ウルグアイ共和国(第1共和政)末期、ウルグアイ共和国は限界を迎えた議会政治の政党政治による寛容主義的政治と過激極左組織によるテロリズムによって政治構造の限界を迎えていた。議会政治による政党の駆け引きに偏った寛容主義的政治により失われた民意はテロリストに同調的になり、地方警察の腐敗と中央警察に強行的な捜査は民衆の政府の信用を失わせた。
更なるテロリズムの拡大を防ぐ為、ボルダベリー大統領は国家緊急戒厳令を発令し軍の出動を命令する。第三師団を中心として、テロリストの拠点を徹底的に破壊。首都モンテビデオでも活動するまでに至ったテロリストは、遂には地方で細々と活躍する程度に落ちぶれた。この業績により名を高めたアジア出身の第三師団師団長パク・トーチは、私兵とも言える第三師団を使い粛軍を行い、遂に参謀総長を蹴落とした。パクはそのままの勢いで政治に幅を効かせ始める。最終的には、パクはボルダベリー大統領から救国軍事会議議長として全権を委任され、彼は独裁者と呼ばれる存在にまでなった。
彼の統治下でウルグアイは開発独裁により経済成長を続け、農業国家だったウルグアイは現代国家としての工業基盤を手に入れる。その際創設された国営ウルグアイ重工業は現代でもウルグアイ合衆国国防軍の受注最大手として活躍している。
しかし、終わりは訪れる。絶大な権力を有したパク・トーチだったが何者かの暗殺により死亡する。その後は後任をめぐって激しい争いが発生。二代大統領としてアギーレが就任するも、救国軍事会議戒厳軍司令官ユリシーズにより再度のクーデターが発生。ユリシーズはアギーレの約束した民主化を否定し、救国軍事会議による独裁の継続を宣言する。その後、一定の時間は支配が継続するも情報統制や長時間労働による民衆の反抗への封じ込めが反発を呼び、最終的には内戦にまで発展する。
内戦は軍が市民を銃撃したことを発端に民主主義勢力、学生勢力、さらには極左勢力にまで結集した自由同盟が兵器貯蔵庫を襲撃し軍と銃撃戦を展開。農業馬による突撃までをも敢行する展開となる。
最終的に首都モンテビデオにまで自由同盟が進軍を開始したことで軍が降伏し、自由同盟の中心人物オルドーニェスを中心とした臨時政府を樹立。そして、新憲法による法治体制が整ったことをもってウルグアイ合衆国建国に至るのである。
北米独立国家連合さんの「深く考えたら負け」に触発されて生み出しました。
私の場合受け売りが多いけどなんか嬉しい()
この調子でもっと長くしちゃうぞ〜!
とりあえずお兄さんと一緒に米西戦争しようや()
なお西インド諸島を掌握したのは英独の模様