サルデーニャ立憲共和国
サルデーニャ王国は統一運動の中心となり、1859年の統一戦争でロンバルディアを獲得。1861年にシュバルツ帝国を樹立し、以後はシュバルツ帝国の一部として近代化や領土拡大を経て、第二次世界大戦を迎えた。
アルゴン第三帝国に便乗する形で賛成したこの国は、連合王国の地中海艦隊に苦しめられながらもエジプト王国とチュニジアに対し攻勢を仕掛け、立て続けにギリシアにも侵攻し地中海艦隊を抑えつけるため、全力を尽くした。だが、それらの勝利を覆すことが起きた。
欧州の要衝を確保しようとする彼らの動きに勿論連合国は黙っていなかった。1943年のハスキー作戦がその顕著な例である。シチリア島の占領に成功した連合国は続け様にサルデーニャにも上陸を開始、戦争終結までの間同地は連合国の統治下に置かれた。
戦後、講和会議によりシュバルツ帝国に変換されると思われていたサルデーニャだったが、連合王国の反対により返還が阻止され代わりにサヴォイア家の保護という名目によりサルデーニャ立憲君主国が建国された。独立国とされていたこの国は実際は連合王国の不沈空母のような扱いであり、誰から見ても連合王国の傀儡なのは一目瞭然だった。
連合王国はこの国に新たな指導者と国王を与えた。アントニオ・コルセローニとウンベルト2世である。コルセロー二は臨時政府を開き、選挙に向けた改革と安定化を図った。60年代に入ると国民投票と当時連合王国の首相だったマクミランとの会談により王立軍の随時撤退とサルデーニャの非武装地帯化を取り決めるカリャリ協定が結ばれた。国民は喜んだ一方でいつまでも行われない選挙に怒りを示し、結果この臨時政府は1961年まで続き、政権末期になると権力に溺れるようになり国民からの支持も低下していた。
次に首相となったのはルイージ・ガスペリだ。コルセローニと違いかなりの穏健派かつ慎重派だった彼は経済活動の活性化を招いた代わりにシチリアからのマフィアの封じ込めに失敗し1967年に辞任。80年代に入るとシチリアマフィアが政府により掃討され始めたことでサルデーニャに逃亡する勢力も現れ始めたことにより治安の悪化が更に顕著へ、そこで現れたのがアレッサンドロ・モーリだった。
強硬派のアレッサンドロ・モーリはマフィアの撲滅を掲げ臨時的に権力を集中させ独裁な姿勢によりマフィアへの取り締まりを強化した。また外交方針も変更し連合王国からの独立を達成、独立と共に国王を廃止し、現在のサルデーニャ立憲共和国を建国した。このことから彼は鉄の男と呼ばれ、1991年には国内の秩序を回復し、マフィアは影に隠れ「輝きの時代」と形容された。だが彼は知らず知らずのうちに失敗していた。
アレッサンドロ・モーリは自身の力を過大評価し、またマフィアの力を過小評価してしまっていた。1992年にファミリーたちに目をつけられた彼はマイケル・モリコーネにより暗殺され、彼の目玉のみが警察署に届けられた。国民は報復を訴えたが、完全にモーリに頼り切っていた政府は暗殺により動乱に対処できなかった。
彼の後継となったのは他に誰もいなかったことにより選ばれ、信念もなくマフィアから目をつけられることを恐れていた党穏健派のアミルカネ・ダミンアーニである。彼はどの改革よりも早くモーリの強硬路線の継続を放棄し、マフィアの存在を黙認、取り締まりも緩和した。案の定司法は抵抗したが最高裁判所の裁判官の大半が買収されていたことによりそれも失敗し、汚職とマフィアが蔓延する。彼は結果党内クーデターにより失脚したが、彼の党が再び政権を取り戻すことは無かった。
そして現在の指導者である無党派のマリオ・ペンタンジェリとなる。彼は自らへの危険を避けるためマフィアに対して何の関心もなく、最低限の政治ができればそれで良いと考えている。司法は最低限の秩序を維持するため努力しているが、それが何を呼ぶか誰も予想できていない。
*金……