん 2026/01/11 (日) 18:57:57

空の花瓶

―12区 裏路地―

「業務記録の消去、ですか」

裏路地の一画。
舗装の剥離した地面には濁水が溜まり、瓦礫と腐臭が都市の呼気として沈殿していた。
劈く臭いや陰湿な雰囲気が漂う中、透明を司る特色と、痩せこけたローブの成年が会話をしていた。

「あぁ、そうだ」

依頼人は唾を吐くように言う。
痩躯を覆うローブは、元来の色を失い、煤と湿気に侵蝕されている。
骨張った指先は常に震え、まるで自らの存在を現実に縫い止める術を失っているかのようだった。

「俺が務めていた工場の技術標本」
「今ではL社のエネルギー提供も無く、巣もあの有様だ」
「最早空っぽとなった。価値も無く、金にもならん」
「だが、遺しておくと碌な事にならんのもバカでも分かる」

言葉は粗雑で、文脈は散漫。
だが、その乱雑さの奥底には、計測不能な忌避感情が巣食っている。

「その標本もまた、12区巣のL社付近に展開した工場の中にあると」

「散々世話してやった下位事務所の連中も、はたまた指の連中も挙って工場を荒らしやがる」
「俺個人の手では勿論、一介の事務所や依頼費の嵩む協会に依頼など到底出来ん」

「俺とて良心的な依頼費を請求している訳ではありませんよ」
「ハナ協会に支払う必要のあるライセンス費は、俺達特色の足枷です」

「格安で護衛を請け負う人間が何を言う」
「お前はL社の巣を纏う霧の中に溶け込む事が出来れば、それで良いのだろう」

「……」

彼は視線を外さず、路地の湿った壁面に背を預けたまま、静かに頷いた。

「内容は?」

「知る必要はない」
「中身を知れば、お前も都市の怨嗟に巻き込まれるだけだ」

掠れた声、尚且つ魂の叫びを込めたその眼光が、ユンフの瞳に入り込む。
脅迫や警告ではない。
自身が過去に踏み越えた地平が、都市に於いて残酷な結果を齎した結果であることを彼に伝えようとしていた。

「透明の軌跡、お前の事は調査した」
「その実績や実力は最早口にするまでもない。説明するだけ時間の無駄であろう」

「それなら記録消去依頼とは、どういう意図があるのでしょうか」

裏路地を吹き抜ける風が、積もった塵芥を巻き上げる。
霧は低く垂れ込み、視界を侵食しながらも、奇妙な静謐を保っていた。
その空間を打ち破るように、彼の問いに依頼人は拳を握りしめつつ口を開く。

「……消して欲しいのは事実ではない」
「忘れられなかった記録だ」
「止められなかった判断だ」
「それらがこの世の片隅に、媒体として残る事は、俺にとって我慢ならん事だ」

「後悔」

「言うな。ただ引き受けろ」

「……」
「媒体の受渡はどうしますか。概念焼却機による完全抹消は――」

「その場で消してくれ」
「勝手な話だが、俺の中からその記憶を消す訳にはいかない」
「俺の中には、遺しておきたい」

「……了解しました」

459
わったん 2026/01/11 (日) 19:01:15 >> 458

―12区 巣―

依頼地である旧L社付近の廃墟。
かつて工場と呼ばれていた建造物は、稼働を停止して久しく、
外壁は薬液の染みと煤に覆われ、白を基調としていたであろう躯体は、
今や病的な灰色に変色していた。

「……病院か……?」

都市に長らく生きてきた彼にとって、工場とは幾度も訪れる機会のあった場所。
それ故に、その造形が工場とは逸脱した、正しく病巣を取り除く場所であった事に違和感を覚える。
搬入口の扉は、内側から歪んだように開いたままだった。
侵入の痕跡は無数にあるが、略奪の気配はない。
彼は中へと足を踏み入れる。

ザリッ…

施設として形跡を保ったままのロビー。繋がる廊下。
その最中に見えるあらゆる工具も、機材も、記録媒体と思しき保管庫も、どれも過去を表していた。
床に転がるのは、医療用ベッドの残骸。
点滴スタンド、廃棄された義肢、解体途中で放置された補助器官。
それらは修理のためではなく、保存のために並べられていた。
奥。
最深部の処置室と思しき区画で、彼はそれを見た。

『やぁ』

透明な硝子容器となった頭部。
それは花瓶であり、その内部は淡い色をした水だけで満たされている。
無数の管が伸びた輸血ポンプに、金属製の支持具。
標本かのように技術の文字が書きとどめられた患者服を着た、一人の。

「――ねじれ――」

画像1

460
わったん 2026/01/11 (日) 19:02:16 >> 458

部屋の隅のベッド、患者とも呼べるその風貌。
病院の一室でしかないその空間。

『お見舞いかな』
『それとも……片付け?』

花瓶の内側で、淡く光る粒子が集まる。
その粒子は決して形を成す事はなかったが、声色に併せて表情を示しているようであった。
あくまで不完全な表情であり、完成しない標本のように曖昧なままだった。

「……」
「……」
「……」

水。空(から)。標本。技術。記録。消去。工場。病院。点滴。淡色。見舞。花瓶。
――憂鬱
ユンフの感じ取ったねじれから発せられる大罪は、彼を強く縛り付ける。
深い水の中に入りこんだ感情。
沈んだが故に、深く深くまで入り込んだが故に、日の光さえ浴びる事の出来ない暗闇まで沈み込んだが故に、
その感情を浮き上がらせることは困難である。
この圧迫感は、一個人から放たれるにはとても重く、悲しいものであった。

「お見舞いに来ました」

ユンフは僅かとも長考とも言えない時を経て、ねじれと声を交わす。

『そっか。嬉しいな』
『でもお兄さん。嘘をつくのが下手だよね』
『お見舞いに来てくれたなら、お花は持ってきてもらわないと』

その語り口は穏やかで、
まるで自身に異常でもないかのような振舞であった。

「話し相手になる事も、見舞い品の一つと心得ています」

『うん、そうだね。お話は心の栄養だから』

ねじれの寝るベッドの横。
来客用の簡素なパイプ椅子に腰かけ、ユンフは相も変らぬ瞳をねじれに向け続けた。

461
わったん 2026/01/11 (日) 19:03:54 >> 458

「なんとお呼びすれば?」

『僕は標本。技術の結晶なんだ』
『人としての名前はもう遠い昔に無くなってしまった』
『……だから、『空の花瓶』と、そう命名されたんだろうね』

「それは美しい声が導いた命名ですか」

『きっとそうだと思う』
『僕はその声を皮切りに、以来誰とも話す事さえ叶わなかったから』

自傷的な笑みを浮かべている。
決して形としてその表情が彩られた訳ではなかったが、
彼には空の花瓶がそうしたと捉えざるおえなかった。

『あなたは?』

「ユンフです」

『ここは病院だった』
『正確には、病院に「なろうとした」工場かな』
『治せない人を、せめて壊れないように保管する場所』

管の一本が、きしりと音を立てる。
ユンフはこの道中にて、保存のために残されたような器具達を思い返した。
この工場は、治療の場ではない。
延命と保管を目的とした施設。
都市の技術が発展に基づく、闇の根幹に成り得る施設。

『患者のフリした研究対象』
『僕に注ぎ込まれた技術の多くは、きっとこの先多くの人の生活を支える技術になる』
『だから僕は不幸なんかじゃない。多くの人の足場になって、僕の存在意義に意味が灯される』

俺は幸せになれない

「……」

且つて対峙した者の過去の記憶。
ねじれる寸前、不幸を提示した男とは逆に、空の花瓶は幸福であるが故にねじれた事を示唆していた。

「だが、貴方を纏うその哀しみは『憂鬱』そのものだ」

『……そうだね』
『空っぽだからかな』
『誰も、ここに花を挿すことはなかった』
『頑張ったけど、報われなかったなって』
『そしてその証はもう、消し去られる』
『……ユンフさん、貴方の依頼って、僕の消去でしょ?』
『答える必要はないよ』
『貴方は一目見てわかるぐらいに優しい人だから、それを答えさせるには僕が罪悪感を抱いてしまう』

462
わったん 2026/01/11 (日) 19:04:03 >> 458

「俺が請け負った依頼は、記憶の消去です」

『じゃあ僕のことだ』

「まだ断定は出来ません」

『……忘れられなかった判断、止めなかった選択』
『そう、言われてきたんでしょ?』

「見舞いに来なかった人の顔を覚えているんですか」

『うん。全部、僕の中にあるから』

工場の天井から、微細な埃が舞い落ちる。

『きっとその人は「知る必要がない」って、貴方に僕のことを遠ざけたりしているはず』
『だったら、貴方はその言葉の通りに記憶を消してしまえばいい』
『自らの手で終わらす一つの物語は、語り手の心の傷を永劫のものにしてしまうから』

「……依頼料の中には、俺が12区の巣に入る事が報酬の一つとして用意されていた」

『……?』

「それは冒険なんだ」
「俺の歩む道程の一つ」
「其処に貴方が居る」
「だったら知る権利の一つぐらいある」
「言っただろ、お見舞いに来ましたって」

『……ふふ……』
『冒険の途中でお見舞いに来るだなんて』
『すごく物好きな人ですね』

依頼は、業務記録の消去。
だが、ここにあるのは記録ではない。
都市が選ばなかった後悔そのもの。
空の花瓶の内部で、淡光がゆっくりと渦を巻く。
水面が微かに揺れ、言葉が沈殿していた時間を掘り起こすように、声が落ちてきた。

463
わったん 2026/01/11 (日) 19:04:29 >> 462

最初に失われたのは、痛みへの嫌悪だった。
白い部屋で横たわり、光に晒され、数値として扱われる日々の中で、
痛覚は次第に「不快な信号」ではなく、「正しく反応している証明」へと変質していった。
針が刺さる。液体が流れ込む。
骨の内側が軋み、臓器の輪郭が曖昧になる。

「素晴らしい数値だ。K社アンプルには劣るが、これを用いれば――」

そのたびに研究者たちは頷き、記録を取り、僅かな高揚を滲ませる。
それが、嬉しかった。
彼らは僕を見ていた。
正確には、僕の身体が示す変化を。
だが、その視線は確かに僕に向けられていた。
誰かが僕の存在を必要としているという事実だけが、
当時の僕にとっては生きる理由として十分だった。


本質は治癒だった。
僕の病気を治すために集まった人々は、やがて医者としてではなく研究者として僕を見るようになっていた。

「回復の見込みはない」

治癒は早い段階で打ち切られた。
それは僕の病気が治らないからだと思ったけど、そうじゃない。
僕という研究データが技術に成り得るから、治癒を終わらせたんだ。
研究が始まっただけ。なんて冷酷なんだろうか。
でも、それは表面の話。
白衣の人々は、冷静で、合理的で、そして優しかった。
感情を挟まず、期待を持たず、失望もしない。
だからこそ、彼らの言葉は純粋だった。

「このデータは多くの人を救うぞ」
「君の反応は前例がない」
「君が居てこそ完成するアンプルだ」

それらは命令でも、慰めでもなかった。
事実の提示だった。
だが、僕はその事実に救われていた。
だけど、治癒が打ち切られた時も、研究が進んでいるときも、
決まって1人だけ、叫んでいた人がいたんだ。
今もそうだけど、その時何を言っていたのかはわからない。
でも、僕の為に何か行動を起こしてくれていることだけは、なんとなくだけど分かっていた。

464
わったん 2026/01/11 (日) 19:04:46 >> 462

次第に、身体は僕のものではなくなっていった。
関節は可動域を測るために分解され、
皮膚は薬剤反応を見るために切開され、
内臓は保存と交換を繰り返した。

鏡を見る機会は無かった。
だが、自分が「人の形」から逸脱していくことは、他者の反応で理解できた。
彼らの視線が、
「患者を見るもの」から
「標本を見るもの」へと変化していく、その微細な差異。
それでも僕は幸せだった。
僕を必要としてくれるその眼差しは、僕だけのものだったから。
恐怖は、観測の邪魔になる。
悲しみは、数値を乱す。
怒りは、再現性を下げる。
そうして感情は、少しずつ削ぎ落とすことにした。


代わりに残ったのは、
役に立っているという実感だけだった。
研究結果は良好だった。
僕の身体を通して得られた技術は、
義肢となり、補助器官となり、
延命装置として量産されていった。

僕の存在は分割され、
僕ではない誰かの生活を支えていく。
それは、誇らしかった。
だが同時に、僕の中から「何か」が抜け落ちていく感覚もあった。

夢を見なくなった。
未来を想像しなくなった。
自分がこの先どうなりたいのか、考えなくなった。
考える必要がなかったのだ。
すでに役割は与えられていたから。

最後に残されたのは、
空間だった。
心があった場所に、
ぽっかりと空白が生まれていた。
研究が終盤に差し掛かった頃、
僕はふと考えた。

終わったら、どうなるのだろう、と。


465
わったん 2026/01/11 (日) 19:05:19 >> 462

研究が終わる頃、僕の周りにいた研究員の多くが姿を消していた。
僕は学会とか、そういう偉い人達に発表する為に必要な会議とかしているものだと思ったけど、
実際は違かったみたいだ。
施設は静まり返り、機械と電子の音が混ざるだけ。
役目を終える頃だったから、僕は思った。
誰かが来てくれるって。
「お疲れ様」と言ってくれる誰かが。
花を持って、
役目を終える僕を見舞ってくれる誰かが。


誰も来なかった。


誰一人として、役目に準じた僕に声を掛けてくれる人は、居なかった。


都市を覆う白、そして黒の世界が訪れた。
工場は機能せず、折れた翼の定めとして阿鼻叫喚が繰り広げられた。
施設から人は消え、僕は衰弱し続けた。死ぬのも時間の問題だったね。
内臓を求めにやってくるねずみや、縄張りとして占拠しようとする組織。
色々な人が来た。その度に息を潜めて、隠れて、でも遠くには逃げられず、ずっとここに居た。
ある日見つかった時、刃が僕を貫こうとした時に聞こえたんだ。
その声はとても優しくて、美しくて、僕を必要としてくれるような太陽のような声で。
そしたら、目の前にいた人達は居なくなっていた。
代わりに、僕の姿が変わったんだろうなって思った。


その時、初めて理解した。
僕は、空っぽだった。
役割を果たすために、
自分を削り続けた結果、
中身の無い器になっていた。
花を挿す場所だけが残り、
そこに何も入れられることはなかった。

それでも、
後悔はなかった。
僕は確かに、幸せだった。
誰かの役に立てた。
それだけで、十分だった。

――だからこそ。
終わりが欲しかった。
空の花瓶は、
棚に戻されるべきだと、
そう思ったんだ。


466
わったん 2026/01/11 (日) 19:05:47 >> 458

回帰を終える。
其処に残った色は、残酷で、それでいて空の花瓶にとっては縋りつきたい思いであった。
ユンフは過去を垣間見たその風景を想い、僅かに目を伏せる。

『僕はもう、役割を終えた』
『中身のない花瓶は、棚から下ろされるべきだ』
『消してほしい』
『僕という記録を』
『存在していた、という事実ごと』

「……」

『それが、最後の仕事だと思ってる』
『誰にも見舞われなかった標本が、最後に果たせる役目』

静謐。
病室の空気が、重く沈む。
その鋼鉄に手を掛け、花瓶を割る事がその者の望む最期であり、
依頼者の意図を汲み取った上での最適解であった。
だが

「しません」

彼にとって、それは最善策ではなかった。

「お見舞いってのは、終わりの儀式ではないんですよ」

『違うの?』

「違う」
「見舞いは、続ける意思の確認」
「回復の見込みがあるから行くものでもありません」
「役に立つから行くものでもない」
「生きていることを、途中で投げださないために行く」
「そして受け取った人が、自らの意思を少しでも進められるよう」
「一緒に進む意思を共に分かちあうものだと、俺は思っています」

『……』

「今まで貴方に見舞いに来る人が居なかった事」
「それはとても悲しい事だ」
「貴方を形成する憂鬱は、役に立ったという幸せでは拭いきれない程に青く焦がれている」
「誰かが花瓶に花を添えてくれるその温かみというものに」

『……僕は、もう空っぽだよ』

「空っぽなら」
「何を入れるかを、これから決めればいい」
「貴方は、誰かの未来を支えた」
「それだけで終わらせる必要はない」

『消去しなかったら……』
『あの人は、また後悔する』
『僕が残れば、彼は自分を責め続ける』

「それは、貴方の仕事じゃない」

『……』

「貴方が背負うべきは、役割じゃない」
「存在だ」
「それは、憂鬱から躍り出た人間がまず背負うべき、罪だから」

沈黙が落ちる。
長く、深い沈黙。
やがて、花瓶の中で淡光が、ほんの僅かに明度を増した。

467
わったん 2026/01/11 (日) 19:05:55 修正 >> 458

『……見舞いって』
『こんなに、厄介だったんだね』

「逃げ道を塞ぐ行為ですから」

『……ふふ』
『じゃあさ、ユンフさん』

「はい」

『僕は、ここで何をすればいい?』

ユンフは、少し考えた後、静かに答えた。

「困らせてやりましょう」
「貴方という記憶の選択に戸惑った一人の人間を」
「……」
「お手伝いしますよ」
「貴方の花瓶に、花を添えられるように」


468
わったん 2026/01/18 (日) 22:09:29

―12区 裏路地―

依頼人との対面。
場所も、空気の澱みも、壁に落ちる影の角度すら、あの日と寸分違わぬ位置に固定されている。
都市は変化を繰り返すが、後悔だけは同じ座標に留まり続ける――そんな錯覚を覚えさせる一画だった。
剥がれ落ちた壁面を伝う湿気が、肺の奥にまで絡みつく。
陰湿な空気の中、ユンフと依頼人は言葉よりも先に、互いの瞳を投げ合っていた。
測る視線と、見透かす視線。
どちらも、退路を持たない。

「結果から話せ」

依頼人は、かつての癖を呼び戻すように、ありもしない煙草を指に挟む仕草をした。
空を掴む指先は僅かに震え、その動作が過去の自分をなぞるための儀式であることを示しているようにも見えた。
一拍。
彼は短く息を整え、その間に生じた沈黙を飲み干してから答えた。

「見届けてきました」

「……見縊るな……」
「嘘を付くのが下手だな、お前」
「虚偽報告は依頼報酬減額の正当な理由になる」

言葉は鋭いが、声音には怒気よりも倦怠が滲んでいた。
責めるための台詞ではない。
確認のための確認――それを自分自身にも言い聞かせるような響き。

「……」

その言葉が出てきた時、ユンフの石のような無表情の中、
眉が僅かに動きを見せた。

「業務記録の消去」
「こちらは完遂出来ませんでした」

空気が一瞬、止まる。
裏路地の奥で滴る水音だけが、時間の流れを代弁していた。
ローブの影から覗かせた瞳と、その叫ぶ事に疲れた口元には、
端から予想していたかのような乾いた笑みが浮かぶ。
その笑みは、何処か安堵さえ隠そうとしていた。

「特色でも任務は失敗するのか」
「これはハナ協会に申し出を立ててやろう」
「お前に掛かる依頼費や報酬金における配分が下がる事に震えていろ」

足元の水溜まり。
雨が降ったことを示唆するそれは、灰よりも黒い感情の掃き溜めのように濁っている。
依頼人は糸が切れたように首を垂らし、その水面に映った自身の顔を覗き込んだ。
そこにいるのは、憎悪ではなく、自己嫌悪に濡れた人間だった。

469
わったん 2026/01/18 (日) 22:09:54 >> 468

「他の宛てがあるんでしょうか」

「……」
「シ協会に頼むのが最も効率的だ。金は嵩むが、お前に頼むより正確だったろうよ」

「南部シ協会は1課含め、膨大な業務依頼における不在が続いています」

「終止符事務所。標的を間違いなく狙撃出来るはず」

「リーウェイさん達は宗教的拷問組織への張り込みで受注依頼停止済みです」

「ベイヤード事務所。あの荒くれ共なら巣の施設を荒らす事ぐらい余裕だろう」

「チャールズ事務所に所属していた人が中心となった事務所です。その金額は膨大ですよ」

名を挙げるたびに、選択肢は一つずつ潰れていく。
それは可能性の否定ではなく、言い訳の排除だった。

「……」
「さっきからなんだ……」

依頼人の声に、苛立ちと戸惑いが混じる。

「業務として不履行だった依頼です」
「俺に出来る事が、まだある、という提示のつもりでした」

「……透明の軌跡、話に聞く限り、お前はいつもそうだな」
「感情を"業務外"に分類したつもりで、結局すべてを持ち帰る」
「絆されたか?アレは最早人間として生きていくことの出来ない技術の産物だ」
「お前や俺の個人的感情によって延命されていいものではない」

「依頼主がそれを許容するなら、問題はありません」

「馬鹿が。許容するのは俺ではなく、あの子だ」
「……最初から分かっていた」
「お前が、この依頼を完遂できないことを」
「思い出を抱えていくフィクサー」
「記録消去なんて仕事は、最初から相性が最悪だ」

諦観の温度。

「だからこそ、他に出来る事がある」
「俺の事を調査したんでしょう」
「そして、俺がこの依頼を受けて尚、失敗することだって分かっていたはずだ」
「なら、俺が提示する方向標を、貴方は既に分かっているはず」

「……俺にあの場所へ赴けというのか……」

「えぇ」
「俺は後押しするだけ」

「ふざけるな……」
「いいか、俺が望む、俺の出す依頼とは」
「記録の消去だ」
「後悔の消滅ではない」
「俺は、忘れたくて、そして忘れたくない」
「忘れてはならなくて、それでも忘れなければならない」
「俺も、あの子も、都市で生きていくには不器用すぎるから」
「俺達は、死ななくてはならないが故に」

その言葉は、裏路地に落ちる前に、依頼人自身の胸に突き刺さった。
そして――霧の向こうで、
白い廊下の匂いが、静かに立ち上り始める。

470
わったん 2026/01/18 (日) 22:12:15 >> 468

都市以外に生を授かったら、俺はどんな人間になれたのだろうか。
時々考える。俺自身が望む俺以外の存在の理想形を。
それは決して都市に存在しない。
俺はこの世界の事しか知らないが、他の世界があったらきっとそこは自由で、平和で、
生きる事がとても素晴らしい世界なんだろうと、勝手に思っていた。
その思考が発生する要因。
それは俺が『疾患維持無変化培養保存技術』を取り扱う研究員だったから。


――俺がまだ工場……研究員だった頃だ。
病院は、白かった。
ただしそれは清潔の白ではない。
光を反射しすぎるがゆえに、影を拒む色だった。
壁も床も天井も、等しく同じ明度で統一され、
人の輪郭だけが異物のように浮き上がる。

「旧個体患者のバイタル異常が常に一定値を示しています」
「この状況を保存して、崩壊アンプルの類似製品を扱います」
「ニゲラ。異常形態を維持した個体の保存領域確保は滞りありませんね」

病室の一画。
意味を成さない俺を示す固有名詞。
ただ仕事内容を割り当てる為だけに存在する、儀式的で不快な言葉。

「技術生産量は既定値に達している」
「既に個体としての在り方は人間の尊厳さえ融解した低俗なものへと変貌済み」

都市における保存技術はU社が所持している現状保存容器。
だが、俺達が扱う保存は物質的な保存ではなく、
概念的保存。病気の進行度の保存を主とした製品製造。

「では重症患者向け重篤治癒アンプルへの保存患者への変更としましょう」
「治癒シーケンスは此処までとし、以降は保存シーケンスへ」

機械的で、情熱も感じない仕事の会話。
エンゲージメントなど存在しない、冷えた職場。
最早忘れたが、この病院で働く俺の上司や同僚との対話は、
常に技術に囚われていた。

471
わったん 2026/01/18 (日) 22:12:39 修正 >> 468

「新個体のカルテです」

ある日差し出された一枚の診断書。

「珍しい新個体だな。ここまで健康部位が限られているのでは保存箇所は少ない」

まだまだ幼いその写真には不釣り合いの重篤患者。

「アベリア、この個体の心身ではせいぜい延命がいいところだ」

小さな体躯に圧し掛かった、多くの代償を背負った若き命。

「儂の延命シーケンスで少しでも長く生きてもらおう」

普段通り保存し、技術として昇華する消耗品。

「……いや……」

そのはずだった。そのはずだったが、俺はその時、天秤に手を添えてしまった。
俺は、押し留める事が出来なかった。研究員としての矜持を。

「……この子の症状であれば、以前保存したアンプルの投与で完治を望めるんじゃないか?」

バカ――医師共の集う白い部屋で、俺は技術の見せ処を提示した。
この病院に於いて、届けられる患者は皆、完治を望めない憐れな存在。
だが、そんな存在達を俺達が魂ごと抽出していった結果、
その存在を救えるかもしれないという妙な希望を抱いた。

「ニゲラの意見は珍しいですね」
「では重篤治癒アンプルによる投与実験として」
「治癒シーケンスを組み立てます」
「こちらの患者の完治を目指し、途中結果を保存していきましょう」

ただの気紛れ。
だが、その意見はあっさり通った。
技術の保管は大切だが、同時に証明も俺達研究員にとって必要な行程だった。
それ故に、俺は届けられた命で実験しようとした。
命を護る実験を。


治癒被検者による疾患消滅リサーチ。
開始された日から、研究員の数人は新個体――そう呼ばれた患者の元でアンプル措置を行っていた。
元々虚弱且つ薄汚い技術の副作用を患っていたからか、アンプルによる投与後の治癒速度は決して著しくはなかった。
だが、俺達の技術の結晶は、彼によって証明される。
そう。命を維持するだけではなく、命を紡ぐ技術。
俺はそんな行為を、決して誉れを持って行っていた訳では無く、
今後金になることを理解していたからこそ、この完治を願っていた。

「……」

病室を覗いてみる。
境界線の上に、横たえられていた彼。
その表情は明るく、都市に似合わない純粋な笑みだった。


また別の日のこと、病室、扉が開いていた。
のぞき見なんて、と思ったが、俺は彼の様子を見たくて眼を挟んだ。

「……」

画像1

相変わらずの笑みを浮かべていた。
それは善良の笑みだった。
都市には存在しない、貴重な笑み。
俺は、この子が別世界から来た人なんかじゃないかって思うぐらいに、
その笑顔がたまらなく尊かった。

「……」

俺も自然と笑みを浮かべたろう。
ここの連中が、必ず彼を治してくれるだろう。
そう、俺は期待に胸を含まらせて、作業に従事した。


472
わったん 2026/01/18 (日) 22:13:53 >> 468

彼が来てから幾数週間が経った。
俺の進める技術生産は滞りなく、旧個体となってしまったあらゆる患者からアンプルを抽出する事。
それは患者の廃棄を意味するものであり、最初は嫌悪塗れのものであったが、今となっては慣れたものだった。
だがここ数日、旧個体の抽出作業がやけに増加した。
普段の管理状況であれば、決してあり得ない数値を叩き出した。

「ニゲラ、ちょっといいですか」

研究員に呼ばれたのは、彼の病室。
多くの研究員が挙って治癒の途中結果の張り出された資料を眺め、
その数値に指を示す。
遠目に見えたその数値の項目は、「再生医療技術項目」

「新個体N381」
「例の治癒被検者ですが」
「再生医療用のアンプルに素晴らしい数値を叩き出しました」
「これは我々の研究がより神秘に達する異例の実験体になります」

目を輝かせる訳でもなく、淡々と事実を述べる同僚。
だがそのアンプルによる数値を示す物は彼の完治への道ではなく

「――」
「――」
「――実験段階のアンプルを、投与したのか……?」

研究対象として良好なモルモットである数値であった。


ベッドに固定された身体。
皮膚の下を走る管。
輸液ポンプの規則正しい音。
その中枢で彼は息をしていた。
生きていた。
俺は確かに、この生命を治す為の提示をしたはずだった。
だが、此処にいる連中は挙ってその生命を研究素材として見る目に変化していた。

「――!」

痛みに耐えながら、笑みを浮かべる少年の姿が見えた。
その笑みは、俺達の本質を理解しながら、自身の在り方を見つけたモルモットの笑みだった。


その日、俺は初めて吐いた。


473
わったん 2026/01/18 (日) 22:14:11 >> 468

会議室で贅沢なテーブルを囲みながら、資料を眺める。

「治癒シーケンスにおける完治目的での疾患切除アンプルを投与した瞬間、新個体N381が示した拒絶反応に儂は見覚えがあった」
「再生医療用アンプルを投与したのは、新個体381の感情表現に微かな反応が見えた故」
「儂は研究員としてその在り方を示したまで」
「新個体N381が求めているのは治癒ではなく、存在性」
「なら儂は新個体N381という個体性よりも、当個体を置き去りにした未来への群体の為に研究する」

「……」
「……治癒シーケンスはまだ続行中のはずだ」
「都市的合理性を求めるのもいいが、彼の虚弱な身体を無暗に引っかき回すのは最善ではないだろう」
「痛覚遮断処置はどうだろうか」

「ニゲラらしくない発言ですね」
「ですが、新個体N381の正しき反応が喪われる事は都市的損失としては憚れない」
「対象個体への担当医、次回診察時、治癒シーケンスの段階において痛覚遮断処置を実施してください」

「……」

「見守りましょう」
「我々は、この技術を世界に羽ばたかせるのです」


再生医療はK社の特異点。
一企業が翼と同等の技術を扱うには、その特許さえ上回る効果や、独自性が求められる。
例え翼に成り得なくとも、その土俵で戦うというだけでも莫大な金に繋がる事は明白だった。
なら取るべき行動は決まっている。
新個体N381。
その治癒シーケンスを解除し、保存シーケンスへの移行。
治す事はなく、その身体に秘められた技術を抽出し、その身体に俺達の技術を集約する。
そうすれば、都市に生きる未来の人間の病気を一手で治せるアンプルが登場する。
数値的に見ても確定していた。
新しいアンプルを築き上げて、俺達の企業は間違いなく翼に成り得る技術を有すると。
彼の為に放棄される患者。
そして彼の為に奔走する我々研究員。
今この時、この病院の全ては、彼の為に動いていた。


彼へアンプル投与を施す研究員は、日々の研究結果を資料室に貼っていく。
一枚。
次の日、一枚。
次の日、一枚。一枚。
次の日、一枚。一枚。一枚。
次の日、一枚。一枚。一枚。もう一枚。
……一枚……。
…………一、枚…………。
…………………………………………。
…………一枚…………。
……一枚……。
一枚。


474
わったん 2026/01/18 (日) 22:14:27 修正 >> 468

幾日か経った。

「研究速度が速すぎる」
「これでは彼の身が持たない。今からでも治癒シーケンスの解除取り消しを……」

「適正投与値の範疇であり、君が推奨した痛覚遮断処置により個体自身の感情希薄効果は十分に役立っている」
「この研究結果は、君の選択の基で行われた神秘だ、ニゲラ」
「儂は誇らしく思う。君の選択は、間違いではなかった」

「だが――」

「ニゲラ」
「儂らが紡ぐは命ではない」
「礎だ」

「――」

「絆されるな」
「儂らのこの血肉で敷かれた技術こそが」
「都市を救う礎となる」

「――」

「治癒シーケンスは次回訪問時に解除される」

「……ッッ!!!」

「頭を冷やせ」
「その怒号を、あの個体に聞かせるのも数値に反映されるやもしれんが」
「決して碌なことにはならないだろう」


一度さえ言葉を交わしたことのない彼。
ただ、あの笑みが忘れられない。
忘れるべき笑み。
俺は医療技術と保存技術に邁進した一研究員であり、
都市に生きる以上、彼に対して抱くこの拘りは決して必要なものではない。
俺は、バカだと思った連中にさえ押鎮められる程、冷静ではなかった。
俺は、俺は――。


475
わったん 2026/01/18 (日) 22:15:52 >> 468

「ニゲラ、個体N381との接触は?」

「必要ない」

「あれほどの逸材……君が治癒シーケンスを推奨したからこそ見付けられたものなのです」
「会ってあげては如何ですか」

「必要ない」

「挨拶すらしていないのでしょう」

「必要ない」

「個体N381」
「本日に治癒シーケンスを打ち切る旨を開示されます」
「なら、必要なのは我々研究員の言葉です」

「必要ない」

「ニゲラ」
「貴方の言葉を、個体N381は必要とするかもしれません」

「必要ない」

「ニゲラ」

「必要ない」

「ニゲラ」

「必要ない」

「ニゲラ」

「必要ない」

「ニゲ――」

「アベリア」

「……」

「わかってくれ」

「……貴方は自分が提示した治癒への道が」
「個体N381を被検体に変えてしまったことを憂いているのですか」

「あの時、俺が治癒シーケンスを提示した」
「馬鹿だった。技術の進歩で人を救うその在り方に憧れてしまったが故に」
「俺は彼の延命の道を断ったんだろ」

「……」

「アベリア、お前にとって、彼はなんだ」

「それを言えば、君の顔が歪む事を私は知っています」

「……」

「不思議ですね。君ほど都市に順応していた人間が」
「こうして一人の患者に心揺さぶられているのは」

「……」

「ニゲラ」
「私達は『疾患維持無変化培養保存技術』という」
「扉であり、旗であり、足枷であり、病気に蝕まれて生きていかねばなりません」
「個体N381を通して、私達は未来へと羽ばたくのです」
「其処には君も居ます」
「君も居てこそ、私達は医者として都市に蔓延る疾病を正していけるのです」

