1991年3月に発生したカルロス6世と弟フェリペ・イグナシオ(後のフェリペ7世)の間で発生したスペイン王位を巡る政治抗争。
宮廷戦争、3月革命とも言われる。
1980年頃からカルロス6世は持病が悪化し、公務を休みがちになった。帝国議会はこれを問題視し、弟のフェリペ・イグナシオを一時的に摂政に据える案を提案したが皇帝勅令によって否決された。1991年問題と呼ばれる統治の難題に対してカルロス6世は明確な解決策を生み出せずにおり、フェリペ・イグナシオはこれを痛烈に批判し続けていた。
また、カルロス6世は福祉政策などへの重点的な予算投入を行い軍の軍事費の要求に対して拒否を続けたことで軍部(特に海軍)からの不満を高めた。
フェリペ・イグナシオは、海軍の一部と共謀して3月4日にグラナダの皇帝御所を包囲した。反逆行為に激怒したカルロス6世は私兵の皇帝親衛隊に対して鎮圧を命令し、2日間に渡り戦闘が行われた(グラナダの戦い)。
しかし政府からの説得によりカルロス6世はフェリペ・イグナシオへの譲位を容認し12日にフェリペ・イグナシオがフェリペ7世として即位。
フェリペ7世は改革の傍らで将来の後継者のため、ドナ・エミリアとの間にグレゴリウスを設け自身の死後にグレゴリウスへと帝位を継承させようと目論んでいた。だがグレゴリウスは早々に死亡してしまい、ドナ・エミリアも続くように交通事故で亡くなってしまった。その後からフェリペ7世は凶行に走るようになり、「鮮血帝」と呼ばれるまでに政府内や軍部の粛清を相次いで行った。2022年にフェリペ7世は崩御するが、フェリペ7世の死因として発表された「持病」には疑問が残るという。
結局、死後フェリペ7世の後継者として選出されたのはカルロス6世の孫にあたるサビーネ(現サビーネ1世)であった。