東州の歴史
東州という国名が歴史に登場したのは、1948年に連合王国から独立したことが始まりである。当時の国名は「東州共和国」であった。
独立直後は、連合王国から譲渡されたフリゲート艦、駆逐艦、戦車などが主な兵器であったが、チェコなど他国との協力を通じて、東州は大幅な技術的進歩を遂げることができた。
2020年には、東中華連邦共和国を併合し、国名を「東州連邦共和国」へと改称。だがここから、東州は波乱の時代に突入する。
2025年、共産党の金紺成によってクーデターが発生。当時、東州軍の多くはイエメンやオマーンに派遣されており、国内には警察や少数の軍隊しか残っていなかった。彼らは必死に抵抗し、当初は劣勢だったものの、HCO(ハノイ条約機構)からの援軍の助けもあり、最終的には共産党勢力を打ち破ることができた。
しかし、その2か月後には「第二次東州内戦」が勃発。この内戦は規模こそ小さかったが、被害は甚大であり、戦死者は15,000人を超えた。
内戦終結後、復興が進む中で、親東州派であるマダガスカルがHCOに加盟。これにより、HCOはアラスカからアフリカに至るまでを包含する巨大な同盟へと成長した。
これからも東州は、HCOとともに世界の舞台で飛躍し続けることだろう。
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