人のいなくなった峠。月の光が濃い霧に遮られ、あたりは深い闇に包まれていた。喰い終わった死体から離れて、道路をふらふらと歩くと、霧の向こうに気配を感じた。飢えに操られるまま、気配の主を喰らうために歩き出す。たとえそれが自分よりはるかに高位の存在であっても、触れてはいけない化身だったとしても
霧の先にいたのは一人の少女だった。薄い青の髪、枯れ枝のような角、蛇のような尾。
少女が手を振ると風が吹いた。濃霧がかき消され、月の光が皮膚を焼くように降り注ぐ。凶器であり鎧だった霧が無力化された今、武器は手にもつ棍棒と執念だけだった。前へ進もうとするのを押し返すように風はますます強く吹き、雹が体を殴りつけている。棍棒は風に攫われ、執念は雹とともに砕け散った。
それでも、一歩、一歩と大地を踏みしめて近づく。赦しを得るために手を伸ばし、少女に触れようと前へ進む。しかし痩せ細った肉体は風に耐えきれず、悲鳴を上げ続けた。
限界が訪れたと同時に、突風が体を吹き飛ばし大樹へ叩きつけた。脊椎が砕け木の破片が体を切り裂く。
墜ちていく意識の中で、最後に見えたのは青い瞳だった。
まさか本当に見つかるとは...そう思いながら目の前の正気を失った鬼を見る。「全国各地にランダムに出る鬼を殺してほしい」という無茶苦茶な頼みを受け、あてもなくさまよっていた時に偶然遭遇してしまった。
飢えに狂い目の前の生物を喰うことしかできなくなった哀れな鬼、共食いの罰として目と言葉を奪われた罪人、飢饉が残した骸。
人間たちはあれを「霧の能力」と言っていたが「やませ」が正しい表現だろうか。飢餓を満たすために飢餓を呼ぶ霧と風で狩りをするなんて皮肉なものだ。
数百年の時間が一瞬で過ぎ去っていくように朽ち果てる死体を横目に電話をかける。
『もしもし鶴本?黒鬼見つけたから殺したよー。これで被害はなくなるんじゃない?たぶん』
黒鬼:全国にランダム発生する通り魔。ようやく死んだ。死因は脊椎が粉砕骨折。
峠:東北地方のとある峠。この日の最大瞬間風速は64m/s
少女:一般人間協力竜。名前はシノネ。風と雨を操れる。