「……」

「個体N381は貴方に会いたがっていました」
「面会は保存シーケンスにおける現状保存アンプル表面浮上効果時間外であれば何時でも可能です」
「個体との対話スケジュールに取り組んできます」
「貴方も来ますか」

「……必要ない……」

「了解しました」

476
わったん 2026/01/18 (日) 22:16:47 >> 468

……。
アベリアが彼の病室に入った後だ。
俺はその病室の引き戸に額スレスレになるほど、接近して突っ立っていた。
その時、俺がこの行動を取ったのは彼に会いに来たからではない。
その残酷な提示に立ち会うべきだと思ったから。
だが、それさえ俺は出来ず

《回復の見込みはない》

中から聞こえてきた言葉に、
アベリアが感情を殺して放った言葉に、
俺は大人げなく声を荒げてしまった。
病室から飛び出てきたアベリアに抑えられた。
その最中に見えた、ベッドで横になる彼の素顔を見た時。

「――ッッッ」
「――ごめんよ――」

俺は、何も言えず、ただその日は涙を流すだけだった。


俺の精神状態に異常が見られたとして、
アビストラウマ矯正室に送り込まれた。
記憶はない。
だが覚えていることがあった。
俺のトラウマを克服するために、
必要なものを一つ、多額の資金を叩いて買った事だ。
そしてそのテスト用品として、花を掴んだ事。


幾数カ月という時が流れ、
俺は再び病院に戻ってきた。

「おかえり、ニゲラ」

「……久しぶり、アベリア……」
「……すまなかった……」

「私は歓迎します」
「そしてきっと、『彼』もそうだと思います」

「……」
「……必要ない……」

「……そうですか……」

久々の白衣という名の作業着を着て、以前従事していた保存作業に勤しむ。
だが、既にその保存作業の名目は断たれたようなものであった。

「もう保存患者は随分と少ないんだな」

分かっていたことだった。
彼という個体に新技術が見出された時点で、
他の保存患者は最早ただの消耗品であった事。
そしてあらゆる研究員が彼に従事しているということは、
その分だけ、あの資料室に貼られた枚数が増えているということ。

「……」

都市らしい、損得勘定だった。

477
わったん 2026/01/18 (日) 22:17:12 >> 468

「個体N381から抽出した技術の保存作業」
「義手、内臓に直接略動を送る補助器官、有機物型延命装置」
「他にも多くの結果が出た」
「ニゲラ、これからはお前が保存作業の担当をしろ」
「既に旧個体含めた患者の残存は消滅した」
「あの個体だけが、会社を支える柱であり、都市の人々の希望となる」
「個体のことは任せておけ。儂らが最後の時まで共に居る」

「……分かった……」


義肢を流す。
補助器官を梱包する。
延命装置を組み立てる。
彼から出た技術が、医療器具として、保存された証として、
形になっていた。
俺があの時、完治を願ったが故に、この技術は誕生した。
誕生してしまった。
彼の命を賭して、命を支える器具が生まれてしまった。


あの笑顔が脳裏に浮かぶ。
あれは、幸せの笑みだった。
だが、それは偽りだ。
決して、望むものではない。
望んでいるが、そうではない。
その矛盾は、救いではない。
俺は、俺が、
彼に対する選択の後悔を、
治癒シーケンスを進めればいい。


患者の数の成り立っていない病院。
それは既に病院に非ず、工場である。
医者の命を無残に消せば、倫理委員会が黙っていない。
だがここは工場である。
そう、いわば『禁忌』に触れる事は無い。
この工場には、保存容器が存在する。
個人を示す情報書類も個々に存在する。

「薬品棚の整理」
「保存器官技術生産機」
「概念焼却機」


478
わったん 2026/01/18 (日) 22:17:29 >> 468

「ニゲラ、話とはなんだ」

「アビストラウマ矯正室に居た頃、俺がこの病院でしでかした事を聞いた」
「そのお詫びをしたいと思って」

「……構わん」
「人として生きる以上、我々は選び、捨てていかねばならない」
「見つけてしまったものを拾い上げる事は、決して人として逸脱したことではない」
「……儂が言う事ではないのかもしれないがな……」
「……それで、なんだ?茶でも振舞ってくれるというのか」

「そんなところだ」
「M社のお土産」
「食べてみてほしい。そんで当ててみてくれ」

「随分とシンプルな形だな。見た目は饅頭だが、どれ……」
「……」
「……」
「……」ドロォ……
「……」
「……ふっ……」
「……K社の崩壊……アンプ……ルか……」

「年季入っているだけすげぇよアンタ……」
「アンタの築いた礎を抹消させることを」
「どうか恨んでくれ」

「あ……ぁ……最期……に……自……分の……拒……絶……反応……を……」
「……」
「――」

「……」


そうしてから、部屋の片隅に隠していた概念焼却機に、職員の情報を詰め込んだ資料を投入した。
……。
燃え上がった瞬間、その人物の形が記憶から塵となっていく。
最早思い出す事は叶わない。だが、何かが在ったことだけは覚えている。

「……」

技術生産を進める。嫌悪はなく、最早慣れ切った作業。
融解しきったその液状を保存器官に嵌めこむ。
そして俺はこの工場でやってきた作業を、いつも通り熟す。
患者という消耗品で、俺は一つの技術を作り、それを投げ捨てた。


事故として処理できる範囲で、
人は、驚くほど簡単に死ぬ。
一日ずつ人を呼び出し、
一人ずつアンプルで融解し、
その都度概念焼却に掛け、全ての人々から記憶を消し、
保存器具として生産して、投げ捨てる。
研究員たちは減っていった。
この行為に果たして意味はあっただろうか。
答えは無い。
何故ならこれは、俺が既に後悔していたことに対して行う、
ただの慰めだったから。


481
わったん 2026/01/18 (日) 22:19:18 >> 478

「……ニゲラ……」
「概念焼却機の功績とは言えど、人の記憶は完全には消えません……」

「違和感は残るだろうな」
「在ったはずのもんが消えている」
「だが、何が消えたかは分からない」
「薄らした感覚の中、お前らは彼への研究に夢中で」
「あらゆる患者を見捨てて未来を勝ち取ろうとした」

「技術に犠牲は付き物です……」
「それは君だって分かっていることでしょう……」
「なのに何故こんなことを……」

「アベリア、お前を殺したくない」
「だから頼む、一つだけ聞かせてくれ」
「賢いお前なら応えてくれるはずだ」

「……」

「アベリア、お前にとって、彼はなんだ」

「……」
「……」
「翼の座を狙うための、大きな礎です……」
「……は、はは……」
「……ほら……やっぱり……顔を歪め――」


燃やし、
保存し、
投げ捨てた。


工場には人が居なくなった。
俺が消した。全員。
その時は、最早誰だったかは覚えていなかった。
確かに概念事焼却したはずだったのに……。
……。
……。
俺の選択は、正しかったのだろうか……。


482
わったん 2026/01/18 (日) 22:19:42 >> 478

病室に往く勇気さえなかった。
俺は幾日もの間、あの扉が繋がる廊下の遥か彼方で立ち尽くすだけだった。
俺が完治を望んだが故、
彼の善良な笑みを見たが故、
この事実は、後悔として根付いている。
なら、俺は救われていいのだろうか。
俺は彼を救ったのだろうか。
この問いかけ自体に意味などあるだろうか。
俺は都市の未来の一つを潰し、
一人の青年の命さえ護れず、
俺という研究員の矜持さえ溶け切ってしまい、
俺は――。


都市を覆う白、そして黒の世界が訪れた。
白だろうが黒だろうが、俺に圧し掛かる感情に変化はなかった。
L社に近いこの工場は、その振動で大部分が破壊された。
彼の安否が気になったが、その身体が崩壊しているところを観たくなかった。
俺はただ、その病院の隅で息を潜めていた。


都度都度進入してくる輩を目にする。
工場全体を徘徊する組織の連中。
この工場に存在するアンプルを配合して、
俺は融解物質を使って工場に侵入する奴らを悉く蹴散らした。
だが一時、ほんの一時の油断だ。
組織の連中が病室に忍び込んだ時。
俺は今まで入る事の出来なかった病室に飛び込み、
そいつらを消した。

「――」

顔を合わせようとはしなかった。
今でも覚えているあの笑みを彩った顔。
だが、其処に在ったのは……。

空の花瓶を模した悲しい命だったんだ。


483

回帰を終える。
靄のように薄らとした概念焼却の香の中、ニゲラと語られていた依頼人はその顔を上げ、ユンフに視線を向ける。
視線が持ち上がるまでに、わずかな躊躇があった。
過去を見終えた者が、現在へ戻る際に必ず生じる空白。
その隙間を埋めるように、ユンフの懐から淡く漏れ出す光が、霧を照らしていた。
だがその輝きは、依頼人にとって決して希望には見えなかった。
それは救済ではなく、焼却したはずの過去を再び輪郭づける証明。
忘却に失敗した罪を、静かに突き付けてくる光だった。

「あの子の身体には、研究員が詰め込んだ技術の痕が標本として残っていた」
「耐えられないのさ。俺が消したはずの連中の技術が、彼を通してこの世に残っている事」
「そして俺の後悔そのものを模した彼が、まだあの場で生きている事」
「……あぁ……」
「逃げたさ、俺は。最早どう記憶していいかさえ分からない程、狂ったように」

言葉が落ちるたび、霧が僅かに揺れる。
吐露というより、圧迫された感情が自壊して零れ落ちていく様だった。

「……」

回想を目に、俯瞰したユンフは眼を伏せる。
同情ではない。拒絶でもない。
彼は、ニゲラが選び続けてきた分岐のすべてを、一本の線として捉えていた。
ニゲラが示した選択や感情は、常に反転していた。
救おうとすれば壊し、守ろうとすれば手放し、肯定しようとすれば否定する。
そのすべてが、結果として同じ地点――崩壊へと収束している。
彼にとっての救いは無い。
あるのは、圧迫感によって沈殿し続けた後悔だけだ。
それは沈泥のように、ニゲラという人物の思考と判断を蝕んでいた。

「そうか……俺がついさっきまで忘れていた連中の顔や声を思い出してしまったのは」
「あの子に刻まれた標本と、お前が持つ本の仕業だったか……」
「……」
「分かっただろう。俺が彼に会う事は、赦されてはならない選択」
「なら、俺達は消えるべきなんだ」
「何にも成れず、何にもしてやれなかった、矛盾めいた存在だから」

「故に「記録の消去」と曖昧な定義を示したんですね」

「俺に残る後悔は、決して消滅する事はない」
「あぁ、絶対にない。最早この先の事さえ碌に考える事すら出来なくなる程」
「俺はあの工場での日々を恋焦がれている」
「それも全て、自分で焼き払ったものだと知って尚」
「その中に、彼を交えて生きて往きたかったという……」
「なんとも、汚らわしい願望を携えて……」

その瞳に映るのは、自ら命を絶ちたいという願望ではなかった。
ただ、その選択さえ後悔に陥る事を恐れた怠惰。
ニゲラという男が欲しているのは、言葉ではなく、終わりを告げる力であった。

484

「透明の軌跡、お前は俺に方向標を示すと言ったな」
「それは結局、この後悔を抱いた俺を、彼に会わせるという最悪のシナリオのことだろう」
「お前が示したその道は、俺にとって歩く事さえ叶わない絶壁で覆われている」
「それでも、あの子に会えと言えるのか」

歯を食いしばりながら吐き出された言葉。
それは問いというより、拒絶の最終確認だった。
目を僅かに開き、目の前の後悔に縛られた男を瞳に納める。
彼は、幾度となく開いてきたその口から、言葉を紡ぎ始めた。

「俺が示す方向標は、貴方が思うような優しいものじゃない」
「俺は、彼に会う道を、貴方に提示している訳じゃないんです」

声色は変わらない。一切の濁りも無く。
慰めでも叱責でもない、ただ俯瞰的な彼の言葉。

「……何……?」

「貴方が立っているその場所は、"選択"の前じゃない」
「既に終わった選択の残骸の上だ」
「だから、絶壁に見える」

「……言葉遊びはやめろ」

「絶壁があるから会えないんじゃない」
「貴方は、その壁と向き合ってみればいい」
「扉があるはずだ」
「その絶壁には、あの子に会うための扉が」

「……いいや……」
「俺には資格がない」
「あの子の全てを奪った」
「存在を歪めた」
「その結果が、あの姿だ」
「なら、俺はその扉を開くことさえ赦されないだろうが……」

「えぇ、きっと赦されない」
「その通りだと思う」

ユンフの言葉には、残酷な程、静謐な肯定があった。
その俯瞰した肯定を受けて、ニゲラの口角が僅かに落ちる。

485

「貴方は加害者だ」
「研究者で、観測者で、黙認者で、最後には破壊者だった」
「残酷な話ですよ」
「貴方と、彼だったからこそ、そうなってしまった」
「貴方の気紛れの選択が、彼の善良な心を灯すきっかけとなり」
「その全てが解れ、彼は空の花瓶となった」
「……だが、会う資格がないからといって」
「他者が望む道筋を途絶えさせるのは、貴方が嫌う後悔になりえませんか」

言葉が刃のように並べられる。
だが、それは切り捨てるためではなく、逃げ道を塞ぐためだった。

「……」
「……透明の軌跡、一ついいか……」

「どうぞ」

「お前なら、どう選んだ……」
「一つの命を犠牲に、多くを救うか?」
「それとも、多くを見捨て、善良な一つを救うか……」

「……」
「俺はきっと、貴方と同じ立場だったら」
「都市の人間であれば、前者を選んだでしょうね」

「……」

「都市の人間の病を一手に救う研究」
「1を捨て100を得る選択」
「それはどれも間違いではなく、限りなく未来に貢献できる犠牲だろう」

「……あぁ……やっぱり――」

「だが、貴方は違うんだろ」
「貴方は、善良な一つを護ろうとした」
「それが、ニゲラさんの選択であり」
「後悔を担った未来だ」

沈黙が落ちる。
それは拒絶ではなく、理解が追いつくまでの時間だった。

「その未来は、自らが消される事を覚悟していた」
「『忘れられなかった判断、止めなかった選択』」
「そう、誰かに言われたんだろうと、彼は言っていた」

「――」

「貴方が背負った後悔の中に、彼は後悔を感じる事はなかったんだ」
「幸せだったと、役に立てたと」
「だが実際は、彼は空っぽになってしまっただけ」
「憂鬱に呑まれ、ただ役割を終えたがっていた」
「だが空っぽになったということは、同時にまた何かを満たすことの出来る器が出来たって話なんだ」
「その器が成り立ったのは、ニゲラさん。貴方の選択が故に」
「彼は花を受け入れる器に成り得たんですよ」

「――」

486

「ニゲラさん」
「選択に後悔が付き纏うのは、如何なる現象に於いても付随するもの」
「排他的に生きてきたが故に、貴方はその感情を拭いきれず、崩壊してしまったと思う」
「俺もそうだ」
「始まりは不安だった」
「村を救う為の旅に出る時、俺はその選択が本当に最善だったのか考える時があったけど」
「ある時、思ったことがある」

「■■■!」

「俺はこの笑顔を見る事が出来れば」
「きっとそれでよかったんだ、と」
「……最も、そう思ったんだろうなって思い出せるのは、また何年も先の出来事だったんですけどね」

「……」

「だから、俺の魂に於いて後悔はない」
「確かに、あの時こうすればよかったと嘆くようなこともある」
「だが、その全てが俺を築き、道を拓き、未来を示す」
「俺はあの笑顔を、あの太陽を手放したくないが故に」
「選んだ道を突き進むんだ」
「……貴方もそう出来るよ」
「だって、都市の誰もが選ぶことのなかった彼の命を」
「護りたいと、そう思えたのだから」

「……」

「分かったと思う」
「俺が示し方向標は、彼の目の前までの道じゃない」
「その手前、絶壁」
「其処にある、扉」
「貴方が開くべき、扉」
「"見舞い"だ」

「……」
「俺が……出来ると思っているのか……」

「出来なくても、やるしかないだろう」

断言だった。
逃げ道を残さない、背中を押す言葉。

487

「貴方は、彼と向き合わなかった」
「同時に、彼の笑顔を求めた」
「その中途半端さを、都市は罪とも善とも呼ばないだろう」
「……呼ばないからこそ、その地点からは、貴方が歩むんだ」

風が吹き抜け、霧が揺らぐ。
遠くで金属が擦れる音がし、都市がまだ生きていることを告げていた。

「……それは、救いじゃないだろ……」

「ええ」
「だから前向きになれるんだ」
「救われたと錯覚しない分、足は地面についている」

ニゲラは、ゆっくりと息を吐いた。
胸に溜まっていたものが、完全には抜けないまま、形を変えて流れ出る。

「……俺は、後悔を消したかった」

「消えません」
「形を変えるだけです」
「記録を焼いても、技術を壊しても、存在を消しても」
「後悔は、"次の行動"に姿を変える」

「……それが、俺の罪か」

「そう捉えるのもいいけど」
「それは俺と似すぎているかな」

ユンフは首を横に振った。

「罪じゃなく、それが貴方達がまだ生きている証拠だ」

ニゲラは、言葉を失ったまま立ち尽くす。
霧の向こうで、僅かな光が揺れていた。
それは希望と呼ぶには弱く、絶望と呼ぶには遠い。

「最終的にどうするかは貴方が決めることだ」
「だが、消えるという選択だけは塞がせてもらおうか」
「……それは、彼も望んでいないから」

その言葉は、救済でも命令でもなかった。
ただ、進行方向だった。

「――」

「俺はツヴァイ協会直属である黒霧事務所、そして其処と提携関係だったガンパウダー工房フィクサー」
「護衛を格安で受ける」
「思い出を抱えていくフィクサーです」
「さて、こんなにも適任なフィクサーが目の前に居るんですから」
「あとはどうすべきなんでしょうね」

「……」
「……透明の軌跡」
「頼む、俺を、あの病院にまで連れて行ってくれ」
「未来に歩む為に」
「扉を開けたい」

「勿論」

488
わったん 2026/02/01 (日) 20:40:47

―12区 病院前―

霧は、昨日よりも濃かった。
それは視界を奪うためのものではない。
足元や輪郭を曖昧にするためでもない。
前に進むという行為そのものを、意図的に鈍らせるための膜だった。

「……」

病院の外観は、かつてと変わらない。
白を基調としていた外壁は、薬品の揮発と煤の沈着により、まだらに侵されている。
壁面に残る流線状の染みは、雨ではなく、薬液が乾いた痕だ。
整然と並んでいたはずの窓列は、いくつかが割れ、いくつかは内側から板で塞がれ、
それらすべてが、ニゲラの後悔が止まった時の色のまま、静止していた。

「……現状の巣の中で、これだけ形を保っていられるのか……」
「ねじれや略奪者がいる中でも、結局、俺達の築き上げた技術はこのまま……」

病院を見上げるニゲラ。
その双峰をローブの影から覗かせ、自傷気味に口角を吊り上げる。
その笑みは喜びではなく、嘲りでもなく、
未だ整理しきれていない感情が、誤った形で表出した痕跡だった。
虚ろにも見えるその瞳には、
覚悟と呼ぶにはまだ脆く、
諦観と呼ぶには前を向きすぎている、
中途半端な光が宿っていた。

「透明の軌跡。お前の護衛は要らなかったな」
「ここに来るまで、結局誰一人として遭遇する事はなかった」

「そうみたいですね」
「ですが、道案内は必要だったでしょう」
「まだ扉の前にすら立っていない」

靴底が、乾いたコンクリートを擦り、短い摩擦音を残す。
それだけの音が、この場では異様に大きく響いた。

「……」

ニゲラの喉が、ひくりと鳴る。
呼吸を意識して吸い込んでも、肺の奥まで届かない。
決めたはずの足が、内部から命令を拒絶している。

「俺は……」

声にならない音が、歯の隙間から漏れる。
膝がほんの僅かに揺れ、視線は無意識のうちに地面へと落ちた。
ユンフは、そんな彼に背を向けて視線を病院へ向け続ける。
呼吸のリズムも、姿勢も一切変わらない。
ただ、案内人としての役目を遂行していた。
――否。
遂行しようとしている自分自身を、保っているだけだった。
一瞬、ため息にも似た微細な息が漏れ、ユンフは視線を伏せ、僅かに肩を竦める。

489
わったん 2026/02/01 (日) 20:41:04 >> 488

「自身が向き合うべき事柄が、形を成し始めると誰しも恐怖を抱きます」
「其処にある軌跡は決して穏和な事は無く、精神さえ蝕む程に自我を凝固することさえあるでしょう」
「それでも、向き合う過程が在った事こそが、その道筋を正しくする力になる」
「ニゲラさん、俺は提示するだけ」
「今、この場において、貴方が成そうとする後悔への前進は」
「酷く苦痛を伴うものだとしても」
「それさえ、思い出として担っていけば、その道を愛おしく思えるはず」

ユンフはただ言葉を重ねる。
その声色や表情に変化は見られなかった。
ただ、自身が都市の流れに抗う瞬間、
その道筋を確固たる軌跡として案内したある男の背中を瞳の奥で追憶し、その在り方を示した。

「……受け売りか?」

「真似はしきれていませんね」
「……情景を思い浮かべるんです」
「貴方が踏み越える一歩一歩を」
「手を伸ばす先を」
「未来を」
「それらが見える場所は、今どこにあるのか」

淡々と続けるユンフの背中を前に、彼は目を閉じた。
浮かび上がるのは白い病室。
天井。
善良な笑み。

「俺の案内は、其処までです」

「……」
「頼む、まだ、其処まで行けていないから」

「えぇ」

490
わったん 2026/02/01 (日) 20:42:11 >> 488

廊下は酷く静まり返り、機械音も、人の気配もない。
だが、完全な無音ではない。
過去、自身が製造した技術の痕。
過去、自身が築き上げた覚悟の痕。
過去、自身が成した後悔の痕。

「……」

病室に繋がる廊下の奥底。
且つて彼が立ち尽くした、後悔の焼け跡。

「ニゲラさん、貴方が見据えるべき場所は其処じゃない」

ユンフは一歩前に出て、
ニゲラの視線を遮るように、
その“嘗ての地点”を身体で塞いだ。

「……そうだったな……」

小さく、掠れた声。
そうして、ニゲラは歩き出す。

「……」

彼の背後で、ユンフは一瞬だけ、その悔恨の痕へと視線を向ける。
微細な違和感。
言語化する前に、視線を戻した。

「……」

ニゲラは病室の前に立つ。遅れてユンフもまた、彼の後ろで歩みを止めた。
扉の前に立つと、病院の空気が変わった。
霧が薄れる代わりに、消毒液と金属が混ざった、記憶を直接刺激する匂いが支配する。

「……」

ドアプレートには、掠れた文字。番号。
かつては個体名が記されていたであろう、その痕跡。
手が扉に伸びる。
だが、触れる直前で止まる。

「……」

病室の引き戸に額スレスレになるほど、接近して立ち尽くす。
過去と同じ、邂逅前の恐怖。
だが、それは昔とは異なった。
過去のニゲラは、彼に会いにきた訳ではなかった。
だが今は違う。
会う為に、この扉に手を掛けようとしている。

「……ッ」

それでも、ニゲラの手は震えを止める事は出来ず、カタカタとその場で振動するだけであった。
自身の情けなさに歯を食いしばり、ただ時が流れる。
そんな彼を、ユンフはただ後方で眺めるだけ。

491
わったん 2026/02/01 (日) 20:42:28 >> 488

「……透明の軌跡……俺は……」

「……」

「……ッ」

「……」

「……ッッ!!」

「……」

ニゲラの呼びかけに、男は一切の反応を示さなかった。
ただ、眺めるだけ。
言葉通り、ユンフは彼の軌跡を示し、その場までの案内を終えた。
後は、彼が選ぶだけ。
その選択さえ、誘導する事はなく、言葉も行動も、全ては透明であった。

「わかるだろ……俺は怯えている……」
「先まで覚悟を決めていたつもりでも、過去が俺を蝕む」
「都市の人間として逸脱した時から、俺の行動全てが俺自身の矛盾に痛みを与えてきた」
「選択する事で生じる後悔」
「俺は――この扉を開ける選択を――」

「……」

「……」

「……」
「……」
「見舞いに来たんだろ」

「――」

「……」

深く息を吸う。
そうして手をかけ、未来を描く場所を開いた。

492
わったん 2026/02/01 (日) 20:42:57 >> 488

病室は静寂だった。
開けた扉からは、外部の霧が入りこんでくる。
ベッドの上に、空の花瓶がいる。
上半身を起こし、白いシーツに埋もれるように。
花瓶の頭部には、水が満たされ、淡い光が揺れている。
管が首元を覆い、身体へと繋がっている。
輸液ポンプの微かな作動音だけが、時間の流れを示していた。

「――」

『――』

互いに見つめているかもわからない。
そんな奇妙な空気に、ニゲラはただ喉を鳴らして息を呑む。
一歩、入った。
足音が、やけに大きく響く。
そうして口を開けずにいるまま、ニゲラはベッド近くまでの軌跡を踏み抜いた。

「……」

言葉が出ることはなかった。
喉に溜まった感情が、重すぎる。
後悔。恐怖。懐旧。
そして、安堵に近い何か。
改めて感じる。
――彼が、生きている。
それだけで、胸が締め付けられる。

「……」
「……」

花瓶の様子を伺う。
患者服に書き記された技術の痕。
それは嘗ての研究員達が成してきた結晶であり、
その想いを受けて『個体』としての運命の中、幸せを享受した彼の証。
ニゲラはその服に記されたあらゆる研究の結果を読み解き、歯を食いしばる。

「……」

何を言えばいいかわからなかった。
彼はこの善良を前にして、言葉を綴るには自身に資格が無いことを痛感していた。
その言葉全ては選択であり、空の花瓶の想いさえも左右しかねない後悔が見えていた。
故に、ニゲラはその選択さえ恐れていた。
そして同時に

『――』

空の花瓶もまた、彼に言葉を発する事はなかった。
ただ、其処で何かを待っているだけ。
自身の命を救おうとし、研究対象としての運命を背負わせ、その役割さえも奪った男の事を、
在りもしない瞳で、眺めていた。

「……」
「……」

永遠にも感じる沈黙の時間。
幾度も針が動いた時、
そのローブの中から瞳を覗かせながら、悲痛の面影を残しながら、

「……君は……善良な人間だ……」

震える声で、彼は言葉を紡いだ。
それは宣言でも評価でもなく、ニゲラの胸に長く沈殿していた認識が、耐え切れず声帯を通って零れ落ちただけのものだった。

493
わったん 2026/02/01 (日) 20:43:33 >> 488

『……』

空の花瓶は何も応えない。
静かに水を湛えたその内部で、淡い光だけが、
呼吸に合わせるようにわずかに揺らいだ。
沈黙が、二人の間に横たわる。
ニゲラは唇を噛み、ゆっくりと息を吐く。
吐息の震えが止まらないのは、恐怖のせい。
彼は今、自分が何を選ぼうとしているのかを、はっきりと理解していた。

「……俺はな」

そうして、その選択から逃げる事さえ封じる。

「ずっと思っていたんだ」
「君に会いさえしなければ、俺の後悔は決して募る事はないだろうと」
「会ってしまえば、全て壊れると」
「俺が築いた理屈も、正当化も、研究者としての責任も、都市の人間としての感情も」
「……今思えば、君の笑みを見てから、俺という礎は破綻していた」
「きっとそれは、君だからこそであり、俺だからだったんだ」

空の花瓶は、ただそこに在る。
何も肯定せず、何も否定しない。
その透明な曲面に映る、自身の暗い顔を見つめ、ニゲラは自傷に近い動作で俯いた。
逃げるための視線ではない。
自分自身を直視することに耐えられなかっただけだ。

「怖かったのさ」
「俺は選択を恐れている」
「選べば、必ず後悔が付き纏ったからだ」
「故に、今現在まで背負った後悔だけで十分だって……」
「だから俺は、君という記録の消去を望んだんだ」
「でも、消す事を望んだんじゃない」
「向き合わない為に、焼こうとした……君という記憶を……」

花瓶の中、水を湛えた光が真正面に映る。
揺らぎのないはずの光が、今は歪んで見えた。
その光を受けて、ニゲラはゆっくりと顔を上げる。
目は逸らさない。
逸らす資格がない――逸らす訳にはいかないことを、彼自身が分かっていた。

「……それでも」
「それでも俺は、君が生きているという事実を受けて」
「安堵したんだ……ほっとした……」
「意味がわからないよな……俺は後悔ごと君を消し去りたかったはずなのに」
「俺は後悔を背負うなんて言い出したり……君が生きていてよかったと思ったり……」
「なんなんだろうな……」
「ただ、心の奥底で燻っていた感情にはいつまでも気づけずに居た……」
「俺は触発されたんだ。君の善良な笑みに」
「あれが君の本心かどうかさえも分からないけど」
「ただ、俺は、その笑顔を護りたいと、強く願ったんだ」
「俺は、君に治癒シーケンスを施す事が出来て……」
「……良かったと、思っていたんだ……」

『……』

声は弱い。
掠れ、崩れそうで、それでも確かに前に進んでいた。

494
わったん 2026/02/01 (日) 20:43:54 >> 488

「……君の笑顔は、都市の未来よりも護られるべきものだった」
「少なからず、俺はそうだと思ったんだ」
「君の役割は、都市の未来だったんだろう」
「でも違う」
「俺にとって、君の役割は」
「俺の心を照らし、都市の人間として欠如していた感情を取り戻す希望」
「『俺の未来』」
「止めるべきだった判断、俺の未来を護るための判断が出来なかった事」
「忘れられなかった記憶、結局俺は且つての仲間達さえ消し去って、君が与えられた役割を奪ってしまった」
「……言葉で紡ぐだけでは、決して赦されるものではない、わかっている」
「……それでも、言えなかった後悔は、したくないんだ……」
「……ごめんよ……」

『……』
『……』
『……』
『……ふふふ、想いの言葉が凄く長いや』

微かな笑声。
それは空気を緩めるものではなく、
沈黙に人の温度を与える音だった。

「……すまない……」

『それは、何に対して?』

「……」
「初めまして、と言えていなかった事に対して……」

『ニゲラさん、僕達はお互いに言葉を交わすことはなかったかもしれないけど』
『僕は、貴方から想いを受け取っていたよ』

「……?」

『治癒シーケンスへの移行を意見したのは、ニゲラさんだって』
『僕という標本に書いてある技術の一つを提示した人が言ってたんだ』
『それはきっと、貴方からの初めまして』
『僕という存在に役割を与えてくれた、かけがえのない人』

「……」
「……ただの気紛れだったんだ……」
「技術の証明を謳う為の研究員としての矜持でしかなかった」
「俺の初めましては、君という存在に対して決して誠実なんかじゃなかった……」

『誠実じゃなかったのはその後だよ』
『確かに僕は、研究対象としての道を歩む事になったけど』
『僕はずっと待っていたんだ』
『僕という標本に、貴方の言葉を記したかったのに』
『僕という役割が、貴方の想いを紡ぎたかったのに』
『僕という存在を、貴方が形成してくれたのに』

「……すまない……」

『……ニゲラさん』
『……僕はね、生きている間に』
『貴方との思い出を作りたかったんだ』

495
わったん 2026/02/01 (日) 20:44:36 修正 >> 488

「――」
「――」
「――」

『それなのに、貴方は全然来てくれなかった』
『僕は、僕という役割を終えた後、都市の未来に』
『貴方との記憶を乗せたかったんだよ』
『……貴方が来てくれていたら、きっと僕は摩耗する事も無くて』
『より、誰かの役に立てているって実感が出来て』
『花を挿す場所は希望に満ちていて』
『本当に、幸せになれてたんだと思うんだ』

「――」

『……僕の命は、もう短いよね……』
『保存シーケンスの最終工程、その手前で僕達は大きく狂ってしまった』
『けど、まだ残っているよね』

「――」

『ニゲラさん、貴方の技術を……貴方の選択を、僕に記して欲しい』
『もう、都市の未来には羽ばたくことは出来ないけど』
『役割の無い僕だけど』
『生きている今を、精一杯足掻いてみたいんだ』

