2011年9月12日22時、日本軍が上海市での「特定状況下の治安安定化活動」を行うことを宣言。これにより上海警察と日本軍海兵隊との間で2日間の間で戦闘行為が起き、最終的に上海市の自治領化を条件に戦闘が終結した。
参加戦力
上海市
上海警察
├武装警察
紫門
日本
日本軍海兵隊
├第31海兵連隊
├第3海兵戦車大隊
├第11海兵機械化偵察大隊
時系列
12日
日本軍の宣言から20分後に海兵隊の空中機動部隊が上海港、杭州湾沿岸、上海国際空港へ降下、抵抗する上海警察を制圧し占領。22時半、洋上で待機していた揚陸艦から連隊主力が港湾への揚陸を開始し沿岸地域の制圧を開始。24時までの間に上海港と杭州湾が日本軍の占領下になった。
13日
午前2時頃、1個大隊が崇明区に上陸して上海警察と交戦、これを制圧し占領した。杭州湾占領地域では現地マフィアによる襲撃を受け、夜間の市街戦が勃発。日本軍は疲弊しながらも占領を維持したまま夜明けを迎えた。上海警察は正面からの戦闘が無意味と判断し、武装警察と4,200人の警官を集結させ都市中枢を要塞化、徹底抗戦の姿勢を示した。日本軍は小隊規模の突撃を試みたが失敗を繰り返し、歩兵だけでは攻略不可能と判断して戦車部隊の投入を要請。19時には戦車大隊と機械化偵察大隊を乗せた輸送艦が洋山深水港へ到着し、東海大橋を通じて上海市内へ進軍を開始した。
上海市政府の官僚である府 天明は杭州湾の近くに住む妻から日本軍の戦車部隊が揚陸していることを知らされ、このまま両勢力が衝突すれば軍民問わず多くの犠牲が出ると考え市議会に日本軍との交渉を訴えようとした。しかし上海市政府内は徹底抗戦を訴える上海警察と降伏を求める市内の役員、混乱に飲み込まれた市民で機能を失っていたため、府は市長へ直訴を行うことを決めた。24時が近づいてなお市役所は人で溢れかえり市長室に向かうことをあきらめ、車で仮眠をとろうとしたときふと空を見上げた府は窓から飛び降りる市長の姿をみた。
14日
市長の自殺によって上海市政府は最高責任者を失い分裂を加速させていた。市役所で殴り合う人々の声と遠くで響く砲声を聞いた府は自ら同志を集め混乱を収めることを決意した。警察特殊部隊の待機室に乗り込み説得の末、協力を得て市内の人々の統率を取るべく行動を始めた。
早朝、日本軍は揚陸した戦車部隊の戦闘準備がようやく完了し本格的な攻撃を開始した。偵察大隊による市街地に潜伏する兵士の制圧が始まり日本軍は少しずつ中枢区画へ向けて進撃していた。しかし戦車部隊が中枢部に出撃する直前になって海兵隊上層部からの一時停止を命じられ全部隊が進撃を停止した。
日本軍の行動が活発になったの察知した府はもう時間が残されてないと感じ、官僚たちの支持を取った後、武装警察の説得を特殊部隊に任せ単身で杭州湾に展開する日本軍に交渉のため向かった。海兵連隊指揮官は交渉に来た男の目を見て自らの意思で判断するべきでないと感じ旅団長に判断を仰いだ。旅団長が府との会談を始めたと同時に海兵隊上層部は直接戦車大隊に強行突破を命令、少しずつ近づく戦車の音に市役所は再び混乱に陥りかけたが府を信じる人々の尽力によって少しずつ落ち着きを取り戻していた。会談開始から30分後、日本政府との交渉までの停戦が取り決められた。戦車部隊は都市中枢まで7kmの地点で旅団長から停戦命令を受け進軍を停止した。
15日
日本政府は府 天明を現在の上海市政府の責任者として会談を行い、自治権をもったままでの日本領化で合意が成立、これにより第三次上海事変は終結を迎えた。