かとかの記憶

富野由悠季 周回 / 220

279 コメント
views
220
katka_yg 2025/05/24 (土) 23:42:45 修正

『王の心』第二の物語 完。第二話にしていきなりハードルの高いエピソードだとは思うが、ガンダムよりは想定読者の年齢か文芸経験は求めるということだ。趣味についてはむしろ微笑ましくもある。
わたしは、今この説話チックなシチュエーションに連想をかき立てられることはもう前から書いた。実際に読み返すとそんなに古典ほど古めかしくもないけど、おかげで『屍鬼二十五話』以下からの読み返しを始めるきっかけにはできた。あれやこれ併読のモチベーションになる。

この第二話の中の、騎士の領地経営のあれこれ話題はこれ単独で独自の興味にもなる。『オーラバトラー戦記』にもジョクの領地経営とそこにアリサを連れてくる話があり、『戦記』中ではそれだけで面白い小説にはなりきらないかもしれないが、その話もう少し詳しく聞いてみたいような気はした……のを思い出す。田舎の館のつくりは古代よりはだいぶ新しい時代のよう。

通報 ...
  • 221

    「老覇王」のキャラクターについてはこれまで触れてきたが、ゴゾ・ドウやズムドゥ・フングンの面影を引いているのはわたしの印象ではこの『王の心』では主人公グラン王その人で、ここで、「クワウンゾゥ」という思いにはあまりならない。

    フングン王が恐獣使いで国興しをしたようにクワウンゾゥは機械信奉者とはいえるかもしれないが……。ゲトラ・ゲイはむしろクワウンゾゥ寄りの覇王かもしれなかった。ゲトラ・ゲイの実像は、じつはよくわかっていないことも面白い。

    222
    katka_yg 2025/05/25 (日) 22:01:57 修正 >> 221

    上の話ならドレイクと較べたほうが妥当じゃないのかな。わたしは意外にドレイクを思い出さない傾向があるらしい。

    たまたま、騎士の領地の話で、ドレイクの場合ガロウ・ランとの戦争では騎士の戦功に報いる封土を得ることがないので、それが騎士の時代の終わりと次の覇権主義の台頭を推し進めたという論旨で書かれたが、クワウンゾゥの機械信奉はこの世界で「新時代の思想」のようには言われていないだろう。
    それはむしろカロッダのほうで、フローランドという新秩序を宣布してカロッダ全土をまとめたというほうがドレイクの思想にも近い、はず。クワウンゾゥの動機とする機械力によるコングリヨンのフローランド化は倒錯、グラン王やグラン王の息子から見ればむしろ時代遅れの妄想、狂気と見えた。これらは作中に書いてあるが、読み返しでは幾らか意識的に追い直してもいい。

    223

    争闘やまないカロッダを鎮定するために掲げたフローランド思想は天下布武、ではないし八紘一宇、でもない。四字熟語でいえば……わたしはいま、「天壌無窮」のような言葉を連想したが、それは先日の菅野よう子のイメージが若干あった。

    政治思想(政治目的)としてのフローランド思想は壮大だ。壮大で、言っててちょっと荒唐無稽だと、自分で言っているグラン王も思えてしまうほど。

    グラン王が掲げたフローランド思想は宗教的な面はあるけど、フロー教という宗教国家を作ろうとしたわけではない。フローランドが現実に実現している現在に至ってもフロー教徒の地位はやはり何故か、あんまり高くない。

    フロー教のアジャリの容貌をみるに、フロー教徒の使命はまず第一に古伝説(創世記)の伝承。自然哲学と、修行者の能力開発に専念している。知的選良(エリート)のみの教義で、凡愚のともがら=民衆の生活態度には全く何も指導しないし、権力に容喙しない。ネオ・フリーメーソンやヘルメス財団に似ているといえば似ている。