ニュータイプは富野作品やガンダムの主題では必ずしもない。機動戦士や聖戦士の「戦士たること」を省いて、温和な人類の未来像だけを語るのはむしろ亜流といっていい。ここでは、ニュータイプのための戦士観を求めるのがよい。
現在、ガーゼィ4巻なかば。一刀で首を断つのはクラバの礼儀だ、などと悟ることかな。それは冗談として。
魔法少女でも戦死者が出ることに湧いたのはもう昔だけど、クラバで人は死ぬことに今も胸に刺さるものはある。胸に刺さるものはあるが、視聴者は耐えられる。それは時代環境なのかは今わたしはあまり知らないので、はかり知れん。視聴者が視聴に耐えるならそこにさらに表現できることがあるという物の言い方は、こないだの氷川本で読んでいた。
通報 ...