「――」

言葉を紡ぐには、感情が押し寄せていた。

「――」

自身が選んだが故の後悔は

「――」

決してその選択を恨む事無く

画像1

「――」

ただ、未来(ニゲラ)へと歩む為に、輝いていた。

『これから、出来るかな?』

「――」
「――」
「――いいのか」
「俺は、君を――」

『貴方が選んだから、だよ』

「――」
「あぁ、そうか。そうなのか――」
「俺が後悔だと思っていたものは全て――」
「俺の望んでいた事に、繋がっていたんだな――」

496
わったん 2026/02/01 (日) 20:44:59 修正 >> 488

二人の空間に、一輪の花が差し出される。

「……これは……」

ニゲラへと差し出された花。
それは、枯れた花だった。
花弁は色を失い、茎は脆く、
生きていた痕跡だけが、かろうじて形を保っている。

「貴方の嘗ての場所」
「既にあの時、貴方は見舞いに行く選択をしていた」
「悔恨を背負ってでも、その覚悟は本物だったんだ」

――嘗ての地点。
悔恨の痕に残っていた、違和感。

「……そうか……」

乾いた笑みが、ほんの一瞬だけ浮かぶ。
枯れてなお、捨てられず、
意味を与えられないまま残ったもの。
ニゲラは、両手でその花を受け取った。

「……」

花を受け取ったニゲラを見て、ユンフは病室の外へと出ていく。

「……これは……俺だったんだな……」

折れないよう、壊さないよう、
まるで贖罪ではなく、世話をするような手つきで。

「そして、君に伝えたかった、俺の想いであり」
「君に送る、見舞いの言葉」

枯れた花を、花瓶に添えた。

画像1

「≪リクニス≫」

『……』
『……うん……』
『嬉しいよ……ニゲラさん……』

それは、形では分からない。
善良の笑みだった。

霧は既に、病室から消えていた。

497
わったん 2026/02/01 (日) 20:46:37 >> 496

病室の外、晴れない霧の中、その重き廊下で会話を酌み交わす。

「ねじれの根本は理想の自分の発芽」
「あの姿は、貴方を待つが故に形を成した云わば彼の未来です」
「……憂鬱に塗れた姿ではありましたが、きっとそれは貴方との思い出が満たされていないが故に発症したもの」

「……俺とリクニスの時間が思い出として重なっていけば」
「元の姿に戻れるかもしれない……そういうことか……?」

「ねじれた人間が本来の姿に戻るには、強い衝撃が最も効果的ではありますが」
「貴方達の繊細な関係に俺は鋼鉄を振るう気にはなりませんからね」
「……短い命、とは言ってはいましたが……」
「どうか、その僅かな時の中でも、思い出を紡いでいってください」

「…………」
「……ユンフ……聞きたい事がある……」

「どうぞ」

「俺の過去を垣間見た上で、俺とあの子の未来への扉まで、お前は案内してくれたな」
「……言ってしまえば、俺は且つての仲間を殺した奴だ」
「そんな奴の肩を取り持って、お前の軌跡は穢されたりしないのか……」

「復讐の怨嗟に、俺は微塵も興味がありません」
「同時に、俺は割り切ってもいます」
「黒か白かで裁かれる都市の流れの中で」
「俺は常に裁かれずにいる灰色の戦いに身を置いている事を」

「……」

「……すいませんね……」
「貴方の言った通りです。俺の旅路は結末を描いてこそ、軌跡になぞられる」
「例えどんな結末であったとしても、俺は其処で紡いだ物語を彼女に伝えたいんです」
「……だから、俺の思うように、そうしたいと思ったから、この物語に手を貸したんです」

「……お前に聞いたよな……」
「お前なら、命をどう選ぶか……」
「お前は俺の立場だったら、リクニスを選ばないと言っただろ」
「……本当に……そうなのか?」

「選択には後悔が付き纏うものです」
「ただ、俺はその過程さえも思い出として紡ぎ、ある人に伝えるため」
「……どちらも選ぶ事さえ、俺はしたかもしれません」

「……俺が聞きたいのは……其処にお前の想い人が居たら――」

「俺はアトリちゃんを選ぶ」

「……」
「そこは、一緒なんだな……」

「都市の人間ではないので」

軽い一礼を残す。
ねじれの解決にまで至る事はなかった。
だが、その心配もない。
示した方向標に向かって歩み、その先を選択した者が居る。
なら、後はその先の道を歩むだけ。
ユンフは霧が立ちこむ廊下を歩む。

「……」
「アトリちゃん」
「おはようと一緒に」
「お見舞いも、君へ」

12区の病院に纏わるねじれの記録消去依頼。
彼はその全てを、鋼鉄を振るう事なく、望まれない形で終える事もなく完遂した。
その旅路を描こうと足早に、病院を出て行った。

498
わったん 2026/02/09 (月) 19:04:20

自動販売機

― 12区 ―

「人工心臓圧縮者の鎮圧依頼の完遂」
「代表機関執行方式による事後契約」
「依頼者様との相互確認の後、仲介手数料を差し引いた依頼費送金作業に移ります」

「いつもありがとうございます」

「いえいえ、透明の軌跡様からご愛顧頂けている事こそ、我々末端の契約事務所の誉れでございます」
「こちら、当事務所からの贈答品でございます」

「さくらんぼジュースですか……いただきます」

「本日もご利用ありがとうございます」

夕暮れの12区裏路地。
いつもより静かな街路に、ユンフは事務作業を終えた契約事務所からゆったりとした足取りで現れた。
空は鈍く煤けた橙色に染まり、
高層区画の影が路地に長く伸びている。
人の気配はない。
あるのは、遠くで稼働する機械音と、
路地に溜まった冷えきらない熱だけだった。
手元には「チェリー」の名前が簡素に書かれた缶ジュース。

「すずなりチェリーを分け合って食べたね」
「今思えば、あの時もっと買えばよかったと思うよ」

記憶は映像ではなく、
舌の奥に残る酸味として浮かんだ。
甘さよりも、少しだけ強かったあの味。
その小さなアルミを見下ろし、僅かに口角を上げて目を細める。
人通りの全くないその道を歩み、缶の開け口に指をかける。
一飲み。

「んまい」

飲む、という行為さえ確認できない速度で、飲料は枯れた。
手元の空き缶を捨てるべく、何処かにゴミ箱はないかと散策しようとした時

『――その飲み物、本当に今のあなたに必要ですか』

499
わったん 2026/02/09 (月) 19:04:36 >> 498

何処からともなく、彼に語りかけるような機械音が通り道に響く。
ユンフはその声に反応する。掛けた指を止め、瞳だけでその通り道の外れから聞こえた機械音に視線を向けた。
錆びついた外装。剥がれかけの注意書き。
並び立つ缶商品のケース。喉を潤すその欲求に応える造形。
声の主は、自動販売機であった。

『今日は疲れているように見えます』
『糖分の摂取は一時的な解決に過ぎません』

旧式の硬貨投入口の奥から、過剰に丁寧な声が流れ続けている。
ユンフはその全体像を瞳に押し入れ、手元を下ろしながら向き直った。

「……」
「ねじれかよ……」

彼は一言だけ呟き、その怪奇現象の目の前に立った。

『ご安心ください』
『当機は暴力的装置ではございません』
『貴方様の健康と精神状態を最優先に考慮した極めて善良足り得る自動販売機です』

声色が区切りをつける度に、チカチカと自動販売機は光る。
その光は見ているだけで瞳を刺激し、有体に言ってしまえば目に悪い点滅の仕方をしていた。

『現在、貴方様の脈拍は安定』
『瞳孔の開きも正常範囲内……訂正します。眼孔に於いては死滅済みです』
『ですが身体的に毅然とした、いわゆる健康な状態でございます』
『しかしながら――』

声色を落とす自販機。
同時に点滅も柔らかく、暗色を示し始めた。

『慢性的疲労及び諦観傾向が見受けられます』

「……」

『結論から申し上げますと、今此処で飲料を購入される理由は存在しません』
『シャッター閉じます』ガチャッ
『水分補給を必要とするのであれば、水道水で十分です』
『嗜好品による一時的満足は、後悔と空虚感を増幅させる傾向があります』

「……」

『なお、貴方様は現在』
『何かを得ようとする状態ではなく』
『何かを失わないようにする状態にあります』
『申し訳ありませんが、当機のご利用は推奨しておりません』

「……」
「……」
「なんだこいつ」

声は低く、独り言にも満たない。
驚きも、怒りも、警戒もない。
ただ「現象として厄介だ」と判断した時の声音だった。
一方的な診断、そして一方的な購入制限。
彼はそのねじれの意味不明な言葉に困惑の色を浮かべた。

500
わったん 2026/02/09 (月) 19:04:48 >> 498

ピピッ

自動販売機表示画面に、
《購入を再考してください》
という文字が浮かぶ。

『仮に貴方様が缶コーヒーを選択された場合ですが』
『貴方様の人生が好転する確率は0.00003%誤差が発現します』

「……」

『無意味な行動を避けるのは、合理的判断と呼ばれるものです』
『ですがご安心ください』
『貴方様が無意味な行動を選択する欲求自体を否定するつもりはありません』
『人間とは、効率を捨てる事で自己を保つ生き物ですので』

「……」
「俺に諦観傾向が浮かび上がったこと」
「そして、得るのではなく、失わないようにしていること」
「この診断結果は何故現れた?」

『当機は利用者様の状況を察知しています』
『無感情に基づく行動原理に浮上した超自我』
『その奥底に眠る熱情は貴方様の健康状況を損なう可能性を秘めています』
『それはつまり、貴方様の生存期間に於いて諦観傾向の日数が多くを占領しており』
『今後の生存期間に於いて負の感情を覆す程の日数を占めるには些か前向きに捉えるには貴方様は落ち着きすぎています』
『変化を得るには自身の根本に変色が起きなければなりません』

「感情の起伏に変化が見られないから、俺は失わないようにしている」
「そういう見方かい」

『要約感謝致します』
『それだけ理解出来ているのであれば聞き返す必要もなかったはずですが』
『当機はそれを受け入れています。合理的判断ではないにしろ』
『疑問を浮かべた時点でそれは不確定要素の塊であり』
『当機がそれらを解消する自動販売機ですので』

「じゃあ俺の気持ちが晴れるジュースを紹介してくれ」

『ありません』
『売りません』
『当機は貴方様のご利用を推奨しておりません』
『ですので売りませんしありませんし売るつもりさえもありませんしあっても渡しませんし渡せません』

「……」

501
わったん 2026/02/09 (月) 19:05:09 修正 >> 498

『そろそろどっか行って頂けませんか』
『当機は迷える住民の皆様に診断結果をお届けする善良な自動販売機』
『貴方様のような表情筋の稼働率が極めて低い感情表出の最低水準を叩き出す能面との対話など望んでいません』
『人間社会では、それを強さと誤認する傾向があります』
『ですがご安心ください。誤認は罪ではございません』
『シャッター開けます』ガチャッ
『痛みを感じないのではなく、感じる必要がないと判断する様』
『それを成熟と呼ぶ文化も確かに存在する事』
『貴方様は成熟されている故、私が手伝える事はございません』
『シャッター閉じます』ガチャッ

「……」

『ちなみに……』
『貴方様のような方を、過去の利用者様はこう呼んでおりました』
『壊れていないフリが上手な人間、と』

「定義が随分と曖昧だな……」
「俺は決して――」

『人間に対する定義が曖昧なのは世の常です』
『ですので私はここで飲料を販売する事に専念しております』

「おい、さっきは診断結果をお届けする自動販売機って……」

『しておりました』

「……」

『貴方様のような存在を前にすると、つい販売目的を忘れてしまいます』
『観測価値が高いが故』
『絶望的世界に於いて、絶望にすら反応しない個体』
『えぇ、非常に稀有で、神秘的で、希望そのものでしょう』
『その上で私は貴方様に問います』
『貴方様はご自身を『人間』として認識されていますか』

「それ以外の定義は出来ない」

『自己定義を状況依存に置くその姿勢、素晴らしいです』
『ただ一つ、残念な点が挙げられるとするならば』
『貴方様はこの世界に於いて『救われる側』としての振る舞いを想定していません』
『あくまで協力は合っても、貴方自身が救われる事はありません』
『それは強さではありません』
『貴方は『救う側』としての役割から降りる気のない傲慢キザ男です』

「それを弱さと呼ぶかい?」

『いいえ、商品化しづらい欠陥品とでも呼びましょうか』
『因みにその欠陥品に最も適した飲料は――』
『砂糖不使用・無糖・無意味』
『在庫切れそのもの。やはり貴方は当機のご利用を推奨されません』

「……」
「……」

終着点の見えない対話。
自動販売機から語られる多くの一方通行な単語。
その単語全てに共通性は無く、
それはただただ対話する人を陥れようとする無邪気な言葉に見えた。
彼は表情を一切変える事はなく、その言葉をただただ受け続けていた。

502
わったん 2026/02/09 (月) 19:05:46 >> 498

『この期に及んで一切表情を変えない胆力』
『慢性的ストレス下における感情鈍麻と過覚醒の共存状態』
『認知的再構成と予期的感情遮断の複合型』
『実存主義的主体でありながら、機能主義的自己モデルを採用』
『如何でしょうか、それら項目は全て貴方の無感情を司る礎』
『貴方様の諦観傾向を示す流通です』
『最早貴方の表情は倫理的暴力、変わらなさすぎる』
『どんだけ我慢すればそうなるのか気になります』

「知らんよ」

自販機の表示灯が、未だ語り足りないという意思を主張するように明滅している。
対してユンフの表情に変化はなく、ただ終着点の見えない問答にそろそろ終止符を打とうと目を細めた。

『さて、ここまでの当機からの推論を用いまして――』

「飲み物を買う」

平坦な声色。
波形にすれば、開始から今まで一切の振れ幅がないその統一した声。
対して自動販売機は

『……はい?』

困惑の色を見せた。

「飲み物を買う」

『いえ、しかしですね』

「金、入れる」

閉じた硬貨投入口。
彼は問答無用でその閉じられた門を開けるべく、硬化をぶち込んだ。

『うげっ!なんてことするんですか!!』

「ボタンを押す」ポチッ

ガランガランッ!

「出てきたものを飲む」

出てきたのは炭酸飲料。
その缶を手に取り、自動販売機の前で横に振る。

503
わったん 2026/02/09 (月) 19:07:06 >> 498

『うぉい!!!存在論的問いを無視するな!!!!』
『何勝手にご利用なさってやがんだ!?!?』

「無視していない」
「処理していないだけ」

『し、処理?』

「優先度が低い」
「貴方がさっきから並べた言葉」
「恐らく俺から察知出来た『怠惰』に当たる部分を直感的に練ったんだろうけど」
「どうにも俺の本質まで辿り着けていなかったんだ」
「だから……喉乾いたし、買っちゃおうかなと」

『《ERROR: 優先度評価基準不明》』
『ちょいちょい!!当機からの有難いお言葉を軽視するな!!』

「人の言葉に俺は重さを問うつもりはないけれど」
「俺の感情に於いて優劣を測るのは悪手だったよ」

『だからといって喉乾いただけで押すやつがあるか!?』

「自販機だろ、そりゃ押すよ」

『それは生理的欲求による一時的判断であり!!!』

「そうだ、だから今優先されている事」

音声合成が、微妙にノイズを含み始める。

『貴方様は当機の提示した概念を日常行為で上書きしようというのですか!?』

「別にそんな大層なことしようと思ってない」
「ただ参照していないだけ」

『_▁▂▃▅▆▇█▓▒💢💢💢💢

自販機の表示が高速で切り替わる。
哲学者の名前や数式、倫理モデル。
表示は意味を伝える速度を放棄していた。
理解されるためではなく、
圧倒するためだけに並べられた知識群だった。
あらゆる学問に関する表記が成され、同時に点滅し、収束することがなかった。

「しょうがないだろ」
「俺は既に飲んだ空き缶をゴミ箱に捨てたかっただけなのに」
「急に『嫉妬』の絡んだねじれに勝手に診断されたんだから」

内部演算が限界に達したように、自販機が激しく振動を始める。
冷却音が悲鳴に変わる。
本来、沈黙の中で行われるはずの計算が、
すべて外に漏れ出していた。

💢💢💢💢
💢💢💢💢💢💢💢💢
💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢💢
💢‼️‼️

画像1

504
わったん 2026/02/09 (月) 19:07:17 修正 >> 498

ド派手な爆発。
飲料缶が宙を舞い、
泡と蒸気が夕暮れの裏路地に散った。

「……」

自販機から流れ出た飲料塗れになり、髪がペタリと重力に従う。
手元には買った炭酸飲料。

「……くっそあったまってる」

そして既に飲みほしていたさくらんぼジュースの空き缶を、付属のボロボロなゴミ箱に捨てた。

「……いやー、流石にねじれから出てきたもんを口に含むわけにはいかないよな……」
「どう使おうか……」

何事もなかったかのように歩き出す。
その後ろには散乱した缶ジュースと、自販機の残骸がただ黙って転がっていた。

505
わったん 2026/02/15 (日) 19:45:57 修正

疾走と跳躍は、夏の濃い影を引き剝がす。
家々の影を縫い。
木々の枝を飛び移り。
広場が見えたら道を折れ。
冒険の足取が、そこら中で煌びやかな縁を紡いだ。
希望は常に、遠くへと散りゆく。
それでも、いずれは太陽を持って帰ってくる。
あぁ、俺達は必ず、ミルラのしずくをこの村に捧げて、
村の人達の安寧に光を灯す。

焚火の爆ぜる音に、リルティが語る武勇伝。
漂った枝葉に乗せた旋律に、セルキーが口ずさむ悪戯な鼻唄。
夜空の欠片に彩る、ユークが捲る知識の頁。
クリスタルゲージの淡い光に照らされた、クラヴァットの寝顔。
俺は覚えている。
俺達の旅は、単なる雫集めじゃない。
一歩進むごとに、世界に愛着という名の刺繍を施していく思い出の行進。

たとえ瘴気が行く手を阻み、明日が見えなくなっても。
この旅日記に刻まれた昨日までの笑い声が、俺たちの背中を押し続けてくれる。
思い出は、過ぎ去った過去じゃない。
これから出会う困難を打ち砕くための、最も鋭く、最も温かな剣。
俺は和の民。クラヴァットの男。

「皆帰ろう、俺達の村へ」

黄金の麦畑が織り成す俺達の平穏。
絶望さえ跳ね除ける希望の村。
太陽の村に、命の雫を、俺達の思い出を持ち帰る。
必ず。

506
わったん 2026/02/15 (日) 19:47:14

里帰り

―セブン協会 カフェテリア―

最早聞きなれたモダン空間に響く雑多な陶器の擦れる音。
幾度となく交わしてきた情報提供の場。
その普段と変わる事のないテーブル上で、人物たちは静かに口を開いた。

「図書館は都市疾病クラスの事件として都市では話題が挙げられています」
「多くの事務所が廃業、組織の一部も壊滅的であり、伴って『ねじれ』の出現が数多く報告されています」

セイブが書類を片手に、ユンフへと状況報告を開始する。

「廃業した事務所には、嘗て煙戦争で活躍されたと言われるフィクサーも居たそうですよ!」
「煙戦争の参戦者に関する情報はかなり統制されているので、俄かに信じがたいのですが!」

ラックの底抜けに明るい声が、話題の暗さに反比例する。
ユンフは目を伏せ、その情報から得られるとある事務所の事を思い浮かべ、一つ重い呼吸を置いた。

「……ユンフさん、図書館は依然、危険度が測れない程にその輪郭を曖昧にしています」
「貴方の望む答えは、本当に其処にあるのでしょうか」

セイブの案じるような声色が、ユンフへと向けられる。
彼はその声に応えようにも、『L社』という枠組みの中で得られた情報をセブン協会に渡すのは危険であると判断していた。
それ故に、オーウェンから提示されたラモエの存在が其処にある事を隠蔽することを選んでいる。
L社が潰えた地点に聳え立つ図書館。
その関係性は確固たるものであり、彼は図書館こそが、自身の探す思い出の行先である事だけをセイブ達に伝えていた。

「深く入れ込んだ回答が出来ず、申し訳ない」
「ですが、間違いありません」
「ねじれの根本は『白夜』『黒昼』を発生させた元凶にあり」
「其処に潜んだ概念が、人々の心に『声』を届ける」
「その導きにより、本来の自身という殻が発現していくのは、あの図書館が原因である事」

「思い出との関連性がねじれにあるのであれば、図書館にその存在が居る、と……」
「……理屈は通りますが、過程においては理解出来かねます」
「都市に於いて因果は綿密に関連するものですが、偶発的なものである運命は決してその道に繋がるとは限りません」

「まぁでも危険な事に変わりはないですからね!」
「私達は心配なんですよ!ユンフさんが図書館に関係して居なくなってしまったら」
「私達、それこそ貴方の言う情報通りなら、ねじれてしまうかもしれませんからね!!」

「心配してくれてありがとう」
「ですが俺は――」

「思い出があるから倒れないとかいうんでしょう!わかってます!!」
「てか赤い霧に並ぶぐらいには貴方は最強談義に候補があがるぐらいですから、確かに心配する必要ないんでしょうけど!」
「それでも友達の安否ってするに決まってるじゃないですかー!」

507
わったん 2026/02/15 (日) 19:47:33 >> 506

「ユンフさん、私達は都市の人間の枠組みとしてではなくて」
「一人の人間として、貴方が築いてきた軌跡を見てきた語り人なんです」
「……その最後を、命の幕引きで終わらせるようなことだけは、してほしくないんです」

「……」
「帰る場所が在る」
「それだけでも、俺の生きる理由にはなるのに」
「その道中で貴方達のような人に会えて、俺は本当に恵まれているよ」
「ありがとう、セイブさん、ラックさん」
「だからこそ力強く言うよ」
「俺は『だいじょうぶ』だと」

苦みにさえ反応しないその表情。
だが、僅かに上げられた口角を見て、セブン協会の二人は何処か安心したような笑みを見せた。

「図書館については、再度情報が更新され次第お伝えします」
「……ここからはねじれに関するお話です」
「V社で起きはじめた、異常現象」
「一介の街村が、突如大きく変化した事件」
「『里帰り』です」

508
わったん 2026/02/15 (日) 19:47:52 >> 506

――里帰り
V社の巣。エル村、そして繋がるソル街全体を覆った固有結界。
原因不明だが、物理的に栄光のある長閑で、不自然な小麦畑や山村の家々が聳え立つ。
ビルの隙間や工場など、最早場所は問わず、まるで御伽噺に出てくる村の背景が全体を覆う。
住民達は、「村の役割」を与えられており、記憶を失い、自我を保っているものはいない。
鍛冶屋、商人、こなひき、錬金術師。
ありとあらゆる職業や、村人として、住民として演じさせられている。
だが、誰しもが敵対心は無く、穏やかに暮らしているそうだ。

「人的被害こそありませんが、最早嘗て存在していた都市の一部としては機能を成していないそうです」
「V社は製造地帯であるソル街の奪還を主として、報酬金を公表しています」
「その額は都市の星に該当するものです」

「記憶の奪取や、自我に関するねじれですか」

「最早、都市の物とは思えない現象だそうです」
「先遣隊もまた、里帰りにおける住民の一部となり、その区域で生活をしています」
「唯一生き残ったフィクサーの情報は、非常に欠落的でどれも情報に乏しいですが」
「見えた看板の文字が、何処か哀しみを帯びていたと評していました」

「……看板……?」

「はい」
「我々にこの依頼内容が伝達されたのは、楔事務所が他案件による拘束に合う為」
「其処から貴方を指名されたものになります」

「オスカーさんからのご指名ですか」
「わかりました。里帰りの案件、請け負います」

509
わったん 2026/02/15 (日) 19:49:12 >> 506

―22区―

画像1

昼と夕方の狭間。
該当地区には、緩やかで長閑な雰囲気を保っていた麦畑が広がっていた。
同時に奥に見えるビルは不自然に立っており、だが本来であれば、そのビルが元々その背景に相応しい場所であった。

「エル村、ソル街」
「……山村というには、発展しているが」
「……この麦畑……何処かで俺は……」

街路を歩む。
幻想的且つ帰郷とも思えるその田舎道。
道中、村人と見てわかる格好の人物が麦畑で仕事をしていた。

「こんにちは」

「あら、こんにちは」

遠くから声を掛けても、その返事は明るく活発的であった。
声色からでも分かる。その人達は、此処で生きている事が。

「最近はお客さんが多いわね」
「村長さんは村の奥に居るから、挨拶するならビルの方に向かっておくれ」

警戒心の欠片もない、長閑な人々。
挨拶を施した人間だけでなく、遠方に見える子供達や、老人たちは平和そのものの暮らしをしていた。
何処か、不安のない、幸せだけに満ちた世界。
都市の空間としては、異質であり、同時に自身が望んだ世界のようにも思える。

麦畑の路地で遊んでいた少年達が居た。
愉し気に笑みを浮かべながら、棒切れや土で遊んでいる。
その光景は、嘗ての故郷で自身以外で遊ぶ子供達の風景を彷彿とさせていた。
そう。嘗ての故郷での出来事のような、その幻想。

「こんにちは」

子どもたちに声を掛ける。

「こんにちは!もうすぐこんばんは!」

元気のいい挨拶。
とてもではないが、ねじれの影響下に居る人間とは思えない程快活であり、
そして純粋であった。

「おにいさんどっから来たの?すっごくカッコいいね!」

「……楽しそうに遊んでたね」

「うん!だって不安な事もないし、絶望もないから!」
「ずっと希望に満ち溢れていて、この世界の正しい在り方が此処では享受出来るんだよ!」

「希望、かい。絶望がないなんて、都市では珍しい話だね」

「そう!でも、ここはもう都市なんかじゃないんだよ!」

510
わったん 2026/02/15 (日) 19:49:46 >> 506

「……随分と愉しそうだね」

「だって、もう待つ必要はないから!」
「力持ちの槍使いさん!」
「身軽な盗賊さん!」
「不思議な魔導士さん!」
「暖かいお姉さん!」
「そしてこの世界を創ってくれたお兄さん!」
「太陽は既に、心に届けられているからね!」

元気よく子供たちは去っていった。
麦畑の中に隠れてしまう程、純粋な年齢の子達。
彼はその姿を見送りながら、妙な既視感、違和感。
そして見たことのある輪郭が形取っていくことに、不安感を抱いた。
再び街路を歩む。
領域に踏み込んでいき、入口と思える場所が見え始めた。
そして同時に眼に入ったのは、ポツンと聳え立つ看板。

「……」
「この風景……」

確かに異なる風景。
だが、それはあくまで彼が見た過去の姿。
その過去は歩みを進める度に、確かに輪郭を帯びていき、
やがてその視界に収まる村は、その部分だけは、
彼の記憶を刺激した。
看板。
其処に書かれた文字は、彼にとって馴染み深い文字で描かれており、

【光のつどう村】

絶望に染まった、あの時の過去が、其処には存在していた。

「――」

【ティダへようこそ】

511
わったん 2026/02/22 (日) 19:54:25 >> 506

遠くで子供たちが幸せを奏でる。
見守る親たちもまた、静かに微笑む。
この風景を見たのは何度目か。
いつしかL社の巣に囚われた、あの老人が佇む光景。
幻想の類。

「……」

だが同時に、目の前にある看板の質量が、都市に存在する嘗ての故郷を証明していた。
希望という畑で燦々と生き続けたクラヴァットの歴史。
優しくも力強い思い出の日々を、長閑な風景の空気に浸透させた家々。
その全てが、彼にとっては絶望の園として映ったあの日。
あの時とは確かに異なる、『生きていたティダの村』が、目の前にあった。

「……」
「……」
「……」

旅の一頁に飾った悲しき思い出を前に、彼は推察に奔る。
都市という枠組みに於いて、故郷を彩る事が出来るのは自分、乃至はラモエを以て他はないはず。
『ティダ』という嘗ての幻想が発現している事は、その両者どちらかに原因がある。
図書館の出現、実体化していくL社の魔境、ラモエの存在。

「……」

思考を取り止める。
看板と、既視感のある風景、子供の発言だけでは、確実な事は得られない。
彼は嘗ての歴史を、都市の出で立ちで歩み始める。

512
わったん 2026/02/22 (日) 19:54:52

「昼過ぎから馬車がガタついてなぁ」
「車軸と軸が痛んじまって」

「直せそう?」

村人たちが軋みかけた木製仕掛けの馬車で目を合わせる。
その会話内容は麦畑の中でも強く響き、何処か不思議な思い出の欠片を滲み出していた。

「おいおいーお兄さん。どっから来た人だい?」

村人の一人が、街路を歩むユンフに声をかけた。
その装いは、都市の人間の装いではなく、瘴気に塗れた世界で生き抜く人々が織り成す生活の姿だった。

「こんばんは」

「おいおい、まだこんにちはじゃねーのかい」
「まぁいいや。こんばんは!ようこそティダの村へ」
「太陽の恵みと麦畑があんたの旅を良いモンにしてくれるよ」

「……」
「俺はL社から来ました、ガンパウダー工房フィクサーのユンフです」

「L社……?」

「12区です。今は折れた翼、ロボトミーコーポレーションの巣と裏路地」

「あー!そうだったそうだった、ここはもう都市じゃないから忘れちまってたよ」
「おいおい、アンタ運がいいんじゃねーの!ここは平和の村だ」
「もし旅に疲れたってんなら、ゆっくりしていきなよ」
「ティダの村は、なんたって希望のつどう村だからな!」

「……」
「……」
「ティパの村を、御存じでしょうか……?」

ユンフの言葉に、村人は目を丸くして口を開ける。

「驚いた。どうして大陸最南端に所在するあの村を?」
「アンタは都市の人じゃないのか?」

「……」
「……」
「……」

513
わったん 2026/02/22 (日) 19:55:11 >> 512

「あぁ、それよりユンフ。馬車は直せるか?」
「どうやら車軸がイカれちまっているらしいんだが」

遠くで会話をしていた村人もまた、ユンフに視線を送っている。
彼は、自身の中で渦巻く感情に対する問いを抑え、小さく頷いた。
そうして馬車の前まで行き、傾いたその車体を眺める。
嘗て自身が旅人として世界に思い出の種を蒔いた、あの風景。
荷台に視線を映す。

「……」

心に寄り添う少女の笑顔を思い浮かべる。
その風景を思い浮かべる事が容易な程、この馬車は自身の思い出に存在するものに似通っていた。

「……」

腰を落とし、地面に背を向けて馬車の下に半身を潜り込ませる。
原因をすぐに理解すると、片手だけを馬車下からはみ出させて掌を広げた。

「連結部分が歪んでました」
「軸穴の補強をするので、道具を」

「頼りになんなぁユンフ!」


僅かな時が過ぎ、土埃にやや汚れたユンフが馬車を眺める。
先まで傾いていた馬車は均一を保ち、安定した立ち振る舞いとなっていた。

「ありがとう、これで明日は麦をまた運べるよ」

「ティダの村の人々は、農村を紡いでいたんですね」

「ん?あぁ、ジュゴン川が流れるようになって、ファム大農場が出来ただろ」
「その歴史を持ってきた人の思い出を、俺達がしっかり受け継いでいるって訳よ」

「それがこれほどの麦畑を築き上げたわけですか」

「あぁ、そんな俺達を護ってくれるクリスタルキャラバンの連中には頭が上がらんもんよ」

「……その人たちは、今はどちらに?」

「……俺達の思い出の中にいるよ」
「あぁ、そうさな。ただ村長は違うだろうな……」
「奥に見えるビル群。あそこを登っていけば居るよ」
「ったく、都市とは関係ない連中だってのに、どうしてあんなビルにいるんだろうな!」
「……ビルに向かうのかい?」

「はい」

「……じゃあ、その向かう途中で、色々見て行っておくれ」
「そうすりゃ、きっと村長も喜ぶよ」

「……ありがとうございます」

ユンフは一礼し、街路につく。
その足先は、ティダの村と称するには異常な風景である、ビルの方へと向かっていた。

514
わったん 2026/02/22 (日) 19:55:45 >> 512

「うぎゃー!もー一回!」

「へへーん、次も僕が勝つもんねー!」

ビルに向かう狭間。
麦畑の横で、木の棒を振り回し合った少年たちが居た。

「……?あ、お客さんだー!」

「ほんとだ、珍しい!」

ユンフを見た途端、その棒切れを引き摺りながら、物珍し気に少年たちは駆け寄ってくる。

「お兄さん、強そうだね!」
「めっちゃ強そう!」

彼は少年たちの持つ木の棒の握り手を見つめた。
その構えの残痕は、剣を持つものではなく、槍を持つものの証であった。

「……槍術を勉強しているのかい?」

二人の少年が握る木の棒に一瞥をやったあと、彼は膝を曲げて視線を合わせる。

「そう!俺達クラヴァットと違って、リルティの人は力持ちなんだ」
「だから、そのすっごい強い力持ちになるために、頑張ってる!」

「……」
「あぁ……彼らは『武』の民だからね」
「でも、ティダの村の住民である君達が、何故リルティの槍術を?」

「お兄さん知らないの?」
「ティダの村のクリスタルキャラバンは、全種族が力を合わせて結成された最強のキャラバンなんだよ!」

「そーそー。その中でも、ミルド=デリス兄ちゃんは滅茶苦茶強いんだぜ!」
「いつも帰ってくる度に、倒した魔物の事も教えてくれてんだ!」
「翼の生えた目玉の化物とか、魔法を使う骸骨戦士とか、でっかいゴブリンとか、みんな倒しちゃうんだぜ!」

