AM 07:00、静かな部屋に人工光が差し込んだ。遮光カーテンはタイマーによって自動的に開かれ、外の曇天をあらわにする。空はまた、いつものように灰色だった。
ベッドの上、姚蓮(ヤオ・リエン)はまぶたを半分開ける。
体の上に薄くかかる体温センサー布が微かに動き、起床を検知する。
その直後、天井から女性の声が降りてくる。柔らかく、感情が微かに混じったような演技めいた音色。
「おはようございます、蓮様。本日の睡眠効率は87%、心拍変動指数は安定域にあります。犯罪係数:66。理想的な数値です」
蓮は言葉を返さなかった。ただ、首だけを動かして壁に投影されたパネルを見やる。
そこには昨日の“感情記録”がグラフ化されていた。午前中に怒り、午後に沈黙、夜に小さな希望。記録されたのは、彼女が自覚していたことよりもずっと詳細な感情の痕跡だった。
リーヴァ——家庭に導入されたAIアシスタントは、本人よりも蓮の“内面”を理解しているように振る舞う。
『本日は、2件の自動翻訳作業と、1件の社会貢献質問への回答がスケジュールされています。外出のご予定は?』
「今日はいいよ、今日の翻訳作業は大変なの…」
蓮はゆっくりと上体を起こす。頭がまだ重い。
窓の外では
「今日のニュースは?」
『本日のニュースはこちらです。<ENグループ、広州信用開発銀行株式会社の買収を発表>、<第76区で甘味調整品の新商品がー』
垂れ流されるニュースの数々を耳から聞き流しながら蓮は洗面台へと足を運び、水で顔を洗う。
鏡の中の自分を見ながら、毎朝感じる問いがまた胸をよぎる。
——今日という日は、私のものなのか?
それとも、誰かが“選んだ私”の一日なのか?
洗面台の奥に設置されたモニターから、再びリーヴァの声が響く。
『本日も、明るく建設的な一日をお過ごしください。蓮様の選択は、社会の安定に貢献しています。テミス・システムは蓮様の選択を尊重しております。』
蓮はタオルで顔を拭き、無言でリビングに向かう。
朝食は自動給餌機が、栄養素最適化食品を温めている最中だ。
その歩みのなかで、蓮はふと小さく笑った。自嘲にも似た、しかし確かに“自分のもの”である笑みだった。
「なら、今日も“建設的”に沈黙してみようかな」
PM 12:45。
街の中心にある「区営食堂第五分館」。
外観は極めて清潔で、建物の前に並ぶのは信用スコアに応じて色分けされた列だった。
A区列は銀。B〜Cは青。D以下は灰。
蓮は青のリストバンドを見下ろし、小さく息を吐いた。
B+というスコアは、下層ではないが上位でもない。静かに、目立たず、忠実である者に与えられる“中間の証”。それゆえに安定して、そして不安定にもなる。
入口に設置された検問ゲートを抜けると、スキャンされた個人情報が天井のドーム状AIセンターへと転送される。中から機械音声が流れる。
『個人コード認証、市民権を確認。姚蓮様、ようこそ。B+区画は中央通路左手です。滞在時間:20分以内。本日のメニューは:栄養均衡豆腐飯、緑茶ゼリー、ニューロ・ブレッド。良い再充填を。B+のため、ポイントによる限定追加も可能です。その際は栄養バランスや自己の健康に配慮しつつお選びください』
蓮は慣れた足取りで、自分の区画へ進んだ。
ー中央ホールには、目に見えない壁が存在している。
A区画は高台に設けられ、照明は暖色、音楽が微かに流れ、各席にはパーソナルAIが接続されている。テミスに認められた「優良的被保護民」である。
一方、B〜C区画は無機質なテーブルが並び、背後にはENNSの監視ドローンが一台、静止したまま浮かんでいる。
テーブルの向かいに座る若者が、震えた指でスプーンを落とした。
金属音が床に響いた瞬間、警告アラームが小さく鳴り、ドローンが赤く点滅する。
『非効率行為:落下音による周囲への刺激。
マナー低下判定:-0.2。情緒不安反応を検出。再起動指示中。』
若者は硬直し、口元を歪めながらゆっくり頭を下げた。
蓮はその様子をちらりと見ただけで、何も言わずに食事を口に運んだ。
味のない豆腐飯を咀嚼しながら、視線はA区に座る一人の老紳士へと向けられた。
彼は上品に食事をとりながら、手元の端末で「自由意志と社会安定について」のエッセイを書いていた。テミスが選んだ安全な思想領域内での“自由”。
自由の形をした服を着る者たち。
蓮は、自分の服が何色かを、知らずに確認してしまっていた。
20分のタイマーが鳴る。
蓮は立ち上がり、無言でトレーを返却口へと運ぶ。
出口へ向かう背中に、リーヴァの通知が振動で届いた。
『蓮様、テミス・システムからの要請により午後の作業スケジュールに変更がございます。社会貢献ログ記入依頼(緊急):件名『今日の秩序の美しさ』。140字以内で提出、本日までのノルマ達成をお願いいたします』
蓮は手元の端末を見つめ、返答をせず、ただそのまま曇天の光が差す通路を歩き出した。
その背後では、銀の光を放つA区の食卓が、変わらず静かに賛美のような言葉を紡ぎ続けていた。たとえこれが他者の犠牲によって作り上げられた安定であっても、私も彼もこれを手放さないだろう。安定こそが至高であり、悩む必要などないのだから。
蘇州特別行政区又は蘇州高等自治特区における一般市民の生活の一幕。
リーヴァ:一般家庭に導入されているアシスタントAI。様々に設定を変えることができ、カスタム性が高いことから人気を博している。なおエレナ・ニーナ製。市民支援施設 などで採用されており、栄養バランスは勿論のこと、会話を最適化しより良いコミュニケーションの促進、学習効率・集中力・対人調和性の向上などなど市民からも好評。感情収束成分、言語抑制最適化、記憶の一時緩和など、抑制されている自覚はほぼ皆無。正式名称は「言語刺激低減パン」。
ニューロ・ブレッド:テミス・システム認証済みの栄養制御食。教育機関の昼食や官公庁、
ENノクターン・セキュリティ:エレナ・ニーナ・アジア・グループを構成するPMC。蘇州における"警察"。
いいですねぇこういうデストピアみたいの。
うちの外交官に見学させに行きたい()
榊が当選したら広東も見習って「秩序」国家にしていきましょうかね
将来的にはテミス・システムの輸出も計画されています()
>> 2291来ます?()
テミス・システムの視察的な感じで行きたいです。
「1984年」はもうとっくに過去ですよ()
まああの世界、無駄に健康推進してきたりそこそこ娯楽はあったりするので個人的には好き>> 2204テミス・システムの視察は難しいですね、都市の視察は監視官付きなら可能でございます
可能であっても蘇州公安局の地下にある偽装用のスパコン群を見せられるだけです()
それじゃあ都市の視察をしたいです。
>> 2297okですー
なんかうちの上海の隣がディストピアになっていた...