朝は静かだった。
ひんやりとした空気が頬を撫で、湿った草の匂いが鼻腔をくすぐる。
私は軽く伸びをして、カーテンを開ける。窓の外には、昨日より少し背を伸ばしたアザミの群れと、まだ眠たそうなニワトリたちの姿。
「さて、朝食にしようか」
独り言を言う癖が抜けない。もっとも、誰に聞かせるわけでもないから構わないだろう。
キッチンは簡素だが、よく手入れされている。調理器具は古いが、精密機械のように配置され、動線に無駄がない。
私の知性は、こういう些細な整頓にも反映される。あぁでも、あくまで“自然”に見えるようにね。
パンは昨日、村外れのマリーおばさんから分けてもらったもの。少し硬くなっていたけれど、水分を含ませて焼けば...。
ジュッ
良い音だ。
バターは低温保存していた手製のものを薄く塗る。焼きすぎず、しかし香ばしさを引き出す。
紅茶は昨日のうちに仕込んだキームン。濃く抽出して、今朝はジャスミンをほんの一摘み。香りの立体感を増すためだ。
知っていたかい? 酸化の分子構造は、この段階で既に味に影響を与えるんだよ。
「ふふ、聞いてるのは私だけなのにね」
朝食は、パンとベリージャム。サイドに刻んだハーブ入りのスクランブルエッグと、ハーブサラダ。
紅茶を注ぎ、深く一呼吸。
「いただきます」
口に含んだ瞬間、熱と塩気とバターの香りが一斉に花開く。
人間の味覚神経の活性経路は面白いよね。最も単純な快楽経路でありながら、最も深い記憶にも接続している。
だが、これはただの栄養摂取ではない。
私が“今朝も人間として目を覚ました”という確認行為だ。
食後、コートを羽織り、扉を開ければ...。
「あっ、先生!!おはようございます!」
子供の声が飛んできた。振り向けば、小さな男の子が手を振っている。近くに住む、ジョセフくんだ。
「おはよう、ジョセフ。もう元気に走り回っても平気かい?」
「うん、胸が痛いのも治ったよ!」
彼は、二週間前に胸膜炎を起こしていた。正式な病院にかかれば二日入院コースのところを、私は五日間かけてハーブ療法と呼吸指導で治した。
本当は抗生物質でもっと早く治せる。でもこの村にはそれがないからね。
「それはよかった。でも油断しないで、朝の空気はまだ冷たいから、上着を着るんだよ」
「うん!!じゃあね!」
笑顔で駆けていく背中を見送りながら、私はそっと、静かに口元をゆるめる。
通りを歩けば、あちこちから声がかかる。
「先生、昨日の湿布、効いたよ」
「また腰が痛くなってきたらお願いね」
「こないだの魚、分けてくれてありがとうねぇ」
「いえ、こちらこそ。皆さんが無事でいてくださるなら、それが何よりです」
言葉を交わしながら、私は考えていた。
この人たちは私がかつて何をしてきたのかを知らない。
どれだけの命を弄び、奪い、そして踏みにじってきたかも。
それでも、今、こうして手を振ってくれる。笑ってくれる。
私が“人間のふり”をしている限りは。
「...。さて、午前の診療に行こうか」
白衣のポケットには聴診器。カバンの中には自分で調合した薬草。
そして心の奥には、誰にも見せない“記憶の箱”がひとつ。
今日も朝が来た。
私の居場所はまだ''
それだけで私は生きていられる。
思いつき短編集。例のあの人のコピーの1人です(あんだけバンバン複製してたら、1人ぐらい逃げ出すヤツが居そうだな()と思い書いてみました)
人格ベースは3代目