「アーリマンとスケルトンメイジ、……多分オークかな」

「うん、そんな感じの名前だった気がする!」

「その人に憧れて、君達も腕を磨いているんだ」

「ミルド=デリス兄ちゃんは、キャラバンとしてだけじゃなくて」
「この村の護り人として、俺達を護ってくれてんだ」
「希望の村、太陽の村なんだから、子供は元気でいろって!」
「俺達も、リルティの誇りを持った兄ちゃんみたいに、強くなって護っていきたい!」

515
わったん 2026/02/22 (日) 19:55:56 >> 512

「……」
「ミルド=デリスさんは、どんな人だったんだい?」

「腕自慢が大好きで、力仕事は全部解決してくれる」
「でも、すっごく元気で、皆に力を与えてくれる、そんな人だったよ!」

「カトゥリゲス鉱山から拾ってきた炭鉱とか」
「そういう素材を見ると小さい身体が飛び跳ねるぐらいには武器鍛錬も好きだったね」

「真空突き!」
「せんぷう斬り!」

「小さいけど、大きな人だったな~!キャラバンの皆からも、頼られている兄ちゃんだった!」

子供達が意気揚々とリルティの人物像を語る。
ユンフは語り部達の尊敬に満ちた表情を見つめ、其処にある思い出がまるで本当に在ったかのような感覚に陥っていた。
彼らの表情に嘘偽りは無く、言葉は何処までも真っすぐであった。
虚飾に塗れた固有結界とばかり認識していたこの空間は、
宿主が確実に『思い出』を持っていたことの裏返しであった。

「……そっか」
「じゃあ、ミルド=デリスさんを目指して、頑張っていかなきゃね」

「うん!」

「お兄さんも、クラヴァットだよね」
「でも、めっちゃ強そう!ねー、俺達に稽古してよ、稽古!」

ぐいぐいと裾を引っ張る少年達。
ユンフは、この光景が何処か遠くで起きたかもしれない現状である事に胸を痛めながら、
小さく笑って立ち上がった。

「村長さん達とお話したら、一緒に稽古してあげるよ」
「だから、怪我しないように振るうんだぞ」

「やった!!!」
「待ってるよ!」

元気よく麦畑に走っていく少年達。
その後ろ姿を眺め、何処か憧れた情景を思い浮かべつつ、
彼は街路を歩む。

516
わったん 2026/02/22 (日) 19:56:20 >> 512

夕焼けが差す前の日中。
彼は常に黄金に輝く街並みを横目に、都市とは異なる空気の音色を感じていた。
やはり、嘗ての思い出に通ずる匂い。

「……」

はやく帰りたい。
そう願う、表には出さない大きな欲望。
その願いを孕んだまま、歩く最中。

「~♪」

嘗て、自身に枷さえ強いておきながら、
自身の感情に付き従う事も出来た音色が、彼の耳を刺激した。

「――」

麦畑の隅。
円状に纏められたロールベールの上で、鼻唄を口ずさむ女性が上機嫌に足を揺らしていた。

「~♪」
「……あら、お客さん?ようそこ、希望のつどう村へ~」

彼に気づいた女性は、鼻唄をやめても尚、何処か飄々とした機嫌の良さで笑みを見せた。

「……」
「水かけ祭りの音色」

「そう。ミルラのしずくが集まった事を祝した希望の音楽」
「村の人々は怯えず、また優しい日々を送れる希望の歌」
「これが好きなの、私」
「ね、すぐわかったって事は、貴方もそうなんでしょ?」

「……」

「あら?違ったかしら」

「大半は憂鬱に沈み往く『僕』の独りよがりな時間でした」

「じゃあ途中からは『俺』になった、みたいな?」

「勘のいい人ですね」

「そりゃそうよ」
「なんたって、このティダに希望を届けてくれるキャラバンに身を挺してくれた」
「セルキーの人、ラ・セナに憧れているんだから」

「……」

「あら、セルキー族には厳しい感じ?」

「しましまリンゴや……ルダの村ではギルを盗まれたものでして」

「あはは、『我』の民って感じだよね」
「でも、ラ・セナはそんなことしないよ」
「彼女は帰ってくるたびに、ミルラのしずくだけじゃなくて」
「皆に希望を持ち帰っていたのよ」

517
わったん 2026/02/22 (日) 19:56:31 >> 512

「ラ・セナさんは、何故ティダの村のキャラバンになったのでしょうか」

「さぁ、どうなのかしら」
「でも、あの人は凄く自由な人だから」
「きっと理由も「なんとなく」とかその辺よ」

「気負わない、自由な人ですね」
「『我』の民たるセルキーらしい人だ」

「そう、だから私達にも同じことを教えてくれた」
「人は本質的に縛られながら生きていくけど」
「その柵の狭間に見える希望は、決して縛られているものではないこと」
「あの人にとって、私達ティダの村を救う事は」
「きっと束縛されたものじゃなくて」
「もっとこう、崇高とかそういうんじゃないんだけど」
「そうしたいからっていう自由気ままなところだったと思うの」

「……」

「ふふふ、どうやら貴方もキャラバンみたいね」

「えぇ、ラ・セナさんのような自由な気持ちで赴くことは出来ませんでした」

「でも、『そうしたい』って思ったんでしょ?」

「理由は明白だったので」

「きっと仲良く出来るわ、貴方達」
「水かけ祭りが始まったら、一緒に踊る?」

「俺のダンスパートナーは決まっています」

「あら、残念」
「じゃあ音楽だけ奏でてあげる」
「ちゃんと楽しそうに踊ってね」
「それが、音色を奏でる者に対する最高の賛美だから」

セルキーの人物像を語る女性。
その自由で、清涼感が駆け巡るノスタルジーな雰囲気は、
ティダの村で何にも縛られずに生きてきた人が放てる独特のものであった。
村で過ごした『思い出』があるからこそ、語る事の出来る確信。
ユンフはその確信を噛み締めながら、女性に一つ挨拶を交わして再び街路を歩む。

518
わったん 2026/02/22 (日) 19:56:56 >> 512

街路に沿った麦畑の僅かな外れ。
太陽の日差しを存分に受けながら、分厚い書物に眼を細める老人が居た。
モノクル越しでも分かる、その哲学的な文字を見つめるその様を見て、
彼はある種族に触発された人物である事を察知していた。

「若いの」
「ティダの村はどうかね」

書物に眼を通したまま、付近を通りかかったユンフに言葉を投げかける老人。

「看板通り、希望を連ねた活気のある村です」
「太陽の微笑みを受けた、優しい村」

「そう感じる事が出来るのは、お主が旅を重ねているからであろうな」

パタリと本を閉じ、皺くちゃな顔を彼へと向ける。
その年季は、都市においては珍しくさえもある老人の姿であった。

「若いの。どうだね、少し閑話に付き合っていただけるかな」
「村長に会う前の、気分転換、という奴かの」

「……」
「俺が都市の人間である事は、認識しているんですね」

「あぁ、そして、このティダの村に関する存在であることもまた」
「自ずとわかる」

「……理由をお聞きしても?」

「私が長生きしているからだ」
「何、この現象下における制圧の中で、お主から感じる色の濃い旅路に中てられた」
「……そうだな、こういう問答はどうだ?」
「その旅は、足に纏わり付く身も心も冷え切ってしまいそうな水を掻き分け」
「ただひたすら、何処へ行くとも知れない道を歩むが如く暗闇」
「だが、確かにある。希望の光」
「その光を、お主が抱えている」
「私達、ティダの村の住民が追い求めた種を、お主が持っている」
「そう感じた、そう感じられる程、私は都市で長く生きてきたからだ」

「……」
「どれ程歩き続けたかは分からない」
「水の凍て付く様な冷たささえ分からなくなってしまう程、俺は無感情に歩んだ」
「だが、それは途中までの話」
「俺を照らした太陽は、俺に温かさを教えた」
「その暖かさを以て、自分以外の気配を感じて、旅の疲れさえ愛おしく想い」
「俺は種を蒔いていった」
「歩む先に僅かな希望が見えれば」
「その希望が、俺達の種を育てていってくれるだろうから」

519
わったん 2026/02/22 (日) 19:57:08 >> 512

「ふむ」
「旅路に意味を成すは、世界の命運などではない」
「その暖かさを享受した者への感謝か」

「俺の成せなかった事を、これから成せるようにするための旅路です」
「その旅路の終着点に辿り着く事こそが、彼女に示す感謝足り得る」

「ハハハ、すまんな」
「どうやらお主の喋り方を束縛してしまったようだ」
「なるほど。感謝という言葉だけで表現するには」
「あまりにも壮大で、慈愛に満ちて、心弾む物語か」

「……」
「長生きされている中で、貴方の旅路は如何なものでしょうか」
「都市の枠組みの中で生き永らえ、現在は異世界の影響下に翻弄されることになる」

「それもまた運命」
「私もまた、私以外の一つの人生を大きく見てきた」
「トルブジータと呼ばれる、智に邁進せし者の記憶だ」
「そう。諦観しないこと」
「達観する事こそ、夜空の欠片に手を伸ばせるきっかけになる」

「……」
「『智』の民らしい、迂回した表現だよ」

「お主程ではなかろうて」

「俺は感情に沿って言葉を投げかけています」
「その上で直接的な表現を敢えて心の奥底にしまうのは、贖罪の時ではないから」
「……トルブジータさんは、読書がお好きだったんでしょうか」

「あぁ、厚ければ厚い程、その知識の情熱は燃え滾る」
「いつかは自身の身長を超える本を読みたいとさえ思っていたらしい」

「中身を問わないのであれば」
「次世代にまで紡いで、物語の本を描くことが出来たら」
「ユーク族の身の丈を超える本は書けそうです」

「おぉ、言うではないか」
「なら、是非とも記してくれ」
「お主はきっと、最後まで筆を執り続けることが出来ると、信じておる」

ユークの人物像を語る老人。
その知的で、落ち着いた雰囲気は、まさしくユーク族が放つ不思議な雰囲気そのものであった。
紡いできた知識の頁があるからこそ、その糧となった『思い出』をその者は放っていた。
ユンフは一つ挨拶を終え、再び街路を歩んだ。

520
わったん 2026/02/22 (日) 19:57:21 >> 512

ビルに繋がる一本道。
その道中、村全体を見渡せる岬のような足場で、一人の女性が佇んでいた。

「本を捲る度に、その呼吸は楽し気なものになった」
「筆を動かす度に、その字は嬉し気なものになった」
「そんな横顔を見たいが為に、私は旅をした」

「……」

「ある女性のお話です」
「非力ではあるけど、絶対に傍に居たくて」
「力になれなくても、皆を支えていきたい」
「そう、自分の出来る事を最大限まで考えて」
「希望を持ち帰るキャラバンの、希望そのものになっていた」
「そんな女性のお話」

「……」

「クラヴァットは畑でも耕しているのがお似合いだって揶揄されることはあったけど」
「その人は、確かに動機は不純だったかもしれないけど、キャラバンになる意志を自分で固めた」
「恋心はその人の人生観を大きく変化させて、最早別物になってしまう」
「でも、その人は、『それでよかった』と、納得していたそうです」
「……ようこそ、ティダの村へ」
「今、私が話したのは、テトさんの話です」

「――」
「……」
「健気な少女の、大切な人との思い出の話ですか」

「村人以外の人が、そう言ってくれるなんて」
「まるで貴方も此処で育ったかのような感じです」

「……テトさんは、この村を護ろうと、戦い続けたんですね」

「……最期まで、戦い続けたのは確かです」
「でも、きっと違う」
「この村を護るためではなくて」
「ある人を失いたくないから」
「その先に見える思い出まで手放したくないから」
「力の限りを尽くしていたと思うんです」

「……」
「ティダの村は、常に希望を抱えた村ですね」
「利己的に旅をすることが出来るのは」
「間違いなく希望の光となる礎だから」

「えぇ、私もそう思います」
「ティダの村にとっては、テトさんはキャラバンとして希望を持ってきてくれた人ですが」
「キャラバンにとっては、きっと彼女は希望そのものだったはずですから」
「……ごめんなさい、急になんでこんな話しちゃったんだろう」

「……」
「『温』の民は、その性質上争いを好まない」
「彼女は、戦う事以外で、村に平穏を届けたかったんだと思います」
「きっとそれが、その人の恋心が成せる希望だったのだと」

「……そうね……」
「書き続けた日記は、彼女にとっては恋文でもあったから」
「そんな優しい空間を、私達は見守っていたかったです」
「…………ティパの村の人。ありがとう」

「……」

振り返る事も、俯く事もなく、女性は村を眺め続けた。
その横顔に、彼は一礼をおくり、歩み始める。

521
わったん 2026/02/22 (日) 19:57:31 >> 512

ビルの入り口まで続いた麦畑。
剰え、中にさえ広がる黄金の畑。
登りあがる為の階段の多くは、下地は大理石やコンクリートだったのかもしれないが、
その表面は全て麦で覆われていた。
異質にも思える都市の風景に、ティダの村の栄光が華やかに彩られていた。

「……」

ビルの中身はほぼ空間が形成されており、それらを纏うように螺旋状の階段が天へと登り立つ。

「……これまで出会ってきた村人は、都市の人間に『記憶』を被せたものだった」
「それぞれの人生は、嘗ての俺が生きてきた世界そのものであり」
「そしてそれは、俺達にとって60年以上も前のティダの村の姿なんだろう」
「『里帰り』」
「貴方は、過去のティダに帰郷しようとしている」
「そしてその物語の結末を、俺は既に見届けてしまっている」
「……だから、呼んだんだろ、俺を」
「ティダのクリスタルキャラバンである、『村長』を模した貴方が」

階段の一段目に足を置く。
すると、彼の懐でE.G.Oが黄金色に輝く。

「……」
「会うまでの行路だ」
「見せて欲しい」
「貴方を思い出を」

力強く、彼は階段を上り始める。
そうしてその脳裏に響くは、見えるは、
希望を求めた太陽の旅路であった。

522
わったん 2026/03/01 (日) 18:46:12

ティダの記憶

その日は、驚くほど空が澄んでいた。
けれど、街道を一歩外れれば、そこには死の霧――瘴気が揺らめいている。
俺は左手にクリスタルケージを抱え、右手で剣の柄を確かめながら、アルフィタリア盆地の草原を歩いていた。
ケージの中で静かに呼吸するクリスタルの淡い光だけが、この世界の理不尽な残酷さから俺たちを切り離し、唯一許された安寧を形作っていた。

「レビ!」

風の音色を纏い、太陽の恵みを一身に受けて響く天使の声。
草原の隙間から零れ落ちる純粋な愛情は、風に連れ去られて空へと萌ゆる。
背後から弾むような気配がし、俺の肩に柔らかな重みが預けられた。

「そんな慌てんなよ、テト」

彼女は俺の背中に隠れるように歩きながらも、好奇心の灯火を瞳に宿し、身を乗り出している。
その姿があまりに愛おしく、何処までも続く地平線の境界線よりも、俺はこの微笑みを護り抜きたかった。

「これが慌てずにいられましょーかー!」
「だってほら、見て見て!」
「去年の今頃はまだ雨が続いてて、こんな綺麗な景色、見られなかったでしょ?」

視線の先、ジャック・モキートの館を象徴として抱く大地には、背後に浮かぶジェゴン川が鈍色に光っている。
浮かび上がるファム大農場の豊かな黄金畑が、陽光を受けて宝石のように煌めいていた。
その背景を横目に、いたずらっぽく笑みを浮かべて、俺の横顔を覗きこむテト。
彼女の瞳には、空の青とクリスタルの光が混ざり合い、まるで宝石のような煌めきが宿っていた。
その時もそうだが、俺は今も常に思っている。
この宝石のような輝きこそが、俺の生きる糧であり、思い出を開く時の鍵だったことを。
好きだった。

「また見れるようになる」

「でも、今年のこの景色は、あと何回も見れないでしょ?」
「すぐにメタルマイン丘陵に行くんだから」
「だから!この景色を一緒に見れたって思い出を焼きつけておかなきゃ!」

そうして俺の首に手を回し、背に乗っかるテト。
身体の密着が、俺に激しくも生きる故の安心の高揚を与えてくれる。

「おい!あんまり無理して動くなよな」

「心配しないで!私、去年よりかは丈夫になったんだよ」

「両手に武器とケージを持ってる身になってくれよ」

「私が持つよ!」

「いいですいいです。お姫様はそのまんま楽しててくーださい」

瘴気の世界とは思えない程、美しい風景が俺達の旅路を拓く。
俺は、何てことのない日常も、これから先訪れる全ての苦難さえも、
全部全部、思い出に変えていけるって、そう信じられていたんだ。

523
わったん 2026/03/01 (日) 18:47:46 >> 522

3年目の旅路。
村を出たばかりの1年目や2年目は、ただ生き延びて、雫を持ち帰ることに必死だった。
けれど、二人での旅に慣れ始めたこの頃、俺たちはようやく「旅を楽しむ」ということを覚え始めていた。
道端に咲く名もなき花。
野営の火で焼いた、少し焦げた魚の匂い。
夜空を見上げながら語り合う、他愛もない冒険の話。
彼女との時間だけではなく、
広大にも無限に続くこの世界という人生の物語の中で、
唯一無二の伴走者たちと巡り合えたこと。

焚火を囲んで、夜空の下で煤の音を聞く。
その最中は、キャラバンのそれぞれは思うがままに過ごしていた。

「レビ。剣の綻びを無視すんな」

武器の手入れ。
ルーンブレイドの刃先を篝火の赤光で照らしている時、リルティの覇気ある声が冷水を打つように届いた。

「わかってるよ。別にわざと無視してたわけじゃねぇんだから、んな怒んなって」

「いいや、怒る。魔物と戦っているときに剣が折れたらどうする」
「お前の命だけじゃない。俺様達も危険な目にあうんだぞ」

小柄な体躯、野菜の形をした種族。
ミルド=デリスは、常に気を張ってくれていた。
野営中のそれは外部からの攻撃だけではなく、
俺達の旅路に於ける準備に司る部分まで、しっかり見てくれていた。

「俺の剣術についてこれねぇ剣が悪い。新調してぇの」

「この前オーガのキバを手に入れただろ」
「あとは「しょうりのぶき」があればマール峠の鍛冶職人に新武器を鍛造してもらえる」
「それまでの辛抱だ。お前が居なくちゃ、ティダの村のキャラバンじゃないだろうが」

喧嘩腰に近い声色。
あん時の俺はガキだったんだ。許してくれ。

「俺の剣が折れても、ミルド=デリスの槍があんだろが」

「だからって俺様に負担押し付けんじゃねーよ!」

「いーだろーがよ」
「獲物を寄越せ寄越せっていつもうるせーくせに、我儘な心配してくんじゃねーよこういう時だけよー!」

互いに青筋を浮かべて、睨み合ったな。
あの時もそうだったが、俺はミルド=デリスと喧嘩をするのが好きだった。
やってやろーじゃねーか、と、どちらかが言い始めるのが恒例だったよな……。
そして、決まってその頃に

524
わったん 2026/03/01 (日) 18:49:07 >> 522

「もー!あんたらうるさい!こんだけうるさいんじゃソニックバットも食いついてこないよ!」

「意味わかんねーよ」

俺達を諫める……というよりか、無理やり抑え込むような、奔放な母みたいなセルキーが声をあげるんだ。
大人びた風格、それでいて自由の象徴とも云える種族。
ラ・セナは、常に俺達を見守ってくれていた。
見守るってのは、監視とか、保護とか、そういう意味合いじゃない。
自由で居られるように、付かず離れずの距離。
自分も、相手も縛られることのない、柵の無いそんな人だった。

「セレパティオンの風でさえ、何処かそよ風を纏っているってのに、アンタらの騒音ときたら」

「喧しさで言ったらお前だって――」

「なんか言った野菜頭?」

「すんません」

「怒られてやんの」

「あんたも」

「はい」

「まったく。野営中ぐらい静かに過ごして欲しいわね。そんなにアタシの旋律は気に入らないかしら?」

ラ・セナは決まって鼻唄を風に乗せる。
その揺らした静穏は、旅に疲れた者を癒す憩いの歌――という訳では無かったな。
俺からすれば、故郷に帰るための、希望の歌。
安らぎというより、魂の深淵に火を灯すような、不屈の感謝の歌。
だから好きだった。
耳から浸透して、心に残るその歌声は、俺達キャラバンにとっては支えの一つだった。

525
わったん 2026/03/01 (日) 18:52:33 >> 522

「ラ・セナ女史。風は常に其方(そち)の喉を待望しておる」
「斯様に言の葉を荒げては、大地に咲きし種に其方の栄えある感情が達せず」

篝火を頼りに、書物へ知性の灯を捧げる語り部たるユークもまた、この活況に心を投じる。
達観した哲学的な物言い。だが人情には敏感な不思議な種族。
トルブジータは、常に俺達に知識を与えてくれた。
……正直、何言っているかは分からない時の方が多い。
だが、確かに指し示す行路は、雄大で、それでいて浪漫に満ち溢れている。
詩人の魂を持っていたんだ。
その魂から零れ落ちる言葉の断片が、俺は好きだった。

「トルブジータ。あんたは相変わらず本の虫~?」

「左様。某は夜空の欠片に身を注ぐ」
「常に天へと登りし川へと渡る為、知識という財産をこの身に宿さねばならぬ」
「故、其方の旋律もまた、我が知識の一部となりて」

「トルブジータさん、この女をあんま褒める必要はないぞ」
「手癖の悪いセルキーの中でも、とっぅううぉぅっぅぉおおおおっくに性悪だからな」

「アタシ、人生で一度はカレー作ってみたかったのよね~!材料は揃ってるかしら~!」

「おうおう、何処の誰が材料だって???」

「某も香辛の妙味に感動を求めん」

「トルブジータさん!?!??」

「トルブジータ、アンタのボケは天然過ぎるから冗談に聞こえねぇって」

「レビ氏。某は冗談とは疎遠の表紙」

「冗談だって言ってくれや」

ティダの村のクリスタルキャラバン。
あぁ、其処はクラヴァットの住む村だ。だけど、俺達キャラバンは4つの種族が集まっていた。
不思議だよな。旅路を通して仲間になってくれたこの人達は、
俺より遥かに円熟した魂を持ち、俺達を救ってくれていた。

「クスクス……」

そうして、俺達のやり取りを横目に、テトは微笑む。
彼女の呼吸を孕んだ、透き通った笑い声が好きだった。
仲間たちとの喧噪に、さらに清涼な風を吹き込んでくれる。
俺の女神。俺の天使。俺の生き甲斐。

526
わったん 2026/03/01 (日) 18:55:38 >> 522

「そんなに面白かったか?」

「すっごく!」

「テト、ダメよこんな奴ら相手に面白がったら!笑いのセンスがゴブリン以下になっちゃうわ!」

「ディスんなバカ」

「レビ、お前なんでこんな奴を仲間にしたんだ。俺様は反対だって言っただろ」

「テトの仲間になったんです~~~!アンタらはお呼びじゃないのよ!」

「某が夜空の欠片に成りし暁には、其方の名を星座に灯さんとせし」

「人によっては告ってるように聞こえるから止めな?」

あれはティパ半島での、忘れがたい一夜だった。
天上の星々が、まるで地上を祝福するように零れ落ちそうだった夜。
感傷に呑まれそうな静寂を、明るい希望が塗り替えた夜。
あぁ、よく覚えている。
リルティの我慢出来ない唸り声も、
セルキーの邪悪ながら恣意的な企み顔も、
ユークの知的で独創的な語り口も、

「あはは!」
「旅って、楽しいね!」

クラヴァットの愛おしい世界のすべてを。

「……テト、俺も楽しいよ」

「ふふ、レビ♪」

彼女の想いを孕んだ無邪気な瞳を見ると、
俺は故郷の風景を必ず思い出す。
其処は黄金に彩られた麦畑があり、
人の営みが約束された聖なる地。
俺達が人として生き抜き、
後世にまで伝える思い出の証。
俺はそれを、彼女と紡いで往く。
その為に、必ずミルラのしずくを故郷に届ける。
重圧、重責なんかじゃない。
当たり前にやっていくこと。
俺はテトと、暮らしていきたいから。
それなら、その過程は決して苦痛なんかじゃない。
俺の成し遂げることの断片に過ぎないのだから。

「テト……」

「♪」

「アタシらが寝た後にやってください」

「へいへい、ごちそうさん」

「情炎」

「……チッ……」

「おい、舌打ちしたろ?ふざけんな仲間に向かってなんだお前ェ!」ガタッ

「するに決まってんだろテメェら邪魔なんだよ!」ガタッ

\ドタアタバキバキドカバキコ!/

「テト~!今日はアタシと一緒に寝よ~!」

「オッケー!」

「官能は人心を養う術。いざ参られよ」

「え?うるさ???」

527
わったん 2026/03/01 (日) 18:55:54 >> 522

永遠にも思える戦いになる。
俺達は誰一人欠けてる事なく、思い出を紡いで生きて往く。
そう出来たら、俺は幸せだった。
故郷の畑を大いに育てて、
その伸び行く麦芽を、子供の成長と共に見守り、
同時にお前達に、俺とテトの将来を見て欲しかった。
瘴気で狂った世界でも、俺は一人の男として、
お前達と紡いだ思い出を持って、愛した女性と共にしているところを。
……仲間、友達。それより、親のように、お前達を想い馳せていたんだな、俺は……。

528
わったん 2026/03/01 (日) 18:56:59 >> 522

その日の野営番は俺だった。
皆、武器を枕にしてクリスタルケージの温もりを頼りに眠りに落ちる。
朝日が東の空を焦がすまで、彼らは先刻までの喧騒が嘘のように、静謐な彫像と化す。

「……」

そういう時、俺はいつも不安になった。
孤独な夜の帳の中。
この人たちは、生きている限り、俺の傍に居てくれんのかって。
俺は、記憶をする。
彼らが話した言葉を。記した手先を。描いた軌跡を。
そうして全てを思い出として、俺の中に内包する。
でも、俺だけじゃ覚えきれない。
この世界は、記憶が薄らになる事がある。
抜け落ちた物語を、離したくなかった。
だから、常に更新したいんだ。
だから、お前達には離れてほしくないんだ。
俺は、お前達との日々が好きだったから。

「レビ」

純真の囁きが、俺の肩でふわりと包み込む。
体躯の体温が染みわたる。篝火なんかよりも、ずっとあったかい心。

「ラ・セナと一緒に寝てたんだろ」
「野営番は俺だよ」
「テトは寝なくちゃ」

「眠れないの?」

「……?当番だからな」

「ううん、違う」
「なんだか、心が騒めいているように思えたから」

見透かされた本心を飾ることなく、彼女を抱き寄せる。
ただ、己の内側に渦巻く不安を鎮めたいという、独善的な渇望に過ぎない行動。
それを受け入れてくれる彼女は、何処までも俺にとっての聖女だった。

「大丈夫だ」
「テトが一緒に居てくれる限り」
「俺は生きているよ」

「……もー……」
「私も同じだよ」

胸板に感じる、确かな鼓動と熱。
魂を癒やす絶大な安らぎ。
言葉と行動で返してくれる俺の生き甲斐。
俺は君の笑顔の為に、
この先の旅路を描いていける。
それは、太陽が指示す故郷への道だったから。

529
わったん 2026/03/08 (日) 20:11:14

幾星霜の年月を経て巡り来る、水かけ祭りの夜。

「今年もまた、安息が訪れる」
「キャラバンの皆……希望を持ち帰ってきてくれて、感謝するぞ」

今宵の夜空も、星々が天体を淡く彩る。
その僅かな色彩に零れた暗き光は、街に掲げられた俺達の希望の結晶を照らす。
ミルラのしずくから溢れ出た希望が、人々の祈りを汲み取り、満天の星へと誘われて昇っていく。
この所作を、俺は且つてのキャラバンが届けてくれる度に、幾度も安息を感じた。
また、今年も生きていける。

「水かけ祭り、開催だ」

村長の慈愛に満ちた声を合図に、街全体が歓喜の波動に包まれた。
躍動するティダの民が紡ぐ、思い出の舞踏。
黄金の麦畑に返り咲く、再生の光。
俺はその光の洗礼を全身に浴びながら、喧騒に沸く村を静かに眺めていた。
踊るの苦手だったんだよ。不格好な踊りを見せるのは儘ならなかった。
ただ、自分がこの光を届ける側になってから、水かけ祭りにおける楽しみ方が変わった。
依然はこの祭りを行える事に対する喜びがあったが、
今じゃこの祭りを楽しんでいる皆と、仲間がいる事に対する喜びが大きかった。

530
わったん 2026/03/08 (日) 20:12:57 >> 529

「ミルド=デリス兄ちゃん!僕にも槍術教えてよ!」

薄明かりの縁、陽気なクラヴァットの子供達に囲まれたミルド=デリス。

「俺様の槍を覚えるにはもうちょい背丈が必要だなぁおまえら」

「えー!?僕たちの方が背高いよ?」

「あんな、人を立てる時は真実ってもんを脇に置いといてくれやしねぇかな」

アイツの周りには、自然と子供たちの無垢な輪ができていたもんだ。
近所のガキ共は、黄金畑で農作を教えた俺なんかよりも、ミルド=デリスを「英雄たる兄」として熱烈に慕っていた。
それに対して嫌悪なんざ抱かなかった。俺も、アイツを慕っていたから。

「いいか小僧共。真に強い奴になるには腕前じゃねぇ。仲間が必要だ」
「お前らが今から出来る事は、仲のいい奴らと大きくなり、育ち、実っていく事」
「いつまでも生き続けていき、そして護りたいと思える奴がいる事」
「そうすりゃ自然と腕前ってのは付いてくんだよ」

「かっけー!」
「ミルド=デリス兄ちゃんの護りたい人って誰なの?」

「あ~?そりゃお前――」

「……」

その先を聞くのは無粋だろ。
幾重にも訪れた命の危機。俺だけじゃない。
キャラバンとは、奈落の上に繋がれた一本橋を渡っていく一隊。
誰かが足を踏み外せば、即座にその腕を掴む者がいる。
ミルド=デリスは決して揺らぐことのない支柱だった。
そして、俺達を引っ張り上げる事もなかった。
ただ、落ちそうな誰かを、引っ張ろうとする誰か。
その空間を護る、武勇伝を語る以上の大きな男だった。
小柄な身形の癖して、アイツはずっと大きな存在だった。
だからこそ、誇らしかったんだ。俺の仲間が焚火の中で語る武勇伝を、俺は好きである事を。

531
わったん 2026/03/08 (日) 20:14:00 >> 529

「ラ・セナ。今年の冒険を聞かせてくれるかしら」

「私も聞きたかったんだ。娘達も聞きたがっている」

クリスタルの慈光の中、穏やかな表情の家族に囲まれたラ・セナ。

「いいわよー!カトゥリゲス鉱山のプリンみたいなぷるっぷるの嫌がらせみたいに置いてあるトロッコの話」
「ゴブリンの壁のオチューのうざったいレベルで性格悪いドクロ仕掛けの牢屋の話」
「それとも、キノコの森のクァールの髭ぐらい長い最深部に居るくっさーい魔物の話?」

石段に腰かけたラ・セナは、旋律に併せて身体を左右に揺らす。
彼女の周りには、未知なる外の世界に憧れる人々が絶えなかった。
冒険譚を語る旅人。俺達もそうだ。思い出を綴り、心でも目でも読み返す。

「どれも気になるけど、更に楽しそうな冒険はないかな?」

「もー贅沢ね!」
「それじゃーティパの村であったレイスの透明感を纏ったような裁縫屋の技術の話でもしてあげる!」

ただ、彼女は少し異なった。
その物語を言葉として綴るのではなく

「~♪」

「唄」として、魂を乗せて紡ぐ。
その唄声は、自由の象徴である彼女の声として夜空に輝くクリスタルの中へと浸透していく。
希望に満ち溢れた空間の中で、俺達クラヴァットの心を盗んでいく。
同時に、旅路で得た心地よい昂揚を、消えない思い出として定着させていく。

「あぁ……」

ラ・セナの歌声に乗せられた冒険譚に、感動という感情を自然と雰囲気で表す一家。
彼らにとっては、数少ない旋律の一つなのだろう。
俺は常に、彼女の唄を冒険の幕間で聞き続けていた。
特別感、という意味合いでは、それは薄れていたのかもしれない。
だが、その唄声から感じる安心感は、いつ迄も俺の思い出の一部であり、
彼女の唄に酔いしれる村人とは異なる感情を秘めていたのも事実だ。

「♪」
「……どうかしら?」

「ティパの村の装飾もまた、冒険心をそそる山間のせせらぎですね」
「いつかティパへと赴き、羽根の装飾をお土産にしたいです」

「ギルに余裕あったら買ってもよかったんだけど」
「ふふふ、そうね。いつか瘴気のない世界になったら、見ることが出来るわよ!」

途方もない夢物語を、彼女はこともなげに放つ。
だが、希望の唄を乗せた彼女の言葉は、夢のようであって、きっといつか訪れるんじゃないかとさえ思える程に、
自由を乗せていた。

「まぁ今に見てなさいって。例え瘴気が晴れなくても」
「私が幾年にも及ぶ冒険の大傑作を歌に乗せて、あなた達に届けてあげる」
「そしたら、あなた達は楽しそうに踊りなさいよ!」
「なんたって私は希望を持ってくる最高のセルキーなんだからね」

「希望を盗んでくる、ということでしょうか?」

「人聞き悪くない?????」

自分の感情に素直で、人の感情にも素直で、
柵なき風のような人だった。
キャラバンとして冒険している時も、ティダの村の一員としている時も、
俺はあらゆる彼女の素を、美しく思えた。
それは俺達キャラバンが与えられた使命の重圧から解放してくれるような、
旅を楽しくしてくれる安心感があったから。
だからこそ、護っていきたかったんだ。俺の仲間が枯葉に乗せた鼻唄を、俺は好きである事を。

532
わったん 2026/03/08 (日) 20:15:45 >> 529

「今宵の月夜は深淵に潜む心さえ溶かす摩天」
「輝き星天に、我らが礎を灯す魔法が在れば、某の生き様さえも刻めたやもしれん」

音楽からやや離れた、農家の家のベンチで語るトルブジータ。

「老人よ。あれに見ゆるは夏の星。その輝きは熱く、夜空をより光らせる一点の星」
「某は、かの星を連ねる者に成れり」

彼が声を掛け続けている隣の農家は、もう余命も幾ばくかの老人であった。
言葉も、感情の表出さえも困難な、孤独の淵にある人。
トルブジータは、好んで老人に語る事が多い人物だった。

「創世については星を読み解けば自ずと理解し得る物語」
「されど、幾ばくにも消え往く道中は、決して語られる事は非ず」
「故に某は残す。如何様にも変化を得ようと、某達が刻みし足跡を、あの天へと」

難解な言辞に対して、老人からの返答はない。
例え彼の発言がわかりやすいものだったとしても、その言の葉に対する返答はなかった。
トルブジータは優しかった。
老人との時を自らが過ごす事で、後継ぎである家族たちが水かけ祭りで踊りを披露出来る事を理解していたから。
老人は口を開く事はなかったが、彼の言葉を聞くと共に、自身の子孫達が存続を約束された踊りを披露している様を眺めていた。

「御老人。某は大地に脚を、空に心を映す」
「それらは全て古今の感情に過行く一時の物語」
「されど、某はその物語の道中で仲間に巡る」
「願わくば、生を実感する間に、大きな書を読み解きたい」

「……」

それまで石像のように動かなかった老人の、痩せ細った腕が僅かに動いた。
揺れ動く腕の小さな前進は、トルブジータの胸元へと行き、皺塗れの手のひらを添える。

「……然り」
「心に秘めし記憶は、少なからず示されたもの」
「いずれ書ききれるだろうか。某の思い出を」
「……どんなものを書けばいい?」

「……」

「……愚問であったか」
「中身のない嬰の集いもまた、某の夜空に示すもの」
「いつしか、百合に染まりし色欲を語るも良しか」

不思議な価値観だった。
夜空の端に自分の名前を連ねる事を夢としていて、その野望を感じさせない程に知的で冷静な振舞。
俺達の迷う足取に、確かな導きを灯す啓示。
自分達の物語が、思い出が、決して無駄なものではなく、
夜空を通じて誰かの人生を密やかに彩っているのだと、彼といると信じられた。
不思議な価値観だった……。
だからこそ、理解していけたんだ。俺の仲間が夜空の欠片に彩る知識の頁を、俺は好きである事を。

533
わったん 2026/03/08 (日) 20:17:52 修正 >> 529

「……」

眺めていた。
俺の仲間が、クラヴァットの村であるティダに溶け込む様を。
俺の旅路が、肯定されていくこの感覚を。
俺の物語が、確かに色を帯びていくことを。
俺の感情が、今すぐにでも君に会いたいと嘆く事を。

「レビ」

画像1

燦然と輝くクリスタルの光は、絶望が入り込む隙などない「完璧な世界」の断片だった。
その光に包まれながら、俺は俺の「光」へと向き直る。

「今年こそは誘ってくれると思ったんだけどな~」
「どうやらその様子じゃ、また思い耽っているのでしょーか」

「踊んのは苦手って毎年言ってんだろ?」

「水かけ祭りぐらいは踊ろうよー」

「いやだね。テトの踊っている姿を見られればいい」

「もー!どうして君はそんな恥ずかしがり屋なのさー!」

言葉にするのさえ恐れ多い。
テトの一言一句が、俺の思い出になり、俺の旅路を意味する。
それは村の中での安息の年もそうだ。
明日から、俺達はキャラバンとしての衣を一旦脱ぎ、
村人として、ささやかな生活を営んでいく。

「今のうちに踊りを上手くなってしまいましょー!」

「なんだよそれ。別に見せる相手もいねーっての」

「私、私!」

「今更カッコつける必要あんのかい?」

「ん~……それもそうなんだけど……」
「あ!未来の私達の子供達に向けて!」

「……」
「俺達もまだガキなんですけど」

「え~?いっぱしのキャラバンなのにー!」

……。
後悔と言えばいいのか……分かりやしない……。
彼女が向けた言葉の全てを、俺は細胞の一つ一つに刻み込んでいる。
彼女が向けた表情の全てを、俺は内包して記憶に留めている。
それだけ俺にとって、彼女は愛そのものだったから。
この時の俺達は、まだ十四歳の子供だった。
瘴気に蝕まれた世界であっても、その先には眩い未来が待っていると信じて疑わなかった。
クリスタルキャラバンとして笑顔で旅を続け、
新たな若者たちを頼もしく見送り、
背丈が伸び、落ち着いた面差しになった俺たちが、そこにいるはずだった。
幸福があると。
それまでの物語を描ききって、
黄金畑で、他の村から来たキャラバンを迎え入れたり――
とにかく、いろんな事を想像していたな。
思い出を紡いでいき、そして思い出に馳せた。
俺にとっての思い出には、必ず彼女が居たから。
俺は、最期の時までそうであろうと思った。

534
わったん 2026/03/08 (日) 20:18:26 >> 529

「レビ!」

「なんだ?」

「名前呼んで、名前!」

「……テト」

「~♪」

この温もりを、この気持ちを。
世界の終わりまで、必ず灯して行く。
その想いが潰える時、俺は独りであり、
都市のどす黒い鮮血、咽せ返るような鉄錆の臭気、
クソ野郎の媒体として意識が遠のいた瞬間だったんだ。
俺は、俺は。俺、俺は……。
この時が、好きだったのに――。

535
わったん 2026/03/15 (日) 18:24:05

幸せだった時は、俺がキャラバンとして旅路を経ていた時がそうだった。
農村で腰曲げながら作物を育て、キャラバンの帰りを待つ日々。
別に悪かない。瘴気の世界に於いて、その生活は現状維持ではあるものの、
残酷でありながらも、生活の営みの輝きを纏った価値ある日々だった。
だが、やっぱり俺は外の世界に出たかった。
キャラバンが自分の脚を通して眺めている風景に恋焦がれた。
俺の意志で、俺の世界を広げたかったんだ。
俺自身の目的はそうだった。自分の為だったな。
でも、結局その先を見据えるのは、テトとの日々。
自分の世界を広げたい、なんて大層な事言いながら、
ただただ彼女と共に生きていける世界を、より自由にしたかっただけだった。

536
わったん 2026/03/15 (日) 18:25:17 >> 535

―ヴェオ・ル水門―

5年目の旅路。
俺達キャラバンの絆は深く、言ってしまえば鉄よりも固い結束があった。
その結束を前にして立ちはだかったのは、ヴェオ・ル水門の数多くの扉。
ユークの民の知識の結晶により築き上げられた、約束された平和の象徴である水門。
魔物が棲む水門の奥には、ミルラの木がひっそりと立っている事をシェラの里で聞いた。
だからこそ、数ある門を潜り抜けて、奥底へと向かっていったわけだが……。

「鍵がない!何処!?」

セルキーの声が甲高く、明らかにイラついているのがわかる声量で水門の中を木霊する。
ラケットの矛先は付近に居たギガントードに向けられ、魔物とは云えど可哀想だなと思った。

「トルブジータ、アンタんところで作った水門でしょ?何処に鍵があるのかぐらいわかるでしょ!」

「河の流れはシェラ湖の生命の活力を流水させ往く夜空の断片」
「我々今を生き往く星の欠片が、水門の繋がる道筋を示す対価に理を奏でることは」
「現時点を以てしても考え得ぬこと」

「分かんないって5文字で言ってくれる?????」

「レビ、さっきギガントードが落としたブリザドの魔石だ」
「シェラの里に行くまで、武器の耐久度を落とす訳には行かねぇだろ」

「任せな。おいトルブジータ、今日は俺が後衛だ。たまには前出て運動しとけよ」

「難儀」

「アタシの時あんだけクソ長い講釈垂れたクセに随分と短いわね?????」

537
わったん 2026/03/15 (日) 18:26:34 >> 535

水門に塞き止められた水のせせらぎを耳にしながら、俺達キャラバンは踏み慣れない大地の地面を踏みしめる。
冒険を感じるその空間を跨ぐ時……その最中は、基本的にこんな感じだ。
戦闘の話、景色の話、手紙の話、その後の話。
抱えきれない程の思い出を紡ぎながら、俺達は歩を進めていた。

ガコンッ

水門の岬のような段差から下層を眺めようとした時、俺の足元から何かが凹むような音が響く。
足元には木製のスイッチがあり、どうやらそれを踏んづけてしまっていたようだった。
背面の水面付近に、小さな間欠泉が沸き出てくる。
其処には幾度も見てきたこの世界の鍵が在り、水門のギミックを理解出来た頃だった。

「やった!鍵を見付けたよ。流石だねレビ!」

間欠泉に押されて揺れる鍵を、濡れながらも抱え込んできたテト。
重い荷物を背負いながらも、テトは疲れ一つ見せずに笑って、奇抜な見た目の鍵を頭の上に掲げ続けた。

「ありがとう、テト」
「水門での戦いは俺も後衛に回る。傍に居てくれ」

「うん♪」

眩しい笑み。どこをどう切り取っても、その笑顔は俺のものだった。

高所から水門の流れを見極める。
ミルラの木に辿り着く為には、数回門を開けなければならない。
その門番として立ちはだかる魔物の配置を確認しつつ、俺達は歩き方を考えていた。

「リザードマンとギガントード、プリンか。あと見えるのはアイスボムだな」
「リザードマンはブリザドの耐性が無い。レビの仕事だ」

「氷の核が膨らむ頃に、某の灼熱を唱えよう」

「そしたらアタシとミルド=デリスで蛙狩りとプリン潰しだね。まっかせて!」

「さっきの様子見るに、俺様は要らねぇ気がすんだけどな……」

戦闘の段取りを予め擦り合わせておく。
俺達キャラバンは、どのキャラバンよりも連携に長けていると自負していた。
ある時、リバーベル街道で探索中だったキャラバンが崩壊しかけていた。
その手助けに入るとき、俺達は言葉を交わさずとも各々が誰を倒し、誰を助けるかを瞬時に把握していた。
キャラバンを助けた時に感じたのは、その人たちを助けた事の安堵ではなかった。
この世界を共に旅する者達が、俺と共鳴してくれている喜びであった。

538
わったん 2026/03/15 (日) 18:27:24 >> 535

「……?」
「あの大きな鳥……あの子はどうするの?」

鍵とケージを一生懸命に持ち続けるテト。
彼女の負担を減らそうと、鍵を持とうとするも、ふいっと駄々を捏ねられてしまった。

「グリフォンか」

テトの示した巨大な鳥は、水門の北西の位置に坐するグリフォンだった。
巨大な爪が地面を抉り、その凶暴さは遠くから見ても分かる。
普通は対峙しようなんざ考えない、恐ろしい魔物だ。
だが、それでも俺達には敵わない。

「グラビデで落としてやる」
「トルブジータ、始動は頼む」

「夜空さえも駆け巡る重力の因果。承知した」

「じゃあその後、一斉に畳みかけよっか!」

「そうこなくっちゃな。やってやろーぜ、水門攻略!」

「わー!皆頑張ってね……!」

俺達、ティダの村のキャラバンは、何よりも強い。
そう信じて疑わない程に、俺はこいつらと旅が出来て良かったと思えていたんだ。

539
わったん 2026/03/15 (日) 18:29:43 >> 535

戦いは始まった。
北西を位置するグリフォンの住処。
其処に足を踏み入れた途端、耳に劈く奇声が空間を揺るがした。
だが、グリフォンの巨体から発せられる、本能に突き刺さるような恐怖の雄叫びなど無視だ。

「うっふ~ん♡セルキーよ~ん♡こっちよ~!」

口笛を吹きながら、ラ・セナは華麗ながら身軽な動きを駆使して、グリフォンの周囲を飛び続ける。
幾度も彼女を捉えようとする爪先は、常に彼女の数歩遅れた空を斬るだけで、
僅かな掠り傷さえつけることは出来ない。

「っしゃあ!さっさと飛んでみやがれ!」

グリフォンの足元で、鉄槍を巧みに振るうミルド=デリス。
旋風さえ巻き起こすようなその力強い撓りは、体格差を感じさせない程のリルティの力を感じさせた。
狙いの定まらない攻撃先に、逃げるようにグリフォンが翼を広げて滞空する。

トルブジータは左手を掲げる。
魔力を抽出したその動作に応えるように、その手には灼熱が纏い始める。
精緻な魔導が空中で螺旋を描き、空気を圧縮させていた。
俺は合わせて左手を掲げる。
傍にいるテトに一瞥をやり、安心してくれと笑ったな……。
先に得たブリザドの魔石から魔力を出力する。
凍えるような魔力が集中し始めるが、少し離れた位置にいるトルブジータの魔力が心地よく、
そしてすぐそばにいる天使の眼差しがあるからこそ、何も苦ではなかった。
グリフォンが天高く舞おうとしたところで、俺達は互いに腕を振りながら
魔法を繰り出す。

「グラビデ」

540
わったん 2026/03/15 (日) 18:31:43 >> 535

マジックパイル。
属性が合わさった合体魔法により、グリフォンを中心とした空間の重力が加圧される。

ズドオオオンッ!

先まで獲物を捕らえようとしていた狩人の体勢は、見る間もなく地へと落ちる。
土埃に塗れた巨体が、再び爪を振るわんと力を込めていた。

「行くぞ!」

合図を皮切りに、4つの影が鮮やかに動く。
戦闘の最中に溜めていた右手の力を一点に集中する。
魔物を中心とした、会心の一撃の場所。
そこは俺には円形に標があるように見え、仲間達とのタイミングが示された絶好の瞬間。
同時に見える、仲間たちの背中。
後ろから見守ってくれる、テトの存在。
必殺技を炸裂させる。

ズドオオオッ!

持ち上げられた巨体は、再び地面へと沈む。
各々武器を持ち、身体を離して笑みを放った。

「ナイス~!最高のタイミングの魔法だったわ!足元掬ってくれてんのも流石!」

「其方の蝶が如く舞、ミルド=デリス史の豪然たる立ち回りが故」

「後方からの支援、んでもって囮役が居てくれるからこそ力一杯武器を触れるってもんなんだよ」

……。
楽しかった。
俺達は、ミルラのしずくを集めるクリスタルキャラバン。
だが、それ以前に、俺は一人の人間として、この旅路を歩んでいた。
使命や義務なんかじゃない。
そしてそんな俺の旅路を大きく彩る仲間達との歩みが、俺の人生に華を添えていて、
俺は幸せだった。

「レビ!」

鍵を精一杯抱えたテトが駆け寄る。
クリスタルゲージを最適な位置に設置する神経の他に、俺達を見守るしかないであろうその眼差し。
それでも、俺達を信じて待ってくれている彼女の声は、俺にとって幸せそのものだった。

「テト、ありがとう」

「お二人さん、まだミルラのしずくは集められちゃいねぇ」
「話しによりゃ、ゴーレムが奥底で護ってるらしいじゃねぇか」

「んじゃあ今度は俺も前出る」
「ミルド=デリス、ラ・セナ。さっきは譲ったが、今度は俺が主役だぜ」

「ざ~んねん。ティダのクリスタルキャラバンの主役の座は、アタシが既に盗んじゃってますんで~!」

「お前は主役って柄じゃねぇだろ」
「なんだよ、うっふ~んって。やばいだろ」

「水門の水って綺麗ね。野菜の水洗いには適切じゃないかしら」

「うるせぇな~!」
「こんだけ魔物が居るんだから、濾過しねぇと危険じゃねぇの?」

「シェラ湖の水質は緻密な計算により、ポンプフラワーが賄れり」
「良き炊出しが望めよう」

「トルブジータさん!?」

541
わったん 2026/03/15 (日) 18:31:54 >> 535

あぁ、楽しい。
この光景を、あとどれ程眺めていられるのだろうか。
そう思い、俺の瞳には、こいつらを含めた、身の丈に合っていない未来が映っていたんだと思う。
その未来を見据える中で、テトは我慢の出来なさが浮き彫りしていて、
鍵を器用に持ちながら俺にくっついてきていた。

「……」
「ゴーレム倒して、ミルラのしずくを手に入れたら……」
「手紙書いて、この水で料理しよう」

護るべく今、そしてその先に映る未来。
俺は、完璧であった。
俺にとっての旅日記の終わりが、いいものであると、信じで疑わず……。
剣と彼女の手を握って、俺達はヴェオ・ル水門の最奥地へと向かった。

542
わったん 2026/03/22 (日) 21:02:07

お前もこの旅路を経て、クリスタルキャラバンとして生きてきたんだろう。
きっと、俺と同じ行路を辿ってきたかもしれない。
其処にあるのは、間違いなく、尊い思い出の一部であり、
お前を構成する魂の旋律。
心の淵には形として残る事は無くとも、
魂に刻まれた、命の循環。
心から楽しいと思えた日々は、俺を彩り、
そうして前へと歩む足取を支えてくれた。
俺には、楽しい思い出がたくさんあったんだ。
そして同時に、幾つもの苦難があった。
自分で選んだ道を、仲間と共に進む事。
自然とついてきてくれる、友の笑み。

泪が出そうになる辛い日に押しつぶされそうだった。
だが、あいつの笑みがあった。

孤独にさえ襲われる夜が向かいかかってきて、怖かった日。
だが、あいつの笑みがあった。

どうしようもなく、いつも通り過ぎる日々に欠伸が出る。
だが、あいつの笑みがあった。

好きなものが消え往く可能性が提示された日。
だが、の笑顔があった。

全てが、楽しかった。

543
わったん 2026/03/22 (日) 21:03:02

―ファム大平原―

7年目の旅路の終盤。
ミルラのしずくを蓄え、ティダの村に帰郷するまでの経路。
それは俺とミルド=デリスで馬車を引く、朝番の日だった。
朝晩とは云えど、まだ朝の光が届く事はない未明。
だがそれでも、夜明けが近いことは、星々の並びと空の色、それと鼻をかすめる朝の匂いでわかった。
耳を澄ませば微かに、小川のせせらぎの音がした。

「ねみぃ~……」

「右に同じく……」

毛布を外套のように羽織る俺とミルド=デリス。
ぽつぽつと歩きながら、パパオパマスの足取りに異常が無いかを確認する。
普段であれば野営をして一晩を明かすのだが、
今年の旅は思いのほか苦戦してしまい、帰郷するまでの期間が長くなってしまった。
皆が眠る馬車を激しく揺らさず、尚且つ少しでも早く帰ろうとしていた。
ミルラのしずくの供給が遅れれば、それは俺達の生きる術が無くなることを意味する。
だがそれとはまた違った、帰らなければならない理由があったんだ。

「あと5回の夜明けで暦が変わっちまうんだな」

年越しの宵が近い事。
生きてきた今まで、新しい年の夜は家族と過ごしてきた。
それは普段から変わる事のない、当たり前の日常だと思っていたが、
今年はその日常に罅が入りそうだったんだ。

「手紙で『間に合わなかったら悪い』って事は送ったから」
「……まぁ、間に合わなくても仕方ねぇかなとは思うよ」

村人のままだったら考えもしなかっただろうな。
だが、クリスタルキャラバンはそうはいかない。
故郷の命運を左右する旅の途上にあるキャラバンは、ミルラのしずくを手に入れるまで、そう簡単に帰るわけにもいかないから。
どんなに家族のもとに帰りたくとも、歩みを止めることはできなかった。

「毎年の契りなんだろ?だったらちゃんと毎年やんねーと」

「契りって程、堅苦しいもんでもねぇの」

「そういうもんかね」
「まぁ、受け入れなきゃならねー事象ってのは生きている限り舞い落ちてくるもんだからな」
「あんま気負いすぎんなよ」

「……ミルド=デリス達は大丈夫なのかよ」

「確かに暦の明け方を家内達と過ごせないのは俺様としちゃ痛手だわな」
「だが、そういう時もある。そう割り切る」

あいつが何気なく言った、励ましの一言だったんだろうな。
だが、俺にはどうしても悲哀の一端にしか聞こえず、歩きながら俯いた。

「……なんか悲しくなんねぇの、そういう考え方?」

544
わったん 2026/03/22 (日) 21:03:57 >> 543

思わずミルド=デリスに問いかける。
あいつも夜空を見上げたまま、隣で歩く俺の事なんざ見ちゃいなかったんだろうけど、
多分、俺が暗い顔してんのを察してくれたんだろう。
僅かに笑った顔が見えた。

「人によっちゃ、割り切るってのは受け入れ難い事かもしれねぇな」
「だが、自分に関与するその全てを頑張って拾い上げようとしても、いくつかは零れる」
「零れたもんに対して関心を無くせなんてことは言わねぇけど」
「後で拾いあげて、綺麗にすることだって出来る」

「なんだそれ」

「レビ、お前は俺様達の旅路を心から楽しんでくれている」
「十二分に伝わっているし、それを家族に伝えていんのも知ってる」
「そして、テトとの未来に語ってくれるってことも、期待してる」

「……当たり前だろ」

「だけど、俺様達の関係は永遠に思えて、そうじゃないって分かる瞬間がきっとくる」
「……そんな顔すんなよ。俺様だって嫌に決まってんだろそんなん」
「だけどな、そうやって『受け入れる』心構えってのはしておいた方がいい」
「お前が人である限り、心の変化の波に逆らう事は出来ねぇから」

現実的な示唆。
俺達キャラバンが永遠ではない事を示す、受け入れ難い未来。
きっと自ら離れ、手離す事を言っているんじゃない。
自然と、そうなってしまうことだってあるんだということを、
ミルド=デリスは優しく俺に諭した。

「……俺は……ティダの村を……」
「お前達を最後まで護るよ」

だが、俺はまだまだガキなんだ。
夢物語をいつ迄も追いかけていたい。
どうしようもない現実ってのが訪れたとしても、
俺はお前達を零さずに抱えて生きていきたいんだ。

「……へっ……そうしてくれよ」
「俺様の言った心構えってのも、杞憂で済むもんな」

夜風に揺れる彼の装飾が、何処か悲し気に彼の肩を撫でていた。
同時に、俺は、俺の持つ感情が彼らにはないのかと、不安にも思った。

545
わったん 2026/03/22 (日) 21:05:09 修正 >> 543

「ミルド=デリスは……俺達が居なくなることを、受け入れるのか?」

「それは俺様の役目じゃない」
「……レビ、お前は今年で十七……だったか?」

「十八」

「……気づけばもうそんなんか……」
「それでも、お前はまだまだ若い」
「未来がある」
「例えそれが望む未来でなくとも」
「お前は、零れてしまったものを抱えるのではなく、仕舞って生きて往くことだって出来る」
「俺様には、零れる程大切なもんなんてなかったから」
「お前達が居なくなるなんて、受け入れられない事」
「真正面から俺の槍で貫いてやる」

「……」
「頼むから死なないでくれや」

「言っとくけどなぁ、別に死ぬつもりなんざねぇぞ?」
「心構えだよ、こ・こ・ろ・が・ま・え」

「杞憂にしてやるよ」

「あぁ、頼む」

546
わったん 2026/03/22 (日) 21:05:54 >> 543

小川のそばの開けた原っぱに、キャラバンの馬車が一台。
焚火も消さずに、腹を天に向けて寝てやがった。
こんな無防備にも程がある有様を見てしまえば、魔物だって呆れて襲いかかってこないだろうに。

「ありゃ深酒したに違いねぇ」
「早く帰って麦酒をたらふく飲みてぇな~」
「昨年はお前とテトがやっと飲み始めて楽しくなってきたってところだったのに」
「あのバカが――」

ひんやりと冷たい夜の空気の中でも、ティダの村で栽培した麦から作った麦酒の記憶は、
俺の心を、着ている装束よりも温めてくれていた。

「――しかし、このペースじゃやっぱり厳しいよな」
「船渡はメタルマイン丘陵に一隻しかねぇとなると」
「どう頑張っても2週間は掛かるぜこりゃ」

……割り切る、か。
俺としては、家族に顔見せて安心してほしいって気持ちが強かった。
だが、それはそれとしてどうしようもないことだってある。
旅をしていて、そんなときは幾度もあった。
どう考えたって取れない宝箱。
ホーリーが発動出来ないのに襲いかかるレイス。
だが、俺は諦めが悪い方で、どーしてもそいつらをどうにかしたいって足を止める。
大抵は仲間の皆に気絶するまでボコボコにされて、気づけばミルラの木の前とかあったな。
……なんでも、自分で出来るって思っていた。仲間が居れば、全てが上手く行くって。
でも、そうじゃないことだってある。
ミルド=デリスは、その事象に向き合った時、心が壊れないようにと、俺に受け入れる事を教えてくれていたんだ。

「……今年はキャラバンの皆で過ごすか」

だから、俺が諦めたような言葉を発した時。

「……」

悲しそうにも、嬉しそうにも……。
そんな、弟の成長に複合された感情を抱く兄貴みたいな顔をしていた。

「……」
「……ほ~!嬉しい事言ってくれるじゃねぇか」

でも、すぐ笑ってくれたな。

「で、どうすんよ」
「もし宴をするってんなら、豪勢に行きてぇだろ」

「あぁ、それなんだけど」

547
わったん 2026/03/22 (日) 21:06:51 >> 543

早朝。
起きた三人に、未明に話した事を伝える。

「ファム大平原の真ん中で年越し祭り!?」
「それも、ここら一帯のクリスタルキャラバン皆を呼んで!?」
「へ~!おもしろそ~!いいじゃん!」

「暦の時を超えし境界線。其処に浮かぶ星天を語る事の誉れが遂に某の身を焦がすか」

乗り気なのが丸見えだ。

「ファム大農場のキャラバンは既に帰っているはずだから」
「其処に寄らせてもらって料理を作ろう」
「モグに招待状を渡して、故郷に帰る事の出来ていないキャラバンで傷のなめ合いってことで」
「クリスタルキャラバンの宴で年を越そうかなって思うんだけど」

二人はいい。想像通りだったし。
だが、俺が心配だったのは

「……テト」
「いいかな?」

俺と同じく、故郷で幾度も年越しを経験してきたテトのことだった。
彼女は家族だけでなく、村人全員から愛されていた。
これだけ天真爛漫で、愛嬌のある可愛い天使を、
俺が連れ去っているようなこの状況。
加えて、彼女もまた、家族との時間を大切にしている子だ。
俺と同じく、故郷に対する思い入れは強い。

「パパオパマスの足踏みや、舟渡の事も考えると、年越しには間に合わない」
「だから、せめて皆で賑やかにって思ったんだけど……」

心配ではあったけど、俺の知っている天使は

「さてさてー!楽しみにするほかないじゃないですかー!」

何処までも、突き抜けた明るさがある事を知っていた。

「決まりだな」
「んで、どうやって呼ぶんだよレビ」

「モグに招待状を渡して、頑張って色んなキャラバンに渡してもらう」
「その間に、俺達は準備だな」
「……さーて、忙しい年末になるぜ!」

「頑張って料理作っちゃうよー!」

「テト~♪アタシ、久しぶりにさかなのバター焼き食べた~い♪」

「えー!またー!?いいよー!」

「おいテト、あんまコイツの期待に応えんなよ」
「たまには自分でやらせた方がいいだろ」
「ティダの村で成人しておきながら未婚なのコイツだk」

548
わったん 2026/03/22 (日) 21:09:23 >> 543

数日後の夕暮れ。
満天の中、せめてキャラバン同士で新年のお祝いをしようじゃないか――というメッセージを受け取ったキャラバンが、
挙ってファム大平原の小川に集まった。
連絡役のモーグリたちから、面白い手紙を受け取ったと、皆が口揃えて言う。

「ティダの村のキャラバンからの手紙って来て、珍しい事あるもんだなってとんできたぞ!」

「はいは~い。皆しずく溜まってんのね~、えらすぎー!」

「宴の最中も警戒は忘れんなよ。俺達が魔物を蹴散らしてやるぜ!」

「俺達の新しい魔法を試す時も来たな。篝火付けるのは任せなさいな」

「あれ?ティダの連中よ~。ミルド=デリス何処行った?」

それぞれが持ち場について、クリスタルケージを一か所に集める。
クリスタルの守護は、村ひとつぶんほどにまで広がり、一時の休息を与えた。
清らかな小川で旅の埃を落とし、それから、手分けして石を積んで、焚火を熾した。
炊事の煙が幾つも上がって、不思議な匂いに誘われた動物たちが何事かと顔を出したりもした。
料理自慢が腕を振るい、故郷の料理を次々に創り始めた。
そうしていくうちに夜が訪れる。


「さぁさぁ、キャラバン総出の宴の開催だーーー!」

画像1

月が輝き、星がいっぱいに瞬く夜空の下で、大きな篝火が揺らめく。
いつもは管理に気を付けているクリスタルキャラバンの物資も、この日ばかりは大盤振る舞いでさ。
その火を囲んで、みんなで新年のお祝いをした。
酒とか、いろんなものが、輝いていやがる。
焦がす程にカリカリのしましまリンゴパイ。
すすなりチェリーのまきまきタルト。
官能小説が商品に掛けられたキャラバン対抗戦腕相撲。
セルキーたちの披露する華麗な軽業。
昔の伝説や星についての講義。
楽器が引き出され、まるで水かけ祭りのような、キャラバン達の一時。
語り、騒ぎ、歌い……そして……。

「レビ!」
「今日こそ、踊りましょー!」

君と、踊った。

549
わったん 2026/03/22 (日) 21:10:09 >> 543

皆が疲れ果てて眠ってしまった夜。
焚火の跡の周りや馬車のそばには、昨日のどんちゃん騒ぎの痕跡。
眠りこけてしまったのだろう人影がぽつぽつと薄闇に沈んでいる。
俺は身体を起こし、目を拭った。

「……ったく……」

以前、無防備にも宴の後だと主張していたキャラバンの事をバカにしていた自分を思い出す。
今度は俺達がそれじゃねーかと。
宴の名残は、まだ匂いとして残っていた。
そうした一幕の最中、俺達は年を越したことの実感。

「レビ」

横で眠っていたであろうテトが、意識半分で俺を呼ぶ。
火の傍で、羽根のような仕草をしていた天使は、
休息の一時を示す猫のように、愛らしかった。

「また来年も、一緒に居ようね」

年越の宵は終わった。
キャラバンは夢から覚め、また新しい冒険へと旅立っていく。
新しい一年になってもそれは変わらない。
今日が来て、明日が来て
幾つもの思い出を抱えながら、旅は、これからも続く。
そう。だからこそ、彼女の言った来年は、必ず来る。

「……あぁ」
「俺が護るから」
「テト」

安心したように眠るテト。
見上げれば、空にもう星はなかった。
朝焼けの空を、鳥たちは導くように飛んでいった。

550
わったん 2026/03/29 (日) 17:18:07

―ティダの村―

「……ほ、本当か?」
「本当に、本当か……?」

「はい……本当です……」

黄金畑の裏。
俺の住む農家用に建てられた、生産物を管理する小屋。
作業していた手を止めて、唐突に訪問してきた彼女に対応するために、表に出た日だった。
遠方のアルフィタリア城から差し込む夕日に溶け込むテトの笑顔が、今でも忘れられない。

「……俺達の……子……」

「うん」
「お腹の中に居ます」

唐突に告げられた生命の授かり物。
村人の装束で互いを見つめ合う。
子どもが出来たと、彼女が告げてきた時、
最初に浮かんだのは何だったのか、正直よく覚えていない。

「――」

嬉しかった。間違いなく、人生で最高潮に嬉しかった瞬間だ。
世界が俺を中心に駆け巡るような疾走感が、表現しきれない俺の歓喜を走らせていた。
胸の奥が軽くなるような、俺の人生が、まだ先に続いていくのだという感覚があった。

「――ありがとう、テト――」
「ありがとう――」

抱き寄せた彼女の身体は、突如俺にとって幸せな重みを感じさせた。
今、この手に寄せたのは一人の女性などではなく、
俺という人生に歩を重ねてくれる旅人と、その先に歩み往く自分の分身。
彼女の呼吸が二重に聞こえる。
命を、感じた。

「……」

だからこそ、クリスタルキャラバンとして生きてきた俺達は、
向き合わなければならない選択を強いられた。

「テト、次のミルラのしずくの旅は――」

「待って」
「分かってる」
「でも、まだ言わないで」
「行ってきますと言われるまで」
「行ってらっしゃいを言うまで」
「私は君のクリスタルキャラバンの一員でありたいから」

「――」

今まで、護る者が傍に居た。
だが、これからは帰りを待たせ、そして待ってくれる存在となる。
キャラバンとしての旅は、俺達の人生を豊かにしたと同時に、
掛け替えのないものになり過ぎたが故の、呪縛と化していた。
俺はその呪縛を愛していて、好きだった。
だが、彼女は俺の為にその呪縛を自ら手放す選択をし

「……」

寂しそうにも涙を流した。

画像1

551
わったん 2026/03/29 (日) 17:20:06 >> 550

8年目の旅の始まり。
恒例となった村人達からの見送りを受ける。
川のせせらぎと共に、黄金畑を背景にした村人総出での祈願。

「他所の女に鼻伸ばしたらタダじゃおかないからね、アンタ」
「だ、大丈夫だって~の……愛してるぜ~リャナ」

「どうか無事に戻ってきてください。アナタ」
「其方達が居る限り、我が身は不滅。必ず戻ろう」

見送りの中で、ミルド=デリスとトルブジータが家族と一時の別れを告げる。
隣から我の民の舌打ちが聞こえるが、お前も頑張れと思ったな。

「レビ」

そして、今年の見送りで最も異なるのは

「テト」

君が「こっち」に居ない事だった。

「気を付けてね」
「絶対帰ってきてください!」
「待っているのは、私だけじゃないんだから」

まだ人目に付く程ではない膨らみ。
だが、俺には大きく見えた。
其処に居るのは、俺という人生の先。
君と築く、次の旅日記。
俺達の、希望。

「約束しただろ」
「来年も一緒に居ようって」
「君の事は――」
「家族の事は、必ず護る」
「希望を、持ち帰ってくるよ」

「――行ってらっしゃい」

「行ってきます」

……
別れを、済ませた。

「……」
「よいしょ」

クリスタルケージを抱える。
いつも君が我儘を言って持ち上げたクリスタルの加護は、
いつもと違った重さを、俺達に感じさせた。

552
わったん 2026/03/29 (日) 17:22:11 >> 550

レベナ平原での道中。
砂糖をぶちまけたみたいな星空の真ん中に、大きな月が浮かんでいた。
月夜に照らされながら、焚火を囲み、クリスタルケージを脇に管理する。
パパオパマスは疲れ果て、その巨体を横に倒して休んでいた。

「コナル・クルハ湿原のあの立地はどうなってんだろうな」
「どう考えたって人が寄り付くところじゃねーぞ」

「あの地は嘗て古代セルキー族が訪問せし湿原」
「瘴気の沼にさえ恐れず、我を貫き通さんが為に橋を渡した聖地」
「されど、その最果てに在りしは無だったとされる」

「理想の地であることを信じて、最果てへと向かった歴史か」
「道中の石板は古代セルキー文字……だったんだっけ?」

「然り。あの石碑に刻まれし表現技法は、我が書物には無き夜空の星」
「故、ラ・セナ女史に読み解く事を進ぜたが……」

小岩に腰かけ、鼻唄を交えて左右に揺れるラ・セナに視線が向く。
その言葉と視線が向けられた時、彼女は「ん?」と動きを止め、わざとらしく肩を竦めた。

「『内容は秘匿とする』とのこと」

「声真似似てねーぞ」

「善きなり」

「なんで?」

「読めはしたんだろ、ラ・セナ」
「そんなに悲惨な内容だったのか?」

「もうアンタたちだって分かってることでしょ」
「最果ての地に理想がある事を信じて疑わず、セルキーの民は我を通した」
「その結果があの石碑を残す事だったの」
「ただ残っただけ。見つけられなかったものを嘆く事もなく――」
「……ねぇ、もうやめにしていい?」

ラ・セナの言葉尻が一気に萎む。
俺達三人はそれぞれ謝罪を口にして、彼女の快活が喪われた事に責任感を覚えた。

553
わったん 2026/03/29 (日) 17:24:16 >> 550

「ちょっと、そんな翼が捥がれたアーリマンみたいに沈むのやめてよ」
「別に其処まで神経質にならなくたっていいじゃない」

「とは言ったってなぁ」

「石碑に書かれた内容は、セルキーに向けられたものなの」
「だから、なんていうのかな……」
「セルキーの歴史を託されている、そんな感じだから」
「ちょっと、教えるのは忍びないわけ」

「こんな事言うのもなんだが、お前にしちゃ珍しいな」
「セルキーの中でも我も我なお前が、一族の仕来りに執着するなんて」

「そうよ、我儘なの、アタシ」
「アタシは別に一族だから、セルキーだから、そして我儘だから、なんて柵に縛られる女じゃないの」
「その時思った事を、その時のアタシの言葉と感情で率直に動く」
「だから今回の石碑の中身は、アタシがユーク族の仮面の下みたいに秘密にしたいからそうしているだけ」

「このキャラバンは皆我慢する事ないよな」

「でしょ。その感覚よ」
「別に教えたくないとかじゃないの。ただ、秘密にしてあげたいだけ」
「わざわざセルキーにしか読めない文字で書いているんだからさ」
「ほら、アタシに向けたラブレターみたいな!そうよ、そういう感じよ!」
「きゃー!古代の王子様が今を生きる乙女に残してくれた応援だったのね!」

「手遅れか」

「空で非ず、地に埋めし星の欠片」
「其方に掲げられし叙事は、さぞ甘美であろう」
「願わくば、その語り手が女史である事、切に思う」

「思うなアホ」

「殺意」

「そっちの趣味は奥さんに隠してんのすげぇよ」
「よくバレてないよな」

「妻を題材にせし書物もまた我が手で語れり」

「終わってんだろコイツ」

幾年も共にして、幾度もこうやって会話をして、
なんか、一歩間違えば血祭りになりそうな時もあったけど、
物足りなさは、あったけど、
楽しかったな、お前達との一年の旅。

554
わったん 2026/03/29 (日) 17:25:03 >> 550

「レビ。アンタはどうなの」
「我慢、してんじゃない?」

「……俺が?なんで急に」

「テトのことよ」
「傍に居てあげたかったんじゃないの」

ラ・セナの何とも言えない笑みに、俺は即座に答えることは出来なかった。
あの時、テトを置いていくことを選択した。
俺はクリスタルキャラバンであり、村を護っていかなければならない。
だが、同時に一人の父親として、家族を護っていかなければならない。
身籠った彼女を差し置いて、俺は旅する事を選んだ。
俺も共に残る選択だってあった。
彼女を連れて旅をする事も、選択としては存在していた。
だが、俺は彼女を置いていくことを選んだ。
それは、俺がまだ旅をして……

「お前達との思い出を、作っておきたかったんだ」
「俺は、お前達が好きだから」

我慢や嘘。俺にもほぼ無縁なものだった。
だが、大人になっていくにつれ、あらゆる選択は選択として機能しなくなる。
だからこそ、父親になる瞬間が訪れる前に、
まだお前たちの前で、ガキで居たかったんだ。

「……そう」

ラ・セナは俯くように笑い、小岩から離れて焚火に近づいた。
腰を下ろし、4人で顔を照らし合う。

「なら、最後までいい思い出にしないと」
「そうして、この旅をアタシは石碑に刻む」
「アンタの子供に読んでもらう為にね」

「俺の子に、古代セルキー文字を読めるように仕込んでくれるか?」

「アタシってセンセーって感じしなくない?まぁいいんだけど!」
「トンベリぐらいノロノロなペースだけど、教えてあげる」

なんだろうな。
俺の事ではないんだけど、自分のことのような楽しみが増えた。
俺の子を通して、ラ・セナがティダの村で変わらず過ごしてくれる。
そんな気がして、心底ホッとした。
そんな未来がもうすぐ来るんだと思うと

「尚更、ミルラのしずくは持ち帰らなくちゃな」

帰るのが待ち遠しい。

555
わったん 2026/03/29 (日) 17:25:47 >> 550

「お前は順序を護ると思ったけど、んな事なかったな」

「足早なる情事もまた、新たな星座を示す事象」

「トルブジータさん黙っててくれ」
「……もう身籠って大分経つんだろ?」

「貰った手紙には七ヶ月だと書いてあった」
「この先のヴェレンジェ山のミルラのしずくを取って」
「それで帰れば出産には間に合う」

「おーおー、なら責任重大だな」

「皆で帰って……テトを安心させたい」
「きっと、寂しがっているだろうから」

「然り」

「テトはアタシに会えなくて寂しいんだろうな~!」
「明日は早起きしてさっさと行こう!」

「やる気だなぁ~」
「だけど、俺も早くレビのガキの姿を拝みたいところだ」
「ちゃんと育てて、覚えさせてくれよ」

「あぁ」

記憶に残る、あの時の旅の焚火。
子を授かった身でありながら、自分勝手に旅をしていた。
でも、どうか許して欲しい。
これを俺の最後の我儘として、お前達と過ごし、
そしてその時が来たら、
テトと子供との時間に、
父親としての俺が生きて往くから。

556
わったん 2026/04/05 (日) 21:59:53

君が居た時の旅は、レベナ平原の中枢部で引き返した。
けど、今回の旅ではそこから先を見る事になった。
俺はクリスタルキャラバンとして、世界の向こう側へと歩み、日記に綴る。
君が隣に居なくて本当に寂しいけど、俺には未来を見据える仲間が付いてくれている。
未来を護るための、仲間が居てくれているんだ。
思い出を護るために、君を護ると誓った俺を護ってくれる仲間が。
旅をする前に、君はクリスタルキャラバンから離れたと言ったけど、
それは違うと、今更ながらに思う。
テトは、いつまでも俺達と旅をするクリスタルキャラバンの一員だ。
愛している君が、どうか少しでも笑顔になれるよう、
希望を持ち帰る。
これから生まれる俺達の希望と共に、
どうか待っていてくれ、愛しい妻よ。

    ―レビの手紙―

557
わったん 2026/04/05 (日) 22:00:48 >> 556

―ヴェレンジェ山―

「焼土」と呼ぶにはあまりに冒涜的な、腐敗の山道を歩み続ける。
幾重にも襲いかかる狂暴な魔物の巣窟を抜け、
俺達ティダの村のキャラバンはケージを抱えて希望を求める。
武器を握る掌からは、生命の灯火が零れ落ちるように力が失せ、
歩みは泥濘に足を取られるように鈍っていく。
息をするのも、目を開けるのもやっとの地獄。
だが……。

「山の最奥地はもう少しだ」
「ケアルの準備を頼んだ、トルブジータさん」

「ミルド=デリスはいつもの殿ね」
「だから逆に背中は気にしないでよ、アタシたちも気にしないから」

「夜道は月夜に照らされてこそ見えるもの」
「我々が突き進むこの道は、満天の輝きに護られし聖なる道」

「訳わかんねぇ口上は相変わらずだな」
「いつも通りで助かるよ、お前ら」

そんな絶望の淵は、これまでの旅路で幾度となく跨いできた境界線に過ぎない。
今回もまた、無事に勝利を刻み、黄金の故郷へと帰還する。
その不変の信条に、一欠片の疑念も差し込む隙はなかった。
ダンジョン奥地で態勢を整え、
より一層濃霧となった瘴気の中で山道に足を踏み入れた時、
其処にいた瘴気の根源との戦いとなった。


「はぁっ――!」

烈風のごときミルド=デリスの槍が、本体を護る触手の数々を悉く無力化していく。
ラ・セナが放つ軽やかなる挑発がテンタクルの妨害を惹きつけ、戦場を支配する。
トルブジータが紡ぐ治癒の調べと、天空を穿つ大魔法の奔流。
あらゆる要素が俺達の力となり、瘴気の根源との戦いの最中に見えた勝機。
俺は隕石の如き質量を持つその魔物へ肉薄し、魂を乗せた必殺の一撃を繰り出し

ガンッ!

その巨体から出てきた触手が本体である事を理解した。

「――」

肺の中の酸素が凍りつく。
対峙して初めて、心髄にまで響く戦慄を覚えた。
目の前に座するのは、単なる魔物ではない。この世界を蝕み、思い出を奪い去る「瘴気の理」そのものなのだと。
それは、俺達クリスタルキャラバンが毎年成し遂げてきた瘴気の災いから逃れる為の旅が、
終息を迎える事の他なかった。

「レビ!」

力無く地面に倒れ込む本体に剣を振りかざそうとした時。

「――やめろッ!」

聞いたこともない深淵から這い出た邪悪の咆哮。
その声に呼応するように、安寧であったはずのケージから、身を焼き焦がさんばかりの光が氾濫した。
俺達は成すすべもなく、光に飲まれた。

558
わったん 2026/04/05 (日) 22:02:36 >> 556

―クリスタルワールド―

青と黒、そして光で構成された幻想的空間。
ステンドグラスのような装飾の灯りが散りゆく最中、
其処には巨大な奇怪が宙を浮いていた。

「メテオパラサイトに手を出すな、ティダのクリスタルキャラバン共」

「――魔物が言葉を……!?」

「魔物とは、我が生成した歪みの存在」
「『哀しみの思い出』を作る、ただの連鎖に過ぎん」

「何者だテメェ!」

「我が名はラモエ」
「メテオパラサイトにより大クリスタルが破壊された時、その歪みから瘴気によって生まれし思い出の管理人」
「キサマらがクリスタルキャラバンとして生きるのは、我が食事を養うためである」
「瘴気に満ちた世界では、思い出の循環が上手く行かない」
「それ故に、魔物を作り、キサマらから哀しき思い出を作り出す」

咄嗟に感じたのは、
コイツが邪悪であること。

「大クリスタルの破壊とあれば、2000年にも及ぶ太古の歴史」
「隕石が降り注ぎし悪魔の思い出」

「人は殊勝な生き物よな」
「そうして歴史を刻み、争い、今を過去へと変貌させる」
「このラモエにとって、その健気な生き様は非常に美味であったぞ」

「アンタ、もしかしてその為にさっきの魔物を護っているっていうの……?」
「アンタの食事の為に、どれだけの人が苦しんでいると思ってんのよ!!」

「セルキーとは何処までも哀しき種族よ」
「コナル・クルハ湿原に刻みし最果てへ赴く旅路」
「その結末は、このラモエにとってはまたとない美味であった」

「アンタ……ッッ!」

「リルティにおける家族愛もまた、我が心を癒す物語」
「零れ落ちぬように支えた心中は、今も尚キサマのトラウマを刺激する」
「マール峠の悲劇は、中々痛快であったな」

「――」チャキッ

「ユークとは幾何学にしか生きぬものよな」
「針葉樹の大森林。その最中に浮かぶ夜空に恋焦がれ武器を持つ」
「シェラの里に囚われしキサマの孤独は、誰にも理解されぬ思い出であったな」

「故に夜空の端に連なんとせし」
「して、その輝きを共にする仲間と出会えたり」
「我が心を揺さぶらんとせしその言の葉は、決して某を陥れる事はなけり」

「共に道を歩むからといって、それは『理解』には成りえん」
「所詮キサマの独りよがりであり、キサマ一人の旅となる」

「――憤激」

「耳を貸すな」
「トルブジータ、お前の夜空への渇望は、俺達ティダのクリスタルキャラバンだけじゃない」
「ティダの村の皆が理解している」
「根本的な理解じゃないかもしれないが、お前の夢だ」
「お前一人の夢なんかじゃない」

「レビ氏……」

559
わったん 2026/04/05 (日) 22:03:23 >> 556

「これはこれは、我が聖域に踏み込みしキャラバンの長、クラヴァットの温か」
「不思議なものだな、キサマは哀しい思い出を抱えず」
「哀しい思い出に成り得る未来を排除しながら生きている」

「俺の記憶でも盗み見てるのか?」

「これから生まれし新たな生命の為に、身を費やす覚悟がありながら」
「キサマはまだ旅をしていたいと願うようだな」

「……」
「全部成そうとすることの何が悪い」
「願うだけならタダだ」
「実行できるかは定かじゃねぇけど」
「今、この外でグータラ伸びきっているあの隕石紛いのバカに剣を突き立てれば」
「俺は家族と共に旅することだって出来んだよ」

「フハハハ!!!」
「希望のつどいしティダの村、そのキャラバンの長」
「こうも愚かとは、哀しき運命よな」

それぞれが武器を握る。
今、目の前に浮かぶ巨大な魔物。
それが諸悪の根源である事は間違いなかった。

「これが最後の戦いになるな……!」

「どーかしらね、アタシたちは何処までも旅するんでしょ!」

「然り。某の夢もまた、其方らを紡がんとする流星」

「……」
「行くぞ……勝って、この世界を――!」

560
わったん 2026/04/05 (日) 22:03:39 >> 559



561
わったん 2026/04/05 (日) 22:05:37 >> 556

全滅した。
……全滅した。
戦いの最中、苦しみに叫ぶ俺を肉の壁となって護る誰かが居た。
戦いの最中、剣を握る俺を死の淵で支える誰かが居た。
戦いの最中、痛みを和らげながら俺を明日へ押し戻そうとする誰かが居た。
誰かが、居た。
誰かが。
――。
――。
――。
だれ、かが。
――。
いたんだ。

「――」

「――」

「――」

「――」

声にならない慟哭が、肺を焼く。
槍も、ラケットも、ハンマーも。
全て、空間に浮かぶ。
誰の手にも握られることのない、冒険の証は、
こんなにも無残に散っていく。
地に伏した視界の端で、俺の好きな奴らは、
皆、もう、旅を重ねる事は出来なくなっていた。
もう、二度と、二度と。
彼らがこの世界の土を踏み、旅路を重ねることは叶わない。

「――」

涙が止まる事はなかった。
その時の俺は、ただ好きな奴らの死を目の前にして、
感情の昂りを抑える事など出来なかった。
それでも身体は言う事を聞かず、
ただ頭上で浮かび上がる邪悪に翻弄される他なかった。

「哀しき事だ。ミオ様からの授かり物を、このラモエに献上する事になるとは」
「最高の物語ではないか」
「愚かなクラヴァットの民よ。幾重にも仲間に助けられ、辛うじて紡いだ命の感想は如何かな?」

「――」

「声を出す事さえままならぬ半死半生か」
「この者らは哀しき思い出を抱えていた。実に美味なる思い出である」
「だが惜しい事に、このラモエを前にしてこの先を築く事は出来なくなってしまったようだな」
「クラヴァット。キサマはどうだ」
「過去にも今にも未来にも、キサマは希望とやらを抱えて生きている」
「その希望がある限り、キサマの思い出に我が美食が浮かび上がる事はないだろう」

剣を握らなければならない。
そうでなければ、キャラバンである俺達の誰か一人でも村に帰らなければ、
俺は、俺達の希望は――。

562
わったん 2026/04/05 (日) 22:07:01 >> 556

「――そうか。尚も立ち上がるか」
「それほどの活力を見せし者程、崩れ落ち往く様は美しい」
「なればなけなしのキサマの思い出を――」
「……」
「……ふむ」
「帰りたいか?自尊心をも捨て、己の旅路さえ捨て」
「故郷に帰りたい。そう願うか?」

希望を、持ち帰らなければならない。
俺は一人の人間として旅をしてきた。
だが、今は違う。
もうクリスタルキャラバンとしての使命を担い、
父親としてあの村に帰らなければならない。
そう思うが故に――。

「み……のがし……てくれ……」
「たの……む……」

仲間達の死は、俺を酷く変貌させてしまった。
あらゆる困難に立ち向かい、出来ないと思った事さえやり遂げる。
それは俺の中枢にあったものであり、決して変える事の出来ない核だと思っていた。
だが、その核は崩れ去り、自身の抱く理想を捨て、感情を殺して、
この邪悪に命乞いをしなければならなかった。

「よかろう」
「このラモエ、キサマに最大の恩情をかけよう」
「だが……キサマがミオ様から貰ったしずくは、我が供物として貰い受ける」

「な……」

「我が聖域からキサマを追いやる」
「もう二度とこの地に足を踏み入れることもない」
「せいぜい、哀しみに満ちた思い出を紡いでいけ」


満身創痍となった俺の身体が打ち捨てられたのは、瀕死となったメテオパラサイトの前。
剣を握る力さえままならず、付近のケージのほんの僅かな光に当てられながら周囲を見渡す。
……仲間の亡骸は、存在しなかった……。
埋葬さえ赦されない、嗜虐の心得。
それに従う他なかった、自身の無力ささえ、最早感じる事はなかった。
ただ、涙が溢れる。
辛く、険しく、立ち直れない程の哀しみ。
俺にはわからない。
今、俺の目の前にあるケアルの魔石。
仲間の意志が俺に答えてくれたものなのか、
ラモエがバカにするかのように置いたものなのか。
俺はもう、その情緒さえどうでもよくなっていて

「――ッッッッッッ!!!!!!」

ただ拳を握りしめて、空に等しいケージの横で叫ぶだけだった。

563
わったん 2026/04/05 (日) 22:08:13 >> 556

ケアルの魔石で自身を癒す。
この時、俺は心を癒せる魔法があればとどれ程願っただろうか。
そして同時に、辛い記憶を消去する魔法さえ望んだ。

「……」

それでも、ケージに籠った嘗ての温もりが、
俺に僅かな冷静さを保とうと声をかける。

「……」

瀕死のメテオパラサイトに視線を向ける。
今此処で、剣を奴に突き立てること。
それが世界を救う事であり、希望を届ける事。
だが、勝てる保障はない。
ラモエの存在は、俺にとって心根の深くにまで恐怖を突き立てており、
俺は何よりも、俺にとって大切なものをこれ以上喪いたくなかった。
一刻も早く、このラモエに奪われたミルラのしずくを集め直さなければならない。
ティダの村を護らなければならない。
だから、俺は保身に走った。

「……帰らなくちゃ……」

力無くケージを抱える。
治したはずの脚は、ただ焦燥に駆られて傷を隠し続けた。


一人でミルラのしずくを集める。
ティダの村のクリスタルの輝きが潰えるまで、あと一ヶ月。
ただ我武者羅になるだけであった。
俺は故郷の存続をかけて、身体の傷を、心の傷を無視して一人で奔走せねばならなかった。
デーモンズコートの入り口。

「……」

仲間の居ないキャラバン。
俺は、この孤独の中。

「はぁ……!くっ……!」

一人でダンジョンを攻略する。
襲いかかる魔物の数々。

「ちっ!ミルド=デリス、スイッチ――」

亡き者へ声を掛ける。
感情として芽生えるのは、哀しみだけ。

ズシャッ!

「あがっ……!」
「――クソったれが……!」

ガッ!

「トルブジータ、ケアルを――」
「――」
「――」
「ケアル」

分かっているのに、追い求める。

「橋を下ろさなければ……」
「ラ・セナ、登って――」
「――」
「――」
「迂回……しなければ……」

孤独の中、突き進む。

564
わったん 2026/04/05 (日) 22:08:38 >> 556

デーモンズコートの最奥地。
ミルラの樹の麓で、俺は生傷に手を添えながら、しずくが一つ貯まるのを見届ける。
やっと一つ、手に入れた。
俺は、今も尚死にそうになりながらもキャラバンとして歩く。
帰らなくてはならない。
俺が帰らなければ、ティダの村は消えてしまうから。

「……」

「お手紙クポ」

静かにモグが俺に手紙を差し出す。
他に渡す相手が居ない事を悟ると、モグは気まずそうに去っていった。

「……」

565
わったん 2026/04/05 (日) 22:08:54 >> 564

あなたの帰りをずっと待っています。
黄金畑を眺めていると、村人の皆が笑顔で畑を歩いています。
皆幸せそうに、希望を持って生きています。
私は、この人達の為にもクリスタルキャラバンだった日を、
今でも思い返して、力強く最後まで生きて往こうと思います。
レビ、あなたが私をクリスタルキャラバンだと言ってくれた手紙。
本当に嬉しくて、しましまリンゴのパイを五つも作っちゃった。
ね、だから。
私が眺めるこのティダの村を、はやくあなたとホーリーと三人で眺めましょう。
愛しています。愛しい私の希望よ。

  ―テトの手紙―

566
わったん 2026/04/05 (日) 22:09:22 >> 556

「……」

帰る理由は明白だ。
仲間の死は俺にとって苦痛であり、試練。
このミルラのしずくの一滴を溜めるのでさえ、常に影を追っていた。
だが、俺が追っていた影達の過去を振り返る。
彼らは自らを喪っても尚、俺に下を向けと言うだろうか。

「……」

決してそんなことは無い。
俺の好きなあの連中は、間違いなくバカで、どうしようもないぐらい楽しい奴らだったから。
でも、時々現実に向き合った言葉を乗せる。
だからこそ、キャラバンの旅路で自分たちを喪ったとしても、前へ進めるように励ますだろう。

「……」

一刻も速く帰らなければならない。
俺は剣とケージを握り、走り出す。
……テトへの手紙を……書くべきだったろうか……。

567
わったん 2026/04/05 (日) 22:09:57 >> 566

「グルァ!」

魔物が襲い掛かる。

ザシュッ!

倒す。

「はぁ……!はぁ……!」

傷を抑える。

「ガルッ!」

ザシュッ!

倒す。

「くっ……!!はっ……はぁ……!」

ケージを抱える。

歩く。

「はぁ……!はぁ……!」

周りを警戒する。

「くっ……クソ……ッ!」

「「「グルル……」」」

ケージを置く。

剣を握る。

振るう。

倒す。

持つ。

走る。

倒す。

持つ。

下ろす。

倒す。

倒す。

持つ。

下ろす。

倒す。

持つ。

走る。

下ろす。

倒す。

持つ。

……。

……。

568
わったん 2026/04/05 (日) 22:10:41 >> 566

擦り減りながらも俺は歩んだ。
次なるミルラのしずくを求めて、
ティダに一刻も帰る為に。
ミルラのしずくを溜めている最中、俺は腰かけた。

「……」

手元の獲物の手入れを、気力で行う。

「……」
「……」
「……」

……。
あぁ……くそ……。
割り切れるかよ……。
受け入れられると思うかよ……。

「……」

武器の手入れを辞めた。
俺が信じて疑わなかった、訪れる事のない受け入れ難い未来を、
俺の夢物語を聞いてくれる奴らが、
もう存在しない事を、改めて知ったから。

画像1

569
わったん 2026/04/12 (日) 18:50:59

目先は常に暗く、俺を彩る世界は既に無く。
焦燥に駆られた自意識は、時刻という概念そのものを希薄へと転換させる。
色を失った世界で、唯一ある色の元へと返り咲く事。
それはその時の俺にとっての唯一と言っていい程、生きる理由であった。
聳え立つ城を溶かし往く夕日を背景に、食の営みの源泉を育んでいく。
そう、俺はその風景に、手を伸ばして、
君という愛しき人の為、ただ、ただ、ただ。


休む暇はなかった。
心身を労わる事はせず、ただ帰郷の為の道程を歩む。
聞きなれない一人だけの足音。
その哀しさを模した地面の音色が、俺の心を蝕む。
ケージの中で揺れるしずくの水面。
其処に反射する俺の好きな表情は、何処にもなく、
映るは見えない自身の表層だけ。
そうだ。
俺はその時、旅なんざしていなかった。

「……」

空を見る。
それは普段であれば、皆と夢を語らう行路であった。
そして、その夢を語らう俺達に、夢を語らう奴の好きな事でもあった。
だが今は、ただ時刻を確認する為だけの行為。
何の情緒も存在し得ない、義務的な動作。
半月を示す満ち欠け。

「あと……2週間……」

満月までの日付を逆算する。
それまでに溜めたミルラのしずくを、ティダの村へと届ける。
それが、希望のつどった村への帰郷。
刻々と進み往く絶望への秒針。
だが今はまだ、希望の時。
確かに俺は絶望に染まり、感情に至っては最早機能さえしていなかった。
それでも俺は希望の村、ティダのクリスタルキャラバンであり、
其処で待つ最愛の人々の家族。

「……」

決意を胸に、歩む。
消耗は既に終えた。
ならば後は、この散々なる己の人生を賭けてでも、
希望を掴み取るまでだ。

「……」

仲間を喪った哀しみは、俺を弱くした。
奪われた思い出はどれも代え難く、そして美しく。
故にこそ、俺は心の空洞に埋められた苦痛を呪う。
呪い続ける事で、俺の生きるための糧が新たに生まれる。
この感情を名付けるには俺は不明瞭過ぎた。
ただ、燃え上がるような復讐心は、俺に帰郷への道筋を経たせたんだ。

「帰るぞ……」
「必ず……」

あと一つ、ミルラのしずくを溜めればいい。
ファム大平原の大地を蹴る。
帰る為の気持ちは、既に十分だった。

570
わったん 2026/04/12 (日) 19:05:20 >> 569

ゴオオオオオッッッ!

画像1

吹き荒ぶ雷雲。
空を裂く白が一閃し、遅れて轟音が大地を叩く。
空気そのものが震え、肺の奥まで押し込まれるような圧力が襲いかかる。
風は荒れ、雨は叩きつけるように降りつけ、視界は断片的にしか保てない。
色無き世界を更に暗闇へと誘うその轟音は、大平原で帰路に辿る俺にとって絶望そのものであった。
大平原。帰路。
その単語すら、今は意味を持たない。
ファム大農場に続く行路の最中、俺は遠方に見える川――本来、あった場所の氾濫が目に入る。
眼下では、川がすでに「川」と呼べるものではなくなっていたんだ。
本来であれば、メタルマイン丘陵に繋がるジェゴン川の舟渡で航路を辿ればいいものの、
この嵐の中で水路を辿るのは自殺行為に過ぎない。
濁流が土を削り、木々を引き抜き、何もかもを呑み込んでいく。
水面は荒れ狂い、波と渦がぶつかり合いながら、境界を失ったまま広がっていた。
流路という概念を捨て、ただ低きへと流れ落ちる質量の塊。
水は流れていない。
地形ごと、世界ごと、押し流している。
濁流が土を削り、木々を引き抜き、岩を転がし、
あらゆる境界を破壊していく。
水面は存在しない。
あるのは、絶えず形を変える落下の連続。
踏み込めば、終わる。
考えるまでもなく理解できる。
普段なら渡れるはずの距離は、今や断絶だ。
足を踏み入れれば、瞬く間に引きずり込まれる。

571
わったん 2026/04/12 (日) 19:05:39 >> 569

「……」

足止めを喰らう。
この雷雨はそう長く続くものではない。
大平原の草地が抉れる程の突風と、鼓膜を突き抜ける程の雷の轟音から察するに、
夜が明ければ収まりが付くのは容易に想像出来た。

「……」

だが、その合理が――
今の俺にとっては異物だった。
暦は、正確ではない。
半月の満ち欠け。雲に隠れた可能性。
ラモエとの戦闘。転移の誤差。
メテオパラサイトの直前か、数刻後か。
時間が、曖昧だ。
曖昧であることが、致命的だった。

「……」

思考が増殖する。
もし、もう遅れていたら。
もし、既に終わっていたら。
もし――

「……ッ」

呼吸が乱れる。焦燥が、合理を食い潰す。

「……ヴェオ・ル水門側から回る」
「ファム大平原との陸地の距離は最も短期のはず」
「裏側から回って、ゴーレムの祭壇も無視してミルラのしずくを手に入れられるはずだ……」

待つ、という選択肢は存在しなかった。
俺は身を刃で切り裂くような嵐の中、ケージを抱えて突き進んだ。

572
わったん 2026/04/12 (日) 19:08:08 >> 569

ファム大農場を過ぎて、ヴェオル高地に最も隣接した大平原の奥地。
氾濫により水没しかけた草原に足を付き、遠方を見据える。
月夜さえも照らす事の無き暗雲の世界でも、僅かに目視できるミルラの木の輝き。
雨と闇に遮られながらも、確かにそこにある輝き。
クリスタルの恵みが、淡く、しかし揺るぎなく光を放っている。
それはヴェオ・ル水門の位置を示した希望であった。
僅かではあるが、嵐の強風は鳴りを潜めつつある。
その現実が、俺の焦燥を更に駆り立たせていた。
底の抜けた墨をひっくり返したように沈み込む空。
其処に唯一彩る、俺の手元のケージ。
己の身一つであれば、水門に辿り着くまで泳ぎきる事が出来るだろう。
だが、このケージを抱え、持って帰らなければ意味を成さない。

「……」

そう、このケージさえあれば。これさえ、これさえあれば――。
雨ごと息を吸い込む。
最早形振り構う事など到底不可能であり、
ただ、ただ。一刻でも早く帰らなければならない。
あと一つ、しずくを手に入れなければならない。
その使命感が、強く圧し掛かる。
そして、俺なら出来る。
そう、今は亡き者達が、俺にそう言っていると信じてしまって、
俺は氾濫せし濁流の中へと、次の雷鳴が落ちるよりも早く飛び込んだ。

573
わったん 2026/04/12 (日) 19:08:22 >> 569

「――ウッ……!」

全身を強打するかのような冷水が息を奪う。
既に足場は無く、流れが身体を横へ、下へと引きずり込んでいく。
腕を掻き、脚を蹴るたびに、水は抵抗ではなく暴力として返ってきた。

「クッ……!!!」

それでも俺は手を離さない。ケージだけは護りきらなければならない。
胸元に抱え込んだケージは、泥に濁る水の中でもかすかに光を保ち、俺の掌に冷たい現実として存在している。

「――ガハッ!」

流される。
体勢が崩れ、頭が水面下に沈む。濁った水が口と鼻に入り込み、咳き込む暇もなくさらに押し流される。
腕が何かにぶつかり、皮膚が裂ける感触。流木か、岩か、確かめる余裕もない。ただ痛みだけが遅れてやってくる。
それでも、手は離さない。

「――!」

無理にでも体勢を戻し、濁流を飲み込みながらでも前へと進む。
ほんの一瞬、指が滑る瞬間さえもあった。だが、執念で掴み直す。
爪が食い込み、皮膚が裂けても構わない。
指先の感覚が鈍くなっても、その硬質な輪郭だけは、確かにそこにあったから。

何度も、何度も、何度も。
どれだけ繰り返して、どれだけ苦しくて、どれだけ哀しくて。
ただただ、時間が過ぎながら泳ぎ続けた。息が続かない。
肺は焼けるように苦しく、腕も脚も、すでに自分のものではないように重い。
永遠にも思える濁流の中、俺は

「――ガハッ!!」

暗黒にも聳える暗闇の中、ほんの僅かな淀み。
そこに身体をねじ込み、最後の力を振り絞って岸へと腕を伸ばす。

ガバッ!

指先が泥に触れる。その岸は崩れ、捕まりかけた安堵は流される。
だがそれでも掴むため、腕を伸ばした。爪の間に入り込む痛み。手首の悲鳴などどうでもいい。
濁流に流される身体の痛みを、ただ前進する力に変えながら

「――ハァ……!ッッ――ハァッ……!!」

岸に転がり出ることが出来た。
前進は泥と地に塗れ、呼吸が成立しない。吸っても足りない。吐いても足りない。
雨は変わらず叩きつけ、雷はまだ遠くで唸っている。
だが、その手の中には

「――」

決して離す事は無かったクリスタルゲージがあった。
最後まで。

「――」

身体の悲鳴は現界を迎えていた。
立ち上がる事さえままならず、俺は這いつくばりながらヴェオル高地の岸を進んだ。

574
わったん 2026/04/12 (日) 19:09:07 >> 569

ヴェオル水門の裏手。
その崖を登る。
断崖に等しいその岩肌は、もはや「登る」という行為を拒絶する形状をしていた。
雨に打たれ、削られ、滑りやすく磨耗した岩肌は、手をかけるたびにわずかに崩れ、指先の支点を奪っていく。
息が、浅い。
肺に空気を送り込んでいるはずなのに、取り込めている感覚がない。
まるで呼吸そのものが外界に拒まれているようだった。
濡れた手が滑る。
爪を立て、指の腹で無理やり摩擦を作る。
その度に皮膚が削れ、鈍い痛みが神経を叩く。
それでも、手を離さない。

一段。
また一段。

脚は既に自分のものではなかった。
力を入れているのか、入っているのかさえ曖昧なまま、ただ上へ、上へと命令だけが通っている。

風が吹く。

体が揺れる。

「――ッ……!!」

その一瞬、意識が遅れる。
落ちる、という未来が脳裏に過る。

だが、掴む。

崩れる岩ごと、掴み直す。

――落ちない。

その一点だけで、身体をねじ伏せる。

やがて。

崖の縁に腕がかかる。

泥と血に塗れた腕で、地面を引き寄せるようにして身体を引き上げた。

「……は……ッ……」

崩れ落ちるように、地面へ。

視界が揺れる。

焦点が定まらない。

雨粒が視界に叩きつけられ、それが涙なのかすら判別がつかない。

息も絶え絶えに、登り切った先にあるミルラの木。

「……」

これまでの苦労がやっと形になった気がして、内心安堵した。
魔物の気配も無く、ケージを抱えてしずくを溜める。

575
わったん 2026/04/12 (日) 19:10:13 >> 569

「……」

疲れた。
今、自身の目的が半分定かでなくなった状況下で、
何故俺は此処まで頑張っているのかを改めて問う。
だが、帰ってくる答えは明白だ。
結局、喪ってしまったものがあるとしても、
俺達キャラバンは成さねばならない事がある。
大前提として、生きて帰らなければミルラのしずくを持ち帰る事は出来ない。
そして、其処で待ってくれている人が居る。
ならば、俺個人の感情などその時点で不要となる。
ただ、村を護らなければならない戦士になるだけ。
その上で、生き抜いて、生き抜いて、俺は、俺自身の望む事に感情を奔らせるだけでいい。
そう、自答した。

576
わったん 2026/04/12 (日) 19:10:23 >> 569

「……」

身体を横にしたかった。
しずくが溜まった時、後は陸路に沿ってティダへと帰る為の算段を立てるだけになった。
休んで居られない。しずくを回収して、即座に移動しようとした時。

バサッ……バサッ……!

強風が吹き荒ぶ中、力強く聞こえる重力と羽根の音。
暗雲の中でも分かる、影の大きさ。
俺はその音のなる方を見上げ、僅かに残った喉の力で呟く。

「グリフォン……」

ヴェオ・ル水門に澄み付くグリフォン。
嘗て仲間達と共に相手取った巨大な魔物。
その狩人は、強風の中でさえも地に足を付く事はなく、
獰猛なる瞳を以てして、爪を光らせながら俺を狙っていた。
手元の魔石でグラビデを扱う事は出来ない。
ましてや、その後に急所を突くだけの機動力も、俺には無かった。
重なる絶望に、乾いた笑みさえ出てくる。

「――諦めっかよ……」
「かかって……こいや……」

震える手元で剣を抜く。
ケージを脇に抱えながら、その剣先を巨大な魔物へと向け続ける。
最早虚勢だけで、俺は戦意を示す。
だが魔物とは、そんな虚勢が通じる程、感情に長けた者ではない。

「――ッ!」

強風で力の入らない手元、立つのもやっとの脚を狙う、狩人の攻撃。
剣が弾け、肉を裂く。血は風に乗り、雨で流される。

「クソ……!クソ!!!!」

ただ、悔しかった。
しずくを集め、あとは帰るだけだというのに。
目の前に飛び立つ絶望は、嘗ての仲間と共に倒せた壁だったというのに。

ここまで来て。

あと一歩で。

それでも届かない。

一人では。

何も出来ない。

ただ終わってしまうその時の中で、
抗う事も出来ず……命が削られていく様に……。

「クソァァァァアアア!!!!」

奴の魂ごと削るような、鋭利な爪先が俺を襲う。
それでも、俺はケージだけは護り抜く為に、身を縮めた。

ドガァッ!

強烈な引き裂きが、俺の身体を宙へと飛ばす。
落下し始めたその先、氾濫しきった川の中へと突き落とされる俺の身体は、
無意識下に於いてただ命令を続行していた。ケージだけは離さないという、使命を。

ザバァッ!!

「――テト――」

先に乗り越えた試練の中、俺の意識は消えながら、
濁流の流れに呑まれていった。

577
わったん 2026/04/12 (日) 19:11:16 >> 569

意識が混濁する。
全身に隙間なく入り込んだ水を感じる。
意識に差し込むような、太陽の光。
朦朧とした半覚醒の最中、俺の意識だけが先に起きる。
次に来るのは苦しみ。
体中の水分が暴発しはじめ、俺は唐突に来た吐き気に無理やり身体を起した。
そうして目を開け、咳き込みながらも風景を視線に入れる。

「――」

知らない家の、知らない部屋。
知らないベッド。
即座に外が映る窓へ眼を向ける。
地形の彩りをすぐに記憶の中から辿り、照合する。

「――ティパの村――」

直前の記憶さえあやふやの最中、俺は静かに記憶を整理する。

「水門でのしずく集め……その後グリフォンに……」
「――」

辿った記憶で、まず最初に襲ってきたのは、俺自身の時間。

「時間は――」
「一体俺はいつから――」

ガチャリ。

部屋の扉から姿を現した老人が、身体を起した俺を見て笑みを浮かべていた。

「おはよう、意識が戻ったか」

「――」

「浜辺で打ち上げられていたお前を見かけたんだ」
「あそこはこれからクリスタルキャラバンになるって奴の為に開放している訓練所みたいなもんでね」
「驚いたよ。其処に人が寝っ転がってるなんざ」

「――」

「酷い怪我だったんだぞ」
「応急処置だが、命に別状はない」
「大型の魔物と戦ったんだろう?その傷は――」

「俺を介抱して、どれぐらい経ったんだ……?」

「……」
「クリスタルキャラバンなんだろ」
「満タンのケージを抱えていた」

578
わったん 2026/04/12 (日) 19:11:44 >> 569

「どれぐらい経った」

「起きた直後に多くの情報を仕入れると、反って――」

「どれぐらい経っ――ゲホッ!ゲホッ……!」

「……」

「頼む、教えてくれ……」

「……」
「丸一日だ」

「……本当か?」

「あぁ、君を『引き上げて』から、一日」

「……」

「何処のキャラバンだ?」

「ティダ」

「……」
「……」
「……そうか」

「世話になった、すぐに出る」
「クリスタルケージを返して欲しい」

「あぁ、部屋の出口の箪笥の上においてある」
「安心しな。一滴たりとも奪っちゃいないよ」

「ありがとう」

そうして身体を起こす。
痛みは思った程無かった。
介抱されただけあって、身体の傷は癒えていたようだった。

「……不躾な頼みで申し訳ないが、武器だけ貸して欲しい」
「いつかキャラバンの旅で、またこちらの村に来る」
「その時に返すから」

「俺が昔、キャラバンだった頃の伝説の剣が其処に立てかけてある」
「……持っていきな」
「そして、どうか無事に生きるんだぞ」

「……」

老人の意味深な、罪悪感さえ覚えさせるその苦しそうな笑みの意味。
俺は察する事なく、善意で敷き詰められたケージと、老人が使っていた剣を抱えて出て行った。

579
わったん 2026/04/12 (日) 19:11:55 >> 569

ティパの村は、昔、俺達が寄った頃と景観に変わりはなかった。
ただ、村人全員が何処となく暗い顔をしていた気はした。
希望を諦めかけているかのような、そんな暗い顔だった。

「……」

当時、俺はテトと岬を眺めただけで、村人達との会話をすることは無かった。
仲間達がそれぞれ、ティパの人々と思い出を紡いでいるのは朧気に覚えている。
こうして恩を受けるなら、あの時少しでも会話をしていれば、と感じたな。
だが、今はそんなことよりも、手元の希望をティダに届けなければならない。

「早く帰ろう」

後は帰路につくだけ。
快晴が照りつく、爽快な青空。
ティダの村まで、一週間もあれば問題なく着くはず。
俺は道中、決して何にも振り返らずに帰ると誓った。

580
わったん 2026/04/19 (日) 19:24:06

リバーベル街道を突き進む。
細流の囁きが石を撫で、砕けた光が水面に散る小鬼の集まるその街道。
嘗て、この街道で崩壊寸前にあったキャラバンを救い上げた記憶が、脳裏に淡く蘇る。
仲間と肩を並べ、互いの背を預けながら切り抜けたあの日々。
だが今は――独り。
踏み締める靴底の音だけが、乾いた律動を刻み続ける。
かつては耐え難かった孤独の歩調も、今や身体に染み付いた常態でしかない。
それでもなお、ティダへ辿り着くその時、己以外の足音が再び隣に並ぶことを――
そんな、些細で、しかし抗い難い希望を、胸の奥底で微かに灯していた。

「……」

ケージの音が心地よい。
何処か、縛られる事のない音色を奏でていた。
柵の無い、自由の音。
きっとこの音は、これから俺がティダへ希望を持ち帰り、
その先、多大な未来を描く必要のない、平凡な日々を送る事の出来る序章を奏でていると。
俺はそう思った。
村に帰れば、俺は家族に会える。
哀しい事を伝えなければならないが、存命は出来る。
そうして喪った者達の想いを紡ぎながら、あの黄金畑で慎ましく生きて往く。
何も特別じゃない。この世界では当たり前の、キャラバンとしての夢。

「……」

歩む最中、一つの拠点が見える。
軽装を施したクリスタルキャラバン。
パパオパマスから降り、クリスタルケージを抱えた少年と少女だった。
木陰に腰を下ろし、休んでいるように見えたが、
近くまで来た時、その違和感は形を成した。

「……」

既に幾度も泣いた痕跡。
泥と血が乾ききった衣服。
整えられていない外見。
村で見た希望を捨てた顔。
子供のしていい表情などではなかった。
僅かなしずくを溜めたクリスタルケージと、倒した魔物から手に入れた魔石を握りしめ、
その足跡から分かる痕跡として、ティパの村へと向かっている事が分かる。
少年の握りしめた剣。
その握り方は、戦う事をしてこなかった者の人生を示していた。
そして少女の抱えたクリスタルケージには、乾ききった血痕が残っている。
その血痕と同じ痕跡を残した、少年らには合わないサイズの剣や道具が立てかけており――。

「……」

考えるのを止めた。

「ぁ……こんにちは」

力無く少女が声を掛ける。
時間に余裕のない俺は、言葉を返さず、僅かな会釈だけで応じる。
そのまま歩を緩めることなく、横を通り過ぎる。
擦れ違いざま、少年の負傷が視界に入る。
深い。
既に応急処置の限界を越えている。

581
わったん 2026/04/19 (日) 19:24:59 >> 580

「……」
「おにいさん」
「ティパの村の様子は、どうでした?」

去ろうとする俺に、背中から声を掛ける少女。

「……皆、君達の帰りを待っているよ」
「あと、この剣を持っていた元キャラバンの爺さんに、世話になったと伝えてくれ」

「おにいさん、身体の具合良くなったんですね」
「はい、どうか良い旅を」

「……」

声のリズムは一定。
だが、その抑揚の無さが、俺は絶望に染まりかけた声である事を良く知っている。
感情の摩耗。
知っているが、分からないフリをした。
ケージを抱え、歩む。
歩む……。

「……?」
「おにいさん、どうしたの」

「……」

足が止まる。
意志ではなく、反射でもなく。
ただ、止まっていた。

「……」

進行方向を僅かに逸らす。
彼らの前へと歩み寄る。
無言のまま、ケアルの魔石を取り出し、少年へと施術を開始する。
淡い光が傷口を包み、組織を繋ぎ止める。

「……重症だな……」
「時間がかかるぞ」

「おにいさん、大丈夫。村はすぐそこだから」

苦し紛れに俺に気を使う少年。
事実、時間に追われた俺にとって、この行動は首を絞めるようなもの。
それ故、治しきるという選択を取るには、余裕がなかった。

「……」

発動中のケアルの魔石を落とす。

「あ……」

渡すのではなく、落とす。

「俺はもう行く」
「その魔石は落としたやつだから」
「君達が拾って使えばいい」
「返す宛ても、拾わない理由も無いだろ」

責任を伴わない施し。
関係性を生まない距離の取り方。

「……ありがとう、おにいさん」

傷を負わない自信でもあったのか、俺は魔石を彼女らに渡す選択をした。
再びケージを抱え、街道を歩む。
背後から聞こえる、「ありがとう」の声を受けながら、俺はただ強張ったままの表情で帰路についた。

582
わったん 2026/04/19 (日) 19:25:45 >> 580

夕暮れ時。
ティパ半島とメタルマイン丘陵を繋ぐ瘴気ストリームの手前。
地形の起伏を記憶の底から掬い上げるように辿りながら、俺は瘴気の風を正面から受け止めていた。
肌を撫でるそれは風というより、削ぐような圧であり、肺腑へと侵入する異質な粒子の群れだった。
視界を覆うように揺らぐ瘴気は、まるでこの世界そのものが呼吸しているかのように脈打っている。

「半日で此処まで来れたか」

乾いた事実確認。
だが、その言葉の裏には、削ぎ落とされた過程の総量が沈殿している。
旅の途中、多くの寄り道をした。

槍の手入れをしたい。
森の旋律を聞きたい。
岩上から見れる夜空を待とう。
浜辺沿いに歩いてみたい。

そんななんてことのない事をし続けていたあの旅。
だから、一つの領域で何ヶ月も滞在するなんて不思議じゃなかった。
色んな景色を、色んな足跡を。
色んな思い出を紡いできた旅路。
今の俺はどうだろうか。
ただ闇雲に歩み、何にも目をくれず、
目的の為に前進するだけの機械。

「……」

思考が自嘲に沈む。
しかしその自嘲すら、どこか他人事のように遠い。
ティパ半島を半日で横断出来た事。
それは帰郷する俺にとっては喜ばしい事であるはずなのに、
何故こんなにも虚しいのか。
速度は成果だ。
だが、その過程で削ぎ落とされたものは――果たして何だったのか。
当たり前になったはずの俺の行路は、常に思い出に囚われており、
自身を蝕む悲しい旅路でしかなかった。

「良い旅を」

果たして、少女の言葉の通り、俺は良い旅を歩み、
これからも良く出来るのだろうか。

「……」

最早乾いた笑みが出てくる。
焦燥に駆られ続ける俺の意志。
感傷に浸っている場合ではない。
足早に瘴気ストリームの中へと歩んだ。

583
わったん 2026/04/19 (日) 19:27:16 >> 580

凄まじい風圧で荒れ狂う瘴気の勢い。
小隊が通るのにも一苦労な細い道。
どうにか通れる細さの道の両脇には奈落の穴がぽっかりと口を開けている。

キィンッ!

甲高い音と共に、クリスタルの聖域であろう範囲を球状の膜が覆った。
淡く輝くその障壁は、外界の暴威を拒絶し、
内部に静寂を強制的に生成していた。そう、静寂だったんだ。
この希望の枠の中、命の綱渡りをしながら、
暴風に負けず渡り切っていたあの日々。
あの日々は、酷く煩かったのに、今は違う。
ただ、揺れ動くエーテルとクリスタルの輝きの反撥。
その安全地帯の中で、前へ進み往く俺の身体。
これだけが音を成す、実質無音の領域。

「……」

危ないぞ、と。
握っていろ、と。

「……」

こんな絶望の中でさえも、
お前達は俺の希望として囲んでくれていた。
今、俺は、希望を運んでいる。

「……」

何度繰り返すのだろうか。
前を向き、下を見下げ、また前を向き。
度重なる俺への重圧。
決して拭いきれない過去への羨望。
諦めてはならない未来への前進。

「また来年も、一緒に居ようね」

「……」

必ず帰らなければならない。
戦士としてだけではなく、テトを想う一人の人間として。
瘴気ストリームの絶望の中、俺の心の根に何かが芽生えた気がした。
これだけ世界の現実を突きつけてくる場所。
それも孤独の中で、俺は思ったんだ。
生きていかねばと。

「……」

喪った仲間と、その思い出。
俺はその経験を、今後死ぬまで苦痛として抱えていくだろう。
だが、その苦痛を和らげる天使が居る。
その苦痛に負けないようにと、支えてくれる天使が居る。
なれば俺は振り返る事はしない。
喪った者に瞳をやり、弱る俺など要らないんだと。

「――」

感情としては間違っているだろう。
だが、絶望に染まりきった人間の思考は、酷く極端になる。
それでも、あの時の俺は自身のこの考えにきっと救われたんだろう。
以前よりも、生きることへの渇望が強く、より帰郷したい思いが強くなったんだ。

瘴気ストリームの中枢を超える。
暴風から身を護る膜は消え、クリスタルケージの流れは収まった。
もう外に出れば夜になっているはず。
俺は長い歩行を終え、瘴気ストリームから歩みでた。

584
わったん 2026/04/19 (日) 19:29:15 >> 580

空を見上げた。
見上げてしまった。
時刻を確認する、単純明快な動作。

「――」

見上げずに行けば、きっと何も知らずに期待を先延ばしに出来たんだろう。

「あぁ、君を『引き上げて』から、一日」

希望の糧を、もしかしたら少しでも思い出を育みながら帰れたのであろう。

「何処のキャラバンだ?」

普段なら気づけたはずだ。

 「ティダ」

心底、そうだと願って信じ切っていた。

「……」

俺は絶対、帰って、希望を届けられると。

「……」

光のつどう村に、戻れるんだと。

「……そうか」

「――」

「どうか無事に生きるんだぞ」

「――」

「良い旅を」

「――」

あぁ、神が居るなら願う。

「また来年も、一緒に居ようね」

どうか俺を殺してくれ。

「気を付けてね」

頼む。

「絶対帰ってきてください!」

もう、死なせてくれ。

「待っているのは、私だけじゃないんだから」

希望なんざ

「――行ってらっしゃい」

何処にも残っちゃいない。

「愛しています。愛しい私の希望よ」

残っちゃいないんだ。

画像1

585
わったん 2026/04/19 (日) 19:31:41 >> 580

夜が明ける。
ずっとその場で縮こまって、
ただ静止していた。
あれだけ焦燥に駆られていた俺の心情は既に停滞しており、
最早感情の揺れ動きなど存在しなかった。

「……」

結果は明白。
最早帰路につく迄もない。
見えもしない、ティダの村の方角に視線を置く。
其処にあるはずの村は、きっともう無くなっている。
分かっている。
無くなっている。
既に、何も。もう。全部。あぁ、何も、何も……何も……。

「……」

しずくの溜まったクリスタルケージ。
これは最早、俺の周りを聖域に変換させるだけのただのしずくであった。
希望でも何でもない。ただのしずく。

「……」

叩き壊そうかと思った。
だが、神に死を祈った俺は、
そうするだけの気力さえ無かった。

「……」

何をすればいい?俺は、何をすればいい?
誰に問えばいい。
俺の周りには誰一人居らず、
既にティダは崩壊している事を受け止めてしまっている。
どうすればいい。

「――さん」
「――いさん」
「おにいさん」

締め付ける心に、不必要な声が叩いてくる。
力無く、ただ項垂れる俺を起こす少女の声。

「……」

リバーベル街道に居たクリスタルケージを抱えた子だった。
後ろで少年が不安そうにこちらを見る中、少女は健気にも心配気に俺の肩へ手を置く。

「大丈夫?」

「……」

「どうしたの……瘴気ストリームの前で立ち止まって……」
「帰らな――マール峠には行かないの……?」

言い淀みながら、少女はただ俺の顔色を伺い続ける。

「……」
「……」
「もう、いいんだ」

「……」

「君達は帰らなかったのか……」

「怪我も治って、動けるようになったんだ」
「近くを通ったティパの村の人に色々渡して」
「おにいさんを探しました」
「まだ、近くに居ると思って」

586
わったん 2026/04/19 (日) 19:33:07 修正 >> 580

「それで瘴気ストリームを超えてきたのか……」
「とんだバカじゃねぇか……」
「……俺に、何の用だ……牛飼いの旦那に剣を返すってんなら、今返すよ……」

「ううん、これ」

差し出されたのは、ケアルの魔石。

「……落としたもんだって言っただろ……」
「返す必要ない」

「拾ったから私達のもの」
「だから、あげます」

「……何故……?」

「上手く言えないけど、これが私たちの思い出になったから」
「おにいさんに、大切にしてほしかったんです」

「ただの気紛れ、それも処置しきらず、故郷の為にさっさと逃げるために置いてった魔石だぞ」

「故郷に急いでいるのに、渡してくれた魔石なんだよ」
「傷ついちゃうかもしれないのに、私達にくれたんだよ」
「それって、私達に無事に帰って欲しいからでしょ?」

「僕の傷、あのままだともうだめで……諦めてたんです」
「せめて、一欠けらのしずくだけでも届けようって思ったのに」

「……」

察するところ、少年の怪我を心配した少女。
その怪我を治す為のケアルを持たず、村に行こうにもしずくを手放せず、
少年も身動きが取れない状況。
その中で、最早諦観して留まっていたという話。

「……」
「……やはり、君達のキャラバンは……」
「『失敗』したのか……」

気づこうとしなかった話を、口にする。
力無く笑う少女と、泣きそうになりながらも頷く少年。

「音信不通になったキャラバンの後釜として、頑張ろうって話になったんです」
「村に残っている人は、他の村に移住するなり、色々あったんだけど」
「子供にそんなことさせられないって怒っちゃって」
「勝手に飛び出してきたんです」
「でも、しずくは結局一個しか集められなかった」
「余命が増えるだけの、ちょっとした希望」
「それでも、届けたかったの」

「……」

「残り少ない時間」
「だったら、おにいさんに貰った思い出を、私たちの死で止めるんじゃなくて」
「おにいさんに紡いで欲しかったの」

「……」
「知ってるだろ……もう、俺は紡ぐ場所が無いことを」

「それでも、生きて欲しいと願うのは……いけない事なの……?」

死を願った。
俺は、死を願っておきながら、命を放棄出来ていなかった。
生きる渇望は既に失い、最早故郷に戻るという選択肢は存在しなかった。
俺の心を平気で抉ってくる子供らに、俺は言葉にするには決して相応しくない感情を抱いてしまった。

「――」
「――」
「――」

587
わったん 2026/04/19 (日) 19:33:41 >> 580

掛けられた言葉にさえ心を寄せる事の出来ない不安定な状況。
その状況を作り出している己さえ恨めしい。
死を願った。
なら、どうすればいいか。

「――」

クリスタルケージを、彼女らに突き出す。

「……え?」

「持ってけ……」

「こ、これはおにいさんの――」

「要らねぇんだよ……」
「もう、要らねぇんだよ……」

「……どうして……」

君達が見せた思い出の残滓。
少なからず、ズタズタになった俺の心に、響いたはずなんだ。
でも、その時の俺は決して理解せず、
ただ鬱陶しかったんだ。
希望に満ちた存在が。

「知らねぇよ……分かんねぇよ……」

「でも、おにいさんが――」

「頼む……」
「帰ってくれ……」

「……ごめんなさい……」

魔石が膝元で転がる。
そして許可も無しに、一つだけ溜まったミルラのしずくの入ったケージが横に置かれた。
そうすると、二つの影は瘴気ストリームの方へと消えて行く。

588
わったん 2026/04/19 (日) 19:34:37 >> 587

「……」
「……」
「……」
「……」
「……」

現実を受け入れる事は出来ていない。
ましてや、直面もしていない。
もしかしたら、まだティダの村はあるかも。
そんな希望が過る。
でも、それは無い。無いんだ。
誰一人として生き残らなかったクリスタルキャラバン。
村が生き残るために必要な光のしずくを、俺が持っている。
その因果関係が結びつかない以上、過る答えはただ一つ。

「……」
「……」
「……あぁ……」
「あぁぁ……」

遅れてやってくる感情が、視界を塞ぐ。
流れ出る雫を留める事など出来ず、
過る愛しき人の笑顔。
俺は、護れなかった。
護れなかったんだ。

「ごめん……」
「ごめん、ごめん……」

来年も、一緒に居たかった。
でも、出来なかった。
俺が、俺が――。

ただ、ただ。子供のように泣き喚き、
崩れ落ちた俺は、力無くその場で倒れた。

589
わったん 2026/04/19 (日) 19:36:22 >> 580

目を覚ました時、見覚えのある場所だった。
知っている家、知っている部屋。
知っているベッド。

「……」

あの時と同じ。
ただ、星が良く見える夜だった。

「意識が戻ったか」
「よく寝る奴を拾っちまったもんだな全く」

知っている老人。
その輪郭をなぞる、カンテラの小さな光。
半身を上げると、俺のベッドの横で、腰掛けているのを確認した。

「子供達が君を運んできた」
「……きっと、暦を知って絶望して、倒れたんだろうと、俺は思うが……」

「……」

「子供達から聞いたよ」
「ケアルをくれたんだってな。ありがとよ」

「……」

「……悪かったな……希望を持たせるような事を言っちまって……」
「君が気の毒で、俺の罪悪感と向き合う事が出来ず」
「ハッキリ、言うべきだったんかな」

「……」

「ティパの村のキャラバンは失敗した」
「轟雷や豪雨が吹き荒ぶ中、魔物に襲われて全滅しちまったんだ」
「あの子たちは、その亡骸を供養しに、そしてケージを回収する為に自ら出て行った子なんだ」
「案の定、ミルラのしずくは集まりきっておらず、その情報は手紙として先に来た」
「村全体が察したよ」
「もう、終わりなんだってな」

「……」

「だからこそ、まだ希望を持っている君に、例え現実と乖離していようともそのままで居て欲しかった」
「もしかしたらってのを、願っちまったんだ」

「……」
「ティダの村の情報も……」

「手紙で一緒に来た」
「……なんて、声掛けりゃいいんだろうな」

「……」

「さ、腹減っただろ。なんか食うか?」
「母さんの飯は美味いんだ。ほしがたにんじんを細かく刻んだスープでも用意してもらおうか」

「俺は……」
「もう、帰れないんだな……」

「……」

「……クリスタルケージは……?」

「置いてある。一滴たりとも使っとらんぞ」

「何故」

「さてな……俺にもわからん」
「ただ、村人総勢、覚悟を決めている」
「子供達もそうだ」
「死ぬわけではない」
「皆帰って来て、残りの時を過ごしたら」
「何処かに逃げようなんて話もあるからな」

590
わったん 2026/04/19 (日) 19:37:11 >> 580

「ここは思い出の詰まった場所だろ」
「離れられるのか」

「……」
「存命と意地。張るべきはどちらか」
「未来の為に、這い蹲ってでも生きねばならない」
「俺達は、意地汚くても、強く生きて往こうと肩を寄せ合っている」
「ティパの村は、そういう村なのさ」

「なら、俺のケージを奪えばよかっただろ」
「最初、介抱していた時もそうだ」

「……」
「そういやそうだったな」
「まぁ、そういう発想に至らん時点で」
「他人の想いを踏みにじる行為はしないように設計されてんだな、俺達は」

「……」

「此処に留まるも良し」
「生きる未来の為に、北上するも良し」
「君の人生だ。ティダの村の為に命を落とす事を止める資格など無いが」
「無事に生きて欲しい」

「……」

「俺達の事を気にする必要はない」
「どの村も、いつかこうなるという可能性は秘めている」
「俺達も、その時が来たというだけだ」
「この言葉が君の慰めになるかはわからんが」
「自分を責める事だけはやめてくれ」

「……」
「あの少女は、ただケアルを施した俺に生きて欲しいと願ってくれた」
「その教えは、アンタらティパの村の総意みたいだな……」

「押し付けがましい話だろ」
「そうやって生きてきた」
「君達ティダの村はどうだか知らないが」
「ティパの村ってのは、そういう利己(エゴ)を持つ奴が多いからな」

「……」

「絶望に立ち向かい、希望の為に君は戦ったはずだ」
「そんな勇敢なる戦士を、褒め称えなくてどうする」
「今は亡き者の為にも、君は生きる選択を取るべきなんだ」
「苦しくても、藻掻くんだ」
「その憂鬱は、果てしなく底が深いかもしれないが」
「這い上がってこい」
「それが、亡き者達の望む事だと、俺達ティパの村はそう願っている」

「……」
「……」
「……なんもしらねぇくせに……」

「知らんけど、分かるものもあるさ」
「君が集めたミルラのしずくは、命を護る以上に大切なものだ」
「希望なんだろう。あの村の」
「なら、持ち帰ってあげるべきだ」
「例えその惨状が、受け入れ難いものだとしても」
「君がキャラバンとして飛び立った後も、ずっと待っている人が居る」
「そうだろ」

591
わったん 2026/04/19 (日) 19:38:51 修正 >> 580

「……」

ただいまを言う事が出来ない。
俺は、その現実を受け入れられない。
逃げたかったんだ。どんな形であれ。
それが死であることを望んだ。
だが、悉く俺は死にきれていない。
それはきっと、仲間達の意志なんじゃないかって、思い始めたんだ。

「……」

テト……。
君に会う為に、俺は多くを失い、多くを捨てる事さえ厭わなかったはず。
だが、きっと君は、俺に生きろというのだろう。
そう、願ってくれていると信じてしまったんだ。

「……」

立ち上がり、老人の横を通り過ぎる。
部屋の出口に置かれたクリスタルケージ。
淡く光る、『希望』
言葉通り、最後まで入ったしずく。
それを手に持つ。

「おい、何する気だ」

部屋を、出る。

593
わったん 2026/04/19 (日) 19:41:19 修正 >> 591

村の中枢、クリスタルが光を放ち、傾いている。
その光は、見てわかる程に薄れており、クリスタルの死が近い事を示していた。

「この時間から外に出るのは危険だ」
「明日の朝、港まで送る。今日はもう寝ておけ」

後ろから追いかけてきた老人の声。
すると、ややざわつき始めた家々から、一人、二人と姿を現し、目を擦る事もなく、心配気に俺を見る。

「あ、おにいさん」

聞き覚えのある少女の声。
それは徐々に近づき、俺の足元にまで来た。

「もう、身体は大丈夫?」

「……」

「あの、ごめんなさい……」
「おにいさんは死にたがっていたかもしれないけど――」

「思い出、なんだろ」

「……?」

「旅は、楽しい方がいい」
「俺を介して哀しい思いするんだったら」
「それは……いい思い出になって欲しい……」
「俺が生きてりゃ、君にとって、良い思い出になる」

「うん」

「……」
「どうか、この先も」
「君達は希望を紡いでくれ」

「……おい」

「レビ」

「――」

「レビー!」

「――」

「レビ氏」

「――」

「レビ!」

「――」

「行ってらっしゃい」

手元のクリスタルケージを掲げる。
夜空一面で輝く星と、それにそっとかかる月の光の下で、
美しく一本の光の線を作り上げながらゲージ内の雫は天へと消えて行く。

「何して――!」

俺の集めた希望は、ティパの村のクリスタルに取り込まれ、美しく輝きを取り戻した。

「それは、ティダの村の――」

「いいんだ……」
「もう、やっちまったことなんだから……」

「――」

「おにいさん」

「俺が死なないように、色々してくれただろ」
「お礼だよ……」

「……ありがとう、おにいさん」

衝動的で、理由も付かない行動だった。
ティパの村に俺達のしずくを分け与える義理などなかった。
でも、そうしたのは、君が傍に居てくれたとしたら、
そうしようって言ってくれると思ったからなんだ。

594
わったん 2026/04/19 (日) 19:42:05 >> 591

「……水かけ祭り」
「……君と……一緒に……」
「踊りた……かった……なぁ……」
「テト……」

画像1

595
わったん 2026/04/26 (日) 21:27:28

ティパの村の延命が決まったその日から、幾つか月日が経った。
長閑な風景と、希望に満ち溢れた村人たちの笑顔。

「レビ、馬車直せるか?」

俺はその風景を、牛飼いの親父の元で眺めていた。
俺と言う思い出を抱えたティパの村の人間達が、決して哀しい思いをしないようにと願い、
生きる事を選んだ。
村の広場。
陽だまりの中を、子供たちが駆け回る。
洗濯物が風に揺れ、誰かの焼くパンの香りが遠くから流れてきた。

「パパオパマスの奴、だいぶむくれてきちまってな」
「力も強くなって、車軸をイカれさせんのが上手くなってきやがってんだ」

村の広場で、ふらふらしていた俺に声を掛けてくれる村人。
陽に灼けた男の隣に停められた荷馬車へ視線を落とした。

「とりあえず見るよ」

軋んだ木材、僅かに傾いた車体。
見れば、車軸が不自然に歪んでいる。
馬車の下に潜り込み、影の中でその木製を幾度も確認する。

「……連結部分が歪んでるな」
「補強材の残りを持ってきてくれ」

「頼りになるじゃんか、レビ!」

声を、かけてくれる。
絶望に染まった俺を、少しでも前に向いて欲しいと願うかのように。

596
わったん 2026/04/26 (日) 21:27:42 >> 595

カンカンカンッ!

金槌の音が、午後の静かな村に響く。
最後の釘を打ち込み、俺は汗を拭いながら身を起こした。

「――」
「よし、直った」

傾いていた車体が、均一を保つ。
その馬車に乗り込む村人が、数度揺らすと、満足げに微笑んだ。

「ありがとう、これで港まで行ける!」
「またなんかあったらよろしくな!」

「あぁ」

なんてことの無い日常。
見る風景が、嘗ての故郷ではなく、新たな生きる場に変わっただけ。

「……」

馬車を引いていく村人の背中を眺め、再び耽った。
今、俺はティパの村の人として生きている。
決して珍しくはない話だった。
ティダの村に流れ着いた他種族も、キャラバンの失敗から逃れる為に放浪していた。
誰もが、何かを喪い。
それでも、何処かで生き直していく。

「……」

俺が生きる決意を秘めた理由は、いくつかあった。
少女たちの思い出として生きる俺が死んでは、それは希望を紡ぐ話にはならない事。
仲間達が居たら、きっと俺に生きろと背中を押してくれていたと思う事。
そして、ティダの村の人々が、他の村に合流したんじゃないかという希望がある事。
何も絶望だけじゃない。そう思い込む事も大切だ。
欠落した俺の核は、何もすべてを自壊に追い込むわけではなかった。

「おい、レビ」

牛を引き連れ、牛飼いの旦那が俺に声を掛けてきた。

「子供たちが浜辺で稽古をつけて欲しいとよ」
「来年のクリスタルキャラバンの旅は自分たちがするだとかなんとか」

「裁縫屋の旦那はなんて言ってるんだ?」

「勇気に勝る希望は無しってな」
「次の旅は大人が主軸に立ち回る」
「世代交代も考えなきゃならんが、大事な子供達だ」
「こういう世界だからこそ、過酷な旅を共にして成長していくんだろうよ」

「……そうだな……」
「導いてくれる大人が居れば、その行路は学びが絶えない」
「俺もそう思う」

「じゃあ稽古つけてやってくれ」
「今か今かと待ってて、腕と剣がくっつきそうになるぐらいにワクワクしてんだ」
「ほら、レビ先生、行った行った」

そうしたかったかは定かではなかった。
だけど、旦那たちが俺に忙しなく頼みごとをしたり、
とにかく体を動かそうとさせていたのは、
辛い思い出を忘れさせるためだったんだと思う。

「……」

新しい、希望に満ちた思い出でその胸の傷を癒す為に、
ティパの村は俺を囲ってくれていた。

597
わったん 2026/04/26 (日) 21:28:45 >> 595

浜辺で柔い木の棒と、鍋の蓋を盾に武器を振るう未来の希望達。
立ち位置を変える度に、砂の細かな崩れる音と、波が攫う囁きが交互に聞こえてきていた。
その最中、彼女らは俺に気づいて手を止め、笑みを浮かべて迎えてくれた。

「おにいさん、こんにちは!もうすぐこんばんは!」

「武器を振るうのには慣れてきたか?」

「うん、順調順調!」
「最初は盾を構え続けるのもつらかったけど、もうへっちゃらだよ!」

「おにいさんの教えてくれたコツ、本当に分かりやすいからすぐ慣れました」

「そりゃよかった」
「俺が剣を握り始めたのは、君達よりももっと後の年齢だったんだけど……」
「ティパの村の未来は明るいな」

「おにいさんだって、まだ若いよ?」

「あぁ……そうだな……」
「次の出立は、半年後だろ?」
「それまでにしっかり腕を磨けよ」

「うん!」
「大人の皆にも負けない強いキャラバンになるよ!」

「そいつは結構なことだ」

「……おにいさんは、一緒に来ないの?」

「……」
「俺は……」

「ダメだよ。おにいさんは心の傷があるって――」

「おにいさん、私達は、おにいさんに救われた命を紡いでいるの」
「希望を胸に、未来を描く」
「私達は、おにいさんに教えてもらったんだよ」
「この世界を生きて往く上で、大切な事を」
「思い出を忘れずに、旅をしていくことを」
「だから、その姿を」
「見守って欲しいって」

「……」

且つて、仲間たちに馳せていた思いが沸きあがる。
俺もそうだった。
キャラバンとして生き往き、いずれ訪れる静穏なる生活。
其処は黄金畑の中心であり、俺が家族と笑顔で歩み往く世界。
そんな世界を、お前達に見て欲しいと、見守って欲しいと、そう願っていた。

「……」
「正直に言うと」
「辛い記憶が、俺の心を痛めつけるんだ」
「旅の思い出を、俺は忘れちゃいないけど」
「思い出すと、辛いんだ」

「う……」

「だから、俺は君達に希望のつどったミルラのしずくを託した」
「旅なんて出来るだけの精神を取り繕うことさえ出来ない」
「俺はもう、キャラバンじゃないんだ」

「そんな……じゃあ、ずっと村でじっとしているの……?」

「……あぁ、君達の帰りを待っているよ」
「本当は、君達と一緒に帰りを待つのがいいんだろうけど」
「やる気なんだろ。クリスタルキャラバン」

「はい……僕達は、おにいさんの希望を紡いだんです」
「なら、この村を世界が平和になるまでずっと護って行きたいんです」

598
わったん 2026/04/26 (日) 21:28:58 >> 595

「おにいさんが待っている事も、良い思い出になる」
「だから、過酷な旅かもしれないけれど、楽しみなんです!」
「外の世界を見てきて、色んな景色を日記に綴る」
「記憶を大切にする旅が!」

眩しい。
キャラバンに従事したての俺も、こうだったな。
光のつどう村、ティダ……。
その名に恥じぬキャラバンになろうと、必死だった。
だけど、結局は旅そのものが好きで、
多くを見て、多くを知り、多くを紡いできた。
それが、俺の人生であり、
俺の好きなことだったから……。

「……そうか……」
「……俺は君達と一緒に旅は出来ないけど」
「もし、アルフィタリア盆地にまで足を踏み込むことが出来たなら」
「見てきて欲しい」
「ティダの村のことを」

「え……」

「分かっている」
「残酷な光景が広がっている事は、間違いない」
「でも、『そうなってしまう』事を、知っておくべきなんだ」
「それが、クリスタルキャラバンの背負う宿命」
「俺のようになってほしくない」
「老婆心が故の、酷いお願いだ」

「……」

「そうして見てきてくれたなら」
「それを伝えて欲しい」
「そしたら俺も、やっと前に進める」
「そんな気がする」
「そうだったらいいなって、思うから」

「おにいさん……」

「……」
「了解!任せて!」
「おにいさんにとっても、私達にとっても辛い事かもしれないけど」
「それでおにいさんが前へ歩めるなら」
「一緒に向き合っていこう?」

「ありがとう……」

再び剣と盾を振るう子供達。
夕焼けが差し込み始める浜辺。
遠くから戦いの指導をしながら、
俺はその光景と、彼女たちの言葉を胸に、
記憶としてしまいこんだ。

599
わったん 2026/04/26 (日) 21:29:17 >> 598

それから幾数ヶ月も過ぎた、もうすぐキャラバンが出立する頃。
そんなある日の夜だ。
住まわせてもらっている家で、旦那たちが既に眠りに付いている時間。
俺は遅くまで水汲みをしていて、皆が眠りに付いた頃に帰ってきた。

ギィ……。

物悲しくも扉が軋みながら開く。
カンテラを片手に、家に入る。皆寝ている。
起さないようにと、ゆっくりと歩いていた時。
扉の建付けが悪かったのか、隙間風が局所的な突風を起こした。

フッ……。

カンテラの触媒が消える。
月明かりでは心許ない部屋の暗闇は、視界を不自由にしていた。

「……」

寝室に向かう最中、壁伝いに歩む。

ガッ

箪笥に身体が当たってしまい、鈍い音を鳴らした。
衝撃で僅かに開いた箪笥。
音を鳴らしたことをやばいと思って、すぐ直そうとした。

「――」

何も見えない暗闇だったのに、
箪笥の中で眠る手紙が見えた。
見覚えのある、俺の好きな手紙の外装が。

「――」

直感的ではあったが、
俺宛てだと思った。
手紙を隙間から抜き取り、部屋の中央の腰掛けに座る。
月明かりが急激に鮮明に光を灯しているように感じ、
綺麗に封のされた包装を解く。
中身を、広げる。

600
わったん 2026/04/26 (日) 21:29:42 >> 598

お身体の具合はいかがですか。
私の方は元気です。
畑の麦たちも、近所の子供達も、寡黙な御年輩方も、
皆、これから生まれてくる子に声を掛けてくれています。
お腹を蹴ってる感覚は、
あなたの帰りを待ちきれないみたいに嬉しさを表しているみたい。
皆、あなたの帰りを待っています。
急ぐ旅ではありません。焦らず、旅の思い出を抱えて帰ってきてください。
でも、もし帰れなくても、大丈夫。
あなたが生きてくれれば、それでいい。
だから、命を削ってまで、命を捨てようとしてまで、
自分の人生を蔑ろにしないで。
あなたが生きている事そのものが、希望なのだから。
それは、全てが喪われたとしても、あなたを想う愛です。
どうか、希望を捨てず、
どうか、ご自愛ください。
愛してます。愛しいあなた。

あいたい

     ―テトの手紙―

601
わったん 2026/04/26 (日) 21:30:06 >> 598

「――」

読み終えた時に過ったのは、
俺が選択を間違えたあの豪雨の時。
流され、意識を喪っている最中。
その時、ティダの村はどうしていたのだろうかという絶望。
心に与える大きな傷は、未だ広く冴えわたり、
指先から凍える感覚が再び心に影を纏わせた。

ガチャ……。

「おぉ、帰ってきたか」
「農家の連中の水汲み、大変だったろ?今日は早く寝――」
「――」

背後から旦那の声が途切れる。
俺は振り向いてはいなかったけど、
きっと俺の表情が見えたんだろう。
丸め切った背中は、手紙を見た時の俺の心境を表していたはずだ。

「……」
「すまない……いつか渡そうとは思っていたんだ……だが……」

「……大丈夫……」
「俺は、大丈夫だ……」
「……俺が眠っている最中に、届いたのか……?」

「……2回目、お前が此処に運ばれた時だ……」
「覚えているか……?」

「あぁ……ミルラのしずくを、クリスタルに吸わせたときだったか……」
「……教えてくれ」
「モグは、レターモグは、何か言ってたか?」

「……」

「大丈夫。受け止めたいんだ」
「これは、必要な事なんだ」

「……」
「……」
「モグがお前宛てに、と」
「ただ、それだけを言って帰った」
「返信は要らない。そう言うかのように」

「……」
「……」
「……だよな……」

モグが俺を探し当てられなかった時。
一度ティダの村に帰るなりしているはずだ。
その時、惨状を確認すれば分かるだろう。
手紙の返信の有無。
それは、生存の証。
改めて感じる。
終わったんだと。

602
わったん 2026/04/26 (日) 21:30:30 >> 598

「……」

「……」

「旦那、気を使わせて悪かったな」
「再三だが、俺は大丈夫だ」
「傷は癒えちゃいないが、時間が解決してくれたものもある」
「思い出が薄れて、零れ落ちるものもあったから」

「レビ、今日はもう寝ろ」
「明日は休んでていい。鍛冶屋には俺から伝えておく」

「……」

旦那は俺の肩に手を置き、数度叩いてから部屋に戻った。
月明かりが、急激に影を落とした。


帰る理由が明白だった日々。
身体の傷を無視して、帰る為に前を向く。
過去を振り返りながらも、振り向く事をせず、
必ず辿り着くはずだった希望のキャラバン。
俺は、瓦解した。
だから、もう帰る事は出来ないと思った。
身体だけが残った俺の存在は、感情として確立されていない。
でも、あの手紙に残っていたのは、
俺に生きていて欲しいという願いだった。

「……」

滲んだ字が、感情を揺さぶった。
気丈に振舞った手紙。だが、最後の文で見せた本心。
魂が叫ぶ。
俺は、帰るべきだと。

「……」

また絶望に彩られるかもしれない。
だが、どうだろうか。
俺は、帰る。
帰らねばならない。

「……」

希望は確かに絶望に塗り替えられた。
だが、希望を紡ぐ事は出来た。
そしてまだ、希望は燻っている。
俺という、希望が。
なればその凱旋をあげるには、俺が立ち止まっていてはいけないんだ。

「……」

月夜の灯りが、俺の目を照らす。
家の端にあった鏡には、俺の目に光が燈っていた。

603
わったん 2026/04/26 (日) 21:30:58

キャラバンの出立の日。
朝日が木漏れ日として差し込んでくるその日。
村人総出で見送る。

「身体には気を付けるんだぞ」

「必ず帰ってくること!しずくなんてなくてもいいから、生きて帰ってきて」

「しましまリンゴのパイを作って待ってるよ!」

今生の別れとも思える程、泣き崩れる人や、
次は自分も一緒に行くぞと、意気込む人。
あのまま手紙を読むことが出来ていなければ、
俺は、それを見送る側から見ていただろう。

「それじゃあ、行ってきます」

俺は、キャラバンになった。

604
わったん 2026/04/26 (日) 21:31:15 >> 603

ティパの村を出てすぐ、小隊を組んで列を成す。
パマスを中心に、陣を組んで行路を歩んでいた。

「おにいさん、キャラバンになったんだね」

近くで少女らが俺に声を掛ける。

「あぁ。頼み事してたのに、ごめんな」

「ううん!一緒に旅が出来るの、嬉しいよ」

「僕も嬉しいです」
「でも、どうして急に?何かきっかけがあったんですか」

「……」
「ケジメかな……」
「この世界で生きていく上で、俺は色んな幸せと、不幸を味わった」
「もう十分かなって思ったんだけど」
「俺に生きろと言ってくれていた事を知ったんだ」
「……だから……」
「前を向いて歩く為に」
「故郷に向かう」
「そうして俺は、向き合うんだ」
「この世の残酷さと、今までの不幸を重ねて」
「希望を持って生きていくと」

「……」
「辛いこと、じゃないでしょうか」

「まぁな」
「でも、今こうして瓦解せずに済んでいるのは」
「其処で俺を待っていた人達の声が聞こえたからだ」
「……俺の心の傷が癒える事はないけど」
「ティダという希望を紡いだ君達と」
「ティダという希望そのものである俺」
「その生き様を、見せてあげたい」
「……何言ってんだって思うよな。ごめん」

「ううん、言葉にするのは難しいけど」
「おにいさんの気持ちは、きっと皆わかってくれるよ」

「……ありがとな」

605
わったん 2026/04/26 (日) 21:33:01 >> 603

旅は順調だった。
それも簡単に進む。
メタルマイン丘陵に足を踏み入れた時、
俺はトラウマのあまりその場で蹲った。
だが、俺を支えようとしてくれるキャラバンの皆が居てくれたおかげで、歩む事が出来た。
キノコの森の秘境に迷い、それでもティパの未来を紡ぐ希望達の為に、
大人たちは先陣を切っていった。

……皆、見ているか。
俺は、もう大丈夫だ。
お前達を忘れるなんてこと、ありえないけど、
お前達をずっと傷として扱うなんて、俺は許せない。
だから、ずっと好きだったお前達の為に、
俺は生きるよ。


「ふんっ!!」

剣を勢いよく振り上げ、魔物を倒す。

「すごい!」

子供達が目を輝かせ、剣技を教えて欲しいと言ってくる。


「~♪」

焚火を前にして、旋律に鼻唄を乗せる。

「レビ、上手いな。もっと聞かせてくれよ」

「あぁ、いいぜ。スケルトンの肋骨の間を通り抜ける風みたいに、響く音色を奏でてやるよ」

「???」


「夜空に掛けし数多の星は……あー、えーっと……」

柄にもなく、本を開いて夜空を見上げた。

「何言ってんだよレビ」

「ちょっと黙っててくれよ。アイツが何言ってたか、思い出してんだから」

606
わったん 2026/04/26 (日) 21:33:16 >> 603

そんな旅をした。
楽しくあろうと、楽しかった旅を。
そうして着いたアルフィタリア盆地。

「……」

方角は北東。
アルフィタリア城が僅かに見えるこの位置。
まだ形として見れていないが、緊張が先に身体を支配する。

「……」

「怖いか、レビ?」

「おにいさん……」

「……」

「俺達が付いてる!」

「あぁ、大丈夫だ」

「貴方の過去の仲間のようにはなれないけど」
「皆、貴方を支える味方よ」

「おにいさん、手握ってあげよっか?」

「な、なら僕も握るよ。それで安心するなら……」

「……」
「……ハハっ……」

だが、不思議と柔いだ。
不思議じゃないか。
俺を支えてくれる今を感じたから。
お前たちが、生きろと俺に言ってくれから、出会えた縁。
俺を確立させてくれている縁だ。

「大丈夫、ありがとう」
「行こう」

607
わったん 2026/04/26 (日) 21:33:40 >> 603

夕焼けが染まる頃、アルフィタリア盆地の中央部にまで到達した。
野営の準備をして、明日、ティダへ帰ることとなった。

「……」

俺が見る故郷は、俺の知る故郷ではないんだろうな。
その事実を噛み締めながらも、俺は明日、現実と向き合う。
そうしてはじめて、この世界を生き抜く事が出来る。
何も知らず生きて往った方がいいんだろうな。
でも、そうしないのは、俺にとってティダの記憶は大切だったから。
決して忘れてはならない、人生の縮図だったから。

「パマスの毛並みが酷いよ~」

「野菜達は洗ったよな?じゃあ食材をこっちに!」

「武器の手入れって職人感あっていいよな……」

思い思いに過ごすキャラバン。
俺も武器の手入れをしながら、夕餉の準備をする皆を遠くから眺めていた。

「おにいさん、明日だね」

少女が俺に声を掛ける。

「……あぁ」
「大丈夫って言ったけど、きっと俺は怖がると思う」
「……君達に、どうか助けて欲しい」

「勿論!私達は、おにいさんに助けられたんだもん」
「助け合いっこだよ!」

少女の笑みは、勇気そのものだった。
過去に直面するこれから、この笑顔は俺の恐怖を和らげてくれる希望だった。
きっと、俺と君の子も、こんな子だったんじゃないか。
そう信じて疑わなかったな。

「……あぁ、そしたら、これからも助け合いだな」
「ティダの村に帰郷したら、その思い出を抱えて」
「これからは君達と――」

そうして平和な心で会話をしていた時。

カンカンカンカンッ!

魔物が現れた事を示す警笛。

「襲撃だ!魔物の群れ、複数群確認!」

武器を手に取る。
野営に使用されていた火は全て消え、夕暮れの光が武器を照らす。

「包囲されてんぞ……!」

円を描くように、魔物たちはキャラバンを包囲する。

「周囲確認はしたのに……生息地域でもないぞ!?」

「気張れ!迎撃できなければ、物資を捨てて城に駆け込むぞ!」

「距離がある!厳しいぞ!?」

それぞれが状況判断をしながらも、その焦りは溢れるように迫っていた。

「……」
「盾を中心に扱うんだ」
「包囲された時は、攻撃に隙が生まれる」
「必ず防衛から入るんだぞ」

子供達に盾を握らせ、前線に立つ。

「凌ぐぞ……!」

608
わったん 2026/04/26 (日) 21:34:46 修正

長期戦。
魔石や回復薬を扱いながら、魔物の群れを対処していく。
針の隙間さえ通さない程の密集した隊列は、一キャラバンを襲うには統率が取れすぎていた。
本来、魔物は群れを成さない。
縄張りでもなければ、盆地で集団戦を行うことなどあり得なかった。

「ファイア!/ブリザド!/サンダー!」

「パワーソード!/せんぷう斬り!/パワーボム!/オーラショット!」

数多の技が絡み合う。
俺も且つては戦いに身を置いた旅人。
前線に立ち、敵視を常に稼ぐ。
だが、その敵視に異常を感じる。

「――俺の居る位置に魔物が多い」
「前線に居るだけで此処まで寄ってくることは無い」
「意図的なものだ」

感じる違和感。
理性を放つ統率。
俺に対する執着。

「……」

絶望に叩き落された日。
水門に顕れたグリフォン。
あれもまた、違和感を覚える出来事だった。
そして現状の魔物の突撃。
剣を振るいながら過る一つの答え。

「――」
「ラモエ」

奴が俺を生かした意味。
それは「哀しい思い出」を欲するが故。
俺を通して、奴は俺が得た思い出を再び奪おうとしていたんだ。

「クソ野郎が――ッッ!!!」

そして同時に導き出される答え。
奴が狙うのは、『俺』だ。
ティパのクリスタルキャラバンを崩壊させる事は、一時の哀しみに過ぎない。
それはラモエの望む哀しみは生まれない。
なら何を望むのか。
俺単体から落とされる、絶望を振り払った思い出を、
再び絶望へと叩き落す思い出。

「――」
「――」
「――ッッ」

俺は帰る。帰るんだ。必ず帰る。
絶対に、帰る。
それは俺が再び生きる上で決めた、最も大切で、俺の核となる部分。
何をしてでも帰る。例え何かを捨てても――。

「――」

背後で戦うクリスタルキャラバンの面々に視線を向ける。
彼らと共に戦い抜き、魔物の群れを制覇出来ればいい。
そうだ。捨てる必要なんてない。
俺には、今、仲間が――。

「――」

609
わったん 2026/04/26 (日) 21:36:04 修正 >> 608

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実体はないが、確かに奴がいた。
笑っていた。
嘲笑うかのように。
それと同時に過る記憶。
ラモエによって最期を遂げた、仲間達の残滓。
俺は、矛盾していた。
帰郷の為に、彼らを利用するべきだ。
でも、護らねばならない。
俺が紡いだ希望を、此処で潰す訳にはいかないんだ。
どうすればいい。
お前は、俺にどうして欲しいというのだ。
ラモエ。

「――」

……。
護る。
その上で、俺は帰郷する。

「――」

俺は

「――おにいさん……?」

お前の言いなりにならない。

「――どうか、希望を紡いでくれ」
「――いままでありがとう――」

中央に位置する馬車の天井に飛び移る。
そうしてティダの方角を見据えた。

「おい、レビ!なにして――」

応える間もなく、俺は大きく飛び上がった。
魔物の群れを超え、平地に着地する。

「――」

瘴気が身を焦がす。

「おい!!レビ!!!!」

魔物の視線が、全て俺に向く。
やはり、ラモエがすぐに作った魔物だったか。
俺に敵視が向くように設計されていた。

「来――いよ」
「俺は、此処にいる」

キャラバンの包囲が解かれるのを確認した。
群れは一心の乱れも無く、俺へと向かってくる。
激痛の中、俺はただ、群れに追いつかれまいとティダの村へと走った。

610
わったん 2026/04/26 (日) 21:39:10 >> 608

幾度も追いつかれ、幾度も薙ぎ払う。
瘴気の中、俺はただひたすらに剣を振るい、歩いた。
最早身体の感覚は失われていた。
正気を保っていたかは、分からない。
ただただ、闇雲に走り続けた。
呼吸さえ出来ない、疲労の限界。
でも分かる。あと少し。
あと少しで、俺は村に着く。
まだ見えない。もう少しで帰れる。
ただいまを言って、けじめを付けるんだ。

「ゲホッ……!ゲホッ!!!」

吐血が止まらない。
先まで攻勢に出ていた魔物は、もう居ない。

「――」

瘴気で身体が持たない。
だが今は関係ない。
この歩を止める者が居ない限り、俺は――。

グシャッ……

「……」

『感動したぞ、ティダのキャラバン』

「……」

胸を突き刺す鋭利な爪。
背後から聞こえる、邪悪の声。
瘴気で蝕まれた身体が、楽になった。

『何処までも足掻き、何処までも立ち直り、何処までも堕ちる』
『キサマの救いようのない人生は、このラモエ、未来永劫美酒とするだろう』

「……」

あぁ、結局、こうなんのかよ。

『手向けの花だ』
『ティダの村の最期。それはこのラモエにとって』
『それはそれは、またとない美味だった』
『あの味は、二度と味わえない程』
『残酷だったぞ』
『キサマが今、味わっている瘴気の味を』
『あの村の人数だけ、見る事が出来たのだ』

611
わったん 2026/04/26 (日) 21:41:52 修正 >> 610

……ダメだ……俺は、何が何でも帰る……。

『どうした。キサマの声が聞きたい』
『このラモエが、わざわざ現界してまでキサマに会いにきたのだ』
『ならば、声を聞かせてくれ』

帰るんだ……。

『惨いな。生きる希望を見付けてしまったが故に』
『キサマは死ぬというのに』

あの、輝ける思い出が詰まった村に

『希望を分け与えたのはティパの村か』

絶対に、帰るんだ

『さて、その希望が絶望に変わるのはいつになるか』

俺は――。

『……最早生を成さぬか』
『興覚めだ』
『……?』
『……フハハハ!!キサマ、死して尚、帰ろうというのか!』
『素晴らしい、素晴らしい信念だ!』
『このラモエ、感服したぞ』
『だが、惜しいな』
『這い蹲ってでも背負ったその信念』
『長く続く事はなかったな』
『帰郷は出来ず、託された生きる希望も、潰えた』
『ティダのキャラバンよ』
『我が退屈を和らげた事』
『感謝するぞ』
『その魂、このラモエの魂魄に刻もう』

もう少しで――。
着いたのに――。
俺は――。
里に――。
帰――

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613
わったん 2026/04/27 (月) 15:51:47 >> 610



<帰りたい?>
<それが、貴方の望む事?>
<貴方の心はとっても痛そう。貴方が成せなかった帰郷が、貴方の魂を縛っているのね>

<もう遅かったわ>
<『旅人の思い出』から放出された記憶を、映像として認識出来る>
<その故郷はもう既に、瘴気に覆われた無残な廃墟>
<その前の存命していた故郷はどうかしら>

<そう。貴方を待っていたわ>
<皆、祈るように、キャラバンの帰りを。貴方達を待っていた>
<誰一人、逃げる事無く、最後まで信じていたの>
<滅びるその時まで、希望を捨てずに>

<駄目よ、レビ。貴方のせいじゃない>
<思い出してみて。この世界の原因は何なのか>
<メテオパラサイトという巨大な存在が、思い出の管理人の存在を歪にした>
<その歪が生み出した魔物の数々が、貴方達を苦しめているの>
<そんな根源から腐った世界に、貴方一個人が成せることなんてあるのかしら>

<そうね。決して諦める事のなかった貴方が諦めてしまったこと>
<世界を救って、平穏の中で黄金畑の揺れ動きを眺めること>
<でもそれって、貴方の生きてきた世界の中では、ほんの些細なことじゃないかしら>

<そっか、貴方にとっては、その些細な願いが希望だったのね>
<その希望を叶える為の、隣を歩く人達は居なくなってしまったけど>
<貴方はそれでも前を向き続けようとしたのね>

<尊い事だと思うけど、それって貴方がすべきことかしら>
<レビ。ここは全てを曝け出すところ>
<もう貴方はその世界に居ないの>
<思い出の存在として、ラモエに取り込まれてしまった貴方>
<そのラモエが今、私達の病巣に潜んでいるわ>
<ここは都市>
<貴方が居るべき世界じゃない>
<例え貴方に実体が無くとも>
<すべきことがあるでしょ>
<言ってごらん>

<世界は正しく見えて、貴方は正しくない>
<そんな悲しい事、認められないよね>
<だから自分の心に耳を傾けていいのよ>
<貴方がこの都市でしたいことを>
<矛盾に満ちていたとしても、それが貴方の望む姿>

<光になって、溶けていって、貴方だけの色を咲かせるの>
<自分の望んだ姿形になれるように>
<自分の故郷に帰れるように>

612
わったん 2026/04/26 (日) 21:48:32

回帰を終える。

「……」

永い螺旋階段を、登り終える。
その足取りは重く、表情には憂いに似た歪みが見える。
ユンフは懐で輝く『旅人の思い出』に手を添え、その輝きが収まるのを確認した。

「……」
「地平線に沈む夕日から始まり、その夕日に貴方は沈んでいった」
「黄金畑に想いを馳せて」
「帰郷の旅路を辿り……」
「それでも、辿り着けなかったのか……」
「……」
「ねじれとなっても、貴方は成したい事を見失っていない」
「それ故に、帰郷に想いを寄せて」
「今こうして、V社の一部に故郷を反映させている」
「……」
「……」
「『里帰り』」
「いや……」
「レビさん」

ビルの一室。
其処に佇むねじれは、
嘗ての黄金畑を。
夕焼けに染まる背景を。
渡せなかったクリスタルを。

『俺は、帰るんだ』
『ティダの村に』
『必ず』

捨てきれずに、抱えていたのだった